『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

板葺き石置き屋根の町屋

2021年05月31日 | 建造物

 

2013年(平成25年)に金沢を訪れた時に同市の市街地野町で板葺き石置き屋根の町屋がみられた。この建物は市街地に唯一残る板葺き石置き屋根の建物として貴重な建物として金沢市保存建造物に指定されているようである。「金沢の町家」(鹿島出版会)によると金沢の町家は大正期まで板葺き石置き屋根で瓦の普及は昭和の初めからとのことである。     
           
     ※「はつかいちぶらり」と放浪が出来ませんので、しばらくの間老化防止のためストック画像から更新しますので宜敷くお願い致します。

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市域の旧町村誌(史)-廿日市町史通史編

2021年05月30日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 


旧廿日市町で刊行された廿日市町史で通史編(上)、通史編(下)は昭和63年(1988)に発行されている。
通史編(上)には廿日市町の自然と環境、原始・古代の廿日市、古代の廿日市、中世の廿日市、近世の廿日市、通史編(下)には近代の廿日市、現代の廿日市、廿日市の民俗、特論編など論述されている。通史編(上)に中世山城の遺跡、通史編(下)に家屋の構造と旧町域の中世山城の調査や農家や町屋の調査での愚稿と作図を掲載して頂いた。

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市域の旧町村誌(史)-廿日市町史資料編

2021年05月29日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

 

 

 

旧廿日市町で刊行された廿日市町史で資料編Ⅰは昭和54年(1979)、資料編Ⅱは昭和50年(1975)、資料編Ⅲは昭和52年(1977)、資料編Ⅳは昭和56年(1981)、資料編Ⅴは昭和58年(1983)に発行されている。資料編Ⅰには古代・中世資料、資料編Ⅱには近世資料・町域旧村資料が、資料編Ⅲには近世編年資料、資料編Ⅳには近代・現代資料(上)、資料編Ⅴには近代・現代資料(下)が収録されている。

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市域の旧町村誌(史)-宮島町史

2021年05月28日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 

 

 

旧宮島町で刊行された宮島町史で資料編・地誌紀行1は平成4年(1992)、資料編・石造物は平成5年(1993)、特論編が平成9年(1997)に発行されている。厳島神社のある宮島は歴史もあり文化財、資料も豊富にあり、国際的な評価に耐えうる町史編纂をと計画されていたが財政的悪化で上記の3巻発刊のみで編纂事業は中止となった。資料編・地誌紀行1は江戸期に編纂された地誌、名所案内記、名所図会など収録されている。資料編・石造物は宮島町内に存在する石造物を調査し写真、実測図、銘文など掲載されている。特論編は厳島神社をはじめとする宮島町内の神社建築、寺院建築、民家建築を論述したものである。

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市域の旧町村誌(史)-佐伯町誌

2021年05月27日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

 

 

 

旧佐伯町で刊行された佐伯町誌で資料編一は昭和56年(1981)3月31日、資料編二は昭和59年(1984)3月31日、本編が昭和61年(1986)3月31日に発行されている。資料編一には重要文化財に指定されている文書、村関係資料、諸家所蔵文書、転載文書など収録、資料編二には佐伯町所有資料、諸家所蔵文書、碑文・社寺遺文などが収録されている。
本編には私たちの町・佐伯町編で佐伯町の生い立ち、佐伯町の自然環境など4章、町域の歴史編で前史時代、古代、中世、近世など記述、文化編、民俗編など記述されている。

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市域の旧町村誌(史)-吉和村誌

2021年05月26日 | 「吉和地区」ぶらり

 

 

 

旧吉和村で刊行された吉和村誌で第一集は昭和61年(1986)12月1日に発行、第二週は昭和60年(1985)7月1日に発行されている。第一編自然と有形文化では気候、生物、民家、民具、地名など記述され、第二編では文書資料などが掲載されている。第二集の第三編生活伝承-衣食住、生産と労働、通運・交易、社会生活、通過儀礼、年中行事、口承文芸・芸能、宗教・信仰などにわたり記述されており、民俗学色の濃い村誌である。

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各地産出の凝灰岩

2021年05月25日 | 建造物

①来待石

来待石

②福光石

福光石

③笏谷石

笏谷石

④日華石

日華石

先日、NHKのブラタモリで千葉県房総半島にある鋸山の凝灰岩房州石採石場跡を紹介していた。当ブログ主がみてきたその地方で産出の凝灰岩について紹介する。①松江市来待町でかつて産出していた来待石採石場跡にはモニュメントミュージアム来待ストーンが設けられて来待石について色々が展示紹介されている。(下画像-ミュージアム展示パネルより)②温泉津町福光にある福光石石切り場では現在も採石されており、事前予約すれば採石場を案内して頂ける。③福井市足羽山で産出していた笏谷石を加工して福井県坂井市丸岡町にある丸岡城の屋根瓦や鯱鉾が作られていた。④北陸の小松市で産出する日華石は石切り場によって滝ケ原石、観音下石、大杉石などといわれているようであり、同市平面町でみた石蔵で地域色のある蔵飾りである。    

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市域の旧町村誌(史)-大野町誌

2021年05月24日 | 「大野地区」ぶらり

 

 

 

旧大野町で刊行された大野町誌は昭和37年(1962)3月31日に初版が発行され、平成4年(1992)3月31日に第二版が発行されている。大野町史の外観編では原始・古代・中世社会、近世村落の成立など十一項目で記述され、大野町誌編では大野の自然、政治、経済、産業、教育など二十二項目で記述されている。

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在りし日の地御前町屋

2021年05月23日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

中世末期から江戸期にかけて地御前神社の門前町として成立した地御前の町並みは社会変化や生活様式の移行により町屋独特の家並みが失われている。画像の平面図・立面図はすでに失われている地御前町屋を昭和後期頃に調査させて頂いたものである。(上画像-廿日市町史附録絵図より)

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在りし日の廿日市町屋

2021年05月22日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

中世から江戸期にかけて成立した廿日市の町並みは社会変化や生活様式の移行により町屋独特の家並みが失われている。画像の平面図・立面図はすでに失われている廿日市町屋を昭和後期頃に調査させて頂いたものである。二棟の町屋は江戸後期の長州戦争時に焼失し以降に建築されていたものである。(上画像-廿日市町史附録絵図)

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水稲稚苗

2021年05月21日 | 農業

 

田植え時期が迫ってきたが昨日、第一便の稚苗が配付されてきた。今年は日照不足で苗色が悪いとのことであったがうまく育ってくれれば良いのであるが・・・ 残念ながら今年の田植え仕事は助っ人頼みとなりそうだ。

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ブラシノキ

2021年05月20日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

ウォーキングの途中、川向こうに見たことがないような赤い花が見られたので、訊ねてみたらブラシノキということであった。見るとブラシの形状をしていた。Wikipediaによると別名はカリステモン、ハナマキ(花槙)、キンポウジュ(金宝樹)ともいうようであり、赤の長い花糸が穂状花序をなし、花序全体がブラシのように見えるようである。

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麦秋

2021年05月19日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

ウォーキング途中の原地区で麦畑の小麦がたわわに実っておりもうすぐ刈り取りをされるのであろうか。当地域は温暖であり昔は麦の取入れが終わってから田植えの準備をしていたものである。数年前に出雲平野で広大な麦畑をみたことがある。

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遊びの菜園-赤米・黒米

2021年05月18日 | 農業

 

 

 

昨年の秋に出雲方面を訪れた途中、道の駅で古代米の赤米と黒米の玄米を購入した。玄米からでも芽が出るかと種蒔きしたら少しずつ芽がでてきた。中画像の下段右側が黒米で左側が赤米である。上段は昨年秋に収穫した陸稲の籾を蒔いたものである。何れも種蒔きが遅かったので画像のような状態である。

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厳島合戦絵図

2021年05月17日 | 「宮島地区」ぶらり

山口県文書館

広島市中央図書館

広島大学文学部

国立公文書館

東京大学

安芸高田市歴史民俗資料館

 

厳島合戦の信憑性のある資料は「棚守房顕覚書」などみられるが、一般的に知られている合戦の経緯は江戸時代に記された軍記物の「陰徳太平記」からである。史料的価値は低く史実とは異なる部分があるようである。厳島合戦を描いた絵図が数点みられるが、これらは軍記物の「陰徳太平記」をもとに描かれているようである。(出典-デジタルアーカイブ・吉田町歴史民俗資料館図録より)

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