『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

廿日市本陣①

2023年07月31日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

江戸期、廿日市の町並みの西国街道沿いに廿日市本陣があったことを記した石碑が廿日市市中央市民センター前庭に建立されている。当初は本陣跡に建立されていたが二度も移転して本陣とは異なった場所への建立となっている。下画像の中央市民センター東側の赤線で示した範囲に本陣があったのである。

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桜尾館

2023年07月30日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

上画像は明治末期の絵図で(ふるさとの写真集)、中画像は桜尾館の西側廿日市港側から写した画像で天神さん側には帆月楼とみられる大きな建物がみられる。下画像は広島県実業案内に掲載の桜尾館の広告で営業内容が記されている。

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元広電廿日市駅前の今昔

2023年07月29日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

上画像は昭和12、3年(1937、8)頃のマキノバス廿日市営業所の画像(ふるさとの写真集)で、現在も当時の建物が残されている。マキノバス廿日市営業所は昭和18年(1943)に広電バスの廿日市営業所となり、昭和29年(1954)に2号線沿いに移転のために廃止となっている。

当フログ主が小学生の頃山田漬物店のところが広電バスの待合所であり、らせん階段の向う側にはバス車庫があった。我が家に帰る原線や母親の里に行くためここから湯来線のバスに乗っていたことが思い出される。

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天神さん遠望今昔

2023年07月28日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

上画像は明治末期頃の様子を表した絵葉書で、海岸沿いには潮湯といわれる蒸し風呂のあった桜尾館がみられる。現在のサクラオブルワリーアンドディスティラリー(元中国醸造)の事務所あたりにあったようである。現在は下画像のように海岸は埋め立てられサクラオブルワリーアンドディスティラリーの醸造施設群となっている。

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平良丘陵開発の今

2023年07月27日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

 

先日、平良丘陵開発予定地内でのレストラン・ホテルや温浴施設などの商業リゾート施設の計画が報道されていた。以前紹介した掘削工事が行われているケ所の昨日現在の様子である。看板表示によると広池地区を通っている市道の広池、群塚、小野線が8月1日から通行止めとなるようであり工事の進捗状況は間もなく見られなくなりそうだ。

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各地の厳島神社㉒-瀬戸ケ島厳島神社

2023年07月26日 | 厳島神社関連

 

 

 

 

浜田市の海上交通の要所である瀬戸ケ島に祀られている厳島神社で、看板表示によると正平9年(1354)11月に足利直冬が宗像大社の分霊を勧請したという。旧暦6月18日には海上管弦祭が催されるようである。

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速谷神社の外玉垣工事

2023年07月25日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

田んぼの水廻りを兼ねての早朝ウォーキングで速谷神社に参詣しているが現在外玉垣の工事が行われている。速谷神社造営誌によると老朽化した玉垣は昭和5年(1930)10月に伊勢神宮の古殿舎撤却材の下付材を使用して築造されたようである。

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各地の厳島神社㉑-松原浦厳島神社

2023年07月24日 | 厳島神社関連

 

 

 

 

浜田市にある浜田城跡の北側松原浦の袂に祀られている厳島神社で、看板表示によると応保2年(1162)に安芸国厳島神社を勧請して祀られたようである。江戸期浜田城主の古田重治や松平家歴代藩主の信仰保護を受けてきたようである。

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『はつかいちぶらり-別館』

2023年07月23日 | その他

 

 

 

ブログのネタ切れで・・・
当ブログ主は当ブログの他に以下のホームページなどを開設していますのでどうぞご覧になって下さい。『いにしえのロマンの郷「はつかいち」』は市域の歴史を主体に紹介したものである。『鵬程二萬八千浬』は大正9年(1920)に従曽祖父が練習艦隊「浅間」に乗艦して世界一周の練習航海した記録である。『ゼンマイ式8mmカメラ館』は電池式の8mmカメラが登場する以前のゼンマイ式8mmカメラ、9.5mmカメラを紹介する。『絲綢之路・黄土高原点描』は平成2年(1990)から平成6年(1994)にシルクロードや黄土高原を探訪したものを紹介する。『阿多田島灯台資料館』は大竹市阿多田島にあった灯台官舎が平成8年(1996)に阿多田島灯台資料館として整備されたものを紹介する。

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草取り民具 ②

2023年07月22日 | 農業

 

 

 

草取り民具でタグルマは上画像のように稲列の間一列の草取りをするものであるが、効率を良くするために力はいるが二列用のタグルマもあったようである。中画像は高松市の神社でみかけたものであるが、このようなものが商品化されていたようである。下画像は一列用のもの二台を組み合わせたものである。

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草取り民具

2023年07月21日 | 農業

 

 

 

田んぼの稲も育っておりぼちぼち土用干しをする時期であろうか。現在は除草剤を使用するので草取りのために田んぼに入ることが少なくなったが、昔は草取り民具を使用して草を取っていたのである。上画像のハッタンドリは前後に滑らせて草をすりつぶすもので柄の短いものはしゃがんで使用したものであろうか。中画像のタグルマは前に押していき草と田土を掘り返して埋めていくものである。

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元味噌・醤油醸造-相良商店

2023年07月20日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

地御前市民センターの地にあった味噌・醤油醸造をしていた相良商店は明治28年(1895)9月に相良味噌工場として創業している。相良味噌の相良寛は昭和12年(1937)から昭和14年(1939)には広島県味噌工業組合、広島県西部醤油工業組合の幹事や理事を務めており、昭和24年(1949)頃には先日紹介した広島醤油の社長を務めていた。
相良商店では「カネサ」ブランドの味噌・醤油を醸造していたようである。

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元醤油醸造-芸陽醤油株式会社

2023年07月19日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

 

大正9年(1920)6月28日に五日市、廿日市、原、宮内の醤油醸造販売業者が統合して資本金50万円で下平良に芸陽醤油株式会社が設立された。昭和12年(1937)7月17日には合資会社丸亀商店が芸陽醤油に合併して丸亀商店は解散している。
上画像は大正9年の芸陽醤油設立時の画像であろうか。(ふるさとの写真集)二段目画像は家納喜酒造時代の昭和58年(1983)頃の画像で平成初年ごろに取り壊されている。

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七美会展開催

2023年07月18日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

 

先日予告していた七尾中学校アートの同窓会と題した第5回「七美会展」が明日から23日(日)まで、はつかいち美術ギャラリー第3展示室で開催されます。
洋画・日本画・版画・書・写真・陶芸・人形・彫刻・工芸品等々の作品が昨日搬入され展示作業が行われた。恩師の先生をはじめプロで活躍されている方なども出品された楽しい作品展なので是非足をお運びご覧になってください。(入場無料)

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元醤油醸造-広島醤油株式会社

2023年07月17日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

 

昭和16年(1941)11月に広島市塩屋町で広島醤油統制株式会社が設立されており、昭和17年(1942)5月20日に統制会社令により広島醤油統制株式会社ほか11社が合併した。
高洲新開にあった佐伯郡製糸産業組合の「佐伯社」は昭和12年(1937)から操業していたが、昭和15年(1940)に営業停止して敷地を広島醤油統制株式会社に譲渡した。広島醤油はフジボシ印の醤油製造を行っていたが平成21年(2009)に倒産した。

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