『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

逓信省の看板

2022年09月30日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

昨日紹介した道しるべ碑に隣接してレトロな逓信省看板がみられ何時の時代に設置されたものであろうか。看板に長距離電話ケーブルとあるので長距離電話ケーブルをみていくと、東京神戸間の長距離電話ケーブルが昭和3年(1928)に開通している。下絵図をみると当地域は昭和4年度~昭和15年度施設見込とあるが、当地域に長距離電話ケーブルが開通した時期は定かでない。
                                                                (下絵図-東京神戸間長距離電話「ケーブル」工事の概要より)

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西国街道-道しるべ碑

2022年09月29日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

宮内地区の畑口橋交差点脇に建立されている道しるべ碑で、寛政5年(1793)の刻銘があり「南無阿弥陀仏 右ハ石州道、左ハ九州道」とある。津和野街道の分岐点は時代により位置が替わっており、明暦3年(1657)には「そうり田土橋」、正徳4年(1714)から明和8年(1771)にかけては「鑓出口土橋」、文政2年(1819)から安政6年(1859)にかけては「佐原田土橋」が分岐点になっている。
御手洗川は畑口付近ではまだ流れが急であり、急カーブを描いている場所なので自然護岸に架けられた土橋は大洪水の度に流出していたものとみられ、御手洗川の氾濫でこのように分岐位置が替わっていたようである。この道しるべ碑はこれらから鑓出口土橋のたもとに建立されていたものとみられるのである。

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西国街道-道しるべ碑

2022年09月28日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

宮内地区を通る旧西国街道で御手洗川に架かる砂原大橋の袂に建立されていた道しるべ碑で「右 石州道」「左 九州道」と刻されており、現在は宮内市民センター前庭に移転建立されている。西国街道と津和野街道の正式な分岐点は鑓出口であったが、現在の市道串戸畑口線(旧県道)が津和野街道のバイパス的な道として使用されていたようである。

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西国街道一里塚碑

2022年09月27日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

宮内の専念寺前に建立されている西国街道一里塚碑で広島元安橋袂の里程元標より4里の一里塚がこの付近にあったようである。下絵図をみると西国街道の両側に一里塚山が設けられている。一里塚の跡も残ってなく場所不明なので一里塚跡ではないのである。

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絵葉書からはつかいちぶらり-中国サナトリウム廿日市病院

2022年09月26日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

JR廿日市駅裏に昭和9年(1934)に創設されていた中国サナトリウム廿日市病院で、病院の前面は一面の田んぼであり住宅街となった現在からは伺い知ることが出来ない。サナトリウムとは聞きなれない名称であるが結核治療など長期的な療養を必要とする人のための療養施設だったようである。昭和47年頃の戸別地図には廿日市病院が載っておりこの頃まで病院施設としては存続していたようである。

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薬の宣伝玉垣-狂気之薬

2022年09月25日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

天満神社の玉垣親柱に「宮内武田 狂気之薬所」とあり、宮内村の本家調合所逢原堂の医師武田文敬が鎮火奇応散陰陽狂気之妙薬を調合売薬していたようである。「此薬一服御用ひ被成候得八九治す」とあり、フウテン病(精神病)の特効薬であったようである。

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置き薬箱・置き薬袋

2022年09月24日 | その他

 

 

子供の頃、柳行李の薬箱を背負って富山の薬売りの人(マルサンの薬屋と言っておられた)が来ると紙風船を貰うのが楽しみであった。上画像は、その後自転車やバイクで来ておられた頃の置き薬箱で高齢となって売薬行商を止められた。下画像の置き薬袋は薬を残したまま売薬行商を止められたものである。

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富山の売薬商人

2022年09月23日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

天満神社の玉垣に江戸期当地で売薬行商していた富山の売薬商人の名がみられる。これらは加賀藩領の売薬で親柱にみられる「越中 水橋 一丸屋太吉」と笠木にみられる「越中 滑川 小泉屋手代咊吉」は新川売薬で、親柱にみられる「越中 高岡 丸一庄蔵」は射水売薬のようである。

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明治天皇御用品奉置殿の今

2022年09月22日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

天神6丁目にある廿日市招魂社境内に明治天皇御用品奉置殿と表示した西洋建築を思わすような小さな建物がある。老朽化が進んでおり建物に近寄らないようにとロープが張ってあった。この建物は元佐伯郡役所の奉安庫(下画像赤丸)で昭和14年(1939)に県より譲り受けてこの地に移転して明治天皇御用品奉置殿とされたようである。 (広島県文化財ニュース第196号-元佐伯郡役所奉安庫について 参照)

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皇太子殿下御播種松碑

2022年09月21日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

天神6丁目にある廿日市招魂社境内に「皇太子殿下御播種松、大正15年5月」と刻された石碑が建立されている。昭和天皇が皇太子時代の大正15年(1926)5月に広島県庁行啓の際に県会議事堂前で下画像の要領で御播種され育った苗木が各市町村や学校其の他公共団体に配布されたようである。 

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旧西国街道往還松の今

2022年09月20日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

桜尾本町の旧西国街道沿いに唯一残っている往還松で、昭和40年代前半頃には中画像のように4~5本位残っていた。

下絵図の土橋(現佐方中橋)から津和野藩御船屋敷までの両側に往還松40本が3間間隔で植えられていたようで、旅人を暑さや風、雨、雪などから守り快適な旅ができるように植えられていたようである。

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台風一過

2022年09月19日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

台風14号、当ブログ主宅では大事も無く、先ほど黒い雲の流れは早いが西の山に夕焼けが・・・

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津和野藩御船屋敷跡の稲生神社が!

2022年09月19日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

桜尾本町の御船屋敷跡に祀られていた稲生神社が無くなっていた。かつての稲生神社は江戸期、津和野藩御船屋敷の鎮護のために津和野太鼓谷稲荷神社を勧請して祀られていたもののようである。しかし今年2月に廃祠となり祭神は天満神社境内社の稲荷神社(下画像)に合祀されたようである。

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平良地区最下流域の田んぼ

2022年09月18日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

平良地区のほぼ中央を流れる可愛川の東側にある最下流域の田んぼ(上画像)は平良1丁目18番にあり、柳庵川から取水しているようである。可愛川の西側にある最下流域の田んぼ(下画像)は新宮1丁目2番にあり、可愛川の薬師井手から取水しているのであろうか。上平良地区の田んぼでは猪被害に苦労しているが、市街地化の中の田んぼ作りは色々と御苦労が多いであろう。

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各地の厳島神社⑦-長坂厳島神社

2022年09月17日 | 厳島神社関連

 

 

 

山鹿市長坂に祀られている厳島神社であるが由緒などは定かでない。当神社では3月上旬に五穀豊穣を祈願する山鹿市無形民俗文化財指定の「なれなれなすび踊り」が奉納されているようである。当神社の鳥居は大きさに比して柱の直径が大きく柱上端に台輪があり笠木・島木の先端部反りが大きく肥前鳥居の特徴を表しているのである。

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