『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

鋳造鳥居-王子神社の鳥居

2021年08月22日 | 鋳物師

 

 

大分市王子北町にある王子神社の鳥居で刻銘などによると寛政8年(1796)に府内藩6代藩主の松平近儔により寄進建立されたもので、市の重要文化財に指定されている。看板表示によるとこの地では駄ノ原鋳物師が鋳造活動しておりその鋳造作品とみられているが、戦時中の空襲で笠木・島木は被災して再造されたようである。

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鋳造鳥居-英彦山の銅鳥居

2021年08月21日 | 鋳物師

 

 

福岡県添田町にある修験道霊山であった英彦山の表参道(大門通り)にある銅鳥居で、寛永14年(1637)に佐賀藩主の鍋島勝茂が島原の乱の戦勝祈願成就で寄進されたもののようである。佐賀藩の御用鋳物師であった谷口清左衛門長光が鋳造しており、鳥居に掲げられている「英彦山」の勅額は霊元法皇の宸筆で享保19年(1734)に掲額された。この鳥居は国の重要文化財に指定されている。

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鋳造鳥居-出雲大社四の鳥居

2021年08月20日 | 鋳物師

 

 

 

旅のつれづれで訪れた神社の鳥居を紹介しよう。
出雲大社の四の鳥居で刻銘によると寛文6年(1666)6月に長州藩の2代藩主である毛利綱広が寄進したもので、萩鋳物師の郡司喜兵衛信安が鋳造しており、国の重要文化財に指定されている。出雲大社御鳥居制作覚によると柱長さ3間、1832貫目、笠木長さ4間、1750貫目、貫長さ2丈4尺、650貫目など惣合4700貫目、炭6100俵などと記されている。

※昨今「はつかいちぶらり」と放浪が出来ませんので、しばらくの間老化防止のためストック画像から更新しますので宜敷くお願い致します。

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正覚院の梵鐘

2020年08月08日 | 鋳物師

 

 

天神山にある正覚院の鐘楼に掛けられている梵鐘で、銘文によると天明6年(1786)8月25日に山田治右衛門藤原貞運が鋳造している。山田貞運は廿日市の鋳物師であり、山田家は代々庄屋も務めており昨日紹介した廿日市本陣役も務めていた。山田貞運の鋳造作品はこれ以外に確認することが出来ず、この頃以降から鋳造作品は少なくなっており鋳造活動は衰退していったようである。

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称名寺の喚鐘

2020年06月03日 | 鋳物師

 

 

(称名寺の文様)

(蓮教寺の文様)

大竹市玖波町にある称名寺の喚鐘は刻銘によると天和元年(1681)に鋳造されたものであるが鋳工名はみられない。しかし中帯の文様をみると廿日市鋳物師の山田貞栄が鋳造した極楽寺・蓮教寺・光禅寺の梵鐘に見られる文様とよく似ているので、廿日市鋳物師が鋳造したものとみられるのである。現在はない元禄10年(1697)に鋳造された梵鐘も廿日市鋳物師の山田貞能が鋳造していたようである。

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宇佐八幡神社-鉄燈籠

2020年04月25日 | 鋳物師

 

 

 



昨日紹介した厳島大明神夏焼社脇の覆屋の中にある鉄燈籠の笠、火袋、中台、基礎部分が残されており、錆で表面はボロボロになっている。江戸期の寺社由来によると当神社には4基の鉄燈籠があったようでその内の一基である。寺社由来にかつての銘文が記されており「永享九丁巳年八月吉、山代庄宇佐村長兼、大工藤原朝臣安信」とあり、この鉄燈籠を寄進した長兼は宇佐の刀祢職を務めた讃井氏(後に宇佐川氏を称す)とみられ、大工の安信は、「信」の通し字を用いている廿日市鋳物師の山田氏とみられるのである。  拙稿「宇佐の鉄燈籠鋳工についての一考察」参照(山口県地方史研究 第65号・安芸国鋳物師の鋳造活動 所収)

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極楽寺山登山-⑤

2020年03月18日 | 鋳物師

 

 



極楽寺に参詣しても本堂屋根の頂部に注目する人は殆どいないであろうが、よく見ると屋根頂部の宝珠露盤に鋳造銘がみられるのである。銘文によると慶長4年(1599)11月に宍戸備前守元次を檀那として本堂が建立されたようである。露盤鋳造者の銘文はみられないが、極楽寺の鰐口を明応2年(1493)、梵鐘を明応5年(1496)に廿日市鋳物師の久信が鋳造しているので、露盤も廿日市鋳物師の鋳造作品とみても間違いないであろう。宝珠の銘文は見えないが宝永元年(1704)に廿日市鋳物師の山田貞能が鋳造しているのである。

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海田鋳物師鋳造作品-三入神社の梵鐘

2020年02月23日 | 鋳物師

 

 

 

 

 

 

可部町の三入地区に祀られている三入神社への長い参道石段は2ケ所ある。息を切らせて登った境内には神社では珍しい鐘楼があり梵鐘が架けられている。この梵鐘は刻銘によると延宝5年(1677)9月に海田鋳物師の植木六郎兵衛直増が鋳造したものである。この梵鐘の特徴は池の間の文様で、中国古典の仙伝文学からの図柄文様では他に2ケ所植木直増の作品がみられる以外稀有のものである。文様は老女仙・童女仙と犬の「曹仙媼像」と鯉に乗る仙人「子英像」の仙人像が抽出されている。また各所に従来の和鐘とは少し違った斬新な手法を用いた梵鐘である。
詳しくは拙稿「植木氏の鋳造作品について-中国仙伝文学からの図柄文様-」参照(広島県文化財ニュース第162号・安芸国鋳物師の鋳造活動所収)

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可部鋳物師鋳造作品-下ケ浜の鉄燈籠

2020年02月22日 | 鋳物師

 

 

 

 


JR可部駅の近くにある明神公園の一角に覆屋が設けられた大きな鉄燈籠みられる。銘文によると文化5年(1808)に可部の鋳物師三宅惣左衛門延政が鋳造している。平成初年頃にはこの鉄燈籠の木型、土型が二宮産業の資料室に展示されていたということであるが、廃業された現在どこかに保存されているのであろうか。三宅惣左衛門延政は昨日紹介した善徳寺の喚鐘を文化9年(1812)4月に、同年6月に厳島神社反橋の擬宝珠5ケ所を鋳造しており何れも現存している。
江戸期可部町には三軒の鋳物師がいたとされるが史料などによると三宅氏と細田氏が主に鋳造活動をしていたものとみられるのである。詳しくは拙稿「江戸期における安芸国可部鋳物師の鋳造活動」参照(芸備地方史研究第205号・安芸国鋳物師の鋳造活動所収)

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廿日市鋳物師鋳造作品-善徳寺の梵鐘

2020年02月21日 | 鋳物師

 

 

 



安佐北区深川2丁目にある善徳寺の梵鐘は銘文によると、元中区にある白神社の梵鐘で、寛永11年(1634)7月に廿日市鋳物師の山田次右衛門尉が鋳造したものである。

梵鐘の中帯上側には仏坐像が鋳出され中帯下側には唐草文様が鋳出されており、口縁部の駒の爪には蓮弁くずし文が鋳出されている。この梵鐘は山田氏の鋳造作品では初期のものである。

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