老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1372; 「土」に帰る {2}

2020-01-24 10:50:10 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
棲家の窓から見える枯木

「土」に帰る {2}

孤独死

誰もが、最期は穏やかに、安らかに、眠るように逝きたい、と思う
予期せぬ不慮の死は、家族に言葉を遺すことも出来ない。

一人暮らし老人の「孤独死」が、よく問題視される。
子ども夫婦と同じ屋根の下に暮らしていても、「孤独死」する老親もある。

遠くに住む子どもの世話にならず
伴侶と築きあげてきた棲家は、
老親にとり自分の躰の一部でもある。
住み慣れた家の壁や襖、柱には家族の思い出が刻まれている。

陽に焼けた畳の上で死にたい、と思う一人暮らし老人は
自分の亡き骸など諸々の処分について
仏壇に書き遺し「死の準備」を行う老親。

一人暮らし老人は、自宅で「死ぬ覚悟」(死ぬ準備)を決め
“ひとり死ぬ”ことを「孤独死」とは思ってもいない。
自分の身の始末は、自分でつける、という
一人暮らし老人の思いがある。
「孤独死」は、寂しく、可哀想であると、同情や憐れみの言葉はいらない。

*******

二階に長男夫婦が暮らす階下で
89歳の老母は深夜息を引き取った。
彼女が最後に交わした言葉は何であろうか

駆けつけたとき
彼女は電気敷き毛布も無い煎餅蒲団の上で
右側臥いの状態で冷たくなっていた。
窓のカテーンは閉められておらず枯れた庭木が見え隠れしていた。

人間、死ぬ瞬間(とき)、何も感じないのであろうか
痛みはないのか、暗闇に入っていくのか
生きている者の想像でしかない

死ぬ間際に見る「最後の風景」は何であったのか。
凍える深夜の寒さに震え
意識朦朧としながらも掠れた聲で
息子の名を呼んだのであろうか。

自分は死期が近づいたとき
どんな風景を見るのか、ふと思ってしまう。