老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1202;雨

2019-07-14 20:17:41 | 歌は世につれ・・・・
  

折角の日曜日なのに
朝から夕方過ぎても雨、雨、雨・・・・



三善英史が歌う『雨』の2番目の歌詞には
 
 雨にうたれても まだ待つ人がいる
 人の数が減る 土曜の昼さがり
 約束した言葉だけを 幾度もかみしめて
 追い越す人にこずかれても 身動きしない
 恋はいつの日も はかないものだから
 じっと耐えるのが つとめと信じてる


大都会の何処かで
雨にうたれながら 待ちわびている
いまの時代ならばラインで
「いま向かっている」「遅れる」のメッセージが届き
いつくるか、いつくるか、と気を揉まずに済むのだが
携帯電話がなかった時代は
追い越す人にこずかれても 身動きもせずに 
あなたが来るのをじっと 待つしかなかった


雨の歌(詩)は、別れ、失恋がつきまとう  



朝丘雪路の『雨がやんだら』を聴くとそう思う

 雨がやんだら お別れなのね
 二人の思い出 水に流して
 二度と開けない 南の窓に
 ブルーのカーテン 引きましょう
 濡れたコートで 濡れた体で
 あなたは あなたは
 誰に 誰に 逢いに行くのかしら
 雨が止んだら 私はひとり
 ドアにもたれて 涙にむせぶ


今夜の雨は やまないで欲しい
いつまでもあなたの傍に居たい
雨がやみ あなたは出て行く
部屋に残された 私はひとり 泪にむせぶ
大人の失恋

イルカの『雨の物語』は、若者の失恋の曲なのかな



 窓の外は雨 あの日と同じ
 肩を濡らした君が
 ドアのむこうに立っていたのは

 窓の外は雨 雨が降ってる
 いく筋もの雨が
 君の心のくもりガラスに


雨の日は別れが似合う
窓の外は雨
君の心の曇硝子に
いく筋もの悲しみの雨で濡れている
伊勢正三の詩は、心憎いほどじ~んと泣けてくる失恋の歌

テレビはなくラジオの時代、昭和32年に流行した
春日八郎の『あン時ゃどしゃ降り(その当時自分は5才だった)


 
 あン時ゃどしゃ降り 雨ン中
 胸をはずませ 濡れて待ってた 街の角
 アーアー 初恋っていう奴ァ
 素晴らしいもんさ
 遠い日のこと みんな夢
 ひとりしみじみ 思い出してる 雨ン中


どしゃ降りの雨のなか
あなたとの初恋が叶い
余りの嬉しさで どしゃ降りの雨に
濡れたことを思い出す

別れるときも どしゃ降りの雨のなかだった
雨に濡れながら 思いきり泣いた

自分は恋をしたことが本当に少ないから
失恋の悲しみも切なさ辛さもわからない
失恋をするということは
恋の体験があるからこそだと思うが・・・・

いまは窓越しに降る雨を見て
恋や失恋を思うことはなくなり
ただただ雨がやんで欲しいと願うだけ
beagle元気と一緒に散歩ができないことが可哀想