老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

91;食べることの意味(5) 老いた母親を看取った長男

2017-05-11 20:38:21 | 老いの光影
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ウメさんは、摂食・嚥下障害は「問題なく」、
口から食べることができたのに、
「一口摂取すると吐き気を起こしていたのはなぜか」
「食べられるのに食べなかったのはなぜか」。
それはウメさんだけがわかっているのかもしれない。

60数年以上も人生を歩んできた伴侶であった夫が他界後、
離れの家で彼女なりに独居生活を楽しんできたが、
連日の暑さから体力低下と脱水症から、
歩けなくなり寝たきりの状態になった。
「要介護4」というありがたくない要介護認定の通知が届いた。
訪問入浴、特殊寝台(介護用ベッド)・床ずれ防止用具(エアマット)の貸与の介護サービス開始された頃、

ウメさんは「住み慣れた家で元気に暮らしたい」
「体力を快復し、また歩けるようになりたい」
という願いをもっていたが・
・・・。
暑さのせいで食が進まなかったこともあるが、
ウメさん自身が意識的に食事を摂らず、
体力消耗、栄養不足のため入院に至った。
ウメさんが「食べられるのに食べられなかったのはなぜか」、
それを知るきっかけとなったのは、
小峰城が見える病院のデイルームで
長男嫁が私に話してくれたなかに、
その理由が隠されていた。

《長男嫁相子さんの話》
「平成24年7月26日の夕方、
私(相子さん)が、
用事があり出かけたときのことです。
義母は便意をもよおしトイレに向かって必死になって這ったけれども、
間に合わず便を漏らしてしまった
便が着いた紙おむつは気持ちが悪く、
義母はおむつを外した際に手に便が着いてしまい、
どうしてよいかわからず頭は混乱し、
その手を壁やパジャマなどにベタベタ塗り付けたり拭いたりしてしまった。
その場面に遭遇した65歳の息子(長男)は
孫息子も呼び、
便だらけになったウメさんの介抱をし
ベッドに寝かせてくれた出来事(こと)があった」のです。

ウメさんにとって、
「(その時間、その場に長男嫁がいなかったことから)
男にしかも息子、孫息子に下の世話や便の後始末をしてもらったことがショックだった」。

「自分が歩けてさえいれば、
便をお漏らしすることもなくトイレに行けた」のに、
「自分は歩けなくなった」。
「これから自分はどうしたらいいのか」。

彼女はひとり悶々と悩んでいたことを知った。
食べたりトイレで用を足したり、
風呂に入ったりなどの日常生活は、
大人ならば老いても誰でもごくあたりまえにできて当然であるはずなのに、
いまの自分は(自分ひとりで)できなくなった
つまり「できること」が「できなくなった」自分に対し喪失感を抱き、
「生きたい」という気持ちが萎えてしまってきたことにあると、
ウメさんは思った。  
ウメさんは、何でも自分でやってきた頑張り屋であった。
いままで大病もなく病床に伏すこともなく生きてきただけに、
いまの自分は誰かに下の世話受けなければならない。
他人の手を煩わせるくらいなら・・・・、
「食べない」という消極的自殺による手段をとったのであろうか。
それでも彼女は、最後は「家に帰りたい」という気持ちから、
少量ながらも食事を口にした。
洋一さん(長男66歳)は、ウメさんが寝たきりになってから彼女が寝ている
(介護用)ベッドの隣に家具調ベッドを置き、
傍に付添い寝しながら老いた母親を看取って来られたことを、
私は彼女が旅立つ前日に知ったのでした。




90;“さわやかな朝を迎えたい”

2017-05-11 18:55:15 | 老いの光影
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声なき老人より、
「切なるお願いがあります。
大きな声ではとても恥ずかしくて言えないので、
こうして代わりに書いてもらうことにしました。
そのお願いというのは、
夜のことです。
夕食がすむと憂鬱(ゆううつ)になるのです。
また、あの痛い思いをしなければならないのかと。
それは、
男性老人が着けるユリサーバー
(コンドームタイプの男性用採尿器)のことです。
夜間おもらしをし濡れたおむつでいるのは
可哀想だということで、
心優しい女性介護員が
ユリサーバーを着けてくれるのは有り難いのですが、
その着け方に難点があるのです。
本当に恥ずかしくて言いにくいのですが、
それはユリサーバーを着けるとき
“毛にテープがつかないように”していただきたいのです。
ただそれだけのことなのです。
いくら毛があっても足りません。
いつまでもあの痛さに耐えられず、
また同胞のことを想うと、
こころで奮起して告白しなければ事態は解決しません。
悲劇的な苦痛を感じずに、
“さわやかな朝”を一日も早く迎えたいものです
(いま、ユリーサーバーは使っている施設はほとんどないのではないかと思う)。 

89;介護は 「あなた」がいて「わたし」がいる

2017-05-11 16:00:08 | 介護の深淵
民家を活用した小規模(定員10名)の桜デイサービス
南向きの縁側でひなたぼっこ
「あなた」がいて「わたし」がいる

ご訪問いただき、ありがとうございます 

ここで こうしている(在る)「わたし」とは
いったい何者なのだろうか?
この世には
「わたし」がいて 「あなた」がいる
「あなた」がいて 「わたし」がいる
人間 ひとりでは生きていけない

「この世に出てきたい」と思って
母胎から出てきた赤ちゃんはいない
けれどこうして いま「生きている」こと
それだけですばらしい
人間生きていると
楽よりも苦のほうが多い
過ぎてしまえば それはそれで思い出になる
そこには希望の光を失わないこと
人間 この世に生まれ
だれもが倖せになることを 願わない者はない
人間 最後の瞬間まで「人として」生きていたい

いまこうしている「わたし」とは
いったい何者なのだろうか?
「わたし」は何処へ行く(逝く)のだろうか
時間は緩やかに流れながらも「老いたわたし」になる

「あなた」と話をしていて突然
「わたし」はだれと何の話をしているのか
「わたし」は何をしようとしていたのか
分からなくなる
わたしの頭は いったいどうなったのか
わたしを失っていく
わたしが壊れていく
わたしがわたしでなくなる
「あなた」から “痴呆(認知症)になったら 人間お終いだね”と 言われ
偏見 見下され
施錠され 紐で縛られた人生の最後は 辛く切ない

認知症になっても
長年住み馴染んだ家や人々と関わりあいながら 生きていたい
老いたひとり一人の人生は それぞれ様々である

介護がめざすものは
そうしたひとり一人の生きてきた人生に
生きることの素晴らしさとよろこびを感じ
だれもが「また 人間に生まれてきたい」
と 希望をもって逝かれたら最高だ
認知症になっても寝たきりになっても
おむつをするようになっても
同じ人間であり 同じいのちの重さである
「わたし」もひとりの人間である

認知症になっても
ごく普通の生活がしたい
自分で 自分の 自分が
というように自分でできることを認めて欲しい
多くのことを欲しはしない
自分の足で 買い物に行き
自分の手で 包丁を握り
味噌汁の匂いを感じる
自由気ままな そんな生活を過ごせたら倖せだ
「倖」という字を見て感じるように
「幸」に「人」という文字が傍らに寄り添っている
人間は ひとりでは生きていけない
「あなた」がいて 「わたし」がいる
「わたし」がいて 「あなた」がいる
「わたし」が倖せになるためには
「あなた」が倖せになること
生活のなかで「あなた」が倖せを感じたとき
「わたし」も倖せの風を感じる
認知症になっても
ゆっくりのんびり やさしく生きていいんだと
介護は人間を回復する営みであることを願う





88;食べることの意味(4) 大好物の饅頭を食べた! 

2017-05-11 01:37:14 | 老いの光影
空地にひとつの根からたくさんのたんぽぽ

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家の窓からは那須連山を眺め、
畑の近くは阿武隈川が流れる地に
塩田ウメさんは(88歳 要介護4)嫁いできた。
彼女は夫ともに南陸奥の大地(畑)を耕し、
子牛とともに人生を歩んできた。

ウメさんは梅雨が明けるまでは、
自分でご飯を炊き食欲も旺盛であった。
三度の食事の他に、
好物の果物や饅頭も元気よく食べていた。
壁をつたいながらも
トイレで用を足していた。

1週間前から 彼女は食欲が失せ
食べない日が続いた。 
左足変形性膝関節症の痛みが増し
歩くこともおぼつかなく、
起き上がることもできなくなった

ひまわりの季節は暑い日が続き
ウメさんは、食事だけでなく
水分も摂らなくなり
脱水症状となった。     
8月の或る日 7時半過ぎ電話が鳴った。
「こんな早い時間になんだろう」と気になり
受話器を取ると長男嫁の相子さんからであった。
医師より「体力消耗が激しく3日間程度点滴をする必要があり通院しなさい」と言われたが、
「通院することが大変であること」を話すと入院となった。

入院後、南陸奥総合病院5階東病棟の4人部屋で療養することになり
ウメさんの症状は容易には快復しなかった。
依然食欲はなく、
ご飯を口にしても嘔吐反応がみられ、
主治医からは「とりあえず様子を見ていきましょう」
と言われただけであった。
家族は心配し「食べないと元気にならない」
「食べないと家に帰れないよ」などと励ましていた。
確かに「口から食べないと元気にならない」ことはそのとおりであるが、
本人にとっては強迫観念を与えてしまう面があることから、
「時間が解決していきますよ」と短い言葉で相子さんに話した。

秋桜が咲く季節になっても
一口入れただけでも 未だに嘔吐は続いていた。
内科的な検査でも
「異常なし」(胸部レントゲン、血液検査、尿検査、心電図、CT、胃カメラ)の結果がでた。
心療内科医は「抑うつ症」と診断し、
そこからくる食欲不振であり

「様子を見ていきましょう」ということになった。

ウメさんは、
夫が(あの世から)迎えに来ないかな」
「夫の処に逝きたい」
(夫は昨年2月に永眠された)
と呟き、生きる意欲も失せていた。

どうしたら食べて頂けるか、
病院のデイルームで相子さんと話しをした。
「ウメさんの枕元になにげなく、
彼女の好きな饅頭を置いてみましょうか」。

そしたらウメさんは、
誰も居ないときに饅頭を半分、
嘔吐することもなく食べたのです。

その後ウメさんは、
全量ではないが、
口から食べるようになり
点滴を外したりの悪さをしたり
「家に帰りたい」と訴えるまでになるほど元気を回復した。

家族の介助だと食事を摂らない場面もあったけれど、
看護師の介助ならば摂取できるようになった。

彼女は食べられるようになったことから、
2カ月ぶりに 懐かしい我が家に帰った。

その3日後にウメさんは、
長男嫁と孫嫁から末期の水を口に潤してもらい、
家族に見守られるなか
老衰により88歳の人生にピリオドを静かに打った。