古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

樹を切るときは見ようと思ってたのに……。

2010年06月22日 03時27分20秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 この村の鎮守さまは、我が家のウッドデッキから東の方一キロメートルのところに見えます。鎮守の社は左のモミの木と右の楠にはさまれ、後ろはコナラらしい大木とアラカシの木々などが集って一応鎮守の森になっています。
 ところが左のモミの木が枯れて枝葉がなくなり、指で幹をつつくと簡単に樹皮がはがれ、ふかふかになっていました。写真中央の裸木です。これは危ないということで村の役員会で切ることが決まり、見積りを見せてもらいました。かなり費用のかかる作業です。
 これだけの大木だから大仕事になるだろう、そのときは見に来ようと散歩で寄るたびに思っていました。先週13日の日曜日は雨でしたが、かかりつけの神主さまにお願いして切るまえのお払いをしてもらいました。役員にはその『お払い』の案内がありましたが、出掛ける用事があって行けませんでした。翌日散歩で寄ってみるとたしかに『お払い』のあとがありました。
 写真はそのときに写したもので、道子さんと老人会の先輩が大木の足もとにある開拓の碑を見ておしゃべりしています。お払いはしたけれど雨で木を切る作業はできなかったようです。ウッドデッキから見れば建設機械が来たらわかるから、作業がはじまったら見に来ようと思っていました。
 きのうの夕方買物の帰りに寄ってみたら、もう木が切られています。開拓の碑は後ろに移され、切り株もありません。サクサクの切り株でしたからユンボで削りとってしまったのでしょうか。
 いつ切ったのだろう。倒れるとき「ドサッ!」と迫力ある倒れ方をしたのだろうか。木はどう処理したのだろう。それにしても作業を見られなくて残念無念! 写真にだけ残る枯れ木を見て、これがドサッと倒れる場面を想像するしかありません。
 右の楠にもお払いの痕があって、これも切られるのかと心配でしたがこちらは枝を少し切っただけでした。この楠はおそらく昭和天皇が即位したときに全国の神社に二本ずつ配られた苗木の一本でしょう。保木という村の鎮守(えびす神社)には立派な楠が二本立っていますし、となりの西中のお堂にも立派な楠があります。うちの村もこの楠だけは残りますように。
 夏風邪なのか体がしゃんとしません。雨がちで畑仕事ができないのでじっくり休養することにします。 
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