古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

我が心のヌートリア……との出会いの場です。

2011年01月23日 03時04分20秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真は、篠山市の『雲部車塚古墳』です。京に近い丹波地方最大の古墳で、濠の外の左右に陪塚(「ばいちょう」と読む)を備えています。写真左手に小さく盛り上がって見える土盛りがそれです。この写真は去年の暮に撮りましたが、はじめてこの古墳を訪ねたときは陪塚に松の木が生えていました。
 1995年4月、定年前になんとしても田舎で勤めたいとつよく思って、転勤しました。地震の直後だったので住居を見つけるのはむずかしかったのですが、篠山の市街地のアパートになんとか入居できました。篠山は歴史の息づく町で、せまい通りを歩くだけでなぜかノスタルジーが胸に迫ります。夕方アパートに帰ってくる頃、街の向こうに日が沈み、古びたすずらん灯がともり、どこかわびしい空気が町並みの上に居座ります。
 ついでにいうと、日曜日の朝、まだ夜明け前の時間に遠くで雄鶏が刻(とき)を告げ、どこかで牛が長い声で鳴き、やがて日が昇ると雲雀が鳴きながら空にのぼっていき、「あー、田舎の音の風景だなー」と寝床で感慨にひたっていると、突然音楽が鳴り「乾新町のみなさん、今日は溝掃除の日です」とか町内放送が聞えます。その音楽はなんと『青い山脈』。なにからなにまで懐かしい。
 田舎の空気が快く、よく車で町のまわりの田舎を見てまわりました。そして雲部車塚古墳に出会ったのです。
 濠には水がたたえられ夕日が沈む頃、なにかが水面を動いています。動物が頭を出して泳いでいるようです。濠のこちら側は石垣になっており、その上にトタンの波板で柵がしてありますから動物は手前の田んぼには上がれません。また古墳のほうに引き返していきます。そして向う岸に上がってじっと水面を見つめて考えごとをしているようです。まるで思索にふける哲学者の風貌です。
 迫る夕闇のなかでじっと動かずにいる動物には、見る者に畏敬の念を起こさせるような雰囲気がありました。ビーバーだろうか。そんな動物が日本にいるのだろうか。はじめて見た動物に心を奪われ、職場できいてみると「それはヌートリアだ」とだれかが教えてくれました。
 ヌートリアというはじめて聞く名前の動物が自然界にいることに感動して、ぼくは車塚古墳に夕方よく双眼鏡をもって出掛けました。神戸住まいの道子さんも娘たちも篠山にやってきてヌートリアを見にいきました。ヌートリアは夜行性ですから昼間は巣穴で寝ているのです。
 立杭焼の里・今田町の辰巳という集落から山中に入ってかなり行くと、ポツンと『狐狸庵』という料理屋さんがありました。車の通れる道はここまでです。ここは藤の花の天ぷらとか土地のものを調理して食べさせてくれました。そして夕方になるとタヌキがやってきました。ここのおばあさんが、障子をあけて「ポンシャンやーい」と声を掛けてカリントウをばら撒くとタヌキが山の中から出てきて食べました。(タヌキ汁は出ないで、テラピアという淡水魚の鯛<店では『いずみ鯛』と呼んでいます>が出てきました)この店に転勤でお世話になった方への一席をもうけて、いっしょにたのしんだこともあります。店はいまもあるでしょうか。
 篠山にいろんな知人を招待しよう。まず篠山城跡を見てもらい、車塚古墳でヌートリアを見てもらい、狐狸庵で食事をしてもらい、アパートで泊ってもらうコースを設定しよう、と二人であれこれ思案したこともあります。
 ごめんなさい。話がそれました。とにかく車塚古墳ではじめてヌートリアに出会って感動しました。 つづく
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1 コメント

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狐狸庵 (ふじわらです)
2011-01-26 21:09:02
今田町の狐狸庵、懐かしい名前が出てきましたねぇ。私も昔、父親と一緒に行ったことがありますが「予約をして頂かないと」と断られました。今はもう無いんでしょうね。
ヌートリアは城跡の南堀にも居ますよ。
ここにはアヒルも居て道の真ん中で昼寝をしている事もあり面白いですよ。
http://photo.sasayama.jp/PhotoSasayama/pageo/A0154.html
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