はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

からだと声

2006年11月05日 | からだ
 竹内敏晴さんのことを書こう。
 竹内氏は演劇の指導者で「からだ」や「ことば」についての本を書いていて、それで僕はこの人物を知った。前に僕が書いた10月20日の記事の中で出た野口三千三氏のもとで「野口体操」を学んでいる。このまえはNHK教育TVに出て古武道の甲野善紀さんと「からだ」について語っていたのを見た。
 僕はこの人を、演劇療法の専門家というイメージでとらえている。
 おもしろいのは竹内さんのたどってきた「からだとことば」体験だ。
 竹内さんは、幼少時に耳がわるくなり、「聴く事」が不自由になった。全く聴こえないわけではないが、聞きづらい。それで、思春期になり、しゃべる(声を出す)ということをしなくなった。そのことを「そんなに黙っていてはだめだ。」と父に言われてはじめて「あ、おれ、しゃべっていないな。」と気づいたそうだ。それで、竹内さんは、意識して友人と話すことをするようになった。耳がわるいので、相手の口や顔をよく見て「聞く」。
 そういうときにある薬が出て、耳の病気が改善し、ひとの声が聞こえるようになった。竹内さん10代後半のことである。
 興味深いのはここからの体験だ。
 竹内さんはこう言っている。

 それまでわたしは、自分ひとりがしゃべれなくて苦しんでおり、まわりの人びとは見事にしゃべっているのだと思い込んでいたわけだったが、この時からまことに不思議な風景を見るようになった。
 ほとんどだれも、他の人にからだごと呼びかけていないのだ。ただ口先だけで音を送り出しているばかり。(中略)
 これでは、人が人にほんとに話しかけていることにならないじゃないか、とわたしは無邪気に驚いて、その風景を指摘し始めた。(中略)
 よく見ていると、それは、まさにことばを発する人のからだの動きそのままが声の動きとして現れているのだった。声とかことば以前に、からだが語っている。人の全存在としてのからだが、人に「ふれる」ことから逃げている。
 わたしは一生懸命この発見を語り、どうしたらじかに、他人のからだにふれていけるか、そして応えることができるかを探ろうとした。                    (「思想するからだ」より)

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