KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

梅の句

2022年02月17日 | 俳句
天気 晴のち曇がち

昨日が月1回のネット句会の選句の日で、今月は10人の参加者、出す句は3句。何だか変った句?が多くて選ぶのに四苦八苦した。今月の題は「梅・鬼」
梅の句は、私の出した句が珍しく高得点を得た。

熱々のうどんよく売れ梅見茶屋  KUMI

自分の句に解説を入れるのは余程の俳人でもないのに生意気なことだが・・これは事実を思い出してそのままに作った句。
一番世話になった毎月の吟行句会、最後に参加したのは3年前の1月末の府中の梅林。茶屋で食べた訳ではないが、そこの博物館内のレストランに「梅うどん」というのがあって、私は行けば必ずそのうどんを食べた。大きな梅干しがどんと乗っていて、結構おいしいうどんだった。それを即座に思い出して1分で作った句。今も売っているだろうか。


梅林の写真、というのはあまりない。桜のように派手な風景にはならないし・・個別の梅の写真ばかり。
俳句もまた、活字になった句をパソコンに纏めてあるので探したが、本当に少ない。桜は毎年作っているのに。でも、こんな句が。
 梅ひらく兄姉の忌の過ぎたれば  KUMI
姉は長く患い、2月初めに50代で亡くなったのだが、兄は80歳を過ぎていた。寒さで体力を落として忌日が真冬になる・・よくある話。父母も12月と1月。
房総とはいえ、古い実家の菩提寺は寒くて寒くてまいった。
私は、今年の厳しい寒さは越えられそう。

少し早いと思ったが、今日は週一回、ちょっとした掃除をしてくれる日。掃除の介護士さんに小さな小さな雛人形の入った箱を、高い棚からおろしてもらった。目眩持ちは高い所の作業でひっくりかえったら迷惑になる。
雨水に飾るのが一番、とか言うが・・
ホームの玄関にはもう飾ってあるから、いいだろう。少しだけ、部屋の隅が明るくなった。

雛飾る誰にも逢はず日の暮れて  KUMI
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雪原最後の日

2022年02月16日 | 俳句
天気 晴のち曇がち

オリンピックのアルペン競技スキー回転を見ていたら、解説に皆川賢太郎さんが出ていた。懐かしい名前・・知らない人が多いだろうけれど。その皆川選手の地元の雪国が、長いこと通っていた私の「第三のふるさと」で。第一のふるさと、は育った房総の地、第二は今の多摩の地、そして、何十年も四季の良いところばかり楽しませてもらった新潟の高原は、第三のふるさと。
その、最後の滞在の日が2月16日だったことを思い出してしまった。2015年のこと。

まさか、最後にする気はなかったが、膝を痛めた夫がしきりに膝と腰痛を気にして、初級コースよりちょっときつい斜面で転倒、なかなか起き上がれなかった。それをゲレンデの下から見ていて、もう今日が最後になるかな、と思い珍しく写真をかなり撮った。
いつもは風景しか撮らないのに、最後になりそう・・と思って人間まで撮った。オリンパスのコンパクトデジの写真。
カメラ名人?の私の撮った夫の写真と



カメラはとっても苦手だった夫の撮った雪原の向こうに立つ私の写真。
人間よりも雪原の写真になってしまうのは何故だろう?

左端が愛用のスキー。


最後になったリフト券も写真にしてあった。


晴天の日はいつも行っていた、大好きだったゲレンデまでのゴンドラからの風景。ここの写真は他の日もたくさん撮っていて珍しくはない。苗場スキー場から田代・かぐらスキー場までの連絡用ゴンドラ。

ゴンドラから見下ろす谷


この年は色々あった。これも最後になると予測していた訳ではないが、春に夫の祖母・叔母の墓参に福島まで行き、震災後案じていた従兄弟と最後の出会いとなった。もっとも、ドライブで行くのはもう最後、とは決めていたようだ。
それを終わった直後に、私の心臓がおかしくなり倒れたりして、心臓に器械が入った。そして・・このあとは今に至るまで良い話はないのでお終い。

ともあれ、後期高齢者になる寸前まで難なくスキーを出来たことには感謝している。

よく晴れて富士に従ふ斑雪(はだれ)山  KUMI
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ポッポちゃん、どうしてるかな

2022年02月15日 | 俳句
天気 曇がち一時晴

梅の写真を眺めていたら、数年前のものに梅の木のキジバト、の写真があった。これは公園でのものだと思うが、前に住んでいたマンションの敷地に、キジバトの番(つがい)が棲みついていたのを思い出した。春先になると、朝から「っぽぽ、っぽぽ」と啼くので、私は「ポッポちゃん」と呼んでいた。知らない人はキジバトと土鳩をいっしょくたにしているので腹が立つ。ポッポちゃんは、マンションの周りの地面をつついて、餌を探している。人が近付くと飛び立って近くの木の枝に止まることもある。随分長く居るのでヒナが産まれてもおかしくないのに、見た覚えがない。
ポッポちゃんの歩いているあたりに咲くクロッカス。もうすぐ咲く頃かもしれない。


私は実は、街に居るいわゆる土鳩が異常なくらい嫌い。いつからなのか、元々鳥は好きなので、若い頃はそう嫌っていなかったような。公園のベンチなどで土鳩に囲まれたりすると体が固まって動けなくなる。必死に足で彼らを蹴散らして逃げる・・土鳩が別に悪いことをしている訳ではないのに。ただ、餌をくれると思って人間に近付くだけなのに。
 吟行句会の自由時間、人けのない所へ行き、ベンチで句作に夢中になっていて気づいたら周りが鳩だらけ!慌てて荷物抱えて場所を移ったが他に人が居ないので、集団で又付いてくる。逃げ回っていると仲間が向こうから来て・・命拾いしたような気分になったことがあった。
奴らに較べたら、ポッポちゃんはとても可愛い。
「土鳩と山鳩(キジバト)とどこが違うの?」
訊く人が居るけれど、どう見たって外見が違うでしょ。ポッポちゃんは自然のもの(木の実など)しか食べません、土鳩は鴉と同じ雑食。それと、鳥というのは鴉なら鴉、雀なら雀で、仲間は全く同じ形状なのに、土鳩は色々な羽の色をしていて一羽ごとに違う。それが許せぬ。外観の違う動物は人間だけなのに生意気過ぎる。

今日はお籠り暮らしのとりとめのない話。

北窓を開く山鳩来てをりか   KUMI 
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またまた予報外れ

2022年02月14日 | 俳句
天気 雨のち曇のち晴
起きてカーテン開けると、雨になっていた。部屋から見下ろして写真撮ったら、何だか留置場の窓越しの風景みたい。って、入ったことないので知りませんけど。でも、今の気分はそれに近いかも。

またまたの予報外れ、こうなると週末に来るという三度目の南岸低気圧はどんな予報になるのだろう?以前、降らない、と思って大雪になったことがあって大変な目に遭ったことが・・それを思えば予報外ればかりというのも悪くはない。

午後、少しだけ日差しが出たのでラウンジで日向ぼっこ。というより、部屋に居たら突然睡魔が襲ってきたので、珈琲淹れて日向で飲むことに。すると、耳の遠いジイサマがしきりにスマホで何やら・・やだな、と思ったら案の定「これ、教えてくれる?」と来た。合う補聴器がないからと使わないので、最近は話すこともなかったのだが「私に解る簡単なことなら」と。
どこやらの会社のスマホが、3月で使えなくなるとかで、ガラケーから買い替える90代の人が他にも。身内が買い替えてくれるものの、この面会禁止の中では教わることも出来なくて困っているようだ。
解らないのは、電話帳の新規登録の仕方。大体が、私はスマホにしてから日本語入力はしていないので、昔のことを思い出しながら・・
と作業を始めたら、あら、今の老人向けスマホ、電話帳も音声入力が出来るではありませんか。でも、それを教えるのも面倒で、何とか、日本語での新規入力を教えた。
それ以上は、耳の遠い人には無理。なので断った。長い時間大声で会話していると私の心臓は破裂する。冗談抜きで過呼吸状態になってしまうことがある。身内が買い替えてくれても、面会禁止の今は教えることが出来ないのだ。介護士さんに訊いたりしているらしいけれど、限度がある。

本当に、個々人に合う補聴器は時代が進んでも作れないものなのだろうか。無論、聴力の出ない障害のあることは知っている。でもITの時代、昔と同じことを言う難聴者の多いことが信じられない。怒られると思うが、周囲が気遣っているから、当の本人は耳が遠くても困らないのかもしれない、と思う時がある。

私は父と姉が障害者に該当しない程度の難聴だったので、耳の遠い人のことは理解しているつもり。でも身内だったし耳元で普通に話せば会話出来たし、困るところまではいかなかった。
でも、赤の他人と、このコロナ禍の中で顔をくっつけて話す気にはならない。介護士さんは若いから、まだ大声を出せるけれど、私のような、大声出し続けるのが困難な人間も居る。それでも、用があれば耳の遠い人とも話さねばならない。
周囲の人の気づかいを、当の本人たちは自覚しているのかなあ、と思うことがある。少しだけ遠い人は、自分はさほど耳は遠くない、と思っている。私の隣の人も、例の元教師も、普通の声で話していて、私が声のトーンを普通より少しだけ上げていることを知らない。少しだけでも長い話になると苦しいので、あまり話さないようにしている。でも、話掛けられたら黙っている訳にはいかず・・
介護士も看護師も、初対面だと必ず大声を出す。そうすれば間違いがないからだ。「私、耳だけは良いので普通の声でお願いします」とこちらからお願いしている。大声でキンキン話されると、かえって不愉快になるのだ。
聴覚だけは若者並み、などと自慢していたが、それが苦痛になることもあるとはとは思ってもいなかった。
・・戦争が起きるかもしれないのに、相変わらず私の書くことは小さな愚痴ですねえ。

花を待つ病の数の増ゆるとも   KUMI
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福寿草

2022年02月13日 | 俳句
天気 曇のち雨
何処で撮ったのか解らない10年くらい前の福寿草。前後の写真からして、福寿草の咲いている梅園へ行った訳ではなく、近所のようなのだが・・もしかしたら、お寺さんの庭に咲いていたのだろうか。公園では見たことがない。
福寿草は、新年の季語になっている。お目出度い名前の花なので昔から、正月の観賞用に栽培している。でも、山に自生するものや公園の地植えの福寿草は早春に咲く。だから、歳時記には「新年」と載っているだけで、とっても困る。本当は春の季語にしてもらわないと、句が作れない。
信州高遠の桜を見に行ったことがある。車では、諏訪湖から峠を越え高遠へ行く道がいちばん近いようだ。その峠を上りきったあたり、まだ残雪の地面に福寿草が点々と咲いていたのを、思い出す。

さて、夜は雪に変るという予報の一日、寒いばかりで部屋に籠りっきり・・って、どんな天気でも籠る以外にないのがこのところの我が暮らし。寒いから足元には先日買ったヒートクッションとやらを置いて。


これ、あまり使い勝手が良くない。なぜかというと、電源のモバイルバッテリー、一晩かけてフル充電しても、数時間でバッテリー切れになる。そうでなくても安全のために3時間経つと一度電源が切れる。
モバイルバッテリーなんて、そんなものなの?初めて使うので良く解らない。でも、乾電池ではここまで暖かくはならないだろうから仕方ないのだろう。電源コード不要なので室内のどこにでも置けるのだけは便利だ。

ともかく、ひたすら籠りっきり。
無理やり出かける用事を作って外へ出る交渉をするのも面倒、外は、市内感染者毎日100人越えなのだ。つまり10万人に100人くらいの数字になる。去年は、一日50人を越えることもなかったのに、もう無茶苦茶です。多摩地域は都心よりも安全地帯、と思っていたのに。どうも学校関係が多いようだ。

この施設内では、コロナ患者の拡がりなぞ考えたこともない、というか考える能力のない人たちと、そんな人たちに近付けない我々のような怖がる神経の人たちと、その中間の、あまり深刻になっていない人たちと・・一触即発です。
昨日、食事テーブルの、私の斜め前の、例の元中学教師、ようやく稀には食事の前後にマスクをするようになった。が、一昨日の夕食後に見ると上下反対に装着している。つまり、ワイヤーの部分が顎にある。以前にもそんなことがあった。ワイヤーの意味も使い方を知らないのだ。というか、使い方を教わっても翌日は忘れるのだろう。
でも気になって、部屋へ帰ろうと立ち上がりながら「マスク、上下反対ですよ」と思わず注意してしまった。首を傾げるので、私がマスクをはずして、こうやるの、と装着し直して見せて・・
ところが、それが面白くなかったらしい。教育者に間違いを指導するのですか・・という矜持があるのだ。口元を震わせて、
「いつから上下がそうなったのですか。ヒダは下向きで正しいでしょ、紐だって・・」云々と持論を持ちだした。ああ、めんどくさい。
もう、無視して私は部屋へ帰ったが、そのあと、前の席の人が説明に大変だったらしい。今朝その彼女とエレベーターで会ったら「幸せね、彼女(先生)は。今のコロナの状況なんか何も知らなくてマスクの必要性も解ってないのよ」と。
そうでしょう。そういう人とはエレベーターも一緒にならないように気を使い、部屋を一歩出るにもマスクしている我々は、ほんと、不幸です。今の世の中、知らない方が幸せ、ということで溢れているから。

みぞるゝや昼を灯して読む句集  KUMI
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