Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#164 FAの前身 『10年選手制度 』 

2011年04月13日 | 1981 年 
   


以前に取り上げた 『巨人はFAを30年前から画策していた』 はスポーツ紙の「火の無い…」的な
記事を元にしたものでしたが、今回は「社団法人プロ野球選手会」が具体的に検討していた案です。
昭和39年に廃止された「10年選手制度」を踏襲した内容で、現在のFA制度とは少し違っています。

現在、FAを行使する為の資格を得る条件は1軍選手登録日数ですが、「10年選手制度」の場合は
1軍登録されただけではなく試合に出場しないと駄目で、且つ10年間同一球団に所属している事も
必須条件になっていて移籍すると年数はリセットされる事になっていました。 例えば打者の場合は
過去10年間・1300試合の65%(=845試合)に出場していなければ資格は得られませんでした。
ちなみに「投手は334試合・捕手は565試合」と規定されていました。資格を得た選手がボーナスを
選択した場合にも細かな規定がありました。支給額を算定する計算式があって、過去5年間の年俸
平均額と入団時の契約金額を計算式に代入して算出します。例えば契約金が1千万円・平均年俸が
1千5百万円の梨田選手(近鉄)のボーナスは900万円。また江本投手(阪神)は出場試合数はクリア
していましたが南海からの移籍選手だった為、阪神での在籍年数が足りず該当選手にはなれません。
その場合は「B級選手」となりボーナスのみで移籍の自由は得られませんでした。

移籍を選択する場合も好きな球団を自由に選べるわけではなく、同じリーグの下位球団3チームしか
選択肢は有りませんでした。最後の行使選手の金田投手(国鉄)の時は 「6位 中日」 「5位 広島」
「4位 国鉄」でしたが金田投手は中日を拒否、広島は獲得を見送り、国鉄は所属球団の為に対象外
繰り上げで「3位 巨人」に入団となりました。厳密に言うと選手が球団を選ぶのではなく下位球団が
ウェーバー順に獲得の名乗りをあげて選手が入団を「了承or拒否」をする制度であった為に、選手の
多くがボーナスを選択しました。

当時の選手会は労働組合と認定されてなくストライキ権も無い単なる親睦団体に過ぎず、雇い主に
あたる球団への要求も門前払い状態でした。この「10年選手制度」も復活する事は無く、選手達の
悲願は1993年に実現しましたが当然の様に選手の年俸は高騰し球団経営を圧迫する事になります。
駒田(巨人)の横浜への移籍の際には、獲得資金捻出の為に高木や屋鋪など6選手が解雇される
などFA制度が選手自身の首を絞める結果となりました。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« #163 原や石毛だけじゃない... | トップ | #165 キャンプを終えてオー... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

1981 年 」カテゴリの最新記事