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買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 607 広島市民球場乱闘事件 ➊

2019年10月30日 | 1976 年 



4月16日、広島市民球場の乱闘事件は野球ファンだけでなく多くの人を驚かせた。選手がバットを振り回し、ファンとつかみ合った写真が新聞の社会面を賑わしたが不可解なのは怪我をしたファンも巨人軍の選手達もお互いに被害者と叫び合っていることだ。 " 傷害 " の真相はどうなのか?

張本がバットを振り上げ
4月16日、広島対巨人4回戦の9回表に事件は起きた。スコアは6対5で広島がリード、二塁に同点の走者を置いて代打・山本功選手が中前打を放ち二塁走者の土井選手は本塁へ突入し水沼捕手と激しく接触した。微妙なタイミングだったが柏木主審の判定は「アウト」で試合終了の筈だった。しかし巨人ベンチから長嶋監督以下、コーチ・選手らが飛び出して猛抗議。ここから球場内は混乱し始める。1人の広島ファンが抗議をしている長嶋監督らに飛びかかると、同調した約30人のファンがグラウンドに乱入した。ウェーティングサークルにある素振り用の鉄棒を手に持つファンもいた。巨人サイドもそれに応戦し鼻血を流すファンもいて大混乱となったが、主審のゲームセットの宣告で騒ぎは一旦は収まった。

宿舎へ引き上げる為にバスに乗り込もうとする巨人の選手達に激しい罵声を浴びせる約2000人のファンが取り囲んだ。ちょうどバスのステップに足を掛けていた張本選手の肩にファンの一人が手を伸ばした。反射的に張本はバットで応戦したが、それを見た長嶋監督は「構うな!バットを振っちゃいかん」と怒鳴った。この混乱で国松コーチや王選手や土井らは球場内のシャワー室で待機し、選手全員がバスに乗って出発したのは午後11時前だった。この騒ぎで谷村仁臣さん(30歳)が腹と額に重傷を負い広島市内の岡本外科に入院、寺島勝初さん(31歳)は左目下裂傷で4針を縫う怪我を負った。その後の経緯を追うと以下の通り。

4月17日・午前0時15分…張江巨人軍広報担当が広島西署を訪れて宿舎周辺の警備を要請する
  同 ・午前8時57分…広島・重松代表が広島西署に出向き前夜の経緯を陳謝して警備の強化を要請
  同 ・午前10時38分…張江氏が巨人軍宿舎・世羅別館で会見し『警察から任意での出頭要請あり』の一部報道に
            「聞いていない」と答える
  同 ・午後12時20分…張江氏が再び広島西署へ
  同 ・午後1時20分…張本選手が宿舎のロビーに現れ「私の方が被害者だ」と発言
  同 ・午後2時15分…佐伯球団常務、張江氏、長嶋監督が広島西署へ出向き事情を説明する。応対した広島西署の原田義秀署長は
            「二度とこの様な事が起こらないように努力して欲しい。長嶋監督に来て頂いたのは事情聴取ではない」と
            説明。19日までに張本選手の任意出頭を求め参考人として事情聴取をする方針であると発表した


被害者を主張する巨人
翌朝の新聞はこの事件を大きく報道したが、多くが加害者は張本としていた。怪我で入院した谷村さんによると「張本選手に突然バットで殴られた。意識を失いかけたが友人に支えられて倒れずにいた。そして今度は腹をバットで突かれた。相手は張本選手に間違いない」と主張した。一夜明けて精密検査をした結果は頭部の怪我は大したことなく済んだが腹部にはハッキリと打撲の痕が残り入院は続いた。しかし加害者であると言われた張本は真っ向から否定する。宿舎ロビーに午後1時過ぎに現れた張本は「昨日はバスに乗り込もうとした時に後ろから左肩と腰を強打された。痛み?いや今はそれほどでもない」と当初はのんびりムードで時折笑顔も見せた。

だが報道陣から警察から任意出頭を求められている、と聞かされるとさすがに顔色を変え「私の方が聞きたいくらいだよ。一部のファンがバスに近づいて来たのですぐに逃げようとした。そこを後ろから殴られた。私は絶対に手を出していない。私は加害者ではなく被害者です」と訴えた。しかし一人の記者が差し出した地元紙の『張本、ファンに暴行』の見出しを見て事の重大さに改めて気づいた。「おいおい勘弁してくれよ」と暫く絶句した後、「私は広島生まれですよ。確かに今は巨人の選手でカープの敵ですけどこれじゃ親の仇みたいじゃないですか。情けないですよ。一方的に襲われた私の方が被害届を出したいくらいです」と自分は被害者であると主張した。

その主張は球団側も同じである。「警察発表の中で張本君がファンを殴ったという話がありましたので広島西署の三山副署長にお会いして球団として正式に否定しました。逆に張本・槌田両君が怪我を負いました(広島市内の林外科医院の診断によると張本は全治5日、槌田は全治10日)。バスに乗り込む際に一部のファンと揉み合いとなり防御措置を取らざるを得ず、心ならずも結果的に怪我を負われた方が出てしまったのは誠に遺憾に思っております。私は張本君の後ろにいて現場を目撃していましたが張本君は決して意図的に暴力を振るってはいない。逆に張本君に殴り掛かる人物がいて鈴木コーチが止めに入った。それが真相です。私はそう警察に伝えました」と張江氏は話す。

これではどちらが被害者か加害者かは分からない。この間、巨人側は広島西署からの出頭要請に一貫して「我々は被害者。選手らは手を出していない。今日も試合があるから選手に支障があっては困る」と突っぱねていた。その為、張江氏に選手は同行せず佐伯常務と長嶋監督が張江氏と共に広島西署を訪れて原田署長から「今後二度とこのような不祥事を起こすことのないように」と警告されたにとどまった。自分達は被害者で非はファンにあるとする巨人側。しかし数多くの目撃者が巨人の選手が暴力を振るったと証言しているのを無視してよいのだろうか?実際に警察は10人の目撃者から調書を取っている。


張本・任意出頭に応じる
騒動となった翌17日の試合でも小さなトラブルがあった。4回裏の攻撃で広島・大下選手が空振りした際にバットがスッポ抜けて小林投手の目の前に転がった。バットを拾い上げた小林は大下に手渡すことなくホームベース付近に放り投げた。この行為に古葉監督がベンチから飛び出して小林に一言注意すると外野席から左翼の張本選手に向けて数本の空きビンが投げ込まれた。これを見た長嶋監督が選手全員をベンチに引き揚げさせ試合続行を拒否した。審判団による説得にも巨人側は頑なに拒否。事態を重く見た広島・重松代表が球場内のファンに対して警告した事で巨人側も折れて13分後に試合は再開された。

実は17日の試合前に長嶋監督は「もしも今日、例え練習中であろうとグラウンド内へ物が投げ込まれたら直ぐに選手を引き揚げさせる。ファンの皆さんがチームを応援する気持ちは理解できるが相手チームに対する妨害は許されない。野球に限らずスポーツとは選手と選手が自らの技と技術をぶつけ合い対戦相手を尊重する競技なんだ。選手に危険が及ぶ可能性が有れば試合を放棄してでも私は選手を守る」と話していた。結局、17日は小林投手が完封勝利。続く18日は加藤初投手がノーヒット・ノーランの快投を演じ巨人が2勝1敗と勝ち越したが、何かシラケたムードが漂う残念な3連戦となってしまった。

3連戦終了後の19日の早朝6時20分、張本は広島西署を訪れた。傷害の疑いでの任意出頭で現場近くにいた鈴木コーチ、槌田選手、末次選手も張江氏に伴われて出頭した。待ち構えていた30人程の報道陣から「暴力を否定していましたが今も変わりませんか?」と問われた張本は無言のまま署内に消えた。鈴木コーチらの事情聴取は午前中に終了しチームに合流して空路帰京したが張本の聴取は午後も続いた。聴取の焦点は殴ったか否かの事実確認とバスに乗り込む際にバットをケースに収めず剥き出しのまま手に持っていた理由だった。既に警察は目撃者やガードマンから当時の模様を克明に聴取している。その上での張本らの聴取であり、近日中にも事件の真相が明らかになりそうである。

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