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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 621 週間リポート・ロッテオリオンズ

2020年02月05日 | 1976 年 



三井「オレ、豪雨大歓迎」
コールドゲームに助けられノーヒットノーラン
4月14日の対近鉄戦(後楽園)で三井投手は5回を無安打・3四球・無失点の好投を見せた。ロッテ打線は2回裏に江藤選手が左翼席へ先制アーチ。3回裏にもラフィーバー選手の適時打で2点をリードし三井が6回表の先頭打者の石渡選手に1球目を投じたところで豪雨に見舞われ試合は中断。結局、中村球審がコールドゲームを宣告して試合終了。これによりパ・リーグでは史上6人目となる参考記録としてのノーヒットノーランを達成した。「そりゃあ最後まで投げたかったですよ。調子そのものは8日の太平洋戦の方が良かったけど、変化球は今日の方がキレていた。参考記録とはいえレコードブックに自分の名前が残るのだから雨が降ってくれて助かりました。エへへ」

「今日の三井なら9回まで投げても1点くらいしか取られなかったろう。まだ若いんやから今後もバンバン完投してくれないと困る」と普段は小言が多いカネやんもこの日ばかりは目尻を下げた。しかしカネやんも胸の内は複雑であろう。思えば5ヶ月前の昨年の暮れ、三井と巨人の高橋一投手プラス柳田選手との1対2の交換トレードが内定して三井は「憧れの巨人のユニフォームを着られるなんて人生最高の幸福」と感激したのだが、その後に紆余曲折あってそのトレードは御破算になってしまった。当時の三井以上にショックだったのがカネやんで欲しかった高橋一投手はその後に日ハムに獲られてしまい「アカン、来年のウチは最下位や」と嘆いたが今現在の三井の2勝がなかったら本当に最下位に沈んでいたかも。



物いえば口びる寒し秋の風 !?
ハム喰えずライオンに喰われカネやんガックリ
台風17号の影響で甲子園の伝統の一戦などセ・リーグの3試合が全て中止となったがパ・リーグの3試合は行われた。後期25勝19敗で同率首位に並ぶロッテと南海。半ゲーム差で追う阪急の3強による争いは激しい。9月10日の日ハム対ロッテ8回戦(後楽園)で村田投手(ロッテ)がプロ入り9年目で初の20勝をマークし単独首位に。「ワシは素晴らしいファミリーを持ってホンマ男冥利に尽きるで(金田監督)」とハムをパクリと喰ったカネやんだったが喜びは長くは続かなかった。翌11日の試合は村田に次ぐ12勝の八木沢投手がいきなり初回に小田選手に3ラン本塁打を浴びて敗戦。一日にして首位陥落したカネやんは怒り心頭だった。

そのカネやんの怒りに油を注いだのが12日に先発予定だった三井投手。試合当日の朝に下痢による腹痛を訴えて先発を成田投手に変更。試合に勝てていれば大した問題にもならなかったが急きょ先発投手に代わった成田は4回迄は無失点に抑えていたが、5回に千藤選手に左中間に決勝適時打を許し2対5で3連敗を喫した。しかも下痢の原因が前夜の食事の食べ過ぎと聞いたカネやんの血圧は更に上昇し「日頃から体調管理は注意せい、と口を酸っぱくして言っていたのに…。よりによって大事な試合前に食べ過ぎで腹痛になるとは情けないで」と怒りを通り越して呆れ顔。

「ロク(八木沢)のやつ、試合開始30分前にクーラーの効いた選手サロンでサンドイッチを食べていたんだと。汗をかいたままクーラーで体を冷やしたらアカン。そもそも30分後にマウンドへ上がるのにメシを喰ってる投手がいるか !?」と金田監督の怒りの矛先は2人の投手に向けられた。それでも何とか気を取り直して「ジプシー生活を強いられているロッテの選手達はたまに東京に戻ると女房や子供の世話に大忙しなんや。その点を大目に見てやらんと選手が気の毒や。まぁ次の仙台での試合で仕切り直しや(金田)」と15日からの太平洋戦のダブルヘッダーに向けて気持ちを切り替えた。

ダブルヘッダー第1試合の太平洋は7連敗中、一方のロッテはエース・村田が先発とあって連敗を止められると楽観的だったが、村田は太平洋打線の餌食となり先発全員安打を許し4失点でKO。ロッテ打線は新人の古賀投手に散発4安打で完封されてしまった。続く第2試合は八木沢・三井の " 日ハム戦因縁の2人 " が奮起して完封リレーで勝利した。この日は南海と阪急が共に勝利した為、ロッテは3位のまま。「ウチは体力的にも精神的にも限界にきているんや。選手もここで踏ん張らないとズルズルいってしまうと頭では分かっているが体が動かないんや…」とカネやん。まさに物いえば口びる寒し秋の風だ。



ええ~トメはいらんかやあ
カネやん弟の留広売り込みに連日の大忙し
ドラフト会議には姿を見せなかったカネやん。「ワシが行くとクジを引かされる。クジはもうこりごりなんや」と苦笑いするのも尤もで、昭和48年のドラフト会議では予備抽選で見事「一番目」を引き当てて意気揚々と本抽選に臨むと今度は何と「十二番目」を引いて会場を大爆笑させた苦い経験があるのだ。金田監督の代わりに土屋コーチが引いたクジの結果は「八番目」。何とも中途半端な順番だったが東都大学リーグのエース・森繁和投手(駒沢大)を指名したとの連絡を受けた金田監督は「まさにラッキーエイトや。これで来シーズンのローテーション問題は解決する」とご機嫌だった。

一方でなかなか解決しないのがカネやんの弟・金田留広投手の処遇だ。これまで巨人や中日に売り込んだが色よい返事は貰えず宙ぶらりん状態。ゴルフ場で顔を会わせたヤクルトの松園オーナーに浅野投手プラス益川投手との交換トレードを申し込むと松園オーナーは「広岡君に伝えておく」と返事。期待して待っていたが「釣り合わない(広岡)」とにべもなく断られた。「ワシの為にもトメの為にも出来ればヨソの球団でプレーするのが良いと思っている。トレードはホンマに難しいわ」と顔に皺を刻み付けていた。

11月23日には甲子園球場で阪神・巨人のOB戦が行われてカネやんも出場した。試合前に広岡監督を見つけると「もう一度、考え直してくれ。トメはまだまだ働ける。環境が変われば10勝できる。ワシが保証する。ヤクルトにとっても悪い話ではないで。何なら浅野や益川以外の選手でも構わないので頼む」と猛プッシュしたが、「もう来季の編成は終わっているので(広岡)」と再度断られた。巨人の柴田選手に次ぐオフの主役になった金田留広の売り込みにカネやんは今日も東奔西走のお忙し氏ぶりだ。

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