リエ先生のブログに株の事でコメントしたら、「NAOさんちってどんなお宅?」
・・・と質問されたので、ちょいとここで実家の歴史?なんぞをお話します。
私の実家は、今は普通の家庭ですが、昔は「株式店」(今の証券会社)でした。
検索したら、なんと資料がありました!ビックリです。
こんな資料、初めて見ました。
父もたぶん知らないでしょう。思わず見入ってしまいました~。
第2次世界大戦で、3代目が戦死。(私の祖父)
戦後、実家の会社はI証券に吸収合併され、父もそのままそこに就職。
家の敷地内に、店を構えてましたが、そのままI証券の彦根支店となって、
かなり長くそこでやってました。(今は、移転してます。)
その場所は、今度は私のレッスン室に変身!しました。^^;
3代目までは、名前は襲名だったそうで。
父からは違いましたが。こんなところで時代を感じます。。。。
今は、パソコンで全て取引が行われてますが、当時は電話などで、売買。
壁一面に巨大な黒板があり、そこに株銘柄がずらっ!とチョークで書かれてました。
前日より値段が上がったの下がったのは、赤とか黄色などの札がぶら下がっていました。
取引が午後3時に終了するので、夕方その黒板は、
私たち子どものらくがき場と変身~~~~!^^;
巨大黒板は、もぅパラダイスでしたね。
昔は、証券取引場の映像といえば、みんな右手挙げてなにかやってました。
あれを子供の頃、父に聞いたら「株数字」だそうで。
株特有の数字の数え方だったそうで、いわゆる専門的なものです。
教えてもらったけど、もぅ忘れちゃった~。
家には当然、「四季報」なんかがドン!とあり、
お菓子頬張りながら、訳もわからず読んでいた小・中学生時代。
かなり変わった子だったかも??
『そうそう、家は「株屋」だったんだ~。』
連日の株関係のニュースを見て、ふとそう思いました。^^;
河岸、やっちゃ場(野菜類)で競りをする人達も素人の私には何で?どうして値段が決められるのか、ダミ声?のみ聞こえるのですが、あれで取引ができるのってスゴイ!!
早い手の動き、何を言ってるのか?聞き分ける耳、目、かっこ良いって思ってしまいます。
符丁があるのでしょうが面白いですね。
株を扱う人に指導を受けて、私もお小遣いを稼ぎたい・・新聞を見てもさっぱり分かりません。
当時を思い出しましたヨ^^
株は、私も詳しいことはよく分かりません。
株の業界用語ってけっこう多いですよね。
そんなんで話されても「???」でした
立派なお庭にお屋敷。。。
その中に会社があったなんてすごいですね!
ご実家の歴史のレポートがあることにもビックリ!
でも、これを機に親孝行できましたね。
本当にびっくりしました。^^;
初めて知る実家の内容もあり、ふんふんと全部じゃないけど読みました。(あまりに内容が膨大なので)
>でも、これを機に親孝行できましたね。
そうですね。(^0^)
父はパソコン持ってないので、うちに遊びに来た時にでも、この資料見せてあげようかな?と考えてます。