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真理 まことのことわり

2020-01-31 | 哲学日本語

日本哲学13
真理は論理、認識で説く。もとは、本当であると認めたこと、ありのままに認識されたことである。真実ともいうが、論と実の違いである。日本語の真理は、>日葡辞書〔1603~04〕「Xinri (シンリ)。マコトノ コトワリ〈訳〉真の道理」 の用例がる。しかし、この語を、認識と神の絶対を説く真理とかかわる意味内容を持って日葡辞書に採録したかどうか、むしろ、その語の意味とすれば、まことのことわり とした解釈には、日本語の意味がある。

まことは、真言、ことわりは、義の字をもってあらわす。正義、大義、義理もまた、まこと、誠である。字通によれば、誠は、>言は神に対する誓約、成は戈に呪飾を施して聖化したもので、これを加えて、其の意を誠にすることをいう  と見える。


字通より
眞:〔荘子、秋水〕に「其の眞に反る」、〔荘子、大宗師〕に「眞人りて、而る後に眞知り」など、絶対の死を経て真宰の世界に入るとする思弁法があって、真には重要な理念としての意味が与えられるようになった。
理:玉に文理があり、磨いてそれをあらわすことをいう。人の皮膚にも肌理があり、地にも山川の文があるので、天文に対して地理という。人情を情理といい、道理の存するところを天理という。理気二元が天地の道とされた。


ウイキペディアより

西欧哲学において真理論は論理学や認識論においてとりわけ主題化される。
真理論の歴史は、古代ギリシアに始まる。人間を尺度とする相対的なものの見方に反論する形で、永遠性・普遍性を有する真理の概念が生まれた。このような絶対性を内実とする真理概念は独断主義を生み、これに対する防衛・反抗が懐疑主義を生んだ。そのどちらにも陥らず、確実な知識の基礎付けを求めて近代の認識論が始まり、その後、真理の担い手が思惟・観念・判断、命題、「事物」(羅:res、レス)等のいずれであるか、について議論がなされてきた。現代論理学では真理の担い手は命題であるとされ、真と偽を合わせて真理値という。論理学で、「Pは○か○でないかのいずれかである(○であり、かつ○でない、ということはない)」という形をした文は○の内容に関係なく正しいので、これは「形式的真理」と呼ばれ、思惟と思惟自身の一致と定義される。このような形式的な形相についてではなく、質料について真理が語られるときは「実体的真理」という。判断について真理が語られるときを「認識論的真理」といい、存在について真理が語られるときを「存在論的真理」という[1]。現代の真理概念は様々な形で修正を受け、相対的な傾向を強めている。

論証する、つまり、言語による表現であることが真理に不可欠であり、哲学的にはロゴスとも関わりが深い。東洋には不言真如という概念もある。

人間を自由にするものとしての真理が説かれることもある。キリスト教では「真理はあなたたちを自由にする(ヨハネ8章32節) 」と説かれている。仏教では、人間を苦しみから解放する真理をあらわす「法」が説かれる。
 真理とは何か、についての研究を真理論という。以下に代表的な説を挙げる。
 真理の対応説(correspondent theory of truth):「思惟」と「事物」(羅:res、レス)が一致ないし対応していることが真理であるとする。アリストテレス、トマス・アクィナス、イマヌエル・カント、カール・マルクス、バートランド・ラッセル、前期ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、アルフレッド・タルスキ、カール・ポパー
 真理の整合説:他の命題と整合的な認識が真理であるとする。公理的で演繹的な真理観。中期プラトン、ライプニッツ、スピノザ、ヘーゲル
 真理の明証説:意識に対して明証的に現れるものを真理とみる。ルネ・デカルト、エトムント・フッサール
 真理の実用説(有用説):生にとって有効・実用的な認識を真理であるとする。フリードリヒ・ニーチェ、ウィリアム・ジェイムズ
 真理の合意説:合意された認識を真理であるとする。チャールズ・サンダース・パース、ユルゲン・ハーバーマス
 真理の定義不可能説:命題Pは命題「命題Pは真である」と同値であるから、真理の概念は定義不可能であるという立場。フレーゲ
 真理の余剰説(redundancy theory of truth):命題Pは命題「命題Pは真である」と同値であるから、真理の概念は無用な余剰であるとする。フランク・ラムゼイ
 規約主義:真理はその言語体系における規約に依存するという立場。アンリ・ポアンカレ、デュエム、オットー・ノイラート

世界大百科事典 第2版の解説
しんり【真理 truth】
真理についての考え方には大きくいって三つある。第1は存在論的真理観である。〈この絵はレンブラントの真作である〉〈これこそ真の勇気である〉〈この神は真なる神である〉というような例において,〈真〉という形容詞は,絵,勇気,神といった存在者に付加されている。このように〈真理〉とは存在者に対して付加される特質だとするのが存在論的真理観である。ところでいまの例において絵の場合はそれが真かどうかを決定するのは比較的簡単だが,勇気や神の場合にはその判定が難しく,そこからいろいろの哲学的・神学的議論が出てくる。
 第2は対応説的真理観である。そこでは,〈真〉という語はつぎのような仕方で使われる。〈“地球は丸い”が真であるのは地球が丸い場合であり,そうでない場合は偽である〉。この例で〈真〉という形容詞は〈地球は丸い〉という命題の述語となっている。そしてこの命題が真であるのは,地球が丸いとき,すなわち地球が丸いという事態が成立しているときである。つまりここでは〈地球は丸い〉という命題が,地球は丸いという事態と対応しているからその命題は真なのである。したがって対応説的真理観は,命題と事態との対応・不対応によってその命題の真偽を決めるという考え方だといえる。(中略)
 第3は整合説的真理観である。〈“直線l上にない点Pを通ってlと交わらない直線が1本だけ引ける”が真なら,“三角形の内角の和が2直角である”も真である〉。〈“直線l上にない点Pを通ってlと交わらない直線が2本以上引ける”が真なら,“三角形の内角の和は2直角より小さい”は真であり,“三角形の内角の和は2直角である”は真でない〉。以上二つの例において,〈真〉という語は命題と事態との関係において述べられているのではなくて,命題と命題との整合・不整合の関係において述べられている。

精選版 日本国語大辞典の解説
しん‐り【真理】
特に哲学でいう。
(イ) 古代・中世には、認識が実在の事物に一致すること。スコラ哲学では、この認識の真理をささえる絶対の真理として神を考え、神は信仰によって啓示されるとした。
(ロ) 近代では、判断が思惟法則に一致するという形式的真理と、判断が経験の先天的原理である悟性の法則に一致するという認識の真理がとりあげられた(カント)。
(ハ) 現代では、命題の性質とみなされ、論理学におけるトートロジー(恒真式)群とその変形という形式的真理と、命題と事実の一致という認識の真理、命題が絶対とみなされた一貫した体系全体の必然的な一部分であると認められることという筋道一貫の真理、命題が有効であるというプラグマチックの真理、意識から独立に存在する物質とその運動を認め、物質を正しく反映する意識をさす唯物論的真理などに分かれて研究されている。


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