夢千夜 1000dreams

漱石「夢十夜」へ挑戦する

1171夜

2015-05-28 18:34:11 | Weblog
病院に行って「この一週間、胃の辺りがチクチクする」と言ったら「それじゃ、胃カメラですね」と中年の医者は簡単に言う。胃カメラによってヒットラーみたいな悪性の癌が発見され、即入院即手術、そのままあの世行きという、帰りのコースが切断されたジェットコースターのような道が頭に浮かぶ。検査の前々日は「最後の晩餐」だというので、クリームシチューを腹がパンクするほど食べた。クリームシチューは私の最大の得意料理であり、最大の好物だ。鶏のモモ肉、豚のバラ肉を半々に入れ、シメジやマイタケ、エリンギにヒラタケ、マッシュルームにシイタケ、手に入る限りのキノコをぶちこみ、野菜も吟味し、「最後の晩餐」にふさわしいシチューをつくる。たまねぎとにんにくを極力薄く切り、よくいためてから煮込んで、ルーに溶かすのがコツだ。私は機械的に皿から唇へとスプーンを動かした。次第に何も味を感じなくなる。シチューが胃の中に完全に満杯になり、食道をあがって、喉のすぐ下までやってくる。妻がとめた。私は妻の腕を振りほどいてさらにスプーンを唇に運ぶ。最悪の気分を一トンの錘のように引きずって病院に行く。検査室には、まるでロダンがつくった地獄門にある亡者の彫像をそっくりそのままここに移動したような群像がうずくまっている。私の番が来る。ベッドに横になる。プラスチックの口当てを噛ませられる。口当ての真ん中にダッチワイフの口みたいな丸い穴があいている。二十代後半くらいの男の医者だ。胃カメラは直径二センチくらいのクネクネした棒だ。私はナノテクノロジーがリードするこの時代の中で、胃カメラごときは糸のように細いものになりえていると予想していた。ところが、実際に目にすると、私の恐怖が巨大化させるせいか、その先端がコブラの頭のように太く感じられる。医者はコブラの頭を私の口の真ん中に突っ込む。一瞬にしてカメラの先が私の喉の奥にガシッと当たる。ウッとくる。私はこらえきれない。フェラチオを嫌がる新米の売春婦のように私は胃カメラと口当てを舌で押し出す。医者は苦笑する。二度目のトライ。結果は同じ。今度は医者の目が怒っている。三回目。今度もダメ。医者のこめかみが震えている。「また今度にしましょうか」などと皮肉なことを言う。私もこの手続きをもう一回くり返すのは真っ平御免と思って、なんとかこらえようとする。私が四回目に胃カメラを吐き出そうとしたとき、私の頭の後ろで何かものすごい音がした。バンと耳を聾する音が、静寂な検査室に響きわたる。実際は書類の束を床に落とした程度のものだったのだろうが、静寂だったのと突然だったので、病院に家族を殺された人が自爆テロでもやらかしたのかと思った。「あっ」と思った瞬間、胃カメラが私の喉をクニャッと直角に曲がって通り抜けた。ニューッと食道を下っていく感覚が気持ち悪い。私は少し「ゲボゲボッ」とするが、胃カメラはもう舌で押し出すことができない深い位置にまで侵入している。「ウッウッ」と吐き出そうとしても、どうにもならない。胃カメラは私の体の中でクネクネくねるヘビだ。私の胃の内部がモニターに写し出されている。医者は深刻な顔をしてジーッとモニターを見つめている。ときどき「ウーン」とうなる。何か異常が発見されたような感じだ。「胃壁が一面に白くなっています。こんな症状は見たことがありません」と医者は言う。「チューブの先から消毒薬を吹きかけてみますね。ウーン、何かクリームのようなものが胃壁に付着している。これはいったい、なんだろう」。さらに医者は胃カメラをクネクネと動かして、あちこち調べている。たぶんこの若い医者がすべて判断するのではなく、私の胃の内部がビデオに撮られて、あとでベテランの医者が最終判断を下すのだろう。医者は「それでは終わりにします」と言ってスルスルとカメラを抜き取る。入れるときは死の苦しみだったが、抜くときはあっけない。一週間後、検査の結果を聞くために病院に行く。私の番がくる。検査をしたのとは別の医者が言う。数々の修羅場を経てきたと思われるベテランの医者だ。「何か白いものが大量に胃壁に付着していましたので、少し取って検査してみましたが、みんなで頭を寄せ集めて考えても、どうも何ものか皆目わからない。さらに詳しい検査が必要です」。私は答える。「それはたぶんクリームシチューです。二十四時間前から何も食べてはいけなかったんですが、十五時間前くらいまでクリームシチューを食べていました」。医者は言う。「それじゃ、クリームシチューが消化されきれないで、胃壁に残っていたのですね。いやあ、あれはなんだろうかと皆で考えたんですが、クリームシチューでしたか」。医者は私を怒るという雰囲気でもなく、科学者として一つの疑問が解明できてさっぱりしたといった表情だった。

1170夜

2015-05-21 15:28:35 | Weblog
エンガチョの切り方は、その土地土地によって、いろいろある。私が住んでいた土地では、両手の親指と人差し指をあわせて丸い形を作り、その丸の中にツバをペッと吐き、「エンガチョ切って」と言って、友達に手刀で丸の真ん中を切ってもらって、エンガチョが切れたことになる。私がまだ七歳のときだ。私は友達と林の中で遊んでいた。そこで突然、内臓が無残にも飛び出した、巨大なガマガエルの死体に出くわした。見たこともないほど巨大なガマガエルだった。皆「キャッ」と叫んで逃げた。皆逃げながら、エンガチョを切り合った。一人逃げ遅れた私は、指を丸くあわせて真ん中にツバを吐き、「エンガチョ切って!」と友達に叫んだ。しかし、友達は逃げるのに夢中で、私のエンガチョを切ってくれない。私は仕方がないから、指を丸の形にあわせたまま、走った。私は逃げる途中、母に会って家まで連れ帰られた。切れないエンガチョは、私の指を、どんな接着剤をつけたよりも強固に、丸の形に結びつけていた。夕ご飯の時間になる。私はハシを持てない。父は「早くご飯を食べろ」と怒る。父が私の指を見る。「なんだ、これは」と、私の手をつかんで、指の丸を崩そうとする。指の丸は、鉄の輪でもあるかのように、父の手の力くらいでは、ビクともしない。外側からおしつぶそうとしたり、内側から切り離そうとしたり、何度も父は私の指の丸を破壊しようとする。が、すべて失敗する。私は「エンガチョ切れないよう。エンガチョ切れないよう」と泣く。今度は父と母が、私の両腕を両側からつかんで、指の丸を引き離そうとする。何か超自然的な力が、私の体に作用したのだろうか。私の両腕は肩の付け根から引きちぎられそうになりながら、指の丸は変形する気配さえ見せないのだ。家族はホトホト困り果てた。「どうすれば、エンガチョは切れるのだろうか」と父は言う。「エンガチョしたとき、その場にいた人でないと、エンガチョ切れないよう」と私は泣く。「誰がいたのだ?」と父は聞く。「健ちゃんがいたよう」と私は泣く。健ちゃんの家は隣だ。皆で相談して、健ちゃんにエンガチョを切ってもらいに行くしかないという結論に達した。常識人としてみずから任じる父が、夜になって子供のエンガチョを切ってもらいに他人の家に頼みに行くというのは、最大の抵抗があった。しかし、自分の力では、どうやっても子供のエンガチョが切れない限り、その手段をとる以外にない。「夜分どうもすいません。ちょっと健ちゃんにお願いしたいことがありまして」と父は恐縮して言う。「いったい、何があったんだ?」と、隣の家のおじさん、おばさん、じいちゃん、ばあちゃん、健ちゃんが、玄関まで出てくる。私は健ちゃんの顔を見ると、自分を救ってくれる仏に出会ったような喜びを感じ、「エンガチョ切ってくれよう」と泣く。健ちゃんは私の指の丸を見て、一瞬にしてすべてを理解した。そして、「エンガチョ切った」と言って、私の指の丸の真ん中に手刀を落とす。私は「エンガチョ切れたよう。エンガチョ切れたよう」と言って泣き、そこにいた他の皆は「よかった。よかった」と喜んだ。

1169夜

2015-05-01 15:43:33 | Weblog
その日、ピストン運動にはいって三分くらいたったとき、私の腰骨と背骨のちょうど境目のところに、何か巨大な力によって杭が打ち込まれた。杭はガンガンガンと三回打ち込まれた。全身を激痛が貫いた。呼吸が止まった。杭の頭を巨大なハンマーがさらにガンガンガンと三度叩いた。体が真っ二つに割れたと感じた。私は女の腹の上に、そのままへたり込んだ。一ミリも動くことができない。異常を察して「ねえ、どうしたの、どうしたの?」と女が聞く。私は息がつまって答えられない。ペニスは瞬間的に縮んでヴァギナからスポッと抜ける。杭が打ち込まれたときの激痛は、女の腹の上でじっとしていると、だんだんおさまってくる。今度は激痛にかわって、腰のまわりに一トンの鉛を巻きつけられたような重さが感じられてくる。「ちょっと待っててくれ」と私は女に虫の鳴くような声で言う。「うん」と女は言って、けなげにも耐えている。私は十分くらい裸の女の腹の上でじっとしていた。冷蔵庫の中にいるような寒気を感じる。腰はしびれて感覚がなくなっている。が、他の部分はなんとか動かせそうだ。私の体が完全に女の腹の上からベッドの上にずれるのに五分はたっぷりかかった。私は腹這いの姿勢で、ベッドの上でじっとしている。コンドームが、しおれたペニスにくっついている感覚が虚しい。私はそれから三十分くらい動けない。「どうすればいいの?」と女は私に聞く。が、私にもどうすればいいのか、まったくわからない。「救急車を呼ぼうか」と女は言う。「それだけはやめてくれ」と私は虫の声で言う。女は服を着てじっとしている。三十分以上たってやっと、体が動かせるようになる。私は亀が甲羅をまとうように服を着る。私は女の肩につかまり、ゆっくり歩いてみる。なんとか歩ける。私はタクシーを呼んで整形外科の病院に行く。階段を降りたり車に乗ったりするのが、私にとっては死をかけた冒険のような作業になる。昼間からセックスをしていたのが、かえって幸いだった。病院が開いている。ついムラムラッときて我慢できなかったのが幸いした。これが夜まで待つ自制心を持っている男だったら、最悪の事態だった。本当に救急車を呼ぶしか手がなくなる。女の肩につかまって待合室まで行き、名前を呼ばれるまでじっとしている。私の名前が呼ばれる。私は女の肩にすがって診察室の中に入り、医者の前の椅子に慎重に腰を下ろす。眼鏡をかけた学者タイプの医者だ。医者も看護婦も、コメディアンが演じているケガ人のような私の大げさなふるまいをじっと見ている。私は必死で病状を説明する。「ウーン、それはたぶんギックリ腰ですね」と医者は触診もしないで簡単に判断する。あの激烈な痛みと、「ギックリ腰」というトボけた病名が、私の中で結びつかない。「ギックリ腰というと、なったことがない人はバカにしますが、最初にギックリ腰になったときの痛みは、救急車を呼ぶ人がいるくらいです」と医者は言う。私の病名はこうやって「ギックリ腰」に決まった。「何か激しい運動でもなさいましたか?」と医者は私に聞く。「いや、まあ」と私は口をにごす。「ただ寝ていただけなんですが」と私は愚かな犯罪者のようにさらに嘘を重ねる。「寝ていて何か激しい動きでもしましたか?」と医者はあとに引かない。「そういえば寝返りを打ったような気がします」と私は追いつめられてまた嘘をつく。「寝返りですか。寝返りを打ってギックリ腰になる人は、けっこうたくさんいる」と医者はやっと私を解放してくれる。「まあ、ギックリ腰の最初の症状は激しいですが、じっと動かないでいれば、二三日で普通に動けるようになります。あとは特に激しい運動をしなければ大丈夫です」と医者は言って、私に薬の処方箋をくれる。「どうもお世話様でした」と私は言って、ニトログリセリンでも腰に巻いているように慎重に立ち上がる。そして再び女の肩につかまって病院前でタクシーに乗って帰る。「ギックリ腰なの」と女は言って「クスッ」と笑う。私は部屋に帰って仏像のように微動だにせず、じっと横になっている。女は去るにも去れず、別の部屋で陰気にテレビを見ている。本当に二三日すると、私の腰の杭も抜け鉛も取り去られた。あれから「羮に懲こりて膾を吹く」の故事通り、私はピストン運動に関して急に弱気になった。ピストン運動のスピードも回数も「ギックリ腰以前」の三分の一以下に激減している。ピストン運動を始めると、体があのときの痛みを思い出して、本能的に動きを抑制してしまうのだ。一度恐ろしい目にあうと、そのことを思っただけで、もう一度同じことがくり返される恐怖におびえ、体が硬直する「パニック障害」という精神疾患があるが、まさに私の場合も「ピストン運動パニック障害」だ。股間の一物はビンビンなのに、腰がピストン運動を嫌がって、私の頭に恐怖の感情を伝えてくる。女のほうも、私が再びギックリ腰になるのではないかと心配して快感に集中できない。演技だということが百パーセントわかるあえぎ声をあげながら、おびえたウサギのような目で私を見上げている。

1168夜

2015-05-01 09:06:35 | Weblog
「夏を征するものは受験を征す」というくらいだから、夏の計画というものは受験生にとって最大の関心事となる。下っ端予備校教師である私のところにも「夏の計画はこれでいいでしょうか」と必死で組み上げたプランを見せに来る受験生がいる。国立の医学部を狙っている生徒だ。希望的観測ではなく、実現の確率が高い目標として狙っている優秀な生徒だ。「三島由紀夫の代表作は『金閣寺』だが、その次回作は『金隠し』(和式の大便器のこと)だ」と私が教壇で言ったら、この生徒はそれを真剣にノートに取り、あとで教員室へやって来て「先生、どの文学史の本を調べても『金隠し』という作品はのってないんですが」と私に真面目に質問した生徒だ。この生徒が私に円グラフを示して説明する。この円グラフがこの生徒の夏の一日だ。まず夜中の二時就寝。五時起床。五時から七時まで朝の学習。七時から七時半まで朝食。七時半から八時半まで電車で予備校への登校。もちろん電車の中では学習。八時半から五時半まで予備校での学習(食事は二十分以内)。五時半から六時半まで下校、電車学習。六時半から七時半まで学習。七時半から八時夕食及びレクリエーション。八時から二時まで学習。風呂は適宜入る。学習時間は赤。それ以外は青で色分けしてある。ほとんど真っ赤だ。この生徒が「夕食及びレクリエーション」と書きこんでいるところを想像して私は涙がにじんできた。いったいこいつは三十分でどんなレクリエーションをするというのだろう。「この計画でどうでしょうか、先生」と生徒は私に聞く。私は言葉を失った。「どうでしょうか」と聞かれても、私としては答えようがない。「この計画を実際におこなったら、お前は死ぬ」という言葉を、私は飲み込んだ。私は「死ぬなよ」と一言いってこの生徒を帰した。こいつは今では立派な医者だ。