<金曜は本の紹介>
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この本は、二輪車や乗用車で有名なホンダ創業者の本田宗一郎(1991年8月逝去享年84歳)が初めて自伝をまとめたもので、1961年に刊行し、1964年には実日新書として再刊したものを、オリジナルの形で2006年4月に復刊したものです。生誕100年を期して復刊したとのことです。
時代を感じる内容も一部ありますが、現在にも通じる考えも随所にちりばめられていて、とても面白く書かれています。
仕事だけでなく、遊びも一流だったんだなぁと思いました。とてもお勧めな本です。
以下は、その面白かった一部抜粋です。
・明治39年(1906年)、浜松市に近い、磐田郡光明村(現在の静岡県天竜市)の鍛冶屋のせがれに生まれた私は、鉄をうつ鎚の音を子守唄に育った。今日になっても、騒音のなかに生きている私だが、私には、けたましい音が身についている。その音が私にぴったりしたものなのだろう。
・高等小学校卒業後、自動車修理工としての修行を経て、1928年(昭和3年)、浜松市にアート商会浜松支店を開く。1937年東海精機工業を設立、終戦翌年の1946年に本田技術研究所を創設して二輪車の製造を開始、1948年には本田技研工業を設立、社長となる。
・「修理は、しょせん修理にすぎない。経験さえ積めばだれにでもできる仕事だ。だから、これに一生を費やすのは実にばかげている。人間と生まれて生きている限り、どうせやるなら自分の手で何かをこしらえよう。工夫し考案し、そして社会の役立つものをつくるべきであろう。他人様の製作したものを修繕するなどといういわば人の尻馬に乗った商売なんか、犬に食われえしまえ。そうだ、自分のこの手で何かをつくってやろう。一歩前進してみようじゃないか・・・・・」
・私のスピードへの憧れは、すでに少年時代からはじまっている。暇を見て自分でつくり上げたエンジンを使って競争用の自動車を組み立てたことがある。多摩川べりで開催されていたレースに出場し優勝はしなかったが、そのときのスピードに託した自分の情熱と興奮が忘れられず、以来自動車競走があるたびに、日本の各地へでかけるようになった。ときには優勝の栄をかちえたこともあった。昭和11年7月、私が31歳のとき、競走で事故に遭う。私の負傷は、顔の左半面をぶっつぶし、左腕を肩のつけ根から抜き、手首を折っていた。弟は4本の肋骨を折った重傷だった。別に生命に別状のなかったことは幸運だったが、「人間は容易に死にはしないものだな」と変に感心させられた。
・戦時中軍が使用していた通信機の小型エンジンを買い集め、それを自転車につけて走った。するとそれが好評で売ってくれという希望者が続出した。買い集めた小型エンジンもすっかりなくなってしまったので、改めて本格的に自家製のエンジンをつくることに決心した。自分が乗るためで・・・・人に売るためにつくったんじゃない。自分が遊びに行きたいために、そのころ尺八をやっていたから、ぶらぶら遊びに行きたいためであった。何しろタンクなんか最初はないから、湯たんぽにパイプをつけてタンクの代用にするとかないものづくしの時代だからお粗末なものであった。それが結構交通機関として立派に役立ったんだから、いま考えれば面白いようなものである。
・昭和27年(1952年)私は過去における150に余る発明工夫の特許に対して、「藍綬褒章」を授与された。しかし、考えてみれば、生きるために自分の好きなことに終始しただけで、まだこれといった貢献もしていないのに---とあつかましい私もいささか面映い思いだったが、ありがたくいただくことにした。高松宮殿下が年少者であった私に目をとめられ、「発明工夫というのは、ずいぶんと苦しいことでしょうね。私にはわからないが・・・・」とねんごろな言葉をかけられた。そこで私はわかりやすくと思い、「全く恋愛と同じです」とおこたえした。「苦しいといえば苦しい、楽しいと申せば、またこれほど楽しいものはありません。・」殿下は妙な表情を示された。私は家へ帰ってからこの話を妻にすると、彼女はさも当然だという顔つきで、「殿下に恋愛の苦労なんて、それは・・・」といいかけたが、急に真顔になって、「あなたはまたどこかで、そんな苦労を・・・・」---私はヤブをつっついて蛇を出した結果をまねき、弁明に汗をかいた。
・わが社運営の基本方針は以下のとおり。
1 人間完成の場たらしめること
2 視野を世界に拡げること
3 理論尊重の上に立つこと
4 完全な調和と律動の中で生産すること
5 仕事と生産を優先すること
6 常に正義を味方とすること
・人事方針は以下のとおり。
1 常に適正な給与が支払われるよう努力すること
2 適正な作業条件と安全な作業環境を維持すること
3 雇用を常に規制すること
4 適材を適所に配置すること
5 各従業員には、勉強しさえすれば昇進の道はいくらでも開かれていることを知らせておくこと
6 監督者は従業員の私的な相談にも応じてやること
7 倹約をすすめ無駄を排除すること
8 社会的、体育的、厚生的な活動に協力すること
9 幹部と自由に論議する権利を与えること
10 日常の業務に信頼と友愛の精神をみなぎらせること
・田舎へ工場をつくるのは、給料が低いからあそこへつくりたいという考え方で工場をつくる人があるが、給料が低い、そうすれば製品が安くできる・・・・こんな危険なことはないと思う。それは搾取以外のなにものでもない。搾取の根性、植民地政策の見下げた根性である。高い給料を払っても立派に儲けている商売というのはいちばん安定していることである。給料が低いということは、いつやめられるかわからない。非常に不安定だと思う。
・デザインというのをよく分析してみると、芸術家でなくてもデザインはできるという結論に達した。なぜかといえば、デザインは1つの流行である。流行のいちばんのねらいは、過去も悪くていい、未来も悪くていい、いまよければいいのが流行である。
<目次>
序によせて
第1部 スピードに生きる
ただ一筋に
腕白時代のあれこれ
学校休んで飛行機見物
地蔵様の鼻を打ち落とす
ガソリンの匂いに魅せられる
憧れの東京へ
金モールのついた作業衣
震災に感謝する
消防自動車を組み立てる
独立開店の第一歩
前進を決意
東海精機を設立
学問の意義を痛感する
翼増産に尽くす
奇跡的に命を拾う
終戦を迎える
研究所を設立
モーターバイクで当てる
藍綬褒章をうける
見果てぬ夢を追って
第2部 経営とアイデア
わが社の生き方
アイデアを尊重する
パイオニア精神を生かせ
技術と個性
120%の良品
私の経営哲学
工場経営について
資本とアイデア
製品に対する親切
本田ズバリ
人事方針について
オートバイの将来
人間を研究せよ
経営者の体質改善
自戒-工業的道徳心について
第3部 私の生き方・考え方
製品の美と芸術
贅沢品
寄生虫の話
夢を食う話
二宮尊徳は古い
総理大臣に希む
悪妻・良妻
実戦的勉強法
おびんずる式処世法
太陽族とカミナリ族
大衆をつかまえる技術
所得倍増について
文化人論
新デザイン学
解説 前間孝則
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<今日の独り言>
ついに念願の小田急ロマンスカーの先頭座席に座りました!旧型・新型両方に乗りました!さすがに見晴らしが良くて気分が良かったです!! 2歳7ヶ月の息子は新型VSE弁当箱にも大喜びです!
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時代を感じる内容も一部ありますが、現在にも通じる考えも随所にちりばめられていて、とても面白く書かれています。
仕事だけでなく、遊びも一流だったんだなぁと思いました。とてもお勧めな本です。
以下は、その面白かった一部抜粋です。
・明治39年(1906年)、浜松市に近い、磐田郡光明村(現在の静岡県天竜市)の鍛冶屋のせがれに生まれた私は、鉄をうつ鎚の音を子守唄に育った。今日になっても、騒音のなかに生きている私だが、私には、けたましい音が身についている。その音が私にぴったりしたものなのだろう。
・高等小学校卒業後、自動車修理工としての修行を経て、1928年(昭和3年)、浜松市にアート商会浜松支店を開く。1937年東海精機工業を設立、終戦翌年の1946年に本田技術研究所を創設して二輪車の製造を開始、1948年には本田技研工業を設立、社長となる。
・「修理は、しょせん修理にすぎない。経験さえ積めばだれにでもできる仕事だ。だから、これに一生を費やすのは実にばかげている。人間と生まれて生きている限り、どうせやるなら自分の手で何かをこしらえよう。工夫し考案し、そして社会の役立つものをつくるべきであろう。他人様の製作したものを修繕するなどといういわば人の尻馬に乗った商売なんか、犬に食われえしまえ。そうだ、自分のこの手で何かをつくってやろう。一歩前進してみようじゃないか・・・・・」
・私のスピードへの憧れは、すでに少年時代からはじまっている。暇を見て自分でつくり上げたエンジンを使って競争用の自動車を組み立てたことがある。多摩川べりで開催されていたレースに出場し優勝はしなかったが、そのときのスピードに託した自分の情熱と興奮が忘れられず、以来自動車競走があるたびに、日本の各地へでかけるようになった。ときには優勝の栄をかちえたこともあった。昭和11年7月、私が31歳のとき、競走で事故に遭う。私の負傷は、顔の左半面をぶっつぶし、左腕を肩のつけ根から抜き、手首を折っていた。弟は4本の肋骨を折った重傷だった。別に生命に別状のなかったことは幸運だったが、「人間は容易に死にはしないものだな」と変に感心させられた。
・戦時中軍が使用していた通信機の小型エンジンを買い集め、それを自転車につけて走った。するとそれが好評で売ってくれという希望者が続出した。買い集めた小型エンジンもすっかりなくなってしまったので、改めて本格的に自家製のエンジンをつくることに決心した。自分が乗るためで・・・・人に売るためにつくったんじゃない。自分が遊びに行きたいために、そのころ尺八をやっていたから、ぶらぶら遊びに行きたいためであった。何しろタンクなんか最初はないから、湯たんぽにパイプをつけてタンクの代用にするとかないものづくしの時代だからお粗末なものであった。それが結構交通機関として立派に役立ったんだから、いま考えれば面白いようなものである。
・昭和27年(1952年)私は過去における150に余る発明工夫の特許に対して、「藍綬褒章」を授与された。しかし、考えてみれば、生きるために自分の好きなことに終始しただけで、まだこれといった貢献もしていないのに---とあつかましい私もいささか面映い思いだったが、ありがたくいただくことにした。高松宮殿下が年少者であった私に目をとめられ、「発明工夫というのは、ずいぶんと苦しいことでしょうね。私にはわからないが・・・・」とねんごろな言葉をかけられた。そこで私はわかりやすくと思い、「全く恋愛と同じです」とおこたえした。「苦しいといえば苦しい、楽しいと申せば、またこれほど楽しいものはありません。・」殿下は妙な表情を示された。私は家へ帰ってからこの話を妻にすると、彼女はさも当然だという顔つきで、「殿下に恋愛の苦労なんて、それは・・・」といいかけたが、急に真顔になって、「あなたはまたどこかで、そんな苦労を・・・・」---私はヤブをつっついて蛇を出した結果をまねき、弁明に汗をかいた。
・わが社運営の基本方針は以下のとおり。
1 人間完成の場たらしめること
2 視野を世界に拡げること
3 理論尊重の上に立つこと
4 完全な調和と律動の中で生産すること
5 仕事と生産を優先すること
6 常に正義を味方とすること
・人事方針は以下のとおり。
1 常に適正な給与が支払われるよう努力すること
2 適正な作業条件と安全な作業環境を維持すること
3 雇用を常に規制すること
4 適材を適所に配置すること
5 各従業員には、勉強しさえすれば昇進の道はいくらでも開かれていることを知らせておくこと
6 監督者は従業員の私的な相談にも応じてやること
7 倹約をすすめ無駄を排除すること
8 社会的、体育的、厚生的な活動に協力すること
9 幹部と自由に論議する権利を与えること
10 日常の業務に信頼と友愛の精神をみなぎらせること
・田舎へ工場をつくるのは、給料が低いからあそこへつくりたいという考え方で工場をつくる人があるが、給料が低い、そうすれば製品が安くできる・・・・こんな危険なことはないと思う。それは搾取以外のなにものでもない。搾取の根性、植民地政策の見下げた根性である。高い給料を払っても立派に儲けている商売というのはいちばん安定していることである。給料が低いということは、いつやめられるかわからない。非常に不安定だと思う。
・デザインというのをよく分析してみると、芸術家でなくてもデザインはできるという結論に達した。なぜかといえば、デザインは1つの流行である。流行のいちばんのねらいは、過去も悪くていい、未来も悪くていい、いまよければいいのが流行である。
<目次>
序によせて
第1部 スピードに生きる
ただ一筋に
腕白時代のあれこれ
学校休んで飛行機見物
地蔵様の鼻を打ち落とす
ガソリンの匂いに魅せられる
憧れの東京へ
金モールのついた作業衣
震災に感謝する
消防自動車を組み立てる
独立開店の第一歩
前進を決意
東海精機を設立
学問の意義を痛感する
翼増産に尽くす
奇跡的に命を拾う
終戦を迎える
研究所を設立
モーターバイクで当てる
藍綬褒章をうける
見果てぬ夢を追って
第2部 経営とアイデア
わが社の生き方
アイデアを尊重する
パイオニア精神を生かせ
技術と個性
120%の良品
私の経営哲学
工場経営について
資本とアイデア
製品に対する親切
本田ズバリ
人事方針について
オートバイの将来
人間を研究せよ
経営者の体質改善
自戒-工業的道徳心について
第3部 私の生き方・考え方
製品の美と芸術
贅沢品
寄生虫の話
夢を食う話
二宮尊徳は古い
総理大臣に希む
悪妻・良妻
実戦的勉強法
おびんずる式処世法
太陽族とカミナリ族
大衆をつかまえる技術
所得倍増について
文化人論
新デザイン学
解説 前間孝則
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<今日の独り言>
ついに念願の小田急ロマンスカーの先頭座席に座りました!旧型・新型両方に乗りました!さすがに見晴らしが良くて気分が良かったです!! 2歳7ヶ月の息子は新型VSE弁当箱にも大喜びです!