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「機嫌よく暮らす 桂子師匠90歳、元気の秘密(内海桂子)」という本はとてもオススメ!

2014年03月28日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

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 「機嫌よく暮らす 桂子師匠90歳、元気の秘密」という本は、漫才師で、平成元年に紫綬褒章、平成7年には勲四等宝冠章を受賞した内海桂子さんが著者で、その90歳でも元気に生きる秘訣についてとても読みやすく分かりやすく書かれたものです。
 具体的には、ウォーキングや姿勢などの健康法や、仕事への取り組み方や絵画の趣味、恋愛や結婚などについて楽しく書かれています。

 特に、長生きには姿勢が大切なこと、芸は身を助ける、仕事はいわれたことをこなすだけではダメ、新しいことをするのに躊躇しない、バランス良い食事が必要には共感を覚えましたね。

 また、仕事や趣味をずっと続けることも健康の秘訣だと思います。

 「機嫌よく暮らす 桂子師匠90歳、元気の秘密」という本は、元気に長生きできる秘訣が満載で、とても読みやすく、とてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・背中が丸くなると、目線が下を向くでしょう。そうすると、気持ちまで縮こまります。いくつになっても背筋を伸ばして、前を見て歩きたいものです。背筋を伸ばす方法は、難しくありません。やるのも、気が向いたときでかまいません。柱や壁に、まず背中をつけます。続いて、頭、肩、お尻、かかとをつけていくのです。全部がついた姿勢で、30秒間がんばって立ち続けましょう。私は、仕事や散歩から帰ってくると、必ずお茶の間の柱に背中をつけます。「家に帰ったら柱」と習慣づければ、なんてことありません。手荒い・うがいと同じです。

・年を取るにつれて健康を気にして、健康食品やら栄養剤やらをたくさん飲んでいる人がいます。素人考えですが、むしろ必要ないものは体の中に入れないほうがいいと、私は思っています。今が健康なら、なおさらです。私は、薬をほとんど飲みません。家にある常備薬は百草丸と正露丸だけ。百草丸は食べ過ぎの薬、正露丸はおなかをこわしたときの薬ですから、一年に一度飲むか飲まないかです。このくらいのほうが、本当に薬を飲まなきゃいけないときによく効きます。88歳の夏に、肺炎で入院したときに治りが早かったのも、ふだん薬を飲まなかったからだと思っています。

・犯人は、耳あかでした。私はいわゆる「アメ耳」で、ベタベタした耳あかがたまります。よかれと思って、毎晩綿棒で耳掃除しているのですが、かえって耳あかを奥に押し込んでいたのです。それが固まって耳栓になり、聞こえが悪くなるということでした。

・歯についてもほめられますが、朝晩の歯磨き以外、特別なことはしていません。強いていえば、朝から晩まで飲んでいる緑茶の効果でしょうか。洋食屋さんのカツサンドや、浅草の仲見世で焼いているおせんべいは、噛み心地もごちそうえす。ずっと自分の歯で食べ続けたいと思います。朝食が遅いので、お昼は食べませんが、午後3時ごろおやつを食べます。私が好きそうなものを選んで、亭主が出してくれます。最近、私たちの間でブームなのが、トーストとコーヒーです。食パンは市販のものを焼いただけですが、コーヒーは亭主で豆からひいて淹れてくれます。手間をかけて丁寧にこしらえたものは、やはりおいしい。7時頃に食べる夕食は、おかずが10品ほど並びます。家庭の食膳にしては皿数が多いと思いますが、亭主いわく、栄養のバランスを考えた結果だそうです。

・シャンパンも好きです。年に一度の特別な日(何の日かは秘密です)に、銀座の資生堂パーラーに行き、二人でシャンパンを一本飲みます。資生堂パーラーでは、最後にカレーライスを二種類頼んで、半分半分していただきます。どんな立派なレストランに入っても、コース料理は頼みません。自分がほんとうに食べたいものだけを注文します。贅沢なようですが、食べたいものを選んで楽しむほうが、誠実だと思います。

・80年も働き続けて、「お金は働いて稼ぐもの」という感覚が染みついているので、年金とか手当とか、私にはどうもしっくりきません。とはいえ、いただけるものはありがたいので、年金はせっせと貯金しています。「頭と体を使うと銭になる」を信条に、今まで働いてきました。といいましても、頭だけ動かして口ばっかりでは、お金になりません。そんな偉そうな人に、だれもお金を払いたくはないでしょう。体だけ使って働くのも、一時的にはお金になるかもしれませんが、長続きしません。頭と体の両方を使うことが大事です。戦後すぐのころは漫才の仕事がなく、どうしようかと考えていたとき、いとこが「団子を作ったが売れない。硬くなっちゃうから、なんとかして」と相談に来ました。みんな食うや食わずの時代です。団子なんて嗜好品は売れません。そこで私は気づきました。「高価でも、おいしければ売れる場所」があります。吉原の遊郭です。日本中が貧しくても、吉原のお姉さんたちは小金を持っているはず。そして米粉で作った団子を気に入ってくれるはずと踏んだのです。案の定、お姉さんたちが5本10本と買ってくれました。お客さんがいっしょのときは、もっと売れたのです。団子を売りながら、のり巻きを売ることを思いつきました。午前中に団子を売ったら家に帰り、ご飯を炊いてのり巻きを作りました。お姉さんたちがおなかをすかせる夜10時ごろを見計らって売りに行くと、これもまた思惑どおり、作った分だけ売れました。考えなしに売ろうとしても、売れません。また、いいことを思いついても、自分で体を使ってすぐ実行しなければ、商機を逸してしまったでしょう。

・夕刻になると、坊ちゃんの世話役から解放され、私も自由な時間がもらえました。でも、店の忙しいときには出前を手伝ったり、お座敷に上がったお客さまの下駄をきれいにふいてそろえたり、鼻緒を直したりと、できるだけ気を利かせて働きました。すると、それに気づいたお客さまが、よく釣り銭をくださいました。かけそばが7銭だったので、10銭硬貨でお釣りが3銭、それを私に「取っときな」とくれるのです。これもコツコツ貯めたので、けっこうな額になりました。奉公から戻った私に、母が「これから生きていくために、三味線と踊りを習っときな」といいました。この言葉が、私の人生を決めました。すぐに、近所に住む三味線と踊りのお師匠さんの家に通い始めましたが、月謝を払うのは私です。鼻緒屋さんで、下駄や草履の前坪を糸で留める仕事をして、1円50銭の月謝を払いました。このとき、三味線と踊りを身につけたことで、芸人として今までやってこられたのです。今、踊っている「奴さん」も、このとき習ったものです。16歳のとき、「夫婦漫才の女房がお産で、その代わりを捜している」ということで、私のところに話が来ました。「あの子は、三味線も踊りもできるよ。よく気がつく子だよ」と推してくれる人がいたようです。そのときは、義理の父が「娘を芸人にする気はない」と突っぱねました。でも、相手の真剣さと、月給35円(たぶん今の35万円くらい)の条件を出され、なんとなく「引き受けようか」という雰囲気になりました。私自身は、それまで仕事として漫才をやったことはありませんでしたが、「あの子なら」と名指ししてくれたのだから、「やりたい。やらせてください」という気になっていました。思い返すと、「仕事をいただけるのはありがたい」という気持ちは、あのころから常にありました。できるかできないかは、わかりません。でも、「お願いするよ」といわれたら、やるしかない。それは今も同じです。

・仕事がないときには、目を皿のようにして仕事を探さなくちゃいけません。そして、仕事が見つかったら、お客様や雇い主にいわれたことをこなすだけではだめです。特に、サービス業はね。相手が喜ぶことを考えて、動くことが大事。「給料以上の仕事はしない」なんていっていたら、次の仕事につながりません。そして、仕事が順調なときも、「この景気はいつまで続くか」「じゃまする人はいないか」ということを、常に見ていました。完全にだめになってから、次を探しても遅いのです。走り続けながらも、周りへの目配りを怠ってはいけません。私の勤めたところは、一階がキャバレー、二階は日本料理を出して結婚式もできるお座敷がある、大きなお店でした。お客さまは会社のトップや、大きなお店のだんな衆など、そうそうある顔ぶれでした。そこで私は、三味線を弾いて歌ったり踊ったりしました。三味線を弾ける女性は私だけだったので、重宝されました。ここでも、芸に身を助けられたのです。

・バンドの音楽に合わせて、ジルバやタンゴなんかも踊りました。これも、日本舞踊が身についていたので、体が自然に動きました。3ヶ月後には、お店の売れっ子ホステスになっていました。私の芸名「桂子」は、このときのお店のマネージャーが「芸能界でナンバーワンになる名前」といってつけてくれたものです。本名は良子といいます。また、お客さまで来ていた材木屋の若だんなが「桂子の桂は月桂冠の桂。冠になるんだよ」といってくれたことが心に残っていて、ずっと桂子を名乗り続けています。

・人の漫才も漫然と眺めるのおではなく、「こうすればもっとおもしろいのに」「私ならこうする」なんて考えながら観察していました。「人の仕事ぶりを見て学ぶ」。これは、どんな仕事に就いてもいえることでしょう。「くだらないことでも、笑いを取ればいい」と思っている若手芸人もいますが、そうじゃない。本当のことをいわないと、お客さまは笑いません。そのときの地球の動きぐあいをつかまえてやらなけりゃ、だめなんです。世の中は常に動いています。時事問題や世界情勢をよく知っていなければ、漫才はできません。逆にいえば、世の中が動いているから、ネタは尽きません。だから新聞やニュースは毎日チェックしています。

・漫才は、「萬歳」という平安時代の芸能が発祥といわれます。萬歳は、正月に家々を回って、門前や玄関先で新年を言祝ぐ歌舞でした。人を楽しい気持ちにさせて、祝儀を得るものだったのです。その気構えは今も変わりません。

・思い返すと、私の人生で、自分から「やらせて!」といって取りにいった仕事は、ほとんどありません。「桂子さんに頼もう」「師匠にお願いすれば大丈夫」というふうに、名指しの仕事をいただいてきました。これまで基本的に仕事は断らなかったし、初めての分野でも自分で工夫してやり遂げる努力をしてきました。仕事に取り組んだら、自分ができることを精一杯やる。どの努力が評価されて、次の仕事につながったのだと思います。

・私は、新しいことを始めることに、あまり躊躇しません。ケチな性分も手伝って、「食わず嫌いはもったいない」と思っているからです。勧められれば一応やってみるし、求められれば断らずにやります。やってみて嫌だったら、次から断ればいいのです。やらなければ、よしあしの判断がつきません。

・ファンのかたからサインを求められたときには、その場で夫婦達磨を描いてサインを添えます。そのために、本墨と薄墨と朱の筆ペンをいつも持ち歩いています。手慣れているとはいえ、達磨を描いて、私の口紅を使ってほおに紅を入れて仕上げるまでには、けっこう時間がかかります。ですから、「ちょっとサインを」といわれて、30枚も色紙を持ってこられると、帰りの電車に乗り遅れてしまいます。ほどほどにお願いします。

・熊本という土地は、日本の伝統を大事にするところだそうです。東京で子供に日本舞踊を習わせる親は、そう多くないでしょう。熊本では、日本舞踊のお教室がいくつもあります。踊りを習った子たちが修業を重ねて大人にんって、弟子を取り、教室を開く。そういう研鑽を推奨している土地柄だそうです。東京は、日本の流行の最先端だとか、文化の発信地だとか自認しています。でも、熊本で人と触れあって、話を聞いて、東京にはもっと、伝統を真剣につないでいく努力が必要だと感じました。

・すぐ「できません」「無理です」という人が多いけれど、そんなこと簡単に口にしちゃいけません。本当に無理なことなんて、めったにないはずです。やる前から決めるのは「食わず嫌い」といっしょ。「やらず嫌い」はだめですよ。また、子どものことから「早く早く」と育てられたせいでしょうか。今の人は、すぐに結果を出して、一人前になりたがりますね。でも、下積みや修行がなければ、肩書きだけ立派になっても意味がありません。

・働くのに、本来、男も女もないと思います。家庭の中で、「男が外で働き、女が家を守る」という役割分担をするのはかまわないでしょう。でも、不景気で亭主の稼ぎが減ってきて、それをぼやいたり、夫婦仲が悪くなったりするくらいなら、女房が銭をかせげばいい。「スーパーのレジ打ちなんて」「パートは嫌」「朝早いのは苦手」なんていっているうちはだめです。金を稼ぐのは、そんな甘いもんじゃない。つらいこともあれば、嫌なこともある。あたりまえです。「楽してお金をもうけよう」というのは論外。働くなら「仕事をいただけて、ありがたい」と感謝するべきです。それと、勘違いしている人が多いのですが、「金を稼ぐ」のは別に偉いことじゃありません。働くことができるのは、仕事をくださるかたがあり、家族の協力があり、子どもを見てくれる人や施設があるからです。私も、亭主であるマネージャーが仕事の調整をし、家のことをやってくれるから、90歳になっても働けるんです。この実態を認識しているから、すなおに「ありがとう」といえます。お金を稼ぐには、頭と体を働かせることが大事です。私は、働き始めた十歳のころから、人に指図される前に動くようにしています。いわれたとおりにしか動けないんじゃ、機械と変わりません。何をすれば周りが助かるか、喜んでくれるかを考えて行動することです。自分のことは二の次で、まず相手の気持ちを考える。それが、自分への評価になって返ってきます。

・彼は料理人じゃないし、しかも毎日のことですから、ごくありふれた食事です。でも、おいしくて栄養のある物を私に食べさせたい、という気持ちが伝わってきました。「酒ばかり飲んで、満足な食事をしないのでは」という心配もあったようです。私も、彼と一緒だと、何でもおいしく食べることができました。さらに、一緒に住むようになって、彼の人柄についてわかったことが、いくつかあります。まず、一度決めたことはずっと続ける人だということ。そして、私の健康、仕事、生活全般を、本当に気にかけてくれているということ。それがはっきりした時点で、「この人とだったら、ずっと暮らしても問題なし」と腹が決まりました。このときの私の直感は、間違っていませんでした。あの人は今も、私の体と仕事を大切にしてくれています。

・どんなに惚れて惚れられて一緒になったとしても、長年夫婦をやっていれば腹の立つこともあります。文句をいうのも、けんかするのも、夫婦なら当たり前です。気分のわるいときは、「何いってんのよ。それはどういう意味よ」なんて食ってかかることもあります。でも、どんなに大声でどなっても、落ち着いてからは話せばお互い納得できるので、別れたいと思ったことは一度もありません。けんかというのも、要は話し合いです。口げんかはいいけれど、ののしり合いになったらいけません。この違いがわかっていないと、こじれます。

・夫婦はもともと赤の他人です。血のつながりのない者どうしが、だれに頼まれたわけでもなく一緒にいるのですから、自分たちでうまくやる努力をしなきゃいけません。色恋なんて、何年かすれば冷めてしまいます。そのあとは、料簡が大事です。

・世間の人たちは、いいたいことを我慢しているから、最後に大爆発するんじゃないでしょうか。腹が立ったときには、私たちみたいに、自分の意見を最後までいったほうがいいですよ。互いに腹に一物持ったままじゃ、笑って暮らせません。

・一番大事なのが、言葉遣いです。言葉はその人の生活の中から出てくるものですから、言葉ひとつで、人間がわかります。「お先に」というひとことで、テレビドラマの仕事をいただいたことがありました。NHKでの仕事を終え、エレベーターに乗ったときのことです。ごく自然に「お先に」といって降りました。知っている人が乗っていたわけではありません。でも、私にとっては普通の挨拶です。そのとき、私は気づかなかったのですが、深町幸男監督が後ろに乗っていらしたのです。その深町監督に、「さりげなく、こんな言葉が出る人は貴重です。ぜひ私のドラマに出演してください」といっていただきました。そして、NHKのドラマ人間模様「血族」に出演することになったのです。

・私にとって、言葉は商売道具でもあります。周りから好感を持たれるような笑いも、言葉ひとつで決まります。見た目の器量は変えられませんが、言葉遣いはいくらでも美しくできます。最初は、相手の気持ちを逸らさないしゃべり方を心がけます。話が途切れないように、相手に合わせて言葉をつないでいくと、心もつながっていくのです。そのためには、相手が「そうそう」といってくれて、話が続く話し方を工夫する必要があります。いろんな言葉や表現を知らないといけない。それも勉強ですよ。言い方も大事です。同じ「やめなさいよ」というにしても、声の大きさや抑揚、顔の表情や手の位置で、印象がまったく変わります。このあたりの機微は、キャバレーで働いていたときの客あしらいの経験が役立っています。

・私が乳飲み子だったときに、実父が姿を消し、貧しさの中で母のお乳が出なくなりました。そのとき、子どもを産んだばかりの近所のおかみさんが、お乳を分けてくれたそうです。もらい乳ができなくなると、今度は近くの牧場のご主人が、牛乳をただで届けてくれたといいます。栄養失調のために私の両目が見えなくなったときも、母の二番目の連れ合いが病院に連れていってくれたおかげで、失明せずにすみました。そんな話を聞くと、「私の命は、私一人のものではない」という思いが強くなります。「親にもらった大事な体を粗末にするな」といいますが、親だけじゃなく、いろんな人の手助けがあって、今の私がいるのです。

・「意地っ張り」なんて、普通は悪口のときに使いますが、私はけっこう好きな言葉です。「いいわけをしない」「楽なほうに流れない」「頼まれごとを断らない」。そんな意地の積み重ね、意地っ張り根性が、今の私をつくっています。私は生まれたときからずっと、意地っ張りを通してきました。これからもそうします。

・今日もちゃんと目が覚めて、温かいお茶を飲んで、朝ご飯をしっかりいただいて、自分の足で舞台に立って、お客さまとお目にかかれて、晩酌を(たった一合だけど)楽しめて、ああ本当にいい一日でした。私はずっと、こんなふうに暮らしてきました。多くを望んだこともなく、贅沢をしたこともありません。ただ、目の前のことを一生懸命やるだけで精一杯でした。「生きるとは、そういうもの」とずっと思ってきたので、つい自分を基準にして、若い人に厳しくなることもあります。でもね、意地悪じゃないのよ。「年を取る」って悪いことばかりじゃなくて、いいこともあります。私くらいの年になると、若いすてきな男性に抱きついても嫌な顔をされません。若いころより、簡単にイケメンと仲良くなれる。それだけでもウキウキします。ですから最近は、「年を重ねることは、楽しみが増えること」だと思うようになりました。それと同時に、「歴史をつなぐ責任」も自覚しています。

・姿勢が前かがみになると、バランスを取るためにひざが曲がって、ひざ痛や腰痛の原因となります。歩くことの健康効果はよく知られていますが、その前に姿勢をよくすることが大切なのです。背中が丸くなる原因には、背骨の圧迫骨折や、椎間板のすりへりなどのほか、「骨や椎間板に異常はないのに、背中が丸くなっている」という人も少なくありません。若い人のねこ背や、背筋の弱った高齢者はこのケースです。ねこ背や円背を一気に治す方法はありません。毎日少しずつ背中を伸ばし、筋肉と関節に癖をつけることが一番の近道です。ですから、師匠が「帰宅時に背中を柱につける」という習慣は理にかなっていまs。また、師匠の歩行は、「いい姿勢」を意識してひざを伸ばし、下半身全体を使っています。このように歩いていれば、関節痛や転倒、ケガを予防できるでしょう。歩行動作には、筋力のほかに、バランス能力が不可欠です。姿勢を制御し、スムーズに足を運ぶために、神経機能がフル稼働します。神経も筋肉と同様、一気にではなく、毎日少しずつ使うことで鍛えられます。つまり、月に一回長距離を歩くのではなく、短い距離でも毎日歩くほうがいいのです。さらに桂子師匠は、布団の上げ下ろしもしています。筋力を鍛えるよい運動ですが、不慣れな人が師匠のように勢いをつけて突然始めると危険です。ぞうきんがけや草むしりでも足腰を鍛えられます。できることから始めてください。運動器の健康維持には、食事も大切です。魚や肉、牛乳、卵などの動物性たんぱく質と、カルシウムをとりましょう。師匠の食卓は品数が多く、残さず食べることでバランスよく栄養がとれています。ご夫君が勉強なさっているのですね。緑茶も、師匠の若さの一因でしょう。緑茶に含まれるカテキンには、老化の元凶を除去する抗酸化作用があり、これも「たまに大量摂取」ではなく「毎日少しずつとる」ことで効果が得られます。トイレのたびに緑茶を飲むのも正解です。水分摂取は、脳梗塞の予防や、体内の老廃物を効率的に排出することにもつながります。「出したら補給」のひとことでいいきって実践している師匠は、やはりすごい人です。「仕事や趣味を持つ人は元気で若々しい」というのは医学的な根拠があり、高齢者の継続的な社会参加は。健康長寿の延伸に重要と考えられています。さらに、認知機能が軽度低下した高齢者に、6ヶ月間の運動プログラムに参加してもらったところ、認知機能のスコアや短期記憶が改善したという報告もされています。積極的に人と接して体を動かすことで、認知症の予防にもなるわけです。


<目次>
はじめに
第1章 足じゃないのよ、腰で歩くの~体の健康について~
 朝イチのモンローウォークで足腰をほぐします
 「できないこと」を教えず「できること」をやるだけです
 姿勢が悪いと体の外も中も老けていきます
 「元どおりになる」と思えばリハビリもうれしい
 乳ガンの手術でおっぱいの形がくずれたのは残念です
 1ヶ月の入院予定だったのに、たった5日で退院できました
 夜中に5回起きますが、「夜間頻尿」ではありません
 自己流の耳掃除で耳が聞こえなくなりました
 近所で迷子になりましたが、認知老人の徘徊ではありません
 23本ある自分の歯で、好きな物をおいしくいただきます
 のんびりテレビを見ていても、ついネタ探しをしてしまいます
第2章 新しいこと、おもしろいわよ~仕事や趣味について~
 自分の年なんて覚えておく必要はありません
 周りをよく見て動くと、どんどん仕事につながります
 ナイツとウッチャンナンチャンは私は師匠と呼んでくれます
 若手に「100年前の漫才を教えてやる」といってからみます
 吉永小百合さんや前田敦子ちゃんと共演しました
 八万人のお客さまに芸を見せるつもりでつぶやいています
 描くことで人さまとのご縁がつながっていきます
 東京は文化の発信地って本当かしら
 「金を稼ぐ」のは別に偉いことじゃありません
第3章 色恋忘れず、意地をなくさず~女性として妻として~
 「この人だったら」と思った決め手は食事でした
 元祖・年の差カップルにマスコミが大騒ぎでした
 「53歳で初婚の相手が77歳」とナイツがネタにしています
 一人でも生きていけるけど、二人だと幸せです
 けんかはいいけど、ののしり合いはだめ。その違いが大事
 「お先に」のひとことで見初められました
 高価な物は欲しくないけど、野暮な格好はしたくない
 金正日サングラスをかけて今日も毅然と街を歩きます
おわりに
桂子師匠の体と脳は、なぜ若いのか 伊奈病院整形外科部長 石橋英明

面白かった本まとめ(2013年下半期)

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