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宮城県・南三陸町で、復興支援ボランティアに参加しました!

2012年12月10日 01時00分00秒 | イベント・外出
<月曜はお勧めなおはなし>

 東日本大震災では2011年3月11日14:46にM9.0もの大地震が発生し、それに伴い宮城県・南三陸町には高さ26.1mも含め9波もの津波が襲い、何と5362世帯のうち3142世帯(56.7%)が全壊という甚大な被害を受け、804名(南三陸町の4.56%)の方が死者・行方不明とのことです。

 その大地震からすでに1年8ヶ月経過していますが、まだまだ復興にはボランティアの力が多数必要ということで、その復興支援ボランティアに参加してきました。

 なお、以前このブログでも紹介しましたが、宮城県の七ヶ浜町での震災復興支援ボランティア経験はあります。

 南三陸町のボランティアセンターは、ベイサイドアリーナという立派な施設の前にあります。近くには南三陸町役場もありました。ボランティアセンターは白い大きなテントにあります。

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↑ベイサイドアリーナ

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↑南三陸町役場

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↑ボランティアセンター

 南三陸町のボランティアセンターは2011年3月26日に発足し、2012年10月末までに92,528名もの人数が集まったとのことです。
 2011年8月のボランティア参加者が一番多く8304名集まり、次に多かったのは2012年3月の春休みで、6108名だったようです。
 時の経過と共にボランティア参加者が減少傾向にありますが、まだまだガレキ処理等が必要な場所がたくさんありますので、この南三陸町だけでなく、ぜひ皆様もボランティアに参加してみてはいかがでしょうか。物理的だけでなく精神的にもかなり喜ばれます。

 そのボランティアセンターへ8:15頃に到着し、それからリーダーに従って車で移動しました。

 車での移動途中には津波で破壊された車やJR気仙沼線、道路が見られ、それだけでもその脅威を感じますが、広い平野部には見渡す限りガレキしか残っていないのには、とても驚きました!
津波とはとても怖ろしいものですね。
 
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↑津波で破壊された車

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↑津波で破壊されたJR気仙沼線

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↑津波で破壊された道路

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↑津波破壊された平野部

我々が案内されたのは、気仙沼線の駅から奥に入ったところですが、こんなところにまで津波が押し寄せたとは驚きです。

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↑ボランティアの場所

 まずリーダーから涙ながらに、地元の方にとっては大切な家や家族など失い精神的に大きなショックを受けているが、ボランティア活動を受けて前向きに明るく生きる力をもらっていること等について説明を受けました。
 ボランティアは物理的だけでなく精神的な一助にもなるとは嬉しく思います。

 次に、作業説明がありました。
 まずは刈り取った草を数カ所に集め、そして可燃物・金属・コンクリートや瓦などの再生ガレキ、鉄筋コンクリート、アスファルト、ガラス等の割れ物、その他ガレキ、危険物(消火器・カセットボンベスプレー缶・バッテリー等)、お金の9つに分別することです。
 そして、家屋のコンクリート土台と木材を引きはがす作業をしました。しっかりボルト等で固定されていて引きはがすのが大変です。
 これらの作業の後に、重機で家屋のコンクリートを取り外して整地し、復興させるようです。
 9:00~12:00と、13:00~15:00に作業を行い、それぞれ間に2回、15分ほどの休憩がありましたね。
 途中雨が降り出し、レインコートを着たりするハプニングがありましたが、特にバール等を使って、家屋のコンクリート土台と木材を引きはがす作業が重労働でしたね。
 レインコートを着ていたこともあり、背中や足にかなりの汗をかき、後で冷たくなり大変でした。
しかしながら、たくさんの草やガレキ、木の柱などを集めることができ、復興支援の一助となり良かったと思います。
 海に浮かぶブイも流されてきていて、ガレキがたくさん集まりましたね。

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↑集めたガレキ

 二日目は、家屋のコンクリート土台がかなり土砂に埋まっているのが判明し、ひたすらツルハシやスコップで穴掘りをしました。
かなり重労働でしたが、すっかりきれいになり喜びもひとしおです。

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↑きれいになった家屋のコンクリート土台
 
 それから震災に関しては、現地の方から以下のことを伺いました。

・南三陸町は大地震により75cm地盤沈下して、沿岸部の復興が特に大変
・我々へのアドバイスとしては、大震災の備えとして3日分の食料は用意しておくこと。3日経てば自衛隊や米軍等が支援に来るため
・最初に支援物資としてきたのは秋田県の塩むすびで助かるが、3日ほどずっとこればかりを食べていたのでさすがに食べ飽きた。
・次に送られたのはジャムパンで3番目に送られたのはカップメン。そのカップメンが美味しくて、スープまで全部飲んでしまった。但し中国製のカップメンは味の嗜好が違うのかイマイチだった。
・タイと中国の水が送られてきたが、水質が違うせいか微妙に体に合わなかった。
・震災後は泥棒等がたくさん来た
・町長がテレビで窮状を訴えたので、他の町に比べるとたくさん支援物資やボランティアが集まったのは良かった
・海の幸は養殖がほとんどできなくなったので、酸素の量が増えて(?)、養殖の成長率が通常の2年から1年に短縮された。
・海の幸はセシウムもほとんど出ていないし問題ないが、風評被害で全く売れない。実は千葉や東京の方が放射能が多いのでは?
・津波では車で逃げては渋滞に巻き込まれるのでダメ
・震災の際は電話やインターネット、携帯電話はつながらなくなるので、携帯ラジオがあると状況を把握でき、安心するし備えたほうが良い。
・女性は生理用品がすぐなくなるのであらかじめ準備しておいたほうがよい
・太平洋側の地震はたいてい1~3月で、日本海側は7~9月に起きる傾向がある
・入院患者で床ズレ防止を敷いていた人はそれが浮き輪代わりになって助かった。車イスの方が比較的ダメだった
・芸能界等からは、EXILEや吉本興業のお笑い、山本リンダ、AKB、渡辺謙などが来た。相撲協会からは白鵬などからちゃんこ鍋が振る舞われ主に中学生に肉を食べさせた
・南三陸町ではソーラー発電のLED街灯(30万円)を44基購入し活躍している。パナソニック製は100万円と高価だった
・2013年3月31日まではボランティアを受け入れる予定
・義援金・寄付金は10億円集まり分配している。そのほか台湾やタイ7など外国からもあった。
・農業・漁業を復興したいが人手が足りない
・仮設住宅でアル中、引きこもりが出だした。幸いなことに自殺者はいない
・ノロウイルスが蔓延するので、公衆トイレでのトイレットペーパーの三角折りは止めたほうが良い
・電気が復活するのに1~2ヶ月、水道で3ヶ月かかった
・阪神淡路大震災は個人のボランティア元年だったが、今回の東日本大震災は企業のボランティア元年で、三菱商事やNTTドコモ、クロネコヤマトが頑張っていた
・復興住宅には約6割が老人、約4割が若者が入居する予定
・ボランティアに来れない方は、ぜひ東北産のものを買うか、東北地方で購入して頂くと、それが復興支援となる
・来年ビジネスホテルが建設予定なので是非観光にも来て海の幸を楽しんでほしい

 それから、南三陸さんさん商店街へ行ってみました。
周りは津波で流されガレキばかりの中ですが、きれいなプレハブで30店舗も集まる商店街です。

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↑商店街入口

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↑ショップリスト

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↑ショップ案内地図

 地元の海産物や肉、青果、パン、ケーキ、飲食店だけでなく、家電、整骨院、写真・スタジオ、理容室・美容室、文房具、化粧品、仏壇仏具も売っているのには驚きましたね。
 アツアツの豚汁や出来たてホタテフライ等を楽しみました。魚介類はさすがおいしいですね。

また、この商店街には津波前後等の大きな写真があり、改めて巨大津波の脅威を学びました。

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↑津波前の南三陸町

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↑津波後の南三陸町

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↑津波に襲われる



 まだまだ、東日本大震災の復興支援ボランティアは地域によっては必要とされていますので、ぜひみなさまも参加してはいかがでしょうか。

なお、1名年間300円の保険料からボランティア保険がありますので、ボランティアをする方はこの保険に加入するのが良いかと思います。



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