〈ばらまき〉
というのはあまり印象のいい言葉ではない。漢字に直すと、散蒔き、『広辞苑』をめくると、〈金銭を多くの人に(気前よくまたは少額ずつ)与えること〉だという。
この春の定額給付金などはばらまきの典型で、気前よくではあるが、国民一人当たり一万二千円、総額二兆円は決して少額ではなかった。
「天下の愚策だ」
と随分批判されたが、そう言われても仕方ないところがあった。節分の豆まきみたいで、知恵のある政策ではない。二兆円あれば、こんなことも、あんなことも、と野党はかっこうの標的にしたのだった。
ところで、各党のマニフェスト(政権公約)が出そろった。なかでも、政権交代が実現しそうな雰囲気とあって、民主党のマニフェストにもっとも熱い視線が注がれている。同党の看板政策は〈子ども手当〉だ。
こんどは与党側がばらまき批判に回っている。鳩山由紀夫代表は、
「自民党はふた言目には、民主党の政策を揶揄して、ばらまきだ、財源がないだろう、と指摘しているが、財源はある。無駄なものを切り捨てる。経済的な理由でお子さんが持てないのはおかしいでしょう」
などと反駁しているが、この発言、どのくらい説得力を持っているだろうか。特に最後の部分、〈子ども手当〉を支給すれば子どもが持てるようになるかのような主張、いまひとつしっくりこない。
民主党の〈子ども手当〉政策を点検してみよう。生まれてから中学卒業まで一人当たり月額二万六千円(年三十一万二千円)を支給するというもので、当初予定を一年前倒しして二〇一一年度から全額支給する。一〇年度は半額の一万三千円だという。
総額にして年間五・三兆円、定額給付金の三倍近い巨費が投入される。財源は無駄をカットの歳出改革、埋蔵金の活用、租税特別措置の見直しなどで捻出するそうだから、とりあえずそれを期待するとしよう。
しかし、肝心なことは、本当の意味の子育てとは何かという政策理念の問題で、民主党はそれに答えなければならない。一九九八年の結党以来、同党は扶養控除を廃止し〈子ども手当〉を創設すると唱え続けてきた。この一律支給の手当という考え方に落とし穴はないか。
親の側からみると、一人子どもを産めば、中学卒業までの十五年間に総額四百六十八万円の大金が手当として支給される勘定だ。民主党政権が続けば、の話だが。二人産めば、一千万円近くなる。
◇選挙を意識した大衆迎合的なばらまき政策か
この手当に親の側はどんな期待をかけるか、どう使うか、という観点から何人かの知人と話し合ってみた。一人(五十代男性、子ども一人)は、
「子どもをつくるかどうか迷っている夫婦に、産む決意をさせるほどの金額ではない。少子化対策にはなりえないのではないか。とはいえ、年に三十万円はありがたい。生活費の足しに消えるのだろう。逆に子どもがいない夫婦には不公平感が深まる恐れがある」
と言う。子づくり、子育てにはほとんど関係がないという説だ。
もう一人(七十代女性、子ども二人、孫一人)は、
「私たちの世代は、夫婦で協力して子どもを一人前に育て上げることに強い生甲斐を感じてきました。人様やお国に面倒をかけることなく、親の愛情で慈しむのが子育てと思っています。お金は大切ですが、子どものために手当をいただきたいなどと考えたことはありません。子育ては親の喜びであり責任ですから、育てるための必要経費は自分たちで用意する。当たり前です。権利意識の強いいまの若いご夫婦は違う考えかもしれませんが」
と手当不要論だ。子育てとは本来そういうものだろうと私も思う。外から手当するようなことでなく、もっと深い。
子どもの側の気持ちも、親としてはちょっとばかり気になる。定額給付金の時も、
「おれの分を前渡ししてくれ」
と親にせがむ子どもが相ついだ、という話をきいた。〈子ども手当〉でも、それなら小遣いを増やしてほしい、と求める子どもが出てきそうだ。手当の使い方をめぐって、親子が言い争うなんて図柄は見たくない。
さて、三人目(六十代男性、子ども三人、孫三人)の主張はこうだ。
「私は五人兄弟の末っ子で、親父は普通のサラリーマンでしたが、のんびりと平和な子ども時代を過ごすことができ感謝している。私もサラリーマンで、親にならい三人育てました。十分満足しているし、すべてオーケーです。
それぞれの家庭にそれぞれの親子関係がある。そこに一律に〈子ども手当〉なんて言われても、余計なお節介やかれているようでピンとこない。さも国に子育てについて思いやりがあるみたいな政策だけど、財源は税金でしょ。
選挙が近づくと、民主党だけでなくどの党も申し合わせたように子ども、子どもだ。子どもをエサに票を釣っている、と言えば言い過ぎかもしれないけど、そんな感じがありますね」
確かに、選挙を意識した大衆迎合的なばらまき政策というイメージはぬぐえない。子育てが抱える問題点を念入りに検証したすえ、〈子ども手当〉に行きついた、という感じではないのだ。
民主党の場合、岡田克也代表だった二〇〇五年の前回衆院選では、〈子ども手当〉が月一万六千円、総額三・二兆円とされていた。ところが、〇七年一月、衆院本会議の代表質問で、小沢一郎代表が突然、
「六兆円規模の〈子ども手当〉を創設する」
と打ち上げた。先に六兆円ありきだったらしい。そこから逆算して、一万円上乗せの二万六千円である。この年の夏の参院選で民主党が大勝できた理由の一つは、このふくらんだ〈子ども手当〉が三、四十代の中年女性に受けたから、という解説も聞いた。
子どもと選挙、あまりいいたちのポピュリズムではない。
<今週のひと言>
でかした、宮里藍さん。
(サンデー毎日 2009年8月16日号)
2009年8月5日
どうなんだろう?果たして国民はマニフェストを真面目に読んでいるんだろうか?ただ自分に利害得失がありそうなものだけは目に入るかもしれない。まだまだ今月末までこの議論が続くわけだ。代表の顔とマニフェストの目玉と相手の揚げ足とりだけで選挙をしないでほしい。みんな白けてますよ。
というのはあまり印象のいい言葉ではない。漢字に直すと、散蒔き、『広辞苑』をめくると、〈金銭を多くの人に(気前よくまたは少額ずつ)与えること〉だという。
この春の定額給付金などはばらまきの典型で、気前よくではあるが、国民一人当たり一万二千円、総額二兆円は決して少額ではなかった。
「天下の愚策だ」
と随分批判されたが、そう言われても仕方ないところがあった。節分の豆まきみたいで、知恵のある政策ではない。二兆円あれば、こんなことも、あんなことも、と野党はかっこうの標的にしたのだった。
ところで、各党のマニフェスト(政権公約)が出そろった。なかでも、政権交代が実現しそうな雰囲気とあって、民主党のマニフェストにもっとも熱い視線が注がれている。同党の看板政策は〈子ども手当〉だ。
こんどは与党側がばらまき批判に回っている。鳩山由紀夫代表は、
「自民党はふた言目には、民主党の政策を揶揄して、ばらまきだ、財源がないだろう、と指摘しているが、財源はある。無駄なものを切り捨てる。経済的な理由でお子さんが持てないのはおかしいでしょう」
などと反駁しているが、この発言、どのくらい説得力を持っているだろうか。特に最後の部分、〈子ども手当〉を支給すれば子どもが持てるようになるかのような主張、いまひとつしっくりこない。
民主党の〈子ども手当〉政策を点検してみよう。生まれてから中学卒業まで一人当たり月額二万六千円(年三十一万二千円)を支給するというもので、当初予定を一年前倒しして二〇一一年度から全額支給する。一〇年度は半額の一万三千円だという。
総額にして年間五・三兆円、定額給付金の三倍近い巨費が投入される。財源は無駄をカットの歳出改革、埋蔵金の活用、租税特別措置の見直しなどで捻出するそうだから、とりあえずそれを期待するとしよう。
しかし、肝心なことは、本当の意味の子育てとは何かという政策理念の問題で、民主党はそれに答えなければならない。一九九八年の結党以来、同党は扶養控除を廃止し〈子ども手当〉を創設すると唱え続けてきた。この一律支給の手当という考え方に落とし穴はないか。
親の側からみると、一人子どもを産めば、中学卒業までの十五年間に総額四百六十八万円の大金が手当として支給される勘定だ。民主党政権が続けば、の話だが。二人産めば、一千万円近くなる。
◇選挙を意識した大衆迎合的なばらまき政策か
この手当に親の側はどんな期待をかけるか、どう使うか、という観点から何人かの知人と話し合ってみた。一人(五十代男性、子ども一人)は、
「子どもをつくるかどうか迷っている夫婦に、産む決意をさせるほどの金額ではない。少子化対策にはなりえないのではないか。とはいえ、年に三十万円はありがたい。生活費の足しに消えるのだろう。逆に子どもがいない夫婦には不公平感が深まる恐れがある」
と言う。子づくり、子育てにはほとんど関係がないという説だ。
もう一人(七十代女性、子ども二人、孫一人)は、
「私たちの世代は、夫婦で協力して子どもを一人前に育て上げることに強い生甲斐を感じてきました。人様やお国に面倒をかけることなく、親の愛情で慈しむのが子育てと思っています。お金は大切ですが、子どものために手当をいただきたいなどと考えたことはありません。子育ては親の喜びであり責任ですから、育てるための必要経費は自分たちで用意する。当たり前です。権利意識の強いいまの若いご夫婦は違う考えかもしれませんが」
と手当不要論だ。子育てとは本来そういうものだろうと私も思う。外から手当するようなことでなく、もっと深い。
子どもの側の気持ちも、親としてはちょっとばかり気になる。定額給付金の時も、
「おれの分を前渡ししてくれ」
と親にせがむ子どもが相ついだ、という話をきいた。〈子ども手当〉でも、それなら小遣いを増やしてほしい、と求める子どもが出てきそうだ。手当の使い方をめぐって、親子が言い争うなんて図柄は見たくない。
さて、三人目(六十代男性、子ども三人、孫三人)の主張はこうだ。
「私は五人兄弟の末っ子で、親父は普通のサラリーマンでしたが、のんびりと平和な子ども時代を過ごすことができ感謝している。私もサラリーマンで、親にならい三人育てました。十分満足しているし、すべてオーケーです。
それぞれの家庭にそれぞれの親子関係がある。そこに一律に〈子ども手当〉なんて言われても、余計なお節介やかれているようでピンとこない。さも国に子育てについて思いやりがあるみたいな政策だけど、財源は税金でしょ。
選挙が近づくと、民主党だけでなくどの党も申し合わせたように子ども、子どもだ。子どもをエサに票を釣っている、と言えば言い過ぎかもしれないけど、そんな感じがありますね」
確かに、選挙を意識した大衆迎合的なばらまき政策というイメージはぬぐえない。子育てが抱える問題点を念入りに検証したすえ、〈子ども手当〉に行きついた、という感じではないのだ。
民主党の場合、岡田克也代表だった二〇〇五年の前回衆院選では、〈子ども手当〉が月一万六千円、総額三・二兆円とされていた。ところが、〇七年一月、衆院本会議の代表質問で、小沢一郎代表が突然、
「六兆円規模の〈子ども手当〉を創設する」
と打ち上げた。先に六兆円ありきだったらしい。そこから逆算して、一万円上乗せの二万六千円である。この年の夏の参院選で民主党が大勝できた理由の一つは、このふくらんだ〈子ども手当〉が三、四十代の中年女性に受けたから、という解説も聞いた。
子どもと選挙、あまりいいたちのポピュリズムではない。
<今週のひと言>
でかした、宮里藍さん。
(サンデー毎日 2009年8月16日号)
2009年8月5日
どうなんだろう?果たして国民はマニフェストを真面目に読んでいるんだろうか?ただ自分に利害得失がありそうなものだけは目に入るかもしれない。まだまだ今月末までこの議論が続くわけだ。代表の顔とマニフェストの目玉と相手の揚げ足とりだけで選挙をしないでほしい。みんな白けてますよ。