花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

スマホとガラケーと、お小遣い

2017-02-14 11:22:17 | Weblog

 

                         

札幌市の大通り駅の帰宅時間の風景は

ホームに立ち並ぶ電車を待つ人は

皆、スマホを観ている。

スマホとか、ガラケーとかが、ホ-ムの風景を

奇怪な人間模様にしてしまった。

皆、小さな画面を食い入るように観ている。

電車が来て、ドアが開いても、スマホを見ながら乗車する。

隣に、知人が居ても気が付かないだろう。

電車に乗ると、ひたすら画面を見ている、

車窓から何が見えようと、眼はスマホの上から、離れない。

スマホから、ダイナミックに地球の裏側と商談している人もおるだろう。

ゲームをやっている人、、、動画を観て笑っている人、

この小さな手のひらサイズに、

積み上げられた、個々の時間を、人々は、有効に、無駄に、楽しく、、、指で払う

文化革命が、手のひらから、地球の隅まで広がって、

扱い次第では、マイカーも要らなくなる。

都会の一等地の事務所も要らなくなる

大量の事務用の機械や、設備は粗大ごみと化す。

SNS、、、?

出会い系サイト?

さまざまな、不連続な繋がりが、

「出会い」「出逢い」「出遭い」「出合」の意味さえ変えてゆく。

メビウスの輪の表と裏が出逢える時代になったのかもしれない。

自宅の置き電話には、見知らぬ先から留守番電話にセールスが虚しい。

登録番号だけ、色分けで見分けて、電話に出る。

もしも、懐かしい小中学校の友人が、

電話帳で調べて、電話をくれたとしても、、、、

「おれおれ詐欺」と同じ扱いで、

電話には見知らぬ番号には出ないことになる。

携帯電話、のスマホ、ガラケーは、使い方によっては心を繋ぐ、

若者の貧乏は、「時間を奪われるスマホの出現」と

関係ありそうに思えます。

仮想画面にくぎ付けにされた数時間の積み上がりは

よほど上手に使わないと、

これからの若者は、「時は金なり」の呪文を唱え

強靭な意志で、スマホを使い切る修行をしないと、

依存心の塊のような、指のタッチが、脳みそを退化させ、

情操面や、人間らしい関わり合いを、

PCの、頭脳部分に先取りされて、

情報の海でおぼれてしまうかもしれません。

苦行する気持ちで、歩きスマホはもちろん、

自分の目で、あたりの空気を読める特性を失わないように、

この小さな島国の日本が、

未来永劫守られるように、

仮想世界に貢いでる時間を、失わないための

大きな工夫が要りそうですね。