花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

感染症の怖い拡散の過去から学ぶとき

2020-02-28 23:24:43 | Weblog

天然痘や疱瘡とと呼ばれて恐れられた病気は

小学校前に種痘という腕に植え付けられた、、

予防法を医学の神様だと思った時代が確かにあった。

コロナウイルスも、予防法がわかればネ、、、!

老人の罹患者に効果のある医療的な方法が見つかればね、、、

現状では、恐さを知ってる医療人の皆さんは、、、

結果が出るまで

見守っていることだと思います。

紀元前にエジプトからは天然痘で死んだことがわかるミイラが発見されている。

中学校の時には[法定伝染病]を書きなさいと、、、テストに出た。

昭和31年を過ぎていた

江戸川区にはドブがいっぱいで、、、蚊が湧いていた、

小岩、新小岩 平井、亀戸、、、両国、、、浅草と

そのあたりに高校の同級生が住んでいた。

高校時代にも流行り病の話はした。

古代にペストが有った☜、、、ほんと?

アテナイ(アテネ)と言ってた時代らしいよ?!

16世紀~17世紀にもペストが流行してるよね。

19世紀にも、、、ペストが流行している、、、

3世紀も間隔があいているのにね!

過去から、学とすれば、、、根絶は難しいみたいだね!?

天然痘が流行った時には、

赤ちゃんも腕に種痘して、、、膿んでいたよね!

種痘の跡がのこっちゃってさ~~~!

贅沢は言ってられないよネ。天然痘にかかったら,全身だからね!

 

1854年にロンドンでで、、、、コレラが流行った!

今と違って、、、テムズ川は汚染水だったそうですよね!

だから、、、井戸水には汚染水の中の菌やら微生物が入ったりして

井戸閉鎖したという記録が有るよ。

 

一方、、、華の都と言われているパリで、、、

1880年~1882年

なんと!チフスが流行しているよ!!!

発疹チフス

腸チフス

パラチフス

翌年のパリでは、、、なんとなんと、、、!!!コレラが流行しているよ!

この時のパリの対策はどのような事をしたのか!!!、、、

興味がありますよね!

翌年の1883年、、、

パリは「コレラ!」も追い打ちをかけているよ(@@!

 

これは、、「水が汚染されていると考えた!」

 

下水がパリの地下に張り巡らされて、排水だけではなく、汚水も合流させて

各家庭から直接本管の下水に送り込むという

「全排水下水道放流方式」にして、

各家庭に下水代金を集め始めたという、、、

「汚染水の対策という解決策」をした記録が有りますよね!

≪トウ、タ、レグ、ビラ≫

現在の札幌市の中心に近い所は皆、、、全排水下水道放流方式という、、、これでショウ?

「ナポレオン3世」が

パリの下水道を衛生的に網羅させたと、、、記録にはあるよね。

ところが、、、1892年

パリで、、、またまた、、、コレラが発生!

この記録を視ている限りにおいては、、、

根絶はありえないように思えてくるから、、、ネ!

汚水処理は、

「公衆衛生のレベル」で、完全に管理してもらわないと、

個人レベルではむりかな?

結核が流行ったのは、、、いずこの御国も記録が満載!

戦争が続いたり、、、クウデターが起きたりした時代は

食糧難が推測されるよね、、、!?

公衆も、個人も、街は破壊されて、衛生を守れない状態の時に

ダブルピンタのように、、、食糧難、、、栄養失調、、、免疫低下!

伝染病が街を走り、、、風邪の流行にも、、、人は負けてゆく。

体力低下からの、、、免疫低下、、、病気に負ける大きな原因。

2009年、、、新型インフルエンザ流行!

亜細亜風邪、、、スペイン風邪、、、新型インフルエンザ、、、出現。

2002年~2004年に騒がれた「SARS]。。。サーズが、、、

コロナウイルスと似ているかい?

2012年にはMERS]。。。マーズが追い打ちをかけてきた。

そして2019年!!!

目下、、、てんやわんやの、、、コロナウイルスの流行!

ウイルスは、生き残ってゆく間に、

微妙に変わりながら、はびこってゆくようなイメージですよね!

この間、個人的に戦うも、、、空しき結果が記録に見える。

行政は、、、どうやって、

対策に又は、予防に、手をつくしてくれたのだろうか?

 

伝染病法、、、ずばり感染症法へ変わっていく、、、

改正が加えられながら、、改正が続くので

感染症法改正統合が有りましたね、

文殊の知恵で社会がうごいています。

改正を統合するも、、、ウイルスはどんどん変わりながら感染症を人々の間に拡げてゆく。

人間社会も負けてはいられないから、、、

感染症法を改正に継ぐ改正の繰り返し。

あの手この手も、、、考えつくした、、、改正、、、又改正。

2014年には

「鳥インフルエンザH7N9」、、、ついに患者発生!

鳥は大量処分されて、、、卵をかえすところからやり直し。

公衆衛生のレベルで守ってくれることは、具体的に対策を実行してくれることが好もしい。

国民は学習している暇にウイルスが攻めてくるから

政治集団からのお願いには、、、国民も一丸となって、

ウイルスと闘うしか流行を止められない!

日本の公衆衛生は優れていると思うから、

汚染水も、街にあふれていないし

ゴミ箱設置も、ごみ処理もかなりなレベルであるから

塵芥が宙を舞う事も少ないと思う。

医療体制も、

ネットワークが素晴らしい日本!

医療体制は優れている。

ワクチンだって、各種あるし

公衆衛生の体制が出来たのは

1879年に中央衛生会が出来てから、明治19年に廃止になっている。

「ロックフェラー財団の援助」で昭和の初めに国立衛生院が出来ているという記録が有った。

私の母は国立音楽大学のピアノ科を卒業しているが、当時はまだ

クラシックの音符がめったにないという時代だけに

アメリカに在住していた実父にピアノを手配して手に入れたそうである。

現代のように、、、ヤマハではなくて、

蓋の量は市に装飾のあるドイツ製だったことが、古い写真からワカル。

アメリカに祖父が行ったり来たりの環境から、

ロックフェラーという名前は、

祖父母や、母から、疎開中の小学校の時に聴いていた。

日本の衛生面を支えてくれていた大きな存在の財団だったのですね!

感謝!!!

この間、、、日本の軍国の時代もあったりして

衛生委員」は選抜方法が変化していったような記述にも驚いた!

公衆衛生的な業務であっても、、、なんと???

「警察部に所属の歴史もあるんですね~~~!?」

 

戦争を体験した日本だけに

「上意下達」という、、、「超スピードで、感染をくい止める状況下」に

社会があったのでしょううか???

ともかく、、、感染症は理屈を並べている間に

バッタの大群のように

押し寄せてくるから、、、どこかで、

山火事をくい止めるように、

人を材木にするわけではないが、、、

燃え移らないゾーンをつくらないと、、、オーストラリアの火事のように

人から人に、、、0,005ミリのバッタが

飛び移ってくるというような、、、イメージですよ。

 

空気感染は0,005ミリの乾燥した病気の素が

バッタのように飛び移ってくるかと思うと、、、

感染症は、、、個人的な問題を大河の一滴のように、

押し流して、、行き着くところに行き着くから、、、コワイですよね。

 

中学校の時、、、覚えましたよね。。。

コレラ、、、発疹チフス、、、ペスト、、、日本脳炎、、、猩紅熱 ジフテリア、、、、

そのころは天然痘や、ハンセン病や、ポリオ、エボラ出血熱、マラリア、結核など

細菌も、ウイルスも、、、どれがどれだかわからないまま

テストの為に、、、丸暗記して、歌にして唱っていました。

しかし、、、ウイルスという観念が出てきてからは、、、

               (==!    微妙に、、、コワイですね。

何年かぶりで、、、医師の息子が里帰りした正月に

インフルエンザにかかっていた私は、、、肺炎に進行して、、、

息子は総合病院の救急に連れて行ってくれまして、

貴重な三元日を看病してくれまして、、、踏んだり蹴ったりの正月になりました。

 

あれから、10年以上たちますが、、、

それ以来、、、

息子は正月に来なくなりました。

これに懲りて、、、毎年、インフルエンザの予防接種を受けていますが、、、

確かに!!!効力が有りますね。

あれ以来、、、インフルエンザにはかかっていません。

今回は、、、「コロナウイルス」であり、、、「サーズ」とどこか類似点を感じますが、、、

今が大切な時だと思いますねで、、、

私は、、、外出はしません。

安倍首相も、、、日本の為を思うから、、、やむなく、、、

国民に「お願い」とおっしゃったのだと思いますが、、、

首相って、、、本当に、、、つらいですね、、、

忠ならんとすれば、、、考ならず、、、と言えばいいのか、、、

私たち76歳以上の老人は、、、コロナが治まり、、、もっと孫子の力になりたいですよ。

つらいことも多いと思いますが、、、国民を守ってください。

国民も頑張って、孤独な撲滅手段に全力をかけます。

助け合って、、、コロナウイルスを、、、抑え込みましょう!!

生きていたら、、、ラッキーな歳になりました。

結果が良ければ、、、又お会いしましょう。

書けるうちに、、、プログ日記書いておきました。

 

 

 


感染経路を絶つというスタンダードな家庭内の取り組み

2020-02-28 10:49:04 | Weblog

玄関に余病を併発しないために消毒薬を靴の高さに撒く

余病を併発しないように掃除した後、ガムテープで、細かいほこりをとる。

湿気の多い窓のあたりはカビの発生を防ぐためにも、最終仕上げはウエッティシュで仕上げる。

靴下は恋洗剤に漬けておく、

洗濯はむこう3週間の間は、肺炎流行沈滞化を目安に、毎日着替えてもらって洗う。

 

免疫を落とさないように、バランス食にして、体力をつける。

買ってきたタッパー入りの食材は電子レンジで熱を加える。

使ったまな板は熱湯をかけるか、ハイターで消毒する

マーケットに行くときはマスクをして、ウイルスカットのシートをつける

人から離れて買い物のできる午前中にする、

トイレは、ハイターと洗剤をこまめに撒き

ベンザを拭くシートを使う。

洗面所も、ハイターと洗剤の入ったスプレーで、使用後は殺菌する

ノロウイルスなど併発させないように

台所には、ハイターと洗剤の混合のスプレーをこまめに撒き排水溝にぬめりが出ないように、洗剤入りの湯をながす。

若い方なら、、エデンの園で、リンゴを食べないという事でしょうね、

3週間は少なくとも、不要な外出はしないという事で

之で、、感染症にはならないように、、、祈るのみです。

どこの店にも、アルコールを切らしている場合は

赤ちゃんのおしりふきなどでドアノブや、スイッチを拭く。

とりあえず、来客が持ち込んでこないように、、、、

我が家の玄関から、水際作戦のつもりで

消毒している毎日ですが、、、

一日も早く、、、穏やかな日常が戻ってくることを願っています。

外出もしません。

 

 


雪は天からの手紙。。。。。

2020-02-27 01:54:02 | Weblog

雪は天からの手紙、、、雪の研究で知られている 中谷宇吉郎先生の随筆集ですが、

雪を科学した目は、昭和の時代には、岩波の文庫本を読み感動したものでした。

雪を知らない南紀に生まれて、13歳まで、真冬でも薄いセーターで飛び回っていた。

山村に、急に人口が増えて、山村銀座になり、電気の無かった山奥に

ダムが出来て、電気がともりました。昭和28年ごろだったかな???

もともと東京に何百年も住んでいた父の先祖のお墓のある東京に帰ってきたのは

昭和30年になろうとしていた前後でした。

正月から2月の終わりにかけて、、、うっすらと雪が降ったのです。

そして、高校2年生の時、30センチほど積もる雪が東京にも降りました。

年子の兄と、私は、庭に出て、雪だるまをつくり、

初めてであった雪らしい雪に感動しました。

翌年、弟の受験の時には、大雪が降りました。

雪は魔法だと思ったのはこの時です。

ちょうど受験になって、龍口直太朗さんの英語の問題集が面白くて

試験勉強のような深刻さではなくて、、、読みふけっていました。

「雪は、魔法である、、、目の前の世界を、別の世界に変えてしまう。」

私なりの翻訳でした。

その時、、、先生の「雪の研究」の事を

父から聞きました。

早速、、、図書館で、人工雪と格闘する中谷宇吉郎先生の文庫本を買ってきました。

私的な南国育ちの私にとっては雪を視て驚く段階であって

雪を科学するなんて、あっち向いて,、、ホイ!に近い、、、

考えつかない視点でした。

受験雑誌の討論会のページに各校から一人参加することになり

たまたま時間の都合がついた私が雑誌社の学生討論会出席しました。

その時の記事の掲載月刊誌が無料で送られてきて、

扉や目次の背景が、北大のポプラ並木がカラー写真で写っていました。

高校3年生の時に、クラスメートと、北大を受けようという話になって

彼は現役で一発で北大理類に合格しました。

私はと言うと、、、願書も、飛行機も、、、、バカ呼ばわりされたうえで

こんこんと叱られて、取り上げられて受験の前段階で敗北しました。

中学校の時も、先生が教育大学附属と御茶ノ水附属高校受験の願書をくださいました。

田舎っぺの13歳までの疎開暮らしの基本がある私には

ピンと来ない学校だったものですから

兄と母に相談しました。

当時は、従業員も、居候も17人ぐらいの他人との同居家族で

我が家だけでも、6人の家族でした。

父は、疎開先から生まれ故郷の東京に初めての下町開業をしたときでした。

皆を養うのは大変なときでした。

兄は、、、母が神妙に視ている願書を横から引っこ抜きました。

神経症のような、厳しい目をして、

「お前は、、、毎日、、、御茶ノ水、地下鉄と、

東京横断の電車賃を使って高校進学するつもりなのか?

女が、受験校に行って研究者にでもなれると思っているのか?

隣に、都立高校があるだろう!」

 

私の見ている前で、、、願書を破いてしまいました。

「受けないのであれば、、、先生にお礼を言って、返却せねばいけないのに!」

私は、鬼のようなことを平気でする兄に、、、クッテカカリマシタ。

 

この事件の後は、、、私は、誰も頼らないと決心しました。

大學を卒業したとき、薬剤師と、高校と、中学校の物理化学の教員免許、

衛生検査技師、衛生管理者、、等の免許を取得して、

母に報告していた時、

長男が入ってきて、、、教員免許を破ろうとしました。

7年前の願書破り捨ての

鬼の兄貴の顔とは違っていましたが、

あの時と違うのは、、、母が、怒った事です。

「その免許を破って御覧なさい!!!、、、」すごいケンマクで制止してくれました。

兄は、一瞬!ビク!となって、、、振り返りながら、

捨て台詞を残して、去ってゆきました。

「免許書は、薬剤師の国家免許所一枚で沢山だ!、、、

椅子は一個で好いんんだ!!

ケツは一つしかないのに、、無駄だろう!」

。。。。。。。。。。。。。。。。

大学時代に父を亡くした私は、

家庭教師や、

英会話を駆使して神社仏閣の外人向け説明係や

西銀座ドラッグでの夜間売り子や

市場調査のデーター分析が主な卒論を選んで、アルバイトの時間を捻出していた。

それでも、兄から見ると、、、厄介者で、、、

短大を勧めたのに

4年制大学を選んだ、、、生意気な妹だったに違いありません。

昭和10年前後に生まれて、明治生まれの両親に育てられると

男尊女卑もはなはだしい教育を受けながらも、

日本復興の担い手である男性は、狭き門は大学だけではなくて

責任感で潰れそうな長男だった。

私が高校2年の頃、

未来の嫁さんになるという女性が、

両方の親の反対を押し切って同居していた。

。。。恋なのか。。。これが。。。

私には、全くわからない世界だった。

基本的に私は独身主義に近い根性だった。

男に対して、異性を感じなかった。

同級生とか、先輩に近い感情だったから、

理解できないことだらけだった。

自分で言うのもおかしいが、、、

男性側からすると、、、私は異性に見えるタイプだと

年子の兄貴は言っていた。

「お前は、根性は男並みだけれど、容姿や、立ち振る舞いは女性独特で

親しそうに、ざっくばらんに頓着なく話しかける性格は誤解されるぞ、、、」

見かけだけは、、、、女性に見えるからな~~~お前は、、、」

ある日、、、高校から帰ると、、、

私の部屋は無くなっていた。

砂漠の魔王,、、カバヤ文庫の全巻。。。大地、、、集めまくった手塚漫画、、、

私が、教科書の後ろに積んであった愛蔵本や、雑貨は、

兄の愛車のトランクに入れて

未来のお嫁さんと、一緒に出掛けて売ってしまったと言った。

 

部屋は父が生きていたころ使っていた、外科の入院室の端にある3畳の部屋で、

一間の上下の押し入れのある部屋に、教科書などが無造作に積み上げられていた。

当然ドレッサーは入らない、

制服が一着しかなかったので、ドレッサーの中は漫画だらけだったから、

要らなくなった。

窓を開けると、、、

横浜市立大学に通っていたお隣のお兄ちゃんの窓が真ん前だった。

長い廊下の端っこで、、、隔離されたような部屋だったが、

 

東京都で、無料で、3畳は、出来すぎかもしれないと、、、思い直していた。

 

「いいか!、、、≪御義姉さま≫と呼ぶんだ!、、、わかったな!」、、、

兄は目を吊り上げて言った。

亡き父の後を責任をもって継いだせいもあろう、、、。

自分が家長となった以上、

身分制度のような順番を露骨に表現することであろうか?

実力未完成なうちに家長となって、

従業員を満足させなければならなかった兄は

私を、皆の前で、配下として扱う事で、

他人には言えない「自分がドン」であることの認識を促すツールに

妹を使った居るのだな?、、、と思った。

ま、、、良いか!

 

やがて出てゆく小姑が、好きで小姑やってるのではないと、、、言いたくなるが

戦争中に戦地で弟、2人 妹、1人、、、

目の前で消えた命に出逢っている兄は

終戦直前、連絡船に乗って日本に命からがらたどり着いている、、、

PTSDもあるのかもしれない。

父があまりにも早く行き過ぎたせいもあると思えた。

遺族となった兄弟の相続の問題は一切怒らなかった。

長男が、家族全員の遺産放棄の印鑑を、奥さんになった姉に集めさせたのでした。

母も、兄弟も、無言で、印鑑を押しました。

弟がまだ高校生、私も大学生だったので、財産なんて、、、有っても、、、無いようなものでしたから。

兄にかかっている責任のストレスを考えて、

皆無言で、、、印鑑を押しました。

居候も、従業員も、、、婦長さんを残して、皆出てゆきました。

兄の時代が始まったのでした。

 

南紀の山奥の疎開地の村に着いたとき

兄は13歳ぐらいだったと思いますが、、、

田舎の学校の仲間には、、、なかなか、、、入れてもらえずにいたそうです。

「お前の父ちゃんは、偉いからって、お前は得ばかりしておる!!」

喧嘩が絶えなかったそうです。

喧嘩で、前歯を折ってしまって、、、村では大変な騒ぎになり

たった一軒しかないお医者さんが、、、怒って東京に帰ってしまったら

「お前のせいや!」、、、

兄の前歯を折った生徒が、皆に殴られたとか。。。?!」

 

ともかく、古い伝統のセクトがある田舎には

医者である父は大歓迎を受けても、、、

子供らは孤立させられていた時期が長かった。

戦争、、、終戦、、、引き上げ、、、

シベリアから叔父さんが、、、

学徒出陣から生き残りの叔父さん、、、

戦争で会社倒産の従妹の家族

従業員、、、どんなときにも、

マイペースで

3代のピアノを駆使して、ピアノ教室を貫く母、

内科医の若き兄が、外科医の父の後を継ぐという、、、無理。

役立たずで、主張のある妹が、、、邪魔なのは、、、よくわかる。

兄が、、、第一志望の東京大学に合格していて

この家を出てくれていたら、、、

残った兄弟は、

母の母屋を残して、家は貸し出して、

のうのうと、、、大学に行っていたかもしれない。

医家には他人には理解できない「プライド」と

社会性と、地域貢献の為の、認められるべき役割が有った。

戦後の復活期に開業医を必要とした下町に開業した以上

長男はそこを継承して、父の残した患者さんたちの医療を引き受けるっ事が

ケッコウな、、、押し付けられた

周りから無言で要望される生き方だったような時代だった。

この継承を避けるためには「東京大学に合格」して、

もっと大きな社会貢献が出来る能力を客観的に示す以外に

医師の家の子は、、、医師になって、、、

地域に閉じ込められるのが昭和時代だった。

私の日記だけで、、、文字だけ読むと、、、

ひどい兄貴に思えるでしょう???

違うんですね~~~

もうちょいで東大を不合格になった心の傷が

妹と、自分とが区別できない状態になって

妹の「私物化」が起ってしまっているのですよね!!!

東大受験で怖いのは、、、

合格した人は、、、アラビアのロレンスのように、、、無限に自分の能力を広げてゆく。

不合格の人間は、、、孤独の奈落に落っこちてしまい、、、

物品ではないが、、、心の貧乏のぞん底に落ちてしまい、、、

自分の存在すら、認めたくないという、、、

心の貧乏人をつくってしまう事だと思いました。

 

、、、自分は、、、悪くない、、、東京大学の、、、解けないような、、、問題が悪い、、、

現実が受け入れられないのです、

進路が間違っていたと思ってしまうのでしょうか?

私は、小学校から中学校、、、高校、、と、

東京に居たというラッキーな環境と、戦後の復興期というラッキーな時代のおかげで

まともな時代に育った者と、心の傷痍軍人との区別がつきました。

   *****時代背景*****

兄貴の波乱の激動の人世の前半に

疎開という、、、セクトのある田舎で、

父が唯一の医師という、、、子供仲間の嫉妬の渦の中で

中学3年生で、、、単身東京に勉強に出て行ったたのだから

学徒出陣で生き残った父の弟が28歳で早稲田大学理工学部合格して

父が東京に行った実弟の学資と生活のめんどうを引き受けていたという

負い目が別のチャンスを造っていた。

 

兄は疎開先から、学生叔父さんに合流していった、

 

弟の学費も東京の家も、、、父が仕送りをしながら

まず初めに長男を中学校の時に実弟に合流させて、東京への足場をつくった。

その後

生まれ故郷の東京への復帰を果たした父だった。

東京の開業は10年持たないで、、、父は54歳で過労死した。

 

よくぞ、、、長男の兄貴は、、、

精神病にならないで頑張って、、、

私立の総合大学の医学部を卒業したものだと

受験環境としては東大は無理

哀しいかな、、、能力的にはみ出していた兄

ストレスが、、、ややもすると、、、妹の私に向いてきた。

何故なら、、、下の二人の弟のうち

次男は,、、のれんちゃん

弟は、、、兄よりず~と骨太で、両親に愛され、頭も兄より良かったから

兄は、、、弟に敬意を払っていたかのようにさえ

私には映った。

手ごろなストレス解消の相手が、

妹の私に役どころが回ってきただけに過ぎない。

私も、、、防御に命がけの闘いを見せた。

東大を落ちた兄は、、、勉強が出来る者を尊敬する癖がついていた。

勉強で、目立つことは、兄からの攻撃を防ぐ城となっていた。

転校生としての、、、虐めの防御の石垣にもなった。

右手に大やけどを負って、形成手術中で、手を吊っていた私は

ややもすると、、、男の子の虐めの対象になった。

一年から5年まで、、、総代

東京転勤でいきなりクラス委員

おかげで、虐めは半減した。

高校入学後も、学校指定の生徒会委員

大學は兄と同じ大学に兄が誘導

大學指定の代表幹事、、、

たぶん、、、医学部の兄貴の存在もあるのかもしれない。

一見、、、自慢話かな?と覆うでしょう?

世間様は、、、見えない糸で、入るべき人が入学許可になっているのかもしれません。

兄のげんこつや、、、いじめを避けるのには

同じ大学に通う事とかも、、、優しさを引き出しました。

お勉強が出来ることなどが、、、鎧になっていたのです。

東京大学を落ちた兄にとって、

勉強面で当時の自分より良い成績の者には

暗黙の、情状酌量が有りました。

 

結構な乱暴なところがあり、、、

妹にも、たんこぶが出来るぐらいの勢いで、、、げんこつしたり

青あざが出来るぐらい、つねったり、、、

軽いやけど跡が腕に3年ぐらい色が変わって残るほど

手拭いで、、、腕を擦ってきたㇼ、、、

死ぬかと思うほど、昼寝の不用心な私の顔の上に座布団をまとめて載せて、、、起こしたり

絶えず野生の中の小動物のように、センサーを磨いておかないとヤバかったのです。

両国高校時代の兄は紳士でした。顔も、輝いていました。

三四郎池の雷魚を観に。私を誘ってくれたりもしました。

正座して、、、おやすみなさい,、、と

家族全員に挨拶するような、理想の兄貴だったのですよね。

受験戦争が壊したものは、、、見えないけれど、、、

不合格になった生徒の一部の心だったのだと

私は、、、兄を恨まないが、、、

昭和30年代の、、、

異常な東京大学熱の進学システムが

哀しい、、、

敗残者ではないのに、、、

心の敗残者をr造ったという歴史があることです。

 

昭和38年、、

、あの頃は、女性の大学進学は贅沢とみなされた地区に住んでいました。

まして、北海道に女性が下宿だなんて、、、とんでもない!、、、

正気でそんなこと考えているのかと

9歳違いの兄貴にどやされた。

この兄貴は、東大を第一志望にしていただけあって、

名門の府立高校の10番内にいつも常在していたが、

3歳から、、、東京に住んでいる教養人の受験生と比べるのは残酷ではあるが

「がり勉型であった。」

 

東軍に居たか、、、西軍に居たか、、、

令和にも現存する日本という島国の見えない大名。

東大も、

何代も東大ゆかりの学者家系が、、、一定以上の裕福な家族が

幼少の頃より、、、フィギヤスケーターのように

4回転の必要な東大は、学者や、指導者や、官僚のレベルの基礎が必要。

はいり方に沿った教養に多くの時間と、

環境を整備できているはずである。

 

戦地、、、疎開、、、

中学単身東京復帰、、、

両国高校、、、東大不合格、、、

良くやった!、、受験しただけでも立派です。

私なら、、、

東大を受けようというところまで来た兄にメダルをあげたい。

 

両国高校は、、、合併した後、、、

今は、何という事のない都立高校になっているが、

昭和30年の頃は、名門都立高校の3本の指に入っていた。

そこの高校の10番以内常駐の9歳上の兄貴は

高校の先生からも、「東大は太鼓判!」と言われていた、、、が、、、

落ちた、、、、

その次の歳も、、、落ちた、、、!

自身のプライドも無くなった兄貴は、

人が変わってしまった。

チックの表情のように片目を細めて言った。!

北大を受けると言えば、、、

「あほか!、、、女子短大にしなさい!」

ミカン箱いっぱいの、短大の願書を取り寄せて、

家事を覚えて、短大を出て、チャーミングスクールに行って

ササッと、、、家から出て行け!、、、というのでした。

下宿をしなければいいのでしょう!

雪の研究とはいかなくとも、、、

女性も男性社会にお茶くみとして侍る時代は終わっていた。

しかし、、、女性の社旗進出が

少子化、、、高齢化社会の原因の一つであるのではなかろうかと

兄は、、、正しかったのかもしれないと、、、

76歳になって思うこの頃である。

 

 


雪は天からのメッセージ

2020-02-25 00:06:11 | 70代の日記

25日の0時08分、、、除雪車が通過。

雪が車庫の前にてんこ盛りになっています。

ひと眠りしてから、早朝、車が出せるように、除雪作業に入ります。

 

北大を卒業して、北海道で受け入れられた主人は、

結婚以来、、、雪は掻くことが無い人生行路をひた走ります。

患者さんに接するときに,、、スコップをもって、手がガサガサだと、、、プロとは言えませんので

雪かきは、家内の仕事となりました。

北海道の雪は、ゲリラ戦のように降り続ける2月です。休む暇が有りません。

雪があるから、、、生活が面倒だから、、、

大都会の洗練された強い人は、中心街の高級マンションを選ぶでしょうね。

76歳も目の前になると、、、雪かきも、できなくなる日の事を考えなければなりません。

雪の雪を積み上げながら、ふと思うのです。

戦争中とはいえ

「親より早く死んだ二人の兄と、、、姉一人、、、

賽の河原で石を積んでは、、、鬼に崩されて、、、又積んで、、、崩されて、、、

可愛そうな、、、あの子たち、、、」

疎開地では子供たちの小さな位牌に語りかけては手を合わせていた母が、

子供たちが受験戦争に入るころになってから、、、

御位牌を一つにまとめて、高野山に持って行きました。

「生き残った子供たちの受験戦争を視ていると、、、

生きてる子供たちの方が、、、可哀想で、、、:。」

その時、私は、会ったことも無い兄と姉を

兄弟として

姉として

受け入れられたのだと思います。

心の中で、交流するようになりました。

雪の石垣を積みながら、、、春になったら消えてしまう労力は

賽の河原の兄弟と姉が

空から話しかけてくるのだと、、、、!

一緒に積んでは消える雪を、積んでは融けて、、、又積んで、、、

姿が見えないけれど、、、手伝ったり、手伝わされたり、、、

親より早く、、、死んではいけない、、、子供たち。

雪の白い垣根は、量子力学の世界の、、、兄弟姉妹の合作なのですよ。


家族

2020-02-24 04:41:09 | 70代の日記

2月は、、、今も一緒に生きている父が、私の傍に居てくれると、、、実感できる月なのです。

父は、日本が鎖国から解き放たれて、300年の醗酵した比類なき日本酒の味のように

日本人だけが味わえることのできるか゚のような、、、日本列島という瓶の中で過ごしていた歴史がある。

世界広しと言えども、、、他国には,、、熟成されたような銘酒のような民族は居なかったのではなかろうか?

日本文化は、日本に惚れ込まないと理解できないだろうと、、、私的には思ってきた。

明治という、、、世界中の銘酒の並ぶ棚に、日本種も並んだとしたら、

そのカウンターではカクテルが作られたり

いろいろな使い方をされ始めて、

日本の味は、

そのまま伝えられてゆくとは

考えにくかった時代であると推測している。

日本という、ザビエルが東方見聞録で紹介した小さな島国が

明治になって、世界中のレーダーがキャッチできる「開国」という転換期を迎えた。

日本国内では、時代の分かれ目に於いて、

文明開化と散切り頭は、丁髷も、日本刀も、武士も、女性の大奥も、身分制度も

明治という時代のクレパスの中に吸い込まれていったような、、、印象であった。

市ヶ谷あたりには思想が故に捕らえられた、時代に理解されない人々が大勢いたはずであった事だろう。

教科書丸暗記で、、、とりあえず、、、自分んで考えるには未熟すぎる私であるから

難解な日本という国の激変の文化は、、、国内に住んでいて捉えるには困難な混乱状態の中

世界の中に合流し始めて言った感覚で、明治の45年間は戦乱が続いたと、教えられた。

明治43年あたりに、父母が生まれている。

明治20年代には祖父母が生まれているはずである。

                          つづく

 

 


早朝から、べた雪とわだちと、強風の中!

2020-02-23 20:26:17 | Weblog

せっかくの連休も、連日の予防対策の放送ですから、

オリンピックのスムースな開催の為にも、

ウツラナイ❕、、、ウツサナイ!を合言葉に

必要以外の外出は控えながらも、、、心のどこかでは

万一の事態に備えて、耐力をつけるためにも

牛乳、卵、野菜、肉類、シイタケ、ブルガリア、ヨーグルト、甘酒、、、

予防の為に熱処理のした料理に徹する。

風も強い、べた雪も降っている、、、

道路は、氷とべた雪と車のタイヤ後の「ワダチ」が交錯する。

普段なら、、、外出は避ける条件であるが、、、

こんな日の早朝は、マーケットは、、、買い物客が少ないはず!

私なりの、肺炎予防策として、

早朝の、開店間際のマーケットで、

多くの買い物客が出てくる前の条件の方が

商品の食べ物も、接触していないはずだから、

頑張って、頑張って、、、リュックを背負って、ビニール傘をさして、

マーケットまでやってきました。

連休は、、、ポイント倍々の条件が効いているのかな?

早朝なのに、レジは行列が出来ている。

もちろんこの時間には、、、割引のシールは皆目見当たらない。

夕方の買い物と違って、、、ほとんどいつもと同じ材料を買っているのに

2000円の予算オーバーである。

チキンのあぶり焼きなども、、夕方には、大幅プライスダウンをしていたが

早朝は、全て定価であるから、、消費税も、「つれ高」になる。

肺炎の予防を兼ねて、買い物の回数を減らす予定があるために

コーヒーも、納豆も、トーフも、おでんの種も

多い目に買った。

リュックいっぱいの食料を背負うと、

戦後、、、電車や、バスでお見かけした

大きな荷物をもって、

日本手ぬぐいで、

姉さんかぶりをしていたおばさんたちの

逞しさを思い出した。

リュックに入らない分は

ダンボールに入れて、片手で抱えたから、

ある種の筋肉だけ筋トレ持続でしびれてきた。

帰り道のわだちに、身体が不安定になりながらも

、、、これが、、、雪国の、、、買い出しです、、、と。

ビニールの傘をさせば、、、

おちょこになって、、、

アルミの骨がねじ曲がってしまった。

透明の傘は

半開きの白い花のように右手で持って

左手には、リュックに入らなかった、食パンや、卵を

ダンボール箱に入れて持っていた。

吹雪の中を

雪で白髪のようになった帽子の、、、おばあさんが、

逞しく買いだしてきている2月の連休!

後輪駆動の30年前に買った愛車は、10000キロちょっとしか乗っていない。

出来るだけ、車に乗らないで体を鍛えるようにしている。

人間社会を、生まれてから100年間弱、、、、

無事に生き延びようと思うなら、、、

ハンパなお金では、、、理想状態の心身は守り切れないのではないか。。。と

大学時代の、東京のど真ん中にビル丸ごとの店を経営していた先輩の持論だった。

肺炎流行の兆しだけで、納まるように祈りながら、

当分、、、早朝の買い物が続きそうである。

76歳を目の前に、、、罹患したら、、、

確かに、命は保証できないかもしれない。

日本は島国であるから、皆が自重して行動すれば

水際作戦は有効だと、茶の間の私は、、、思いたい。

感染症は、人間のサイドにも

免疫をつくることが大切だけに、

バランス食は欠かせないと考えていると、、、

やっと持てるだけの、、、欲張り買い物になってしまった

連休は、、、主人と二人で、TVに浸かって、、、家庭で過ごします、

行楽に出かける人には、健康な旅でありますことを

祈りしています。

 


車庫の雪降ろし、、、やっぱりしました。

2020-02-23 03:59:01 | Weblog

車庫を買ってから42年以上は経過しているので、、、鉄骨の細いトタン屋根の

スズランガレージです。

傾斜の圧屋根なので、

雪の重みはsign30度ぐらいをかけて、計算すれば良いのですが、

陽の当たらないせいか、4度Cという気温でも、いっこうに融けてくれないのですよね。

昨日の夕方、、、明日の大荒れの天気予報を視てからは

車庫がつぶれたら、、、50万の臨時出費では済まないと思うと

老骨に鞭打って、、、水分を含んだ重い雪を、ゆっくりと、降ろしました。

もう、、、日曜の朝です。

雨が降っているのに、、、融けないで氷に変身しています。

このままでは、危険な状態になるかもね、、、?

良かった、、、雪下ろしをしておいて、、、

車庫の屋根よりはるかに高い雪山に変身した庭を見乍ら

遠目には50センチぐらいに見えたけれど

庭に降ろした雪の量に、、、改めてびっくりしました。

2月20日に車庫の雪をおろして、こんな状態なのに

本日は、、、このてんこ盛りの雪の上に

てんこ盛りに乗せたのですから、、、

写真に撮る気にもなりません、、、北国って、、、人生の時間の半分は

雪かき、、、冬の痛んだ部分の塗装、修理、スガ漏れのリホームで

出費がかさみ、灯油だけは、、、どこの家も20万円一冬に燃やして暖かいのが御馳走と健康保持!

雪かきで、長靴の中で靴下がこすれて、穴があきます。

それを、糸で補強します、、、

2月になれば、、、糸で編んだような靴下になります。

滑らなくていいんですよ、、、ツギだらけの靴下は健康の勲章です。

これは、、、無料の筋トレジムの役割を果たしてくれています。

おかげで、、、75歳でも、、、筋肉はもりもりですよ。

自慢にならないって、、、バカな、、、私です。

若き日に読んだ、、、「愚公、、、山を移す、、、」

75歳になっても、車庫の上からなら、、、落ちたところで大丈夫!

バカな、、、私ですが、、、

何事も起きずに、雪下ろしが出来てみると

まだまだ、、、だいじょうぶ、、、!

頑張れそうな自信が付きました。


札幌は今日は2度C、、   明日も2度C,,,   明後日6度C

2020-02-20 15:23:17 | 70代の日記

 

重たい春に雪が降ったりやんだり、、、

軒先からは暖気で凍った雪が、今にも、、、

ドーンと轟音と共に落下してきそうな2月21日です。

昭和38年、

日本は、戦後の復活期に差し掛かっていました。

昨日は「ま~~だだよ。」の映画を観ながら

「仰げば尊し、、、我が師の恩、、」と

蛍の光、、、

窓の雪、、、

卒業と、進学と、就職の2月末は

各人はてんやわんやの月末でした。

 

私は、小学校6年で疎開地から転校生として

父の生まれ故郷の東京に来たとき、

日本全国共通して、通用するのは

「お勉強、、、だ、、。」と

幼いなりに、見知らぬ土地に転入するのだから

相手側にとって、

「必要な物、力、芸、学門、運動、、」などの

何かが有れば、

仲間になれると、疎開地の先生から「教え」を戴き

確かに、、、そうだ!、、、と、

幼いなりに、転校先は東京なのだ、、、

熊野の山奥の素朴な同級生とは違うはず、、、

 

先生の言う通り、

勉強は武器になるはず,、、と考えて、

来るべき転校の日の為に、

真剣勝負の稽古のように

教科書丸暗記、、、見なくて書けるまで完全に覚えて

緊張の汗の為に痩せる思いで東京入りしました。

幸い、、、

それなりに保護色のカメレオンのように

無難な日々を送りながら、

高校を卒業したのが昭和38年でした。

 

女性が大学に行くのは

9クラスのうちの2クラスぐらいでした。

短大を卒業して、結婚するというのが

穏やかな、家族円満に、

愛される娘のお手本のような時代から

青天の霹靂のように、、、

女性の意識が変わる出来事が有りました。

「皇太子殿下の世紀の恋」のお相手が

「女子大卒の才媛の美智子様」が選ばれたのでした。

 

女の子が、、、大学に行くと言い出しても、、、

親は反対しなくなりました。

昭和の女性文化の改革に何の抵抗もなく、

女性たちは大学に進学するようになりました。

大学卒の主婦も、お母さんも増えましたが

 

日本の社会はやはり、、、男性主軸の社会構造であり、

島国、、、鎖国、、、明治維新、、、北海道、、、第二次世界大戦、、、原子爆弾投下、、、

そし、、、日本民族が、原子爆弾で壊滅する前に

玉音放送がラジオから流れ、

親も、祖父も、地面にひれ伏して「終戦」を受け入れた昭和20年。

 

日本の侍は、世界の人も不思議がる、、、

腹切のできる民族です。

 

玉音放送が無かったら、、、皆、切腹していたかもしれません。

 

原子爆弾は、戦後に現れた、人間を元素にしてしまう爆弾でした。

3月には、皆卒業して、

4月には、、、新人類が入学してきます。

 

「仰げば,、、尊し、、我が師の,、、恩、、、」

卒業式には、今でも、聴こえるのでしょうか?

 

それとも、スマホの時代が

、SNSや、、ラインで結ばれて

先生の座標も平行移動していったのでしょうか?

 

76歳にもうすぐなる私は、

親友をつくる努力をしなかった。

いまだに、ガラケーで、家族にメールをするだけで、、、間に有ってしまう。

 

一か月に2000円代の携帯料金で済んでしまう。

 

息子に用事のある時は、

電話をかけなおしてもらうから、、、無料。

 

井戸端会議もするし、、、お茶しましょうと言われれば

コーヒーも付き合うが、、、

友達になりたいとは思わないから、、、

歳をとる、、、、という事は、、、コワイね(^^!

 

私が死んだら、、、息子が骨を拾ってくれるだろうし、、、

呆ければ、施設に入れてくれるだろうし、、、

 

友人が、、、仮に居たとしても、、、

相手も明日がわからない婆さんでしょう?

 

ひところ、、、

医師の妻は「お金持ち」と、、、勘違いされて

豪華客船の、説明会に誘われて、

「中を拝見させていただくぶんには、、、1000円払えば良いわけだから」と

「日本丸」や、「飛鳥」を

小樽の港まで見学に行ったりしました。

串本の防空壕で生まれた私は、、、セレブの雰囲気の欠片も無いが、、、

海は好き!、、、船も大好き!

青函連絡船で、、、北海道に嫁いできたのですから、、、

横浜の帆船の日本丸という訓練船の

真鍮で出来た船の階段を、、、ピカピカに磨きに行って

美しい帆船に恋心が湧いたことが在りますよ(^^

その結果、、、

利尻島に

日本丸が行くという

短期間の10万円の旅行が妥当なので

主人と、、、

豪華客船に乗り込みました。

私なりに、、、おしゃれなスカーフなど、襟元を意識して、

夕食に、主人と、高級感を楽しもうかな?。。。と

主人は休みがほとんどもらえなくて、

土日もつぶれるという時代だっただけに

勤務でくたくたの所、、、私の頼みを聴いてくれました。

一度でいいから、、、豪華客船を体験しましょう!、、、

利尻島なら興味があると、、、主人はOKした。

手段は飛行機でも、船でもいい、、、という。

出逢ったときから、泥臭い真面目な、、、

面白くない、、、働き蜂さん外科医であったが

仕事上なら、豪華なホテルに学会や会議で行っているはずである。

ここらへんで、、、奥さんにも、

もうすぐ、、、雪かきさせるお礼が有ったっていいはずでショウ。

主人は、、、利尻に興味があることだけは、、、たしかである。

日本丸に乗ったというのに、、

部屋から出てこないで、、、爆睡、、、爆睡、、、

ひたすら、、、寝ているのです。

楽しいはずのイベントにも、、、出てこないで、、、

爆睡している。

空しく、、、ドレスアップして、、、

一人で、夕食に向かう私、、、

バカみたいです。

旦那が寝ていても、、、

仕方がないから、一人で

イベントに参加して

劇場の舞台を楽しみながら、

テラスで、海を視て過ごしました。

次の日の夕食時には、「食べたくない、、、」と

部屋から出てこないのです、、、

一人で夕食をしながら、、、

サービスに来た船の職員に

「こんなに、、、美味しいのに、、、昨日も、今日も、、、部屋から出てこないのですよ、、、」

「お仕事で疲れてるのかもしれませんね、、、

残念ですね、、、

そうですね、、、

私が後で

ワゴンに乗せて、

御主人にルームサービスしますから、、、ご安心ください。。。

「せっかくの船旅ですから」、、、食事位は楽しんでいただかなくてはネ、、、」

申し訳ない旅になりましたが、

船室にルームサービスをしてくださいました。

 

もう主人の事を忘れて、私は、一人で参加したつもりで、

船の売店や、

レストランや、

イベントに参加して、

インスタントに友人になった船上だけの奥さん方と

テラスでおしゃべりしたり

それなりに、、、時を充実して過ごしました。

 

利尻島に渡るボートに、、、主人は乗れるかしら?と

心配していると、

遊園地のジエットコースター並みに揺れるボートに乗移ったころから

主人はパッチリと、、

、細い目を全開大にして、、、

ニコニコ、、、楽しみ始めたのです!

利尻島に到着すると、、、

元気!元気!、、、

島の土着の夫婦が出している店で

あれこれ、、、頼んでは、、、

美味い!利尻の味だ!、、とか言いながら、、、

私の分まで頼んで、、、

「食べろよ!、、、美味いよ!」

、、、、、、

沼の所に差し掛かると、

写真をパチパチ、、、

やはり、、、野におけ、、、レンゲソウ、、、

 

豪華客船は性分に合わない、、、

野球の好きな主人の性分は山野の方が向いている。

「利尻に来たら、、、昆布だろう!、、、」

息子夫婦にも昆布を買って、、、

孫には利尻のお土産店で、、、

絵はがきやキーホルダーを買って、、、

大揺れに揺れるボートで、日本丸に向かうときは、、、上機嫌!

船に着くと、、、爆睡!

 

このサイトに、、、フォロウさしていただいている写真の素敵なブログが有ります。

「回想写真」の、、、写真の中に

「弓ケ浜の朝日が昇ってくる朝焼けの山と海の写真」が拝見できます。

 

回想の写真からは、、、

御夫婦か、

恋人たちの朝日が

音楽のように聞こえてきます。

日常を忘れる天地の神様を感じる朝焼けです。

 

70歳を超えた豪華客船の

北海道沿岸の旅は、

夫婦の回想写真になるはずでしたが、、、

    (**

今までと変わらない、、、リュックを背負った主人が、、、

登山靴を履いて、、、

嬉しそうに案内看板を視ている写真しか、、、撮ってきませんでした。

利尻島は素晴らしくって、、、

日本丸だから、到達できたのだと思いました。

以前、稚内まで行っていながら、

船が出せなかった事が有りました。

 

日本丸は、利尻の至近距離から、ボートで利尻島に到着しました。

島人の太鼓が迎えてくれて、、、利尻富士が見えて、、、

何よりも、横付けされた日本丸の豪華な船の全体に見とれて

主人は、何枚も写真を撮っては、、、

「あんたも、、、船と一緒に撮るから、、、僕も撮ってよ!」

主人は利尻に降り立ってから、、、がぜん、、、!

エンジンがかかってきました。

写真は船の中は、、、

寝てばかりいた主人なので、撮影は出来ませんでしたが

昭和、平成と、国民とともに過ごしてくださった両陛下も

お二人で、いらっしゃった利尻島の写真が、

新聞に掲載された時、

私たち夫婦の旅としても、、、最高の思い出になった利尻島上陸でした。

日本丸!、、、ありがとう、、、

台風がそれる北海道とはいえ、、、

台風シーズンに利尻に到着できた日本丸の雄姿は

豪華そのものでした。、、、

10万円の旅とは思えないほどの感動の利尻上陸の豪華さでした。

あの日を最後に夫婦の旅行はありませんが、

一生に一度ぐらいは、、、豪華客船で

北海道一周するのも、最高の「回想録」になりますよね。

利尻にいらした昭和、平成と

国民とともに過ごしてくださった

両陛下の

北海道におこしになられたことを大切に思う記念の石碑があるのですよ!

サロマ湖の所にもあるのです。

 

歳をとった夫婦が、、、船旅をする気持ちって、、、わかる様な気がします。

日本の歴史と出逢えるのですから、、、若返りますよ。

今は、、、ピークなので、、、待つしかありませんが、、、

今度のウイルスの問題を、前向きにとらえて、

病院のように、

「空気滅菌のシステムの部屋」をいくつか造るようにして

日本の船旅を廃れさせないように、、、塞翁が馬となるように、

「船の感染症対策室」を設置してはどうなのでしょうかね!

海上から空気を吸いこんで、ウイルス駆除メッシュの換気システムで、

海上に高速で、高温を通過させて、排気するのですよ、、、。

滅菌室が作動するようにしておけば、

今回の事件は前向きに考えられるのと違うのですかね~~~!

このまま、、、ウイルスに、人間は負けたくはないと思うのです。

 

海外からも、

日本一周の船旅が、

廃れないように

日本に来たい老夫婦は

イッパイ居るはずだと思いますよね。

 

我が家の主人とだけは、、、

二度と一緒に豪華客船は乗る気がしませんがネ、、、

 

寝てばかりいる人は、、、

貨物船に乗せてもらっても、、、同じですよね。

私は、、、利尻島に、日本丸で、行けたことを

たからものの旅だったと思っています。

今回の船の旅の方々には

心より、、、哀悼の意と、健康に向かわれることを祈ってやみませんが

ウイルスとは、、、戦う方法があるはずだと、、、思えてなりません。

雪かきが、、、少しでも暇が出来ると、、、新聞を隅から隅まで読んでは

いろいろな考えが浮かんできます。

今回の事件が少しでも挽回できるように

豪華客船の夢を、、、!

豪華客船が、、、立ち直る設備の改善を祈りながら、

ウイルスに、、、負けない、、、人間社会で有りたいと願っています。

 

 

 

 


父の命日から55年経ちました

2020-02-19 21:34:53 | Weblog

今日は父の命日です。

生きていたら110歳になります。

戦争で8人兄弟のうち4人が元気に生存中なので、、、

お父さんの事、、、覚えているかな?

年子の兄に電話してみました。

子供の事、、、お孫さんの事、、、奥さんの事、、、

年子の兄だけあって、昔から友達のような気楽な兄弟でしたから。

一番、世の中の生活レベルの情報を教えてくれます。

地域に根差して、地域の皆の気持もわかる奥さんが、

しっかりしているので、

76歳の兄貴は、、、全然呆けていなくて、、、啓蒙されました。

父の命日には気が付きませんでしたが、、、

不思議と、父と母の生前の話になり

8

(右が年子の兄貴が書いた絵です。 小学校の時です)

親子は何年たっても、ふと、父母が居てくれるような

錯角に、自分でびっくりする時があると、、、言っていましたから、、、

命日だとは言わずに、

懐かしかった昔の思い出話をして、、、

「元気で、頑張っているので、、、安心しました。」

 

 

 


父の命日から55年経ちました

2020-02-19 21:34:53 | Weblog

今日は父の命日です。

生きていたら110歳になります。

戦争で8人兄弟のうち4人が元気に生存中なので、、、

お父さんの事、、、覚えているかな?

年子の兄に電話してみました。

子供の事、、、お孫さんの事、、、奥さんの事、、、

年子の兄だけあって、昔から友達のような気楽な兄弟でしたから。

一番、世の中の生活レベルの情報を教えてくれます。

地域に根差して、地域の皆の気持もわかる奥さんが、

しっかりしているので、

76歳の兄貴は、、、全然呆けていなくて、、、啓蒙されました。

父の命日には気が付きませんでしたが、、、

不思議と、父と母の生前の話になり

8

(右が年子の兄貴が書いた絵です。 小学校の時です)

親子は何年たっても、ふと、父母が居てくれるような

錯角に、自分でびっくりする時があると、、、言っていましたから、、、

命日だとは言わずに、

懐かしかった昔の思い出話をして、、、

「元気で、頑張っているので、、、安心しました。」

 

 

 


除雪が入りました。助かりました、、、ありがとう!

2020-02-18 22:14:45 | Weblog

1月は暖冬で雪が無いので、このまま,、、春かな~~~

甘い!

北海道の冬は本物!

雪まつりも最終日の頃から

例年道理の雪の量が連日降り続きました。

明けても暮れても、、、雪かきばかり。

主人も私も50年前までは雪を知らなかった。

主人そのまま、、、雪は掻かなくてもよい職業なので

私が雪かき叔母さんになって50年経ちました。

仕事の事だけ考えても、、、身体を壊したり

すったもんだの、、、こむら返り訴える主人なので、

温度差のある所には極力出ないように、

私からも、言っている、

そういうわけで、、、

北海道には雪を掻くための冬の御庭番の結婚生活になった。

除雪車の馬力はものすごくって、、、雪国の除雪の馬力には

毎年、見慣れているはずなのに、、、圧倒されます。

雪かきをするおかげさまで、

76歳になっても、筋肉がしっかりとありますので、

家事も、買い物も、掃除も、、、苦痛になりません。

いくつになっても、筋肉は衰えさせないように

筋肉トレーニングと思って、

雪かきに臨むので、

そのあとの、風呂が、

若き日に登山の後の温泉の気持ちが良かった事を思い出しては

若い日が、いつ過ぎてしまったのだろうか?

結婚するという事は、旧姓も、故郷も、親も兄弟も友人も

遠くなるということだったけど、

子供や孫に逢えたという、、、不思議な出会いが人生だったように思える。

少子化の日本は

女性の社会進出が目覚ましくなってきていますね。

大学卒業の女性が多くなった日本女性は

子供を産んで、育てて、、、家政婦になる結婚生活に魅力を感じなくなるのも

無理からぬことであると、、、

日本の結婚事情のマイナスな部分を考えてしまう。

国会議員になっているような

キャリアのある女性が、少子化対策を考えても

解決しない問題が山積みであることだけは確かだと思った、、、

50年間の主婦生活で、

教育に目覚めた女性が

家庭に収まるという事は、

社会条件だけではない、難しい精神的な満足という事が

出産や、育児と両立するのは難しいと、、、

自分の人生を振り返りながら、、、

もう一度人生をやり直せるのなら、、、、

結婚という檻には入らないのではないかと、、、考えてりしている。

誰が悪いのでもないが、、、

日本の結婚生活は、女性が自分であることを守れないのではないかと思ったりしている。

老後の、一人になった人生の事を考えると、

結婚するなら、遠くに行かないことだと思いました。

結婚前の人脈も、親戚も、友も、疎遠になり、

孤独につよくならなければ、孫子に迷惑をかけそうで、

自分だけが頼りの老後に徹さなければ

孫子のお荷物になる様な気がするのですよね、、、

呆けずに、、、筋肉も落とさないように、今日を頑張ることの連続に

明日のご来光を信じて、、、眠ることにしています。

除雪車が通り抜けた道路には

さっきまでの、、、汗水たらした雪の城砦のような土手が無くなり

今までの労力はあとかたなく消えました。

自分の、、、人生と、、、ふと重なり、、、無になりました。

 


日曜日のTV あの日あの時あの番組を、もう一度観たい

2020-02-17 01:45:11 | Weblog

日曜日に「野村克也さんをしのんで、、、という番組を視ていました。

長嶋さんの真剣なお顔なども、大写しになり

若き日の感動が甦りました。

大雪だったり、、、息子家族と合流したり、

男性たちはゆっくり観れましたが

主婦は、立ったり座ったり、、、肝心なんところが聞き取れなかったㇼ

こうした、日本の野球の情熱の場面は、ゆっくりした時間帯に

もう一度観たいと思いました。

野村さんも、新庄さんも、長嶋さんも、、、

もう一度、見たい番組でした。

主人はずーと観ていました。

                   心の中に永遠に生き続けるでしょうね、、、


土曜日の夜はTV映画で過ごす楽しみ

2020-02-15 21:41:12 | Weblog

朝から主婦は雑事に追われて忙しい。

6時には起きているが、家の前がわだちになっているので、

老人が犬の散歩を楽しんでいる生活道路なので

こまめに除雪しないと、幹線道路の様に除雪はコンスタントには入らない地区である。

わだちを削りながら、

老人が躓いて骨折でもすると、、、そのまま痴呆行の列車に乗ってしまう科と思うと

わだちを削ったり、マンホールのへっこみに雪を押し入れて、踏み固めたり

家の前の見えるところでは、危険な車輪が落とした泥の氷の塊も路肩に寄せる。

春には融ける雪のはずであるが、

北西の角地の我が家の歩道には、雪が集まってくる。

歩道が、おけなくなる前に、

排雪が入る予定の回覧板が回り

昨日までの雪の城砦は消えてなくなるはずである。

19時からは「相棒」がTVで放映になるから、

それまでに、牛乳と、ヨーグルト、ホウレンソウにレタス、、

、熊本産のキュウリが有ったので3本260円前後で購入。

明日からの、大荒れの天気予報に備えて、

籠城の食料の買い出しである。

わだちをリックいっぱいの食料を背負って、買い物から帰ってくると

汗で、、、着替えをしないと風邪をひくから、、

、結構なハイキング並みの運動である。

マーケットまでの道はわだちで、長靴の底の滑り止めが決め手になる。

オリンピックでも、靴底の厚さが問題になっているが、

今日のような、大雪の後の10度Cで溶けたわだちを歩くのは冒険である。

 

このような時の専用の長靴を小樽の店で買ってあるのですよ!。

 

おかげで、「相棒」に間に合ったが、、、観たことのある作品だったので

急遽、、、

「コンフィデンシャル」という、、、VS12の映画に切り替える。

企業用語の単語だが、、、

意味深な、、、

見えない黒幕が姿を現すという、、、アメリカの映画であった。

アメリカの歴史はジョンウェイン主演の西部劇でもわかるけど

穏やかな顔をしていても

ピストルで、バババーン、、、という世界ですよね。

日本の時代劇のチャンバラにあたるのでしょうけど、、、

銃社会は怖いですね。

ラッセル・クロウ、と美女たちが

女優並みの美貌と、品性で、、、実は商売女性、、、とか。

夜の裏社会をキラキラさせながら、拳銃で、

マカロニウエスタン並み打ちまくる、

現実ではありえない、、、庶民の味方の警察のトップが

実は、黒幕という展開であった。

最後は両手をあげて、

俺は警察官だと知らせながら、

パトカーのサイレンの方に歩いて行くドン!

それを、、、出世だけが目標だった若い警察官でドンの部下だったはずが

出世とは何かを、、、このドンの背中から教えられて

何と、、、背中を銃で撃つ、、、

許せない背中だったたというストーリー

絶句しましたね!!!。。。

ひたすら、仕事の意味する正義を貫いた同僚を

褒めまくる商売女性の言葉に

視聴者は、、、だまされるくらいだから、

嫉妬にくらんだ出世欲の若き警官は暴挙に走るが、、、

最後は、二人で力を合わせて、ありえない、、、映画の中の警察のドンが

現実の裏社会のドンであったという展開に

映画の嘘が、、、実に面白い。

淀川長治さんもきっと、、、

すごいですね~~~~すごいですね~~~~

皆さんも、、、最後まで、、、だまされたでしょう~~~

映画って、、、本当に、、、いいですね~~

それでは、、さよなら、、、さよなら、、、さよなら、、、

ニコニコ顔が出てきそうな、奇想天外な、嘘の面白さでした。

相棒は、、、世界でも優秀と折り紙付きの

日本警察の杉下さんと鏑木さんと、

基礎系の考えで捜査にあたるのに対して、

現場主義の伊丹さん、、、この人が居るから

杉下さんが、静かに光っているよね、、、

でもね、主人は「外科医」なので

伊丹さんのフアンですよ、、、

根性が良いっていうのよ。

私は杉下さんの秀才ぶりに圧倒されています。

初めは「相棒」は私だけが密かに視ていて主人には教えなかった番組ですが、

必ず見ていると、、、バレちゃって、

いつの間にか、二人で観ることが多くなりました。

日本の警察は、穏やかで、頼りになって、道徳を重んじているから

「相棒」は、こうした、、、

めちゃくちゃな銃世界の

いわゆる、、、チャンバラに相当する場面が出てこないので

女性たちは、、、楽しみにしていたのだが、、、

今日は主人がTVのチャンネル権を握っているので、

たぶん、、、西部劇か、マカロニウエスタンか、、、

医療番組か、、、今でショウ!!の林先生か、

タモリさん、、、鶴びんさん、、、

野球の季節には、、、必ず野球である。

晩年、、、やっと土曜日の夜、日曜が手に入った主人は

TVが楽しみな、自宅に張り付いた休日です。

マラソンが有れば、、、

必ずマラソンを観ている。

今は、、、ランボウの出ている映画を観ている。

眠たそうになりながら、、、頑張って、、、観てるから、、、ね。

私はパソコンで、、、「日本の城」のU-tyu-buに

旅行気分になって虜になっている。

城の中の、天守閣のてっぺんの

お殿様や、御姫様も、、、

TVも映画も、パソコンも無くて、

 

動きにくい髷を結って

重たい着物を引きずって、、、多くの家臣傅かれてていたのだろうか?

 

日本の山には、

「御山の大将のような、、、大名が居て、、、戦国の世を生き抜いていた。」

コンフィデンシャル、、、外は美しく見事な城!!

忍者もいただろうし、、、

秀吉の毛利と和解しての本能寺の変の大返しは

あまりにも映画のような出来栄えで

現実感が無い。

コンフィデンシャルが有ったのかもしれない日本の戦国大名の歴史!。

加賀の国の百万石の世界は、医学部学生だった息子と旅をしました。

息子は、忍者の屋敷や、ジオラマの世界に興味を示していました。

かの有名な兼六園が、水の確保やバリケードに変わる軍事設計だったことも

明日在りと思うな、、、夜半に桜が散るかもね、、、と

息子はすでにコンフィデンシャルの世界を感じていたようだった。

一度は行ってみたい岡山城だって

戦国大名の、コンフィデンシャルな設計で、、、

もともとはルーツは戦国大名だっただけに、、、城の造りが武器のような美しさである。

当時の裏切りも、

予想している生き残りの時代のすごさが伝わってくる。

淀川長治さんの時代に育ったせいか、、、

映画って、、、良いですね、、、

映画はウソの世界が、、、ほんとに見えてきて

本当に騙されて、、、

夢中で、時間が飛びますからね。

 

76歳になって、、、

そんなに残ってない人生なのに、、、

結婚以来、、、

主人の都合に合わせて、

ストレスを与えないように

旦那の、、、放牧、、、と言ったら失礼ですが

構わないように、出来るだけ、、、かかわらないで

家政婦をしてきました。

不規則な勤務状態になれてしまっているので、、、

関わっていたら、同居できない不規則なイベントだらけだった。

30日以上、出たっきりの鉄砲玉学会や研修!

単身赴任!

医局合同のアメリカ学会や研修旅行、、、

15日ぐらい経ってから帰国。

子供の育児中だけに、

60歳から80歳までの母とは会えなかったこともある。

何が何だかわからない、、、家庭とはブラック企業の上前を撥ねる勤務時間だった。

気がついたら、、、孫は大学、、、私は75歳、、、

之だけは見ようという、、、番組が勤労の御褒美だと思って

自分にご褒美時間をあげています。

明日は、、、「笑点」、、、これだけは、仕事には譲れない。

笑って笑って、、、何にも残らない、、、不思議な時間ですよね。

おバカさんに見える「キクちゃん」が一番、、、間抜けの、、、間合いがおかしかったり、、、

林家三平のお父さんの「どうもスミマセン、、、の袴スタイル」の時代に

小学生だったせいもあり、、、三平さんの育ちの良さにはびっくりしています。

50年どころか、、、60年以上は少なくとも視ている笑点です。

、、、、、、、、、おやすみなさい、、、婆ちゃんでした。

家事を映画に合わせて、、、進行するから、、、

私の勝手で、、、真夜中に洗濯しているときもしょっちゅうですよ。

NHKの地球の動物映画とか、、

、深海映画とか、、、

アルプスや、、、真夜中に有ったりするからね、、、(^^!

今度は、、、本当に、、、おやすみなさい、、、夜中に起きるのでね!

 

 

 

 

 


昨日より10℃も低温の2月15日

2020-02-15 10:38:40 | Weblog

温度差のある生活は極力避けたいと思いながら

今年の冬の気候の温度差のばらつきは、

生活も気持ちも、振り回されそうになる、

TVでは新型コロナウイルスと

重篤な肺炎である

COVID19の発症のニュースが

繰り返されている。

我が家でも、外出時はマスクをして、

手袋の上から、消毒用アルコールを噴霧して出かけるようにしている。

買ってきた食料は熱処理をして、

食器はハイターに4時間つけて置き

新しい乾燥したものを順次使っている。

籠に入れて乾燥させるようにして

布の布巾や、タオルはミニタオルにして

一回使うとハイター入りの台所洗剤に漬けて置き

纏めて、洗い、完全乾燥している。

こんなことで、感染は防げるとは思っていませんが

緊張感をもって、仕事先からは病気を持ってこないように

病院も、自宅も、マニュアルに沿って

同じタオルを繰り返して使うのは止めている。

 

若ければ、新しい免疫がどんどん生産されてきて

ウイルスの変身との闘いが繰り広げられながら

若さは乗り切ることが多いとは思いますが

老人となると、、、変化をするウイルスの攻撃には,、

空しく敗北して、死んでゆくという、中国の報道が伝わるたびに

トイレの清潔や、

ゴミ箱の清潔な使い方や

話すときの大声からの飛沫伝染も考えられる。

家族の風呂も考え物である。

ウイルスの付着しない素材はあるのだろうか?

日本は島国であるから、水際作戦で伝染をブロックするチャンスが多い。

今回の、豪華客船は

脚気の病菌なのか?

ビタミン不足なのか?

高木先生が軍艦一隻の乗組員のデーターから、

原因を突き止められた歴史を

知る人ぞ知る、、、有名な事実である。

豪華客船での出来事は大変不幸な事ではあるが

乗組員の頑張りを無駄にしないためにも

船だからこそ、、、重要なデーターが後々の為に雄弁になると信じられる。

船と、、、ウイルスと,、、乗船客の年齢層と

食事の均一な事と、、、

後々、、、塞翁が馬と言われるような

貴重なウイルスの足取りがつかめそうな気配がしています。

 

皆さんには、、、頑張っていただきたいと

心より、、、お祈りしています。


2月14日の雪融けの暖気、、、父の命日が19日

2020-02-14 05:29:57 | Weblog

地球温暖化は本当なのかもしれませんね!

北海道に住んで50年経ちましたが、

2月に10度Cになるなんて、、、雪空のヘキレキ?

高枝ばさみにガムテープの芯の堅さで左に曲げて塵取りを取り付けて

暖気で軒先からはみ出た「雪庇」をつついて落とし廻りました。

先端に取り付けた塵取りを30度左に傾斜して固定してあるので

つついて落下した雪庇は、私をめがけては落ちてきません。

高枝ばさみは長く伸ばすと、

落下距離より、、、はるかに離れた遠くから、

軒にはみ出した雪庇を滑り落とせます。

市販の物は左に傾斜したものが無いので、

自分の安全第一に、ガムテープの芯と、ラップの芯と、カッターで

先端に取り付けた塵取りを傾斜させて固定できているので

私専用の、安全雪庇落としが活躍した2月13日でした。

今日はもう、、、2月14日!

2月19日私の父が54歳で他界した日が来ます。

私も、主人も、父より20年以上も長き人生を与えられています。

これからも、見守って、、、少しでも、皆の役に立てるように

健康を見守ってください。

お父さんが、、、外科医として54歳で亡くなった事は

私の人生の転換期になりました。

お父さんと同じ外科医と結婚しましたが

私の気持ちは、いつもお父さんとともに在りました。

主人が50歳代で、お父さんの様に、、、

外科医の時間外の激務で、腕がピークの時に突然死しないようにと

最大限の配慮で、

外科医として、、、又、、、医師の診断力で

社会に貢献する日々が少しでも長く勤められますようにと、

「医者をすること」にサポートできる雑用は

全部家内が引き受けて、、、

社会に、、、これからという、、、円熟期に

死んでしまった父の教えを無駄にしないことを考えて過ごしてきました。

静岡で、若き日に父と母と長男だけがすんでいたという

私鉄が在る御用邸の近くの住宅です。

医師を、、、一人,、、育てるのには「億」というあちこちからの応援が要ります。

まして、、、診断力の円熟した医師は

「医師をする」このことだけに絞れば

社会貢献はすごいものがあるはずですから、

医師を舞台裏から「医師をすること以外の雑務を背負う事」が

お父さんへの供養と、

後半の人生を、、、社会貢献することが出来なかった父の代わりに

主人には、生きてる限り、、

、患者さんに

健康であることの指導をしていってほしいとねがっています。

健康な若者や、、、健康な隣人は

病気になって、、、初めて、、、医師の存在に恐怖と、ストレスを小さくしてくれる

寄り添って、病と一緒に戦ってくれる医師が必要と感じるらしいですよ。

疎開中、七か村の唯一の医師として

24時間勤務の父が、戦後東京に帰る時

患者さんが地べたに座って、、、

「先生、、、行かないでくれ、、、」と泣いていた時

小学生だった弟が、、、

「お姉ちゃん、、、医者って、、、すごいね、、、僕は医者になる!」

弟のその時の言葉が忘れられません。

その後、、、弟は、医師となり、医学者となり、、、

「父の手が放射線科医用で、荒れ果てていたのを思うとき、、、

患者さんにも、医師にも、痛みのない、、、病気の予防に人生をかけたい、、、」と

彼は、日本の病院にはCTが無かった時代から、、、

医師の必要と知る画像が映し出されるCTの開発に

東芝や、、、東北大学の先生になっていった技師の皆さんたちと

がんセンターの廊下で夜明かししながら、、、

癌の予防、

癌の検診段階で早期発見によって

癌を治癒に導くのだと、、、若き日は

外科の医局に居たのが

教授の理解を得て、、、

国立がんセンターの黎明期に

市川先生に求められて、レジデントから、スタッフにと進み

人生を、、、がんとの闘いに開けくれました。

一生、、私的生活は借家だったり貧乏とは戦いましたが

医学者として、、、ハーバードまで招かれ

ヨーロッパに医学の会議で呼ばれ

多くの公演を通して若き医師を啓蒙してゆきました。

叔父さんにあこがれて、次男は

放射線の臨床医として

ドクターヘリの飛ぶ基幹病院で

日夜、臨床に従事しながら、、、

時間だけがすっ飛んでいったようです。

45歳で、独身で、頑張っています。

 

結婚する相手は紹介されるのですが、

デートの暇も、女性の好むレストランへ行く暇もありませんが

仕事に生きがいを見出しているので、、、

母親としては、、、普通の小さな幸せの家庭が有ってほしいと思っています。

医師の妻になるのは、、、相手に会わさねばならない人生なので、

リスクも多いし、お金持ちと間違われるのが嫉妬の矢玉を受けますが、

「医師をする」という事の見えない後方の盾になることに

価値見出してくれれば、、、どんな孤独にも負けずに

「医師をすることの社会貢献に免じて。主人の留守の家庭を守れると思います。」

求めないで、、、与えることに徹することで、、、

大きなエネルギーが、、、自分を支えてくれているという

見えない歩道を安全に歩き続けることが出来るという結果、、、

私は、75歳になって、

元気に家事に追われながらも、、、

主人を介して、、、社会貢献が出来ていると。

、息子たちは医師と薬剤師になって

社会に貢献できる専門家として頑張っていてくれます。

医師の主人は、、、家庭の子供たちに

生きている背中で、、、何かを伝えてくれれば

主婦としては、

多くの生き方を子供たち自身で気が付くのを体感してきました、

少なくとも、、、孤独には、、、強くなれます。

人生は、、、結婚しても、、、仕事をしても

神様が輝かしてくれていたのも気が付かない若き日も、、、

孤独につよくならなければ、、、

生きられませんよね、、、

愛されなければ、、、愛すればいいのですよ、、、何かを!

森羅万象、、、愛の対象になる素晴らしいものがいっぱいありますから。

主人は医学や仕事にしか反応しない命の科学の会の中にいるようですが、

丸ごと認めればいいのですよ。

カニさんに,、、縦に歩けと求めないことですよ。

サンゴに泳いでとせがまないことですよ。

、、、

 

これは、、、独断の、、、私的な、、、日記帳で

わが父の早逝した哀しさからくる

父の命日を目前に、、、日記が書きたくなりました。

それでも、、、

娘の父は、世界一、、、という

父へのレクイエムの日記です。

お父さん、、、今度天国であったら、、、

娘の方が20歳以上も年上の、、、お婆さんだからね!!!

びっくりしないで、、、ネ