花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

平成時代に教えられた未来

2019-03-26 10:59:08 | Weblog

昭和10年代の兄弟の中で

強い者だけが、

頑張るものだけが、

戦後の復活の世の中を

復活に導いたのだろうか?

弱い者であっても、おっとりと生きている

役に立たないと言われながら、

強い仲間たちの頑張れる炎の点火をしている。

明治時代の40年代に生まれた両親は

徳川から開国の激動期への

時代の津波を受けた年代であったと思う。

平成11年の東北の津波を思うにつけ

徳川時代から明治、大正、昭和と

時代の波が見えるような錯覚に陥った。

「平成」という祈りにも似た時代の年号が

災害を、何とか、破滅から救ってくれたように思えるには

遠い、昔のシャーマニズムの時代の遺伝子が

私の中で、理屈も理由も科学も、人工知能も置き去りに

天に架ける直観のような先祖の囁きが

凍結保存されていた何かを一瞬の閃光のごとく解凍して

この世との互換性のある周辺機器にと

私の身体を一瞬時間の間だけ

os化したのだとしたら、

科学の果ての宗教と考えてしまう。

今、、、私の中で、平成時代という時間が止まりつつあるのです。

世代を超えて、生かしていただける居場所があるのかと、、、

先が見えないときもあるのです、

両陛下のお姿が、このままTVを通しても

観れなくなったら、私たちの世代の老人は

時代が視えなくなってしまいそうです。

災厄を避けたという「延喜」

この時代の古典蔵書に中には

朝鮮ニンジンが、現在の長野県で栽培されて成功して

朝鮮と日本は朝鮮ニンジンなどの薬草を介して交流したことなどが

若き日に参加した朝鮮での薬学会で教えていただいたことが有った。

災害は天災と、

国家間の一部の権力者間の理解不能から巻き込まれる人災がある。

目下後期高齢者になった私たち夫婦は

子供たちが社会の一員として頑張ってくれているおかげで

孫たちも、上の二人は公立高校生になって

未来に日本の担い手の若い衆の一人となって

国際間にも間接的に、ご奉公が出来る

心身ともに、、、普通人ではあるが健康人に育っている。

この子たちの世代に、、、世界に巻き込まれて、

戦争になるのだけは避けてほしいと思うのです。

皇室は国民の象徴として、

どんなに科学が進んで、マンションだらけの空き室が

外国人労働者や、商魂たくましい金満家で埋め尽くされたとしても、

皇室がお手本になってくださるから、

昔ながらの街道筋の世界遺産が存在していますし、

昔ながらの東北のリアス海岸の漁業を守ろうと

人生の後半は特別税を納めるためにも、

観光旅行費は全部貯金して、

東北の復活に

日本国民のほとんどが

祈りをささげたと思うのですよね。

普段は商売が先行する演歌の歌い手さんたちも

商売抜きの、持ち前のハートで慰問の心で

流行歌を、心で一緒に歌っているシーンには

魅力を感じました。

普段は女性の業の強い演歌を歌っている歌手の女性も

東北の、漁師さんの土地に伝わる民謡を、譜面に書き

譜面では歌にならない「こぶしのある民謡」を

とうとう、、、土地の長老のおじいさんから

口伝で教えていただき、

自分で録音して、

何度も何度も、、、節回しを練習して努力に努力を重ねて

再度訪問したときには

土地の歌を、、、生き残った住民の皆と合唱するTV放送には

感動しました。

石川、、、さゆりさん、、とか、、、おっしゃっていた歌手ですよね。

津軽海峡冬景色を歌っていた時代に

私は、誰一人親しい人のいない北海道に

付き合ったことも無い外科医の卵を迎えに、

東京から、連絡船に乗って、札幌にやってきたのでした。

あれから、、、50年過ぎました。

2年たったら、私の家に「鱒男、、、マスオ」さんになってくれて

54歳で早逝した外科医の父の残した患者さんたちを

路頭に迷うことのないように

起承転結、内科医の兄と協力して

早逝して、これからの医師としての仕事を

満載して残していった父の後を

新任の外科医として、引き受けてくれるはずだった。

。。。。。。

しかし、国立という国のお金で医師となり

札幌という、土地の協力で学生時代を過ごせて主人は

いざ、、、籍が入って、結婚という社会的な責任の為の

江戸屋敷の妻が出来たとたん、

「自分は北海道人であると、、、気が付いたみたいだった。」

母の期待をよそに、北海道の地方研修をこまめに回り

息子が産まれたときには、余市の病院で研修に、技術取得に明け暮れた。

移動さきには、洗濯機も、TVもなかった。

マイナスの世界で、お湯を沸かし

タライで、山のような育児期の洗濯をして

ストーブの周りは

晒布で作ったオムツで

快適な湿度を確保できていた。

3歳の頃は留萌に居た。

留萌の寿町の断崖の上からは水平線が見えた。

虎落笛、

ガラスがはち切れそうな嵐のような海風が毎日続く。

氷紋がガラスに凍結したレースを飾ったように模様を描く。

ナカヤウキチロウ先生の雪の研究を思い出して、

吹雪の合間に本屋に駆け込んだ。

留萌の町で、

目的の本を手に入れるのは至難の業であると

あきらめて、、、

坂道を岐路に着くと、吹雪で30センチ前が見えないのだ。

もう一度、近くの商店に飛び込んで

吹雪の静まるのを待って、寮に帰った。

夏の留萌は海がきれいで、

故郷にかえれなくなった 人生の縁なき縁の出会いを

社会のシステムに疎い自分の愚かな判断だと気が付き

夏の留萌の海を見ながら、夕方まで

幼い息子と、身体を洗濯ロープでつなぎ

泳いで過ごした。

    思い出の「詩」がアルバムから見つかった。



        海辺のブランコ

留萌の海は
なだらかな丘の下に拡がる
海辺の遊園地のブランコは
海が見えたり見えなくなったリ

浜辺に降り立つ坂道では
白い世界に突き放された塵が
風邪におびえて飛び狂う

遠い、、、冬の日に
碧いうねりに吸い込まれてゆく
青春の渦巻きを

真っ白になって、、、視ていた、、、私。
青春が終わった瞬間、、、

それは

波が引いて線になると時、

さざ波さえ避けて逃げる水平線。

       過去という静止。



ひとひらの雲が
優しい影を投げかけて
旅の疲れを癒してゆく。

五月の海は
うす緑の丘の下に拡がる

よちよち歩きの坊やの手を引いて
渚を歩けば
去年の夏の足跡が
波に浮かんで

白い裸足に打ち寄せる



燃える落日に
たった一本電車が走り

坊やと 濡れた足で追いかける、、、

留萌の海は
なだらかな丘の下に拡がっていた、、、

海辺の遊園地のブランコは
未来と過去が揺れていた




昭和46年、
戦争から復活してゆく日本の
たくましい未来を見つめながら、、、

生きるために、
未来を生きるために、、、
日本のどこにでも

夢の始まりが存在した時代でした。

それからバブル時代が過ぎ
札幌にはオリンピックの華が舞い

高層ビルの大都会への変化の兆しが表れた。

平成時代になり、

神戸の震災や、、etc.災害時代に突入、

故郷に帰るチャンスは遠のいて
息子を故郷の東京の大学に進学させることで

故郷への感謝と、出来る限りの御奉公と思って

私は、正に、、、北海道人そのもののように
郷土と、母校を愛する主人に押し切られて、

人生の相棒として、

「医師をすること」しか,
脳みそが無いのでは、、、と疑いたくなるような

徹底的な「医者バカの主人に、裏方は必要と思ってしまいました。」

東京の実家の父の後をしっかり守ろうと、

青春の自分に生きるエゴを封鎖して
浅はかにも、、、国立大を卒業して
自営の医療機関に入りたいという

ホームシック時代の若き医師のボヤキを
母が真に受けてしまった。

故郷の東京を去る結婚になるとは、、、想像しなかった。
故郷の青春のたまり場の
駿河台を去る結婚だとは、、、予想できなかった。

医学博士になるまでの、大学院時代を
持ち家も無く、転々と、

大学のシステムに従って
ローテイションしながら
主人の裏方をすれば、

東京で待っている母の家で
サザエさんのように
マスオさんの主人と暮らしながら、

私は父亡きあとの実家に帰り、
実家を支えることで

次の夢が開けると思っていた。

北海道に嫁ぐという事は、
「よそ者」としての孤独を抱えて、

「医師をすることしかかんがえの及ばない、、、
余裕のない主人を
無条件に、、、責めるわけにはゆかないが、、、

医師をすることさえ支えれば
世間様や、
授業料を負担してくれた国家に
お返しになると思う以上、、

よそ者としての居場所のない自分を生きるのには

20年や30年の郷土愛が出てくるまでの時間が必要だった。

「孤独に強くなろう、、、!」
薬剤師会に席を置き、イベントのフィールドワークには
子供を連れて参加するようにした。

勉強会には必ず出席をすることにした。
創立90年前後の小学校のあるくぼ地の水質検査に
3年間ボランティアにも参加させてもらった。
學校薬剤師もさせていただいた。

真夜中の12時から翌朝7時までの
救急病院での奉仕勤務にも参加させていただき
真夜中の救急医療の実態にも触れることが出来た。

卒業後、東京大学の医学部の江橋教室で
医学部の基礎の実験の実務を担当させていただいたとき

ヨウ素131の同意元素に医薬をつけて、

薬品が、体内でどのような運び方をされるのかという
放射性元素の「ドラッグデリバリー」の実験の
お手伝いをしたときは、、、

独身で、このような、意義のある実験に従事していたいと
真剣に思ったことも,,,
夢のように過ぎ去ってしまった。

昭和時代というのは、女性が、生きるのには、、、
相当の実力が必要であった。

月給など気にしなくてもよい「環境」の持ち主であることも
大きな,、、持続力の要素でもあった。

父を亡くし、、、
これから、医学部進学の弟もいる状態で

自己実現の優雅すぎる夢と
遊んでいる暇は無かった。

東京大学を卒業して、
東京大学に勤めたのでは未来は明るい。、

薬学を卒業して、恩師の恩師である医学部に派遣されても

優雅な環境を、のほほんと、実験のお手伝いで過ごすには
「父亡き子」の私には

しなければいけないことがたくさんありすぎた。
未亡人の母を、、、どうしたら守れるのか?

母の時代の医師の家庭というのは
やや、、、特権に近い裕福さが有ったのかもしれない。

それが、太平洋戦争で、木っ端みじんになり

貧乏な環境で、疎開地に逃げる生活への
落差は大きかったのに違いない。

母を支えるには、私は
全財産の相続を放棄して

家業の医療施設の一員になるのが、
手っ取り早く

やや、、、お化けのようなスケールの母を守る手段だと
愚かにも、、、若気の至りで

私は、、、亡くなった父の代わりに、
同じ外科医を連れてきてくれれば良いでしょう、、、!

絵に描いた餅みたいな、、、母と主人の交換条件の結婚に同意した。

結局は、、、
ミイラ取りが、、、ミイラになったみたいですが、、、
五〇年経過すると、、、故郷を遠くから思うようになれるものです。

平成時代が、、、バトンタッチされた段階で

私の気持ちは、、、どうなるのでしょうね?

東京が素敵なのも、、、見える景色が素敵だから、、、
美智子妃殿下のような、、、

素敵な女性がいらっしゃるから、
平成時代、
国民にいつも寄り添ってくださった
国のお母様のような

眩しいような女性が住んでいる東京だから
帰りたかったのかもしれません。

雪の中で
豪雪を、四時間も、五時間も除雪しながら

真っ白な世界で

イメージは東京の、千鳥が淵の満開の桜が

花びらを散らせて、

真っ白に世界を染めているという

幻の中で

雪を掻きながら、、、

いつしか吹雪が春の桜吹雪を夢見ていた五〇年でした。

自力で帰ろうと、、、皆で、サザエさんン家のように住みたいと
財テクに走ったこともありましたが、

平成時代には、
都市銀行の拓銀も倒産。

潰れっこないと貯金代わりにしていて、
売ったり買ったりは一度もしたことのない
日本航空の株が、、、壁紙にも劣る紙切れになったこともありました。

2DKの4個あるアパートを経営したこともありましたが、
都市計画や。道路計画にいろいろと
素人の財テクとは割り切れない、専門知識が必要で、

結局は、一文無しになって手放しました。

経済界は、片手間には財テクは出来なくて
老後の貯金も無くなりました。

この間、、、黙々と
「医師をすること」それだけに絞りこんで
それ以外は、、、何もしなかった主人が、、、

しっかりと、本分を守って健在でした。

子育て、、、財テク、、、実家での貢献、、、全て、
中途半端な50年でしたが、、、

至らない母の育児ではありましたが
親は無くとも、、、子は育つ、、

立派に社会の一員として参加できている息子たちに

話すことはありませんが、、、

平成時代を、、、どう生きたか、、、
日記だけは書いてみたいと思いました。

後で読み返して、、、消すかもしれません

束の間の、、、こんなことあった、、、

アンナ事あった、、、と

とりあえず、メモの下書き日記です。


永遠に、その御美しさは光のごとく

2019-03-17 23:09:09 | Weblog
NHK だと思っていましたら、、、BS朝日のTV番組でした。

素晴らしい映像とナレーションと、

昭和平成という時代に生きてきた私たちの

心の支えだったと思いました。

私は「ビデオ」をとらない主義ですが

孫子、子孫の未来の為に

日本の女性が、美智子様のお心の包容力出会ったとき

世界のどこの国にお出ましになっても

光り輝いて国民と皇室の虹の橋になられた方だと思いました。

日本の女性の素晴らしさに見とれてしまいました。

光で描かれたルノアールの絵よりも暖かなふくよかなお優しさ

ミロの絵よりもイナセントな子供たちとの時間の共有。

その御傍に両陛下の一心同体の光が差し込んで

宇宙の投げかけた言葉には表現できない、、、絶望を

希望の光に包んでくれる、、、

美しさは、、、大自然とともにある真心の柔和さ

智性豊かな包容力は

音楽のように一瞬の心の出逢いの連続の中に感動に達してしまう

一秒が100年の感動となる煌めき。

平民の中にお生まれになった美智子様が

美智子様だったから、、、

皇太子殿下の心の扉を開いた恋の無限のエネルギ―。

私は青春真っただ中で、戦後の日本の復活のドサクサの中で

美智子様のお美しいほほえみと

見たことのないお帽子が

今でも忘れられない、、、光として眩しいのです。

ファションという、

形やデザインが、美智子様の自然体のしぐさの中で

ビーナスの美しさにひれ伏している。

戦後の昭和天皇陛下の御苦労を思うとき、

平民の中にお生まれになった美智子様は

皇室と民間の両方の心の橋をかけられた唯一無二の女性だと思いました。

音楽が瞬間の芸術であるように、

平成という音楽の居旬の感動は

平成を生かされてきた75歳になろうとしている私にとっても、

永遠の感動の時代を、導いてくれた感謝があります。

自我に固執する苦しみからも解き放ってくださったと思います。

文化という人間界の造語では表せない

お二人のお姿は、、、光であるとしか表現できません。

両殿下の

ともに瞬間を

真心で過ごされた

全身全霊のお心が

昇華された光となって

災害によって、地面にひれ伏してしまった国民が

照らされて、

多くの心が、そろりそろりと、立ち上がってゆくでしょう。

戦争が無かった感謝の平成時代は

沖縄への両陛下のご訪問の時のお歌になって

若者に引き継がれて

平和への祈りとなって、行くでしょう。

NHkはオンデマンドなど、もう一度見たい番組は

観れますが、

TVあさひの番組は、

平成に生きた私たちの為に

今日の番組は、CDにしていただきたいな~~~!!!

今日の番組はすばらしい番組でした。

ありがとう!!!

                  お茶の間の感謝の感動を記します、




新鮮な感謝

2019-03-16 05:06:45 | Weblog

青春時代の真ん中で



皇太子さまと美智子様の恋に見とれ

婚約までの、周りの方の

一緒に生きるお姿に感動しました。

三段跳びの金メダリストの御子息に当たられる方が

陛下の恋を理解されて、

友人としての心豊かなサポートに

金メダリストのお父様に続いて、

世紀の恋と言われた皇太子殿下と美智子様を

友人として支えられた事が

恋を成就する大きなことでもあり

父上の金メダルと、恋のキューピットの光が

平成を生きた私たち国民に

人と人の素敵な絆を感じさせてくれる番組でした。

美智子様のような、

この世に二人と存在しない美しい女性が

皇太子殿下の恋に応えられてゆく

、、、全身全霊で寄り添われる国民への慰霊の魂は

国民にも多くの事を導いてくださいました。

ご結婚前に

アメリカに滞在された美智子様とご家族のお心は

皇室と国民の

ともに歩み始めた

平和への祈りのように受け止められました。

平成が、、、

もうすぐ、、、

次の時代にリレーされるという今。

真夜中の再放送に、

何回も新しい感動の気付きがあり、

いつも光を投げかけてくださったことに

導かれて、

品性の輝きは、日本人の心そのものであり、

両陛下のお姿に、

平成時代の永遠の光を感じています。

美智子様のお姿には、

陛下の絹衣のようなおこころざしの、

一心同体のような、

不思議な天のお母様のような

どんな女性にもない強さと

お優しさと、

美しさと

どんなにお年を召されても

宮中の婚礼の時のお馬車のお姿が重なって

光が差し込んできます。


平和への祈りとは、、、何なのか、、、?

平和への祈りの旅を続けられた両陛下のお姿に

日本という国に生まれたことが

言葉にも文にも絵にも表現する手段の見つからない

不思議な次元の

「存在する光」を感じるのです。

平成時代は、

次の時代に続いて行くリレーなのです。

時代という大きな樹の幹が、

まっすぐまっすぐ、、、

何処までも、光に向かってゆくようです。

17日の夜9時から、

自分の生かされてきた時代の

TV番組を、家族皆で、、、感謝とともに、待っています。

NHKは、素晴らしい、国民のアルバムですね。

個人の思いとして、

素直な気持ちを書きました。、





3月は冬の片付けと昭和、平成のTVが、、強い味方です。

2019-03-10 10:39:43 | Weblog

3月は、、、どうやって過ごそうか?、、、
考ええる暇ないほど、、忙しい。

防寒のミニマットを撤去して、洗濯して、ストーブのついてるうちに

乾燥して、来年が、、、元気が在ったら又会いましょう。

キルティングの防寒着も重ねて毛布用のネットにしまう。
6月過ぎたら干してビニールの袋に圧縮して完了、
少しづつ、部屋の中から冬が去ってゆく。

外出する時間はなかなかとれない。

日曜も土曜も、、、一休みのTV映画で

3月は10日も過ぎた。


テレビに
気がひかれる

赤ひげ、、、子供のころに見た覚えがある。

赤ひげ先生がめっぽう喧嘩が強くて

ボキボキ骨折させたり
顎を落としてしまい、、、口が閉まらない野からを

ボキッと音たてて、あごを乱暴に元に戻すシーンは
覚えていたが、、、

後は、初めて見る気持ちで

新鮮な、黒沢作品として、、、4時間近く楽しめました。

加山さんの扮する若い療養所の医師の気質が

TVや映画、を通して、茶の間で思っていたような
加山さんそのもののようなキャラクターの登場で

改めて、。黒沢監督の俳優を選ぶ目というのが

演技という事がいらないような、そのまんまのキャラクターを

登場させていることに、
この年になって気が付きました。

二木てるみは、子役時代から、大女優も及ばないような
天然の女優さんでしたが、

現在は、創られた美人は居ても、

このような女優さんを探すのはむつかしいと思いましたよ。

心を演じられるのですものね。

一家心中で涙を誘う「ちょうぼう」になっていた俳優も

すごい子役ですよね。

黒沢さんが、こうした「にんげん」を引き出すのか

俳優さん方が。黒沢さんという監督に
一期一会の魂で接するから、これほど。。。面白く見れるのか???

現代の女優で、黒沢監督が選ぶとしたら

あやせはるかさんかな~~~?などと、勝手に思いを巡らせた。

黒沢作品で心に残っているのがもう一つ、、、

「マクベス」の日本版のような、、、

「蜘蛛の巣城」

白黒映画で、、、森が動く。

山田五十鈴が、、、手を洗うシーン、、、

子供だった私は衝撃で凝視した映画でしたよね~~~


意外と、あたりが柔らかくって

三船敏郎さんだけが記憶に残っているのが

「椿三十郎」、、、

ほかの出演者の事が思い出せない作品だった。


山崎勉さんの背徳のイメージが強かったのが

「天国と地獄」、、、

三船さんを相手に、彼が主役のように心に残った。


「隠し砦の三悪人」では

上原ミサさんとか?

たしかそんな名前の、

たった一度だけ見たというような女優さんの
まゅげを釣り上げたメイクが印象に残った。

声のトーンが高すぎて、

短パンをハイテいたけれど???

色気を感じなかったのはなぜなんでしょうね?

野生の豹のような美しさだった。

かん高くて、電気ウナギのように感電しそうな迫力があって

幼かったせいか、

完全に傍観者として見ていた自分を思い出します。

映画って、、、

100人が100とうりに感じながら見るだけに

50年後に見た、黒沢作品は

、封切館に行ったような新鮮さでした。

子供の時代の私と

75歳直前の私は

映画の前では別人だったのかもしれません。

、、、、、***************、、、、

三月は何をしようか?

考える暇はありません。

******************

昨日は、建さんの「野生の証明」に一日がボーとなりました。

歌の上手い、、、

快感~~~の薬師丸ひろ子の少女時代が

双葉より芳しい女優さんだったことがわかりましたよ。


童顔であるという事が、

建さんとピッタリと似合っていましたね。


それにしても、

松方弘樹が悪者に見えた映画でしたから

映画って、、、すごいですよね。

法的には正しいのかもしれないが

命という絶対正義の前には

戦争を想定して準備される組織の厳しさは

怖い映画でした。

最後のシーンが

国家と民衆と

組織と個人の心が

絵画のように、

ゲルニカな作品でした。

建さんのファンでもあるだけに

時代に流され散った、、、戦争で死んだ兄二人と

姉一人、、、

生きていたら

戦争をこれほど否定する心を

見落としてしまっていたかもしれない。

どのような命も、

後世に多くの事を考えさせてくれるのが

映画を通しても

教えられる思いがしました。



手塚治さんの、ファックスのこのカットは

心にしみる者がありますね。

戦争のさなかに生きた漫画家でしたからね。

黒沢さんと重なるものがありますよね。

黒沢さんの映画手法とは

廻り舞台で一周した角度の異なる面白さの映画と言えば

水戸黄門とか銭形平次とか、大岡越前とか、、、勧善懲悪の

観終わったときの心が晴れ晴れと明るくなるのが

時代劇のチャンバラですよね。


7時からは、、、欣也ちゃんの大岡越前、、、

華があっていいですよね、、、欣也ちゃんは!!!


黄門様のお供のハンサムな二人と

それを引き立てるのが八兵衛さん(^^!

TVって、、、主婦の人生を救ってくれる友達ですよね。


春が待ちどうしい、、、人生の残りも少なくなて来た婆ちゃんは

結局昼間はスコップ氷割をしましたが、

汗だくで、、、シャワーを浴びて、買い物に行って、、、

そのあとは、、、TVの映画に浸かってしまいました。

時間のある人生も、残り少ない人生も

最大の敵の「時間」を忘れさせてくれる映画。とNHKプレミアム。

大自然の実録。

コロンボさんは、、、再放送です。

若い時の作品が今の私には魅力です。

相棒は、面白く見るために

出てくる組織の身分を

片っ端から検索してみましたよ。

特に、、、任意同行の被疑者の取り調べシーンが

礼儀違反の事が多いので

知恵袋で、、、何故なのか?

検索すると、、、わかりました!!!

拘束できる時間内に自白をゲットしたい焦りが劇映画の

おかしくも、、、、めちゃくちゃな、、、取り調べシーンをうむのですね!?

相棒は、人道主義なのか?

東大生の「緻密な正解は人道に一致するのか?」

杉下さんの緻密な検索が、多くの魅力の中の

一つの考え方かもしれませんね。

花の里と隣り合わせの杉下さんは

若い美男子のセットで、一つの絶妙な「、、、、る」君にkanpai!



17日んぽ9時からは、、、絶対に見ると決めてる番組があるので、

友人、親戚、子供たち、、、孫たち、、、

一緒に、平成を、戦争のない時代だったことを感謝し

災害の多かったことも、

世界中で、地面の下で、核爆発話させないように

災害を誘発させないように、、、

氷山が解け始めたことも、

大気の影響があるかもしれませんし

ケムトレイルって、、、

本当に・存在するのですか?

日本は「日出国」ですから、

太陽の恩恵で、光が降り注ぎ

エネルギーー不滅の法則と信じて、

自然がそれを保存して、

杜のたしかな祈りが天に通じているように

太古からの祈りのある心を、

森羅万象すべてに感じることのできる日本人は

神に近い技で秀逸の物を創れる民族でもあったことが

大戦でも、

植民地にならなかった大きな天与の力だと思うのは

わたしの勝手です。

日本の歴史が守り続けてくれた知恵や、

昭和平成の時代に、感慨無量の心で振り返ります。





国民の一人でいらっしゃった美智子様が

国民の言葉も、文化も、心も素晴らしい窓を開かれて

陛下が、心の窓をお開きになって

素晴らしい人と人の絆のお手本になってくださったことは

この時代に生きれたことを、感謝します。

17日の夜9時は

平成に感謝しながら、TV時間とする、3月の過ごし方を

私は、、、、この、、、日記のブログに書き残しておきます。

どんなにぼけても、、、思い出せる大きな記憶の光ですから。


3月の札幌の過ごし方を考える。

2019-03-02 11:51:00 | Weblog
2月には雪が少なかったおかげで、

耐力、体力ともに回復してきました。


除雪の済んだ我が家の周りを、歩きながら

雪は魔法だと思える時がある。


包装紙を集めるのが好きな女性も多いと思いますが

ネットの買い物は、、、まだしたことのない時代遅れの私です。


半年以上駅周辺の繁華街にも、

デパートにも、行ったことが無いので

雪融けとともに、

今年の

商店街のにぎやかさを体験してくるかな?

美術館にも行っていないので、そろそろ行ってみようかしら、、、

雪かきで明け暮れた3ヶ月は、

閉ざされた雪の包装紙の中に包まれて

外が見えなかった気持ちがするのです、


思いっきり、、、真っ白な包装紙から飛び出して

めっきり知人のいなくなった75歳を塗り替えて、

手先を動かしながら、小さな血液を巡回させながら

同年代の婆ちゃんたちの

生きがいでも聞かしてもらおうかな?

生きがいね~~~???

活きちゃっているから、、、なんかしないとね~~~?

そのような答えが返ってきそうな気もするが、

話す、歩く、笑う、ちょっとは考える、知人をつくる。

ボケ防止になると思えることは、どんどんしながら、

赤ん坊に帰ってゆく自分に逆らわず、

ひねもす、、、

ゴソゴソ動きながら、今度は小さくなってゆく。

日本の国が


我が子の人生の坂道を、外国の人たちの介護メンバーで

優しさを下さるのなら、

それも、、、有りかもしれません。


でも、100歳になって、書き溜めたモノを圧縮して

10行の詩にしてみるのも面白い。

自分の人生は10行の詩の中に入ってしまうほど

宇宙も、太陽も、世界も、日本も、北海道も、札幌も、、、

大きな心の部屋だった。

人生の終焉の10行には

どのようなセンテンスが残るのだろう?

自然の完ぺきなまでの芸術性に圧倒されながらも

美術館や骨董屋さんに立ち寄って

時代から置き去られた作品が、

歴史を語りながら、

孤独に壁に張り付いているのが

不思議な光景に見えてくる。

完ぺきな自然は時として、

災害ももたらすから

自然の一部ですよ、、、

私も自然の仲間に入れてよね~~~

自然は答える、、、

、人間だけの社会の方がルールは厳しくはないのでは?


あなたに、、、自然のおきてを守る若さがありますか?

あの有名な登山家だって、

体力が及ばないと解ったら

自然の怖さを知っているから

人間社会に帰ったでしょう!



老いを充実して生きるという事は

気力、体力、の他にも、、、多くの者が必要です。

若者と老人の間に

文化の壁だけはつくらないように、

ゆっくりでいいから、、、5G時代に

ついてゆくつもりです。

老人は若者の出す空気が必要です。

花を見ると優しくなれるように

若者を見ていると

滅びを感じないのですよね。

私の分解された粒子は、元気な自然の中で

見えなくなってしまうけど

孫子の記憶の中で、

とりあえず50年は知人になってくれているでしょうね。

昭和の十年代に生まれた私たちは

戦争が、終戦する直前まで

戦争とは、、、勝ち負けだと、、、幼い心で生きていた。

人生は長くて100年、

中国のソンシバク先生という医師は120年以上生きたという

長くて150年の時代が来るかもしれない。

TVは「サプリメントの宣伝であふれていますね。

生きているから生きねばならない。


男社会の中で

女性は、

結婚して、、、

子供を産んで

育て終わったら、70歳になっていた。

自分を生きるという事のむつかしさを思いながら、

子供を産まなくなった世代、

結婚しない世代の女性は、晩年はどうなのだろううか?

仏教でいう、、、四苦八苦の、、、一つにならないように

今だけ考えながら、燃焼しつくせば
晩年は老人ホームで楽隠居。?????

来年の冬は、、、雪を掻いてすごせるだろううか?

冬超えが無事にできるだろうか?



3月が、今年をどう生きるかの、、、計画の日々です。



これは手塚治虫さんの漫画のワンカットです。

生前ファックスで戴いたものをカメラで撮影したジーペグを
アップロードしたものです。

手塚治虫さんは、北海道に居らっしゃるとき

お葉書でお知らせくださったのに、、、

私は外せない仕事があり
、、、とうとう、、、実物とは一度も会わずに

人生で一番影響を受けた漫画家のトップの方です。

初対面は5歳ぐらいの時の

ロック冒険記

月世界旅行、

から、、、

アドルフに告ぐ、、、あたりまで

一度はお会いしたかった。

今でも、手塚治虫氏の

漫画に埋もれています。

3月は、手塚漫画をもう一度読み返す月にしようかな?

彼の作品は、、、何回呼んでも、発見があって、

買いためた漫画の本に埋まって、

レオのカーテンの前で

平成時代が過ぎることを、、、万感の思いで振り返っています。


両陛下と、皇室のお出になるTV番組は

必ず見ることにしていますが、


コマーシャルの質を変えると、
もっともっと、、、
多くの人が皇室のムードを学び、

日本人のルーツの中の品位があることに感謝して

守り続けてこられた

日本の独特の文化を、国民として

敬意と感謝で

平成の時代を振り返られるのではと思いました。


陛下が、

被災地で、

ひざを床につけられて、

寄り添ってくださるお写真に

棟がが熱くなって、、、わけのわからない涙が出ているときに、、、

コマーシャルが、

時間をちょん切ってしまうのは残念です。

特別のムードの特別の洗練された、

テンポの緩いコマーシャルになれば

平成時代を、振り返り、、、ジーンとなっているときに

頭から、水をかけられたような、、、

コマーシャルのテンポになるのが
残念な民間の感受性のない作品となってしまっています。

茶の間は,、ドタ―となるのですが、

スポンサーに、とっても、

品で勝負のコマーシャルがあっても

会社が光ると思うのですが、、、ネ。

両殿下の、しかも、平成時代の歴史の集大成という

考えられない映像が、、、スポンサーの会社の計らいで

国民と、皇室の、テニスのように楽しく素敵に

茶の間の見る人をして、、、

あの時の放送の時、、、映っていたコマ^シャるよね!!と

記憶に残るほど、私たちの年代にとっては

気になる伴走者のように思えていますよ。

老婆心ながら、、、

永遠の残る番組とコマーシャルだと考えていいと思うのですよね。

これは、、、独り言の、、、

公開していない日記ブログですから

私的な、、、

なんでも言える洞穴です。

スポンサーさん、、、迷ってこられて

このブログをご覧になっても

、気にすることはありません。
75歳の年齢の戦前派生まれは、、、

思う事を、時代の証言に残すだけです


札幌市の除雪の威力の雄姿

2019-03-01 10:55:32 | Weblog

今!除雪が入っているのです。

女性が一冬の毎日ちまちまと積み上げた雪の塀が

あ~~~~~という間にショベルカーや、

ロータリー除雪機などで

ゴゴゴゴゴゴ~~~~と、、、すごいんだよね~~~!

若い運転手と経験が物言う知恵者の年配の方とセットで

すご~~~~い馬力で、ちまちま積み上げた雪の塀を

崩すと、もう一台の青い車が雪の瀧にして

ダンプの荷台に吹き積み下ろす、

一杯になると、次のダンプが空の荷台を瀧の下で止める。

道路には、中年の男性が、

ボヤ~~~と出てくる「ばあさんに」

ショベルも、ダンプも止めて、
「とおりぬけてくdasa-i ~~~!」

私なら

「婆ちゃん!!!何やってるのよ!あぶないじゃない~~~!」

大声で怒鳴りそうな、、、シーンでも、」

ショベルを止めて、

ばあさんの

奇怪な歩行を見守った後、

再度、除雪作業に生を出したのでした。

プロですね~~~!


こんな大きな音がして、バリバリいっているのに、、、

老女の雪道への飛び出しは

運転手の肝を冷やす。

ここら辺は

老人ホームや、介護施設もありますが、

昨日まで笑っていた老人が

今日は入院したという地区だけに、

除雪も、注意が大変ですね。

見事に手慣れたスタッフが来るのでしょうね!!?




春が来る!、、、除雪が入ったら、、、

心まで、、、春になった。

札幌市は、

雪まつりの自衛隊の雪扱いの上手さもあるし

除雪のロボット機械を運転する雄姿を見ると

孫が子供のころ、、、

「何になりたい?」というと、

除雪の車を指さして

「運転手!」、、、と

迷わず答えていた、、、

懐かしい来し方の春先を思い出した。

今年は、孫も二人目が高校受験直前である、

スマホをいじくっている若者や、

除雪をダイナミックにする若者。

先日の地震で、

お隣さんの裏の家がトイレが壊れて、

壁もヒビが入り

家を取り壊しているが、

日立のすごーい起重機のような

先が恐竜のように

ぎざぎざのサメの口のような、、あごが開き

バリバリと、、、家を崩壊させ、

機械とは思えない器用さで、

トタンや、窓枠アルミや、ドアを選別してゆく。

極め付きは、、、配線だけ器用に

そばでも食べてるように

機械の口にくわえて、

下で待ち受ける麻袋のお化けのようなものの中に

空中からポトンと落として

選別してゆく。

ミサワホームは解体するとき
リサイクルの部分が機械で処理できるという
優れた一面を発見!

ミサワの北海道の当時の職人さんが組み立てたせいもあって

我が家もダメージが大きかったが、

18年の9月の第一回目の地震で崩れたモルタルを

全部剥がして、

水メレの激しかった不良な屋根の下の壁が

腐っていたので、撤去して、

大工さんが三人がかりで、新しい木材に変えてくれた。

地震のダメージが

次の地震で危険な凶器にならないようにと

TVは盛んに放送していたせいもあり、

修理に250万円という

しばらく返済が続く費用でした。

再建できるところはリホームしたが、

電気と水道は、危ないので使用は禁止している。

専門家の「水道や下水の業者が教えてくれたことによると、

「水道栓を今開けると、

どこから水が噴き出すかわからないので

費用が出来たら、管を全部、質の違うものに

全部取りかえしましょう、、、」

名刺を置いて行った。

「こちらも、商売ですから、、、「

お年寄りは、無理の無い計画で

お金がたまったら、、、現金で引き受けましょう、、、」

と言った。

とりあえず、外側だけは立派になったので、

雑貨を運び入れ、アトリエや、本を読む別宅のように、

離れを使いながら、

中は、、、ひとつづつ治しながら

楽しみに,、、住みながら、

いつか、使えるように、しようと、、、焦らない。

札幌市の固定資産税課に電話をかけて

損害と言えばモルタル落下の250万円の修理ですが、、、と

質問したら、

半壊以上は、、、税金の申告は無用というので、

控除されるようでは、、、命はなかったかも、、、?

ひやりとしながら、地震の怖さを振り返る。




サイデンぐして、補強したから、

一安心、、、

一難去って又、一難!

今回は、ブロック塀がひび割れたのがめだつ。


とりあえず、息子たちの協力もあって、

すぐに、耐震修理をしたので、

19年2月の2回目の地震では

家は大丈夫であったから、

生き残ったのかもしれない、、、当座はネ!!!

お隣の家は、全部壊して、

業者に売ってしまったと言っていた。

お嬢さんだった娘さんも、叔母さんになって、

母が、自宅は使えないというので、、、と。

思い切って売ることにしたそうです。

「壊し代金が馬鹿にならないので、思ったより安く引き取られました。」

でも、売れてよかったですと、、、安堵した表情で去っていった。

一週間もたたないうちに

バリバリと音がしていたが、
家屋崩壊業者が、
細心の注意で作業を進めているのが
近所にも伝わってきた。

除雪が入ると、
家の破壊行動はストップした。

除雪が終わると、

家屋解体業者が再び行動開始である。

最後の残っていた北側の屋根付きの壁が

巨大な機械の鮫ノ口で引き倒された。

金属の部分と木部が

人間の指先よりも器用に

はがされて分類してゆく、、、機械の口に

見ている私は圧倒された。


家なんて、、、、払うのは35年かかっても、、、

壊すのは、2日あれば更地になってしまう。


国は、、、死んでゆく老人の家は壊して、

リサイクルするものと

ゴミとに分けて、

成人した、新たな世代が、、、又、、、

35年かかってローンを払い、、、

マイホームだと思って愛するが、

人は愛を抱いたまま、、、

粗大ごみになってゆくって、、、思ってしまった。

誰でもが、、、焼かれて灰になる。

今どきは、、、

墓を守る世代も減ってきているそうである。

子育ての時、、、谷内六郎だったかしら?

面白い詩を書いていたのを、、、思い出した。

、、、馬鹿、、、歯か買った。

極め付きは、ヒットした音楽家の流行歌!

お墓の前で泣かないでください、、、

そこには、、、居ません、、、。

ほんと、、、。

私の母が、生前、、、同じことを言っていた。

教会でも、昔、、、シュミット先生が言っていた。

居るとしたら、、、

子供の思い出の中に,居るのかもしれない。

千の光になって、、、冬に雪の白さとなって

冷たい体温で、、、ささやくのかもしれない。

「私を、、、

冷たいって言わないでください。

心も凍る北海道の

マイナス温度の冷たさから

雪になって、、、

あなたたちを守りに帰ってきたのだから。

冷たいって言わないでください。」
真っ白な雪の中に

冷たく優しかった母の顔が

ぼんやりと見えるような気がした。



3月になって、、、、雪は邪魔よ!

さあ、、、里帰りの冬は終わったわ!

千の光になって、、、空の青さになって

私たちに春を届けてネ。


生きてる若者の冷たい心に溶かされて、

霧散する先祖たちよ、、、!

若さとは、、、言い換えれば「残酷な年齢」

治した我が家が正解なのか?

壊した隣が正解なのか?

家も、不動産も、、、生きてる間は自分のモノと持っても

国からの借り物よね、、、

不動産屋さんは、、、いち早く、、、借り物の

家屋敷に気が付いた人たちね!。

日本の国は資源が無いから、、、

ロンダリングで

エネルギー不滅のシステムをつくっても、

やがて、、、子供を産まない世代が

このシステムを逆さに利用して、

マンションを舞台にして、

自分の一代だけに集中して生きて、、、

次の世代は考えないという

自分以外は削除に出たから、、、

日本の未来はどうなるのでしょうね、、、?

高橋知事さんも

今期で衆議院になられるのでしょうか?

こんなに北海道で愛された知事さんでも、、、

転機が来ましたね。

二人のお子さんを背負った姿の写真の知事さんには

忘れられないお母さんの温かく賢明な導きをいただきました。


除雪も、50年間を通して、

高橋知事の頃から、私も、

道路を力の限りちまちまと,、、雪降るたびに

ショベルで雪を掻いてはマンホールの段差を埋めて回りました。

そして除雪隊と、、、家の壊し屋さんが出会ったとき、

さすがの日立のクレーンのような怪物機械も

札幌市の除雪隊には

敬意を表したのでしょうか、、、?

休憩を入れて、
除雪が終わるまで、

解体作業を休止しました。

これは、、、プロ同士の、、、敬意の表れでしょうか?

良いものですね、、、

喧嘩になったら、、、機械の戦争のようになり、

スターウォーズの世界になってしまうますよね。

壊れかけたミサワホ-ムの
箱を一杯積み上げたような丈夫な壁が

むき出しになって、、、

除雪の成り行きを見ているかのようでした。

ミサワホームの解体を見て

優れたところがかなりあることが目につきました。

雪対策のプロが設計すると、

丈夫な100年住宅が出来るパネルだと思いました。

施工業者をしっかりと指導して、技術の認定制度にして

一律の技術に維持すれば、

我が家が50年間苦しんで

リホームしながら可愛がっている家が

リホームなしのマイホームになって、

若い世代の家のメンテナンスにも

費用も時間も不要の素材であると、、、解体現場を見ていて思いました。

雪国用の点を配慮すれば、、、解体にはもったいない!と

痛感しながら、2日間びっちりと、作業を見ていました。

家は、、かわいい
、、、
それだけに、、、

壊されるのは、、、なぜかかわいそうですね。

親子、孫、ひ孫と3代間は壊さなくても良い家が

日本中に、マイホームの心をはぐくむといいですね。


両方とも、、、

北海道ミサワの建売の昭和50年代の家であるが

隣の廃材は新品に近いメインの木材が処理されて

ダンプに積まれてゆく。

対面の借家のミサワは屋根が落ちて

暖気が繰り返した10日前までは

一抱えもするツララが

地面に届き氷柱になっていたが、、、

数本!だけ残っている

大家さんは室蘭とかに居て?

見に来ることも無いので、、、

治してくれと言っても

現場を見に来ないから、、、頓着なく☜、、、

たなこさんは、、、時々愚痴るのを聞いてあげるだけ。


私は、、、

ミサワホームは、雪国対応住宅部門を研究すれば

十分、対応年数が長い、、、

アイディァ上等のパネルだと思うが。

組み立て者が、

ばらつきが多いので、

様々なレベルの家が出来てしまうと思えた。

対面の家の屋根が

きしんだ段階で、

勾配を急にして、

雪が滑り落ちる二重の屋根に変えた我が家は

軒先が、壊れずに、

新品のままであるが、

地震の被害の壁の修理で

立派な足場が組まれたので

ついでに屋根の板金塗装を追加して

次の余震に備えたのでした。

我が家のミサワは、北海道に初めての上陸時代の

ミサワテェーンのような、ミサワの作品であった。

毎年のメンテナンスには、あちこち何回も

百数万円の出費が余儀なくされて、

ローンが終わったのは60歳を過ぎていた。

屋根が問題だった、

勾配も、氷が溶けにくく、

軒も長すぎた、

北海道の雪の重さや量に耐えるのには

窓が大きすぎて、

ガラスが弱すぎる素材である。

窓枠も、敷居も階段も

年輪のない、木目もない、草のお化けのような
ラワン材を使ってある。

敷居はえぐられてゆくやわらかさ、

虫の侵入が木部を

巨大な虫の群落の住む巣にしてしまうという

壁のすき間が処理できていなかった。

屋根は二重にして、勾配は急にして

壁のすき間はこまめに詰めてもらって、

サイディングは、

認定免許を持った技師にしていただいた。

旧い年月は経っていても、

パネルが強いだけに、

リホームしてみた。

日本全体の経済を考えると
モノは、、、命ある限り使い切ると
おじいちゃんに教えられて育ったから、

捨て得く、、、という

合理的な考えは理解できても

旧い家をリホームすると

可愛くて仕方がないのは、、、私の癖かもしれない。


家を持つ方がよいのか?

借家が合理的なのか?


はたまた、羊飼いに誘導されて

マンションを買うのがいいのか、?

資源のない日本は、不動産は


個人の名義であっても、

実は国家のものと考えると、

固定資産税の存在の意味は

国への管理費用でもあり、

除雪の時期の、、、ありがたさでもある。

この家は、、、本州に出て行った次男や長男や
はたまた、、、孫子の心の居場所となって久しい。


春が来ると思いながらも、

女医さんの少ない日本は

せっかく医師になれたのに、

職場結婚は確率も少ない。
技師さんや、看護師さんは
若くて、イケメンの相手とどんどん結婚してゆくから

中年になった息子は、
オジサンさん扱いとなるのでしょうね!、、、(++!!

ERの現場で
働き方計画の届かない現場というよりは、、、

時間制限は無理な、、、

ドクターヘリの飛んでくる大病院勤務、

臨床医の息子は

とうとう、、、45歳になっても独身である。

「母さん、、、心配すんな、、、

結婚しなくては死ぬというのと違うからな!」

忙しい、

ドクターヘリの飛来する「大学病院附属」の現場で

青春を仕事に燃焼しつくした中年に突入。

仕事バカの外科医の夫。

仕事バカの臨床現場の救急医療現場で

自分が年齢が45歳になるというのにも

気が行かないのか、、、

話していると30代の若さである。
三国志の話は特に面白い!
講談のように私は聞きほれる、

頭の中は、
病院が家族のように居場所であるのだろう。

突然!興奮したのか?
トーンは静かであるが、、、聞いてほしいことがあるようだ!

「こんな、、、生死の境目に居る患者さんが

助かったんだ、、、:」とか、

自分でなければ出来ない

現場の技があるのかもしれない。、

患者さんが助かったときは

「医師になって良かった、、、」と、、、ほっとするらしい。

とにかく、現場で生きがいを感じている以上、、、

病院を300メートル以上離れない生活が20年以上続いている。

尊敬した、
現場の技を教えてくれた上司も

仕事を任せてくれて、

次の職場に行って、、、年月は情け容赦がない。

今は、博士号も取得して、

現場の科の科長となっているが。。。

生きがいは仕事だけのようである。

ヒコーキに乗らねば行けない息子の所には

結婚相手を探しに行くという結婚の為のの世話にも行けない。

今年だけで、、、

身近な人が

数件の、、、もったいないようなお嬢さんを

世話してくださったらしい。

心から感謝と、お気持ちはうれしいが、

成立するまでの根気あるお付き合いの時間が取れず

心ならずも、

医療現場からは連絡も不規則に

義理を欠くことが多い仕事優先の現場医師である。

恋も、愛も育てられない、ERの、、愛が邪魔な職場だけに

世にいう、、、時間こそがが敵になってしまう。

時間は次男の息子に、優しくはしてくれない。。


持てるキャラクターからは程遠い。

忙しい、、、忙しい、、、時間が最大の敵である



札幌の雪が、、、こんなに積もったとか、、、

写メールソても、返事が来ない。


一回位はお会いしても、、、

自分から

次に声掛けをする暇がないほど

仕事が溜まって、、、、髭も剃らない。


中学時代など、、、吹奏楽の指揮者をしたり、

草野球部で「スコア―カード」をかけるのは

子供たちの中では、、、彼一人の特技だった。

かくし芸のように持てて、

マウンドに居るより、スコア―を書いていた。

南高校に進学して、、、

ジャズや、マルタのアルトサクソフォンに狂った。

「母さん、、、僕に高校時代の青春を先にくれ!」

友人とライブを開いたり、、、

ライブに夢中の3年間は

中途半端な実力で

音楽の厳しさ知っただけだったのではなかろうか?

頑張りさえすれば、
現役で大学入学の基礎能力はあったはずである。

「人生の終生まで必要な勉強」は置き去りだった。

婆ちゃんが、音楽家っだったことが

青春まっしぐらに社会貢献よりも、

自我の満足に走らせた

青春の迷い道だったようだ。


あの頃は、、、同級生の女生徒にも

音楽を通じてなのか、、、

結構、、もてていたように傍からは思えていた。

中学の卒業式には

卒業の合奏の指揮や

はたまた、、、

アルトサクソフォンの

ソロを

學校サイドから所望されて、

演奏して、卒業した。

札幌市の郊外の

創設したばかりの中学だっただけに

ラサールと、
南高校が合格。

吹奏楽の指揮者、、、

野球ではスコア―が書ける!。

水彩画は札幌市で金賞の道庁を描く、、、

地域では優等生だったのだが、、、

婆ちゃんが音楽大学を卒業した女性であったことが

彼を、、、中途半端な音楽の世界へと魅惑した。

音楽中毒時代を得て、、、

ふと気が付くと、、、

「自分の居場所が無い!」


浪人して、名門の私立医科大学に合格したが、、、

切磋琢磨の勉強人生をよそに

軽音楽ばかりに夢中の毎日だったこともあり、

青春の酔いからさめたときには

たった一人、、、浜辺に立っていた状態で

青春の夢から覚めたのだろう、、、か?

やおら、、、初心を思い出した。

月が、、、とっても碧いから
遠回りしてゆこう、、、

すがはら つづ子さんの歌と重なる次男の廻り道だった。

、、、

中学校一年生のとき

僕は爺ちゃんや、お父さんや、、、叔父さんのように

病気の人を助ける「医者になる!」、、、と

父の入院中には言っていたことを、、、

思い出したのだろう。

勉強だらけの現場に無事に帰還した。

大学受験の現場には強い。

寝食を忘れて勉強のエポックを埋めて

何とか、、、名門の私立医科大学に合格した。

父親だって、爺ちゃんだって、
臨床医としては
患者さんが先生だった、

地方の基幹病院の500床以上の救急病院の
ヒトツの科を任されて

リーダーとなった以上

目が覚めると、、、
残された道は

病人の命と戦うチームの臨床医になっていた。

目先の目標に突入。


そのうち、、、現場での必要とされる実感に

人生をかけてみようという。。。

全く、、、目先の夢にド本ボン!!  と飛び込んで

泳ぎつかれるまで、、、目が覚めない。




仕事は生きがいを感じているのは伝わってくるから。

独身で、目下満足しているのだろう。
「母さん、、、僕は、、
僕の事を、
「運命の人」だと思ってくれる女性に

出会うまで

「自分からは」、
アクションを起こせないような、
仕事絶対優先の現場に居るんだよ、

家庭に全力投球できない立場なんだよ。

次元は違っても、

皇太子殿下のご結婚のときのTVでは
「公務の為、あなたを守れないかもしれない。」。。と

皇太子殿下が申されたことが、、、

逆に、、、聡明な、

美智子妃殿下が、、、

「御誠実で、御尊敬できる方だと、、、」

日本中がご成婚で話された会見に

心から、、、素晴らしいお言葉だと思いました。

TVで、昔の映像と一緒に放映されていたけれども、

一億人に一人は、、、

あのような

理想の女性も日本には居るんだよネ、、、。


皇太子殿下のお立場の厳しさとは

比べられないのは重々わかっていますが、

美智子様のような、、、女性は、

民間の、、一人の医者の前に

現れるはずもありません。


理想を追うのも30歳まででしたが、

やはり、、、好きと嫌いのはっきりした性格だけに

傍からは、何も言えませんね。

本人の出会いの運命にかかっているとしか

親はちょっかいを出せないジャンルです。

息子の周りには、厳しく美しく、冷たく温かな

雪のように、、、

いつか融けてくれる冷たさの中で

息子の周りの暖かさは

プロの厳しさという
雪の土手が立ちはだかっているようですね。

雪の結晶で有名な北大の「なかや先生」の人工雪の実験は

本になって、雪を教えてくださっていますが


私は、札幌の雪の話ばかりメールする。



正月に、

一度帰ってくると言って待った。

何年かぶりで、家族と正月が出来ると

決死の思いで人波の多い正月の切符がとれたのに、、、

飛行機は羽田を出発して、札幌千歳間の大雪の為

旋回をしては、、、元の羽田に戻っていった。

断腸の思いで、
正月のオンコールを
後輩に頼んでの帰札なのに

時間だけを
つぶしてしまったことがあって以来、、、

正月の帰宅は無くなった。

    

札幌の雪は、、、除雪をされると

春が来る。



外出もできる。

疲れた身体がもとに
もどってゆく。

男たちの現場の除雪作業を

毎年カメラで撮っては、

カッコいい―と思うのは、、、年齢には関係が無い。

すごい、、、馬力で、、、すごい量を

あ~~~という間に片付けてしまう現場。

女性がいくらインテリになっても

この現場は、、、進出できないだろう!


外科医のカッコよさも華があるが、、、

除雪のカッコよさは、、、孫たちの驚きとあこがれがある、、、


不思議なビートの利いた、、、モダンジャズなのだ。


齢75を目前に、

除雪隊が来ると、、、表に飛び出して

作業が終わるまで、塀の上から見学している。

男の子を二人、、男ばかりの孫が3人、、、

兄弟が男3人、、、

夫の兄弟も男3人に紅一点!

やっぱり、、、

男の子のカッコよさは

アクテイヴな、

女性が真似できないビートでしょう!。


若さが戻ってくる!


雪の季節は困るけど、、、

除雪で春を呼ぶこの瞬間は

札幌市に住んで良かった!と思える。

とにかく、、、

すごい処理能力にびっくりする。



24歳まで、東京は5センチの雪で、、、、マヒしていたっけ、、(^^!

札幌の除雪に感謝!




45歳で独身で現場のERで、
仕事の魅力にドボンと浸かっている息子よ、、、

たまには、除雪の時期を思い出して!!!

人生の。。。。たまりまくった

雪のようなものを除雪する気持ち良さを

味わいに、

春の札幌に、、、

束の間の故郷情緒を味わいに来ないかい?

ママも、、、
総白髪になって、、、
間違いなく、、、
ばあさんになりました。

家も、車も、嫁さんもいない、
仕事人間の息子よ!

四苦八苦の中には、、、
冬の雪もあるかと思うけど、、、

老いて、、、
一人は寂しすぎるよ。



孫には、、、
高校はどこでもいいから、、、

札幌に居てねと、、、
言っているんだよ。


南高校の卒業生は、、、皆、、、

札幌から、、飛び立ってしまうから

親は寂しいよ。



札幌の大学を出て、
札幌に居て、

普通の職場で、
家族離れ離れにならないように、

雪解けとともに、、、

高校受験目前の孫に

未来の夢を問うてみるかな?





春が来た!、、、今!、、、

雪のなくなった、、、我が家の玄関に!

春が舞い降りた!




除雪のカッコいい写真は、

家族でスライドショウで観ては

楽しんでいます。


本当は公開したいのですが、

私だけの感動にして、

しまっておきますね!

現場に居ないと、、、写真見せても、、

除雪の醍醐味の実感が伝わらないから

観光客にも、、、こういうところを診てもらいたいね!!!



大人になった息子にも

冬の寒さから守ってくれるとはいえ
雪は雪、、、!

、雪があっては、、、春は遠い。

暖かい国で、雪のない国で

運命の,、、天のみ知る女性に逢える知らせが

75歳の高齢者になった母の祈りかもしれません。