明るく楽しい日々を願って。

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平安の女性装束ー袿(うちき)姿の女君ー

2017年09月01日 | Weblog

今日から長月に入り急に涼しくなりました。

お昼時に最高気温が25℃でした。

街行く人は長袖を着ている人が多い。

 

 横浜朝日カルチャーセンターで開催された

「平安女性装束ー袿(うちき)姿の女君」の

講座に行ってきました。

 

平安時代の古典の中に袿(うちき)姿の

女君や男君がでてきますが、

解説文だけですと、よく解りません。

そこで、この講座を受講することにしました。

 

講師は、畠山大二郎先生。

愛知文教大学文学部准教授の先生で、

1983年生まれのお若い新進気鋭の先生でいらっしゃいます。

     

和装のお姿でお出ましになりました。

(Webからお写真をお借りしました。)

 

先ず、女性装束の変遷をお話くださいました。

印象に残ったのは、高松塚古墳の女性像のお話です。

     

高松塚古墳の女性像です。

(Webから図をお借りしました。)

この女性像は、胡服(ユーラシア大陸の内陸部から北方全域へ

広がった遊牧騎馬民族由来の衣服)だそうです。

特徴は、二部式・筒袖・左衽(さじん)の服装で、襟は左前です。

上の絵の真ん中の赤い服の女性の襟は左前ですね。

なるほど、気が付きませんでした。

 

先生のお話では、襟を左前にした理由は、

騎馬民族は弓を使うので、

襟に手が引っかからないようにするためと仰いました。

日本の和装は刀を使う時に左前だと手が襟に引っかかるので

現在のようになったということです。

…なるほど。 

始めて知りました。

 

さて、袿(うちき)の説明ですが先生のプリントは、、

白黒プリントでしたので、カラーに変えて

自分用の説明を作ってみました。

     

こちらは、国宝・源氏物語絵巻 宿木一の復元模写図をスキャンして

トリミングし、そこに先生の説明図を書き入れました。

     

袿は、「うちきるもの=はおって着るもの」からきた名称です。

袿姿は、褻(け)の装束で晴れの装束ではありません。

日常に着る装束です。

 

もう一枚は、同じ源氏物語絵巻 宿木一の復元図で、

今上帝と薫が碁を打っている場面です。

     

帝は、白い袿を着ています。

(この場面は、帝が娘の女二宮を薫に嫁がせたいとお思いになって

 薫と碁を打ち三番勝負に勝った薫に、女二宮の降嫁をほのめかす

 場面です。帝は日常着の袿を着ています。)

 

宿木一の全体図は、こちらです。

     

テキストの折り目が真ん中に入ってしまいましたが、

本来は一枚の絵です。

 

袿の説明の多くは、文章のみで解りにくかったのですが、

先生のご説明でよく解りました。

 

また、先生は源氏物語絵巻に描かれている直衣の

生地を復元なさって、見せてくださいました。

三重襷という織りです。

 

三重襷を描いた源氏物語絵巻図をアップします。

     

こちらは、平成20年に発行された「源氏物語一千年紀」切手の

自作MCカードです。

「国宝・源氏物語絵巻 鈴虫」の切手に合わせて作成しました。

これですと絵が剥落してはっきりしませんので、

復元された絵をMCにしました。

     

 

冷泉帝と源氏の部分を拡大します。

     

二人のお召し物が三重襷の織りの直衣です。

 

     

こちらが、三重襷の図です。

 

先生は、この三重襷を復元して

お見せくださいました。

実物は、縠織(こくおり)といって、

お米粒のようにブツブツしていて

布地は、ゴワゴワしています。

 

源氏物語絵巻には、

この縠織の直衣を着た男君が

多く描かれています。

 

手の込んだ美しい織物でした。

 

この講座に参加して、

平安時代の古典への理解が

一段と深まりました。

 

次の「平安女性の装束・細長」の講座は、

朝日カルチャーセンター横浜で、

平成29年12月16日(土)に開講されます。

これにも行ってみたいと思っています。

 

 

 


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