玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

諏訪哲史『偏愛蔵書室』(5)

2023年01月20日 | 読書ノート

 諏訪はあとがきで、次のように語っている。

「本書では、新刊販促の意味も持つ通常の「書評」のように、おおまかな「あらすじ」を概観するなど、読者への「商品」案内の利便にはいっさい頓着していない。まるで無作為にぱっと本を開くかのような唐突さで、いきなり「文章」をフォーカスし、引用している。読書にとってはほんらい、全体は不要というか、あくまでも参考にすぎず、ひとつの極まった文章さえあれば、それだけで文学的トリップは可能だ。」

 確かに「あらすじ」など、ほとんどどこにも紹介されていない。このような書き方は、私には馴染みのもので、私自身このブログで小説を批評するときに、あらすじを書くことを極力避けてきたからだ。「全体は不要」というよりも、諏訪はやはり物語への評価を低くしているからであって、小説全体というものは把握されていなければならないと、私は思うが。
 あらすじを組み立てることはそれほど批評的な行為で時はない。ある意味でそれは祖述としての意味しか持たないし、作者の思惑に忠実に沿った行為であって、むしろ批評的なのは〝引用〟という行為なのである。諏訪は「まるで無作為にぱっと本を開くかのような唐突さで」と書いているが、膨大なテクストの海の中から、他の大部分を度外視して、わずか一滴の水を掬い上げる行為が、用意周到で、戦略的な批評行為でないはずがない。
 そしてさらに、あらすじ紹介は必ずしも読者をその作品に誘い込む手段としてはレベルの低いものであって、必ずしも読者はそんな誘導に引っ掛かりはしないのである。しかし、吟味されて選択された引用文は、読者を誘惑する手段として第一級のものだ。読者は批評によって選択された、その作品の中で飛び切り重要な部分にじかに触れることができるのであり、引用文と批評者のコメントによって、倒錯的な〝読む〟という行為に誘い込まれずにはいないからだ。
『偏愛蔵書室』には何本か漫画について書かれた書評があるが、漫画を論ずるときに以上のような経緯は露骨に示される。私もかつて偏愛した林静一の『赤色エレジー』からの引用は鮮烈を極めている。『赤色エレジー』を表面的に読めば、昭和の時代の若い男女の同棲生活を描いたものだ。だからよく、南こうせつの「神田川」を引き合いに出して語られることもあるこの作品だが、諏訪はそのことに真っ向から否定的である。
 林の『赤色エレジー』は、青春時代へのノスタルジーによって描かれたものなどでは断じてないし、この漫画を唄にしたあがた森魚の「赤色エレジー」などは、林の原作に泥を塗る冒?的なものでしかない。そのことは本書22頁・23頁に引用された林の絵を見れば一目瞭然である。


 この時代ならば「ねじ式」のつげ義春だけが可能にした、実験的描法に近い頁が、諏訪によって引用されていることを見なければならない。誰もこんな風には漫画を描かなかった、そのことの重要性を諏訪は引用によって、批評的に提起しているのである。引用とはこのように批評の極意であり得るのだ。
 さて、3月まで『アサッテの人』を我慢して読まずにいることができるだろうか。
(この項おわり)


諏訪哲史『偏愛蔵書室』(4)

2023年01月19日 | 読書ノート

 ナボコフの項は本書の巻末に置かれていて、特別の意味を与えられている。だからナボコフの項の最後は『偏愛蔵書室』全体を締めくくる、次のような一節で終わっている。

「なべての人の愛は「偏愛」である。それは純真であればあるほどむしろ背き、屈折し、狂気へ振れ、局所へ収斂される。人は愛ゆえ逸し、愛ゆえ違う。慎ましく花弁を閉じる倒錯の花々。それこそが、僕の狭い蔵書室から無限を夢みて開く、これら偏愛すべき本たちである。」

 ここでは倒錯が本を愛し、本を読むことと結び付けられている。ひとに隠れ、秘かな悦びを求めて〝読む〟こと、これほどに倒錯的な行為があるだろうか。「慎ましく花弁を閉じる倒錯の花々」を、人知れぬ隠微な悦びをもって、ひとつひとつ開いていく行為を倒錯と呼ばないわけにはいかない。花々が倒錯しているのではない。花々を開いていく行為が倒錯そのものなのである。そして、すべては〝読む〟ことによってしか始まらない。
 諏訪は本書のあとがきで、読むことへの執着を次のように語っている。

「不謹慎を承知でいうなら、本当は、僕は、ただ書きつづけるという生き方より自分で買った本をひたすら「読み続ける」人生をこそ送りたい。もとより、作家になっていなければそうするつもりだった。」

 書くことよりも読むことに重点を置くこのような姿勢もまた、小説家よりも批評家的なあり方だと言えるだろう。小説はなにも読まずに書くことができるが(読んだ方がいいに決まっているが、私はかつてほとんど小説を読まない〝小説書き〟に出会ったことがある)、批評は作品を読まずに書くことが決してできないからである。批評が作品との出会いによってしか発動されないことは、言うまでもないことだろう。
 諏訪が次のように書くとき、彼は読むことの重要性をあくまでも強調しているのである。その一節は石川淳の項末尾に置かれている。

「遠くセルバンテスの世から小説とは世界を綜合し書くことではなく、分解し読むことだった。拾得の錯乱する箒(石川淳の「普賢」参照)こそは文学に病んだ現代人の好個の筆、僕らが世界を読むための筆だ。さても事の本質は読むことなのであった。」(カッコ内引用者)

 書くことの前に読むことがあるというのではなく、書くことの本質の中に読むことがあるという主張は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』によって、諏訪が?んだ真実だったであろう。『ドン・キホーテ』の主人公ドン・キホーテは、あまりに多くの騎士道物語を読んだために気がふれてしまい、自分が遍歴の騎士になったつもりになって、愚行を重ねるのである。
 主人公の〝読み〟だけでなく、作者セルバンテスの世界に対する〝読み〟もまた、主人公の存在を通して、書くことの中に胚胎しているのであった。『ドン・キホーテ』では、読むことはいささか道化に似ているが、批評とは道化のようでありつつ、読むことの倒錯を実行するものであるとも言えるのではないか。
(つづく)

 


諏訪哲史『偏愛蔵書室』(3)

2023年01月16日 | 読書ノート

 以上、諏訪哲史の小説における「物語」「批評」「詩」の要素についての議論を、批判的に検証してきたが、私は諏訪の考え方を完全否定しているわけではない。彼がレーモン・ルーセルの項で言っていることは、あくまでも正しいと私は思う。

「物語は普通、我々の物語元型への既知を巧みに利用し、それを模倣・再生する。つまるところ、すべての物語とは、既知の物語なのだ。」

 物語が既成の文学を補完するものでしかなく、制度としての文学を延命させるものでしかない、という考え方がここでは示されている。その意味で諏訪の言葉は正しい。しかし、〝未知の物語〟というものは存在し得ないのだろうか。想像力を全開にした驚異の物語は、未知の物語であり得るのであり、否定すべき物語の範疇を超え出ていくものとして評価できるのではないだろうか。それを物語と呼ばず、批評と呼ぶのだとすれば話は違ってくるが。ただ、既知の物語を超えていく営為がそのまま批評であると、私には言うことができない。
 諏訪哲史は芥川賞作家であり、小説家としてデビューした人だが、根っからの小説家は彼のようには考えない。虚構と物語はイコールではないかもしれないが、もっと虚構の可能性に賭けようとする姿勢を見せるのが普通の小説家である。ノーベル賞作家バルガス=リョサならば、小説における虚構というものを現実の世界に対する〝もう一つの現実〟として提起し、虚構が現実を乗り越えていく可能性に賭けるに違いない。
 そういう意味で諏訪の位置は、小説家よりも批評家に近いと言うことができる。ウラジーミル・ナボコフの項の冒頭にある次のような一節は、小説家の文章とはかなり異質なものがある。

「文学とは言語の病、倒錯である。優れた創作は優れた倒錯、優れた作者は優れた倒錯者、」芸術は闇に咲く、目映い倒錯の徒花である。」

 私はかつて、「批評と逡巡あるいは「批評」と「倒錯」」という文章を書いたことがあり、批評という行為を性的倒錯をも含んだ倒錯と同一視しようとしたことがある。というよりもむしろ、性的倒錯と表現論的倒錯とを意識的に同一化させて、批評という行為と対峙させたのであった。
 性的倒錯が人間の「内部」と呼ばれるものの空間的・時間的肥大とともに発生するのであるならば(このことについて詳述することはこの場ではできない。拙文を読んでいただくしかない)、表現論的倒錯と同じ発生源を持っていると思われたからである。私は別の「離反の融合」という文章で、次のように書いた。

「だから、「性的倒錯」なるものが独立に存在することはないし、「表現論的倒錯」なるものもまた、自律的に存在できるものではない。存在するのは、性的理解に限定されない、精神の運動としての「倒錯」そのものだけである。」

 私はその時、倒錯というものと批評というものを結び付けて考えたのだったが、諏訪はナボコフの項で、倒錯を文学一般あるいは小説そのものと結び付けて考えているのである。私にとっての批評は、倒錯の後ろめたさと強く結び付いたものであったし、諏訪にとってもそうであったであろうことは、「言葉の病」という後ろ向きの言葉や「倒錯の徒花」という否定的な言葉によって明らかである。
 しかし、そのような後ろめたさは克服されなければならない。諏訪の文章は倒錯を前向きに肯定する方向へと進んでいく。「ロリータ・コンプレックス(ロリコン)」の語源となった『ロリータ』を書いたナボコフは、「優れた倒錯者」であり、「優れた作者」でなければならないのである。ここにも性的倒錯と表現論的倒錯を、戦略的に同一化しようという姿勢が窺える。
 私もまた「倒錯とは倒錯からの快癒の運動である」というテーゼを立てて、開き直ることで後ろめたさを払拭することができたのだったし、諏訪もそうであったに違いない。
(つづく)

 


諏訪哲史『偏愛蔵書室』(2)

2023年01月15日 | 読書ノート

 ただし、こうした考え方は、物語や批評、詩がそれぞれ独立して存在しているか、あるいは存在できるという固定的な考え方に結び付く恐れがある。たとえば、批評には物語がないかといえば、そんなことはないのであって、ミシェル・フーコーが自著『性の歴史』について「それもまた虚構である」と言ったように、哲学的論考でさえ虚構の一種として捉えることができるのである。
 私はこれまで批評だけを書き継いできたが、それが虚構であることを意識しないで書いたことはない。私は論理の筋道を〝物語〟のように構成してきたし、おそらく批評でさえそのように書かれざるを得ないのである。それが〝俗情との結託〟に陥るかどうかはまた別の問題である。
 また、批評が詩を孕む一瞬ということもあり得る。批評の文章を書いていく過程で、ある一文が啓示のようにしてもたらされることがある。諏訪は林静一の項で「何度でも言うが、使途は情念である以上に技法(テクネー)であり、ゆえにそれだけが技術(アート)となる」と書いていて、詩の技術的側面を強調しようとするが、それだけでは測れない部分がある。批評から見てもそのことは言えるが、詩それ自体から見るとすれば、〝詩=技術〟という議論は十分なものとは言えない。
 諏訪は横光利一の項で次のように書いている。

「内容だけを右から左へ伝達するもの、それが物語。これに飽き足らず、物語に変形・加工を施そうとする不断の革命精神が批評。批評の要請に応じて言葉を歪曲し、伝達にあえて迂路(うろ)を創り出す技術が詩だ。」

 このようなことを言われたら、多くの作家は腹を立てるに違いない。物語が「内容だけを右から左へ伝達するもの」でしかないとするならば、人間の想像力・創造力が否定されてしまうことになるからだ。我々は多くの超自然的な物語を知っているが、それらが読者に与える驚異の感覚について、それを単に「内容だけを右から左へ伝達するもの」と呼ぶことができるだろうか。
 また多くの詩人も腹を立てるに違いない。詩が批評を孕んでいるということは、ボードレールの時代から言われてきたことであり、小説だけが批評を要請するのでもなければ、批評が詩を要請するのでもない。ボードレールの詩が、彼の批評的営為によって支えられていたように、現代の詩人もまた世界に対する不断の批評的営為によって、初めて詩人たり得るのであって、彼が批評によって呼び出され、技術的要請によって存在意義を与えられると考えることは間違っている。
 ということは、「詩」が独立して「技法」や「技術」に還元される行為なのではないということを意味している。諏訪は「物語」と「批評」と「詩」が分業体制を受け持っているかのような言い方をしているが、そうした考え方はおかしいのではないか。「詩」と言わず、「ポエジー」(詩性)と言わなければならない。ポエジーとはひとが世界に対峙する中で、ある一瞬啓示のようにもたらされるものであり、それを簡単に技術に還元してはいけない。
 私の議論が不可知論的で、神秘主義的だと言うならば、ヴァルター・ベンヤミンの「言語一般および人間の言語について」を読んでみるとよい。そこには言語の本質が見事に捉えられていて、啓示ということが言語の本質的な在り方そのものによってもたらされるものであることが、示されているはずだ。ポエジーの発生する地点は恐らくそこにしかない。
(つづく)
 

 


諏訪哲史『偏愛蔵書室』(1)

2023年01月14日 | 読書ノート

 三月までに諏訪哲史の『アサッテの人』を読むことになっていて、同じ著者による『偏愛蔵書室』という書評集を発見したので、さっそく読んでみることにした。古典的名作からマイナーな作品、初めて聞くような埋もれた作家の作品まで、百冊が取り上げられていて、私の読書傾向と近い部分もあり、面白そうだったので飛びついたのだった。
 マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の項は、次のように書き始められている。

「世界文学史上最高の小説である。誰がどんなに頭から湯気を出して反論しようが、この事実だけは動かし得ない。」

 いきなりこんな風に言われると、私のように大学でフランス文学を学びながら、この大長編を読んだことがないという破廉恥漢には、言うべきことがなくなってしまう。しかも諏訪はこの書評のたかだか本書で三頁の文章を書くために、『失われた時を求めて』を三度目に読み返したというのだから恐ろしい。偏執狂である。私も結構書評を書いたことがあるが、その都度必ず読み返すということはしない。記憶に頼って読み返さずに書くことの方が多いし、そうでなければあまりにも労力が大きすぎて、言ってみれば費用対効果に疑問が発生する。
 しかし、諏訪が次のように続ける時、何とか発言していく手掛かりは与えられる。

「本作には要約困難な膨大な「物語」があり、物語よりも多く「詩」が、詩よりも多く「批評」がある。僕の知る限り、三要素をこれほど完璧な黄金比で体現した小説は存在しない。」

 これが本書における諏訪の小説観として、真っすぐに貫かれている考え方である。ここで大切なのは、20世紀後半に澎湃として巻き起こった物語否定論がさりげなく批判されていることである。プルーストの小説に「批評」が「詩」よりも多く、「詩」が「物語」より多くあり、それが黄金比で体現されているというからには、「物語」の比重が少ないということであるし、「物語」を諏訪が最重要視してはいないことを示しているとしても、「物語」が否定されているわけではないからである。
 フランスのヌーボー・ロマンの作者たちのやったことは、物語を全否定し、物語を解体して墓場に葬り去ることであったが、彼らは結局小説そのものを埋葬してしまった感がある。そのことがヨーロッパの小説の衰退・没落をもたらしてしまったことは、反省するに足ることであっただろう。
 一方で、ラテンアメリカ文学の隆盛は、それが物語を否定することなく、小説の屋台骨として物語を維持することによってもたらされたようにも見える。ガルシア=マルケスの『百年の孤独』をその代表とみなすことができるが、では〝物語の復権〟ということを主張すればそれでよいのかというと、そんなこともないのである。
 21世紀に生きる我々は、物語ということに対して微妙な位置にある。物語という枠組みが、娯楽を求める俗情へのおもねりであったり、あるいは制度としての文学への保守的な姿勢によって保持されているのであるならば、それは否定的にみられても当然であろう。しかし一方、ラテンアメリカ文学に見られるように、物語が小説世界を活性化させる力を持っているのであれば、物語は小説にとって欠くことのできない要件だということもできる。
 つまりは、諏訪哲史のような考え方、小説はもともと物語・批評・詩という三つの構成要素を持ち、そのバランスの上に成り立っているという考え方を持ってすれば、我々のジレンマは解消されることになる。

諏訪哲史『偏愛蔵書室』(2014、国書刊行会)

 


「北方文学」86号紹介

2023年01月04日 | 玄文社

「北方文学」86号紹介

 

「北方文学」第86号を発行しましたので、紹介させていただきます。先号発行の直後の7月7日に、古くからの同人米山敏保氏が胆嚢癌からの転移で亡くなりました。これで創刊61年を迎えた「北方文学」の第1次同人すべてが鬼籍に入ってしまいました。追悼特集を組むことにしました。米山氏がまだ20歳代だった頃の短歌作品と中期の小説作品を再録し、略年表を編集し、追悼文を数編載せてあります。老成した米山氏しか知らない我々にとって、若い時の短歌は目の覚めるような瑞々しさを持っています。また女性を描いて名人の域にあった米山氏の小説もお楽しみください。

 

巻頭は魚家明子の詩2篇、「骨」と「さびしい石」です。彼女の短い詩作品は緊張感に溢れていて、詩人としての生きにくさを「ひりひりと」感じさせるものがあります。どの1行も無駄がなくて、完成の域に達していると思います。

 二人目は館路子の「幽かな秋の時間の、狭間」。いつもの長詩で、魚家の作品とは対照的です。動物や植物が総出演でにぎやかですが、執筆者紹介に「庭の松に鳩、鵯、雀が来てそれへ語り掛けるように家猫が啼く。家に近い用水路には白鷺、アオサギを時々は見る。詩の素材はおのずと空から来て呉れる」とあるので背景が分かります。詩の言葉が動物の鳴き声のように空から降って来るのだとすれば、なんと幸福な。

 続いて大橋土百の俳句「海境のゆらぎ」。一年間の思索ノートからの俳句選であるため、作風は様々ですが、土百らしい諧謔に満ちた句もあり、シリアスな句、時代と切り結ぶ句もあって、いつものように楽しく読むことが出来ます。

 

 昨年6月11日に柏崎の游文舎で開かれた、高橋睦郎氏と田原氏の対談録を載せました(本文は6月22日となっていますが、間違いでした)。俳句と短歌との違いから始まって、世界における俳句の独自性、「和魂漢才洋識」という視点から見た日本近代文学のあり方、さらには高橋氏の世界の文豪たちに問うという姿勢など、充実した内容でスリリングな対談となっています。同人雑誌にこのような講演録を載せることが出来ることを、誇りに思ってもいいのではないでしょうか。

 

 批評はまず、昨年東京国立近代美術館で開催された、ゲルハルト・リヒター展の、霜田文子による展覧会評から始まります。題して「「描かれた《ビルケナウ》」の向こう——ゲルハルト・リヒター展を観て」。ナチスドイツのユダヤ人収容所ビルケナウで、ゾンダーコマンドが隠し撮った写真をもとにした、リヒターの《ビルケナウ》という連作についての分析が主体となっています。ベンヤミンの「絵画芸術あるいはツァイヒェンとマール」という論考を参照している部分で、〝媒質としての絵画〟に言及しているところがあり、ちょっとびっくりさせられるような視点で書かれています。リヒターの最高傑作とされる《ビルケナウ》への評価に、やや疑問を呈しているところも興味深いのではないでしょうか。霜田でなければ書けない一篇です。

 次は柴野毅実の「『テラ・ノストラ』のゴシック的解読――カルロス・フエンテスの大長編を読む――」です。このところ柴野が追求しているゴシック論の一端で、メキシコの作家フエンテスの最高の問題作とされる『テラ・ノストラ』を、ゴシック小説の視点から解読しようという試みです。完読されるのをフエンテスが嫌がったといういわくつきの作品ですが、ゴシック小説、特にチャールズ・ロバート・マチューリンの『放浪者メルモス』を参照することで、糸口をつかむことが出来ます。今回は前半まで、後半の展開が待たれます。

 岡嶋航の「backrooms――あるいは無限の空間について——」が続きます。ネット上に拡大再生産されるbackroomsという動画に最初に触れ、無限というもののもたらす不気味な恐怖について論じていきます。ヴィンチェンゾ・ナタリ監督の映画「キューブ」や、マリオ・レブレーロの小説『場所』を参照することで、広場恐怖症と閉所恐怖症の並列性という結論が導き出されます。スリリングな論考です。

 漫画論「背中は見えない——藤本タツキ『ルックバック』」という漫画論は、このところサブカルチャーを論じることの多い鎌田陵人によるもの。前号で映画「悪魔のいけにえ」を論じた鎌田は、それに影響されて描かれた藤本の「チェンソーマン」から、「接続」と「切断」というテーマを剔出して、『ルックバック』についても論じていきます。

 榎本宗俊の「食養生」が続きます。かつての日本人の食に関わる短歌を紹介しながら、現在は失われた食に関わる豊かさや健康への志向について論じていきます。

 

 研究では、鈴木良一の「新潟県戦後五十年詩史――隣人としての詩人たち〈20〉」が完結を迎えました。資料集めの段階から数えれば20年がかりのこの労作は、ずっと注目を集めてきましたし、労多くして功の少ないこの種の研究の割には高い評価を得て来たと思います。日本広しといえども、どこの県にもこのような詩史は存在しません。新潟県だけに止まらず、中央の詩壇にかかわる部分もあり、この労作は全国の詩人にとって、今後スタンダードとして位置づけられるでしょう。扱ったのは1995年まで。今後誰かが2022年までを補塡することがあるとはとても思えません。

 坂巻裕三の永井荷風研究「麻布市兵衛丁「偏奇館」界隈、時間と空間」が続きます。荷風は大正9年、実家の「断腸亭」を売却して、麻布市兵衛丁に「偏奇館」を建てて移り住みますが、それまでの外国遊学、就職、帰国後の放蕩生活のすべてが親がかりだったことからの離脱を志したものと見ています。当時の重要な作品「花火」や「震災」『濹東綺譚』を取り上げながら、情け容赦もなく変わりゆく東京の都市風景への荷風の違和感について語っていきます。そこには坂巻自身の変貌を重ねていく同時代への違和感と共通するものがあるようです。

 

小説は2本あります。まず板坂剛の「イビサの女」。いつものように差し引きゼロに終わる虚構らしい虚構の世界です。短くて読みやすく、破綻がありません。読後たとえようもない人生に対する虚しさを感じないではいられません。

 柳沢さうびの「瑠璃と琥珀」は先号の「えいえんのひる」との連作になっています。登場人物の枠組みはそのままに、視点を変えて書かれています。当然、文体を変えていく必要がありますが、柳沢はその難題に見事に答えています。「えいえんのひる」で示された謎が解明されていきます。すでに名人の域に達した彼女の作品の評価が期待されます。

 

以下目次を掲げます。

 

館路子*幽かな秋の時間の、狭間/魚家明子*骨/魚家明子*さびしい石/大橋土百*海境のゆらぎ

【追悼・米山敏保】米山敏保*薄日射/米山敏保*池の記憶/米山敏保略年譜/追悼文・福原国郎*「何のことはない」/徳間佳信*古備前の徳利――米山さんの思い出に代えて――/柳沢さうび*「百済仏なんて博物館にしかない」

【高橋睦郎×田原 対談録】俳句と現代詩の世界

霜田文子*「描かれた《ビルケナウ》」の向こう――ゲルハルト・リヒター展を観て――/柴野毅実*『テラ・ノストラ』のゴシック的解読――カルロス・フエンテスの大長編を読む(上)――/岡嶋 航*backrooms――あるいは無限の空間について――/鎌田陵人*背中は見えない――藤本タツキ『ルックバック』――/榎本宗俊*食養生について/鈴木良一*新潟県戦後五十年詩史――隣人としての詩人たち〈20〉/坂巻裕三*麻布市兵衛丁「偏奇館」界隈、時間と空間/板坂剛*イビサの女/柳沢さうび*瑠璃と琥珀

 

 

お問い合わせは玄文社、genbun@tulip.ocn.ne.jpまで。

 


石川眞理子『音探しの旅』を刊行しました

2023年01月01日 | 玄文社

みんなこの街のどこかに住み、働きながら

音探しの旅を重ねている

自分が自分で在り続けるために

(石川眞理子「音市場の朝に」より)

 

A5判194頁 定価(本体1,000円+税)

柏崎市内書店で販売中

 

2022年5月享年65歳で亡くなった石川眞理子の遺稿集。柏崎で「JAZZ LIVEを聴く会」を設立し、日本海太鼓のメンバーとして活動、2007年の新潟県中越沖地震直後には、「かしわざき音市場」を立ち上げ定着させるなど、地方における音楽プロモーターとして八面六臂の活躍をして駆け抜けた石川の軌跡をたどる。石川眞理子遺稿集編集委員会の編集による一冊。

 

昨年5月、石川眞理子さんの訃報に接したのは游文舎で「LPを楽しむ会」を開こうとしているときでした。「まさか」の思いで自宅に駆け付けた時、彼女は既に死に装束で布団に横たわっていました。乳癌で放射線治療を受けていたため、着けていたカツラが妙に若々しくて、生きているようにしか見えませんでした。

同級生の猪俣哲夫さんとエトセトラの阿部由美子さん、金泉寺の小林知明さんが「石川眞理子遺稿集編集委員会」として、石川さんが残した遺稿の数々をまとめ、一冊の本に編集してくれました。玄文社主人は原稿の校閲・校正と年譜作成のお手伝いをしています。思い入れのある一冊です。

 内容は「ジャズのこと」「太鼓・音楽のこと」「音市場のこと」「平和・原発のこと」「社会・友人・家族のこと」の5部に分かれていて、そんなにたくさんの文章があるわけではありませんが、彼女の多方面にわたる活躍を偲ばせます。そういえばいつでも忙しくしていた人でした。ひとの5倍くらい働いて、ひとの5倍くらいの成果を上げて、ひとの5倍くらい充実した人生を送って、消えていきました。

 ジャズ論はプロのレベルに達していると思います。技術論だけでなく、音楽の奥にある感性や精神性にも迫っています。音楽好きの人はあまり本を読んだり、美術鑑賞をしたりしない人が多いようですが、彼女は違っていました。玄文社刊行の霜田文子著『地図への旅』についての書評やケーテ・コルヴィッツ論は、彼女の論理的な読解力だけでなく、優れた芸術的感性を示した素晴らしい文章です。

「平和・原発のこと」では、彼女の社会的活動の一端を窺うことが出来ます。反原発の集会で司会をつとめていたのを思い出します。その時は徹夜で準備したと言っていましたから、そういうことはよくあったようです。反戦の演劇や原爆の悲惨を訴える映画上映会でも司会をしていた彼女の姿が目に浮かんできます。そんなときも本業の仕事が終わってから、徹夜して準備をしていたのでしょう。

「社会・友人・家族のこと」で、父親のことを語っている文章がありますが、こうして親を尊敬することのできた人を羨む気持ちが私にはあります。また柏崎の「えんま市」のことを回顧して書いた文章は、通称えんま通りに生まれ育った人でなければ書けないもので、懐旧の念を掻き立てる文章になっています。

 もっとたくさんの文章を書き残して欲しかったという思いがしてなりません。