玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

エドマンド・ウィルソン『フィンランド駅へ』(4)

2019年05月14日 | 読書ノート

 話が逸れてしまったが、ミシュレをこの本のトップに登場させたエドマンド・ウィルソンの根拠は、ミシュレが歴史というものは英雄や権力者がつくるものではなく、人民がつくりあげるものと考えていたところにある。この本の真の主役はレーニンであり、マルクス主義による革命運動こそがテーマであるのだから、最初に歴史の主体を人民に置いた歴史家としてのミシュレをトップに据える必然性がある。

 しかし、ミシュレの言う〝人民〟とは何なのだろうか。ミシュレは印刷工の父と農民出身の母の間の子であり、もともと自分自身が人民に他ならなかった。だから彼は次のように言うことができた。

「自分のうちに人民をもっていなければならない――。大きな手を黄色の手袋の下にかくすやからのように、自分の出自を否定してはならない。」(1945年2月5日の覚え書=『フランス革命史』(中公文庫)桑原武夫による解説より)

ミシュレにとって人民は無謬の存在であり、歴史を動かす真の原動力であったし、第一にそれは自分自身のことであった。そしてそれは、マルクス主義の言う人民=プロレタリアートとは違っていた。

 ミシュレの言う人民は国民主義的主体としての要素を強くもっていて、そのことはエドマンド・ウィルソンも、「5、国民主義と社会主義の狭間に立つミシュレ」の項で指摘している。桑原武夫によれば、ミシュレはフランス革命の〝海外輸出〟に肯定的であったというし、なにせ彼はフランスこそが世界を先導する国であると考えていたらしい。

 こうしたことからミシュレは、国境を越えたプロレタリアートを歴史の主体とするマルクス主義者からの批判を受けたが、それが彼の限界であったのだろうか。しかし、マルクスの言うプロレタリアート、あるいは中国共産党の言う人民にしても、歴史による歪曲を受けざるを得なかった。プロレタリアートといい、人民というも、実体ではなく概念に過ぎないのである。

 プロレタリアートのことは後回しにして、ミシュレの言う人民というものについて考える時に、私が読んだ『魔女』にあっても人民の理想化ということがはっきりとあったように思う。ミシュレは、魔女というものが王政や教会権力によって捏造されたものであり、多くの人民がいわれなく魔女に仕立てられて火あぶりの刑に処せられていった歴史を語る。

 しかし魔女に仕立てることには、人民の間での差別と偏見あるいは羨望の要素もあったはずで、人民自身もまた魔女創出の咎を負うべきと私は考えるし、そういう見方をする歴史家も存在する。もちろんそれは支配する側の権力構造の歪みに帰せられはするのだろうが、罪の一端は人民自身にもあったのである。それは現代日本における公害被害者への差別や、東電原発事故の被害者へのいわれなき羨望や偏見という形で、再現しているというか、ずっとそのような構造は続いてきているのだ。

 だから無謬の人民を前提とすることは間違っている。ポピュリズムというものを生む二つの要因、反知性主義と人民信仰を考えた時に、ミシュレは反知性主義には陥ることはなかったが、人民信仰においてナショナリズムの悪弊に陥ることは免れなかった。

 それは「大衆の原像」というようなことを言った(まさに「自己のうちに人民をもっていなければならない」というような)日本の思想家もまた、人民自身によって足下をすくわれたのではなかったか。「大衆の原像」なるものが、いつの間にか〝大衆迎合〟(ポピュリズム)へと回帰していく姿を、我々は見たばかりである。

 ミシュレに戻る。1870年の普仏戦争に際しフランスがプロイセンに対して宣戦布告する前に、ミシュレはマスクスやエンゲルスとともに反戦の宣言書に署名しているとウィルソンは書いている。これがミシュレをマルクス主義につなげる結節点である。しかし、宣戦布告がミシュレが断固として嫌ったナポレオン3世によるものでなかったなら、どうだったのだろう。

 


エドマンド・ウィルソン『フィンランド駅へ』(3)

2019年05月08日 | 読書ノート

 ジュール・ミシュレは読者をして歴史を遡行せしめる。そして自分自身をも歴史を遡る旅へと連れ立っていく。過去のそれぞれの地点は、ミシュレ自身や読者にとって、現在として現前することになる。ミシュレの歴史書の持つ臨場感はそこから生まれてくるのである。

 つまりこの方法は歴史小説の書き方と共通している。歴史小説は設定された時代というものを現在として描くことなしには成り立たないからである。ためしにミシュレを愛したヴィクトル・ユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』を参照してもよいが、そうするまでもなくこの共通性は歴然としているように思う。

『魔女』は小説として読むこともできる作品であり、『魔女』をそのようなものとしているのは、過去へと遡行する想像力なのに他ならない。ただし、ロマン派の作家たちの作品のように、野放図に想像力を膨らませるのではなく、きちんとした資料に基づいた上での想像力をミシュレは働かせたのだ。だからウィルソンが言うように、ミシュレの作品はロマン派の作品とはまったく違ったレベルのものになり得たのだった。

 ところでミシュレが駆使した、自在に過去へと遡行するという方法は、ヴァルター・ベンヤミンの「歴史の概念について」における二番目のテーゼを思い起こさせる。その重要な部分を引用するとすれば次のようになる。

「過去にはひそやかな索引(インデックス)が付され、解き放たれるようにと指示されているのである。過去の人びとを包んでいた空気のそよぎが、わたしたち自身にそっと触れているのではないだろうか。わたしたちが耳を傾けるさまざまな声のうちに、いまや黙して語らない人びとの声がこだましているのではないだろうか。」

 このテーゼはロッツェ(ドイツの哲学者)の「人間の気質に特有な点のうち、とくに注目に値する点のひとつは、個々人はじつに多くの我欲に満ちていながらも、一般に現在がみずからの将来に対して羨望の念をおぼえることはない、ということだ」という言葉に導かれているものだ。そこでは〝羨望〟ということがキーワードになっていて、人間の現在は過去に対して羨望することはできても、未来に対して羨望することはできない、だからこそ過去というものは我々にとって重要なものだと言っている。

 しかしもっと重要なことは、人間は未来を所有することができないということ、未来に対して羨望したり、悔恨したりすることができないということではないだろうか。だから人間の現在は過去にのみ立脚していて、未来を行動の根拠とすることができないということ、ひいて言えば人間は歴史(未来の歴史などというものがあり得ようか)的な存在である他はないということを意味することになる。

 ベンヤミンにとって過去は想起の対象であり、一方ミシュレにとってそれは遡行の対象である。そこにどういう違いがあるかといえば、それは現在の位置のとらえ方に還元されるのではないか。

 ベンヤミンが過去の想起ということを我々に付与された「メシア的な力」に関連させているところを見ると、過去は想起されることによって現在を改変する力を持つと、彼が考えていたことが分かる。一方ミシュレにとっての過去は『魔女』に見られるごとく、汚辱にまみれたものであり、暗黒の時代そのものであった。

 ミシュレの歴史観からすれば、中世は啓蒙の時代へ向かう歴史の通過点であり、人間は暗黒時代を経てしだいに自由の時代へと進んでいくのであり、現在は過去への批判的検証によって、改変されるものだという認識であった。

 ただし私はまだ、『フランス革命史』を読んでいない。フランス革命とその裏切りの歴史は、ミシュレによってどう捉えられたのか知らなければならない。またベンヤミンの考え方はマルクス主義者として、その史的唯物論とは矛盾しているように思われるが、そのことも検証してみなければならない。

 

・ヴァルター・ベンヤミン『[新訳・評注]歴史の概念について』(2015、未来社)鹿島徹訳・評注


エドマンド・ウィルソン『フィンランド駅へ』(2)

2019年05月07日 | 読書ノート

 邦訳の『フィンランド駅へ』の帯には次のように書かれている。 

「1917年4月、レーニンはペトログラードのフィンランド駅に立った。ミシュレのヴィーコ発見から百年、この瞬間に向かって構築された「社会変革の思想」とは?」

  ミシュレは革命家でもなければ革命思想家でもない。同じフランス人のバブーフやサン=シモン、フーリエなどとも違って、実際に社会変革のための活動を実践した人物ではない。しかし、帯が語っているようにミシュレの存在は19世紀から20世紀にかけての「社会変革」にとっては重要なメルクマールなのであって、ウィルソンがミシュレからこの書を始めたことには大きな意味があったようだ。

 ではミシュレのヴィーコ発見にはどのような意味があったのだろうか。とにかくこの書はその場面から始まっているのだし、私もまたそのためにこの本を読む気になったのだから、そのことを知らないではいられない。。イタリアの貧乏学者で、ミシュレよりも一世紀前に活動したジョバンニ・ヴィーコは、歴史と哲学とを相互補完的に融合することを目指したという。ウィルソンはヴィーコの主張を以下のように要約している。

 「人間の歴史は、これまでつねに、偉人たちの伝記の連なりとして、顕著なできごとの年代記として、あるいは、神の演出する野外劇として記述されてきた、しかし、いまやわたしたちは、社会の発展がその起源に影響され、またそれをとりまく環境に影響されてきたことを知る。そして、社会も個人と同じく、一定の成長過程を経てきたことを知るようになる。」

  つまり人間の社会や歴史は、英雄たちが活躍する神話の世界であるのでもなく、神が造り上げたものでもない、それは「確実に人間によって作られたもの」だというのがヴィーコの考え方であり、またある出来事はかならずその要因となる起源を持っているということ、そのような考えに啓示を受けたミシュレは、ヴィーコを読むためにイタリア語を独学で勉強し、ヴィーコから多くを学んだのであった。

 とにかくよく勉強する人であったようで、朝四時に起きて一日中、執筆したり、教えたり、読んだりという生活を送っていたらしい。ウィルソンによれば「ミシュレ以前にはだれ一人、実際にフランスの古文書に分け入り、それを探求した者はいなかったと言えよう。これまで歴史は、たいてい、他の歴史書をもとにして書かれてきたのである。」という。

『魔女』を読む者は誰しも、その文学性、まるで小説を読んでいるかのような臨場感に驚きを感じ、このような〝歴史書〟というものがあり得るのかといった感慨を抱かずにはいられないが、そうしたよくできたフィクションのような歴史書が、一時資料への徹底した参照に裏付けられていたということを知るのである。

 ウィルソンはミシュレの『フランス革命史』についても「彼は、革命のさまざまな主体にかんする一時資料にもとづいてフランス革命史を書いた最初の人間であった」とも書いていて、そうした禁欲的な方法がミシュレの歴史書の基本にあったことも確認することができる。

 しかしそれだけであったなら、ミシュレの歴史書は学術的なスタイルに終始していたであろうし、あれほど熱狂的に読まれるということもなかったであろう。ウィルソンはミシュレの歴史記述について二つの特徴を挙げているが、一つは今言ったこと、一時資料を精査しそこから歴史の物語を構築していくことであり、もう一つは〝歴史を生きる〟ことであった。このもう一つの方法について、ウィルソンは次のように書いている。

 「普通の歴史家は実際に起こったことがらについて知っており、自分の歴史物語のなかでこれから起こることについて知っている。しかしミシュレは歴史の時間の上流にわたしたちを遡らせるので、わたしたちは過去の人々とじかに触れ合い、彼らの英雄的信念をともにし、予期せぬ破局に狼狽し、後で起こるできごとを知っているにもかかわらずまるでそれらについて明確に知らないかのような感覚をいだくのである。」

 


エドマンド・ウィルソン『フィンランド駅へ』(1)

2019年05月04日 | 読書ノート

 一か月ほどご無沙汰してしまった。この間スーザン・ソンタグの「ハノイへの旅」について書こうと四苦八苦したのだったが、結局考えがまとまらず断念した。私には歴史への認識や政治に対する考え方が、きちんと備わっていないことを改めて自覚してしまった。「ハノイへの旅」はベトナム戦争真っ盛りの時でもあり、アメリカだけでなく全世界的にベトナム反戦運動が高まりを見せた時でもあって、1968年について考えるには欠かせないテーマであったのだが……。

  その反省もあって西川長夫の『パリ五月革命私論――転換点としての1968年』も読んで、ずいぶん有意義な刺激を受けたのだが、これについても考えがまとまらずに放置してある。とても団塊の世代に対して1986年の総括をきちんとやれなどと言えた義理ではない。そうこうしているうちに「北方文学」79号の締め切りが迫ってきたため、そちらの方に時間を割いていたため、一か月のブランクとなってしまった。

  で、今度はまたしても苦手な歴史・政治に関する本、エドマンド・ウィルソンの『フィンランド駅へ』を取り上げることにする。年齢から来る健忘症のせいだろうか、どうしてこの本を知ることになったのか、自分で思い出すことができない。エドマンド・ウィルソンは、ヴィリエ・ド・リラダンの戯曲『アクセル』を基軸に据えて、象徴主義文学が20世紀文学に与えた影響について分析した『アクセルの城』を読んでいる。なんと言ってもマルセル・プルーストとジェイムズ・ジョイスの文学が何故に偉大であり、何故に20世紀文学の潮流を決定づけたかについて分析した大変な名著であることは確実である。

  そして私はこのアメリカの批評家が『フィンランド駅へ』という、革命家列伝のようなものを書いていることを何かで知り(それが思い出せない)、しかもそれがジュール・ミシュレの項から始まることを知らされて、どうしても読みたくなったのである。ジュール・ミシュレは昨年暮れに『魔女』を読んで強い感銘を受け、私があまり読むことのない歴史書の概念を覆されたという思いがあった。 『魔女』を読んだ私は、私の「建築としてのゴシック」で、ヨーロッパ中世というものを考える時に、中世礼賛論者たちへの反論として利用しようと思ったのだが、充分活用したとは言えない。独立して『魔女』そのものを書いてみたい気持ちもあったのだが、やはり歴史音痴のためにそれすらできないでいる。

  しかし、ミシュレの『魔女』は強い呪縛力を持っていて、歴史ということについて考える時に、私をその方向に誘導する大きな規範の一つとなったような気がする。『魔女』を読んで私は、19世紀の古典と言われるような書物がいかに多くの示唆を与えてくれるかということを身に沁みて感じたのだった。この先どれだけ生きられるか分からないが、そのような本を中心に読んでいきたいと思った。

  まずこの本『フィンランド駅へ』のタイトルは、1917年のロシア革命勃発に際して亡命先から帰国したレーニンが降り立った駅の名前からきている。したがって、フィンランド駅というのはフィンランドにあるのではなく、ロシアにある駅名なのだ。ここでレーニンは革命後最初の演説を行ったわけだが、それがウィルソンによれば「人類史上はじめて歴史哲学の鍵が現実の錠にぴったり合う瞬間」であったのだ。

  だからこの『フィンランド駅へ』という一書は、ヨーロッパの革命思想の鍵が現実の歴史の錠をこじ開けていく、その道程を描いたものだと言える。またこの本の副題は「歴史を書くことと演じることについての研究」(A Study in the Writing and Acting of History、邦訳では「革命の世紀の群像」)となっていて、ミシュレ以下取り上げられる歴史家・思想家・革命家たちについては、その著作と同時に現実の活動が批評の対象となる。つまり書いたものについての批評と、彼らの実践への批評という二重のテーマを自らに課しているわけだ。

  文学作品の場合にはテクスト・クリティックがあくまでも基本となるが、革命家の場合にはテクスト・クリティックだけではなく、彼らの実生活や人柄、そして実践的活動が批評の対照となる。革命家がすべて著術家であることはないし、そのカリスマ性は書かれたものだけによってではなく、その人柄や伝記的事実によって多くは達成されるものであろうからだ。  だからそのことはテーマ自体に難しい課題を与えている。著作物は動かぬ証拠としてそこに現前するが、人格や伝記的事実に関しては問題はそう簡単ではない。それらは革命家自身が書いたものであるにせよ、関係者の証言であるにせよ、必ずしも信用に足るものとは言えないからである。

  エドマンド・ウィルソンの『フィンランド駅へ』は、テクスト・クリティックとしては非常に優れた著作と言えるが、そうではない部分でそうした弱点をさらしている部分があり、そのことはレーニンの項で指摘しておかなければならない事実となる。  しかし、まずジュール・ミシュレの場合について見ておかなければならない。

エドマンド・ウィルソン『フィンランド駅へ――革命の世紀の群像』上・下(1999、みすず書房)岡本正明訳