玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

出水市からのはがき

2018年07月10日 | 玄文社

 鹿児島県出水市の松下洋子さんという方から玄文社宛てに、一通のはがきをいただいた。今年の一月六日、七日と熊本県水俣市の水俣市公民館で開かれた、水俣病事件史研究会に参加したところ、会の中で北方文学同人・新村苑子さんの「新潟水俣病短編小説集」の紹介があり、会場で売っていた『葦辺の母子』を買って読み大きな感銘を受けたので、もう一冊の『律子の舟』も欲しいという問い合わせであった。
 私は水俣で新村さんの本が紹介されるなどということは夢にも思っていなかったので、そのはがきに大きな驚きを覚えたのであった。紹介してくださったのは『葦辺の母子』が出版されたときに、新潟日報紙上に書評を書いてくださった、新潟県立大学の後藤岩奈先生であり、かなり詳しい発表であったことを後で知った。
 水俣には今年二月に亡くなった石牟礼道子さんが生涯をかけて書いた『苦海浄土』がある。あの偉大な作品を前にしたら、新村さんの小説の出る幕はないだろうと勝手に思い込んでいた。しかもくぐもった音韻と不明瞭なリズムの新潟弁が、水俣の人たちに受け入れられることはむずかしいだろうとも思っていた。
 しかし松下さんは「会場で本の紹介の後に、会場のなかの人が泣きながら「この本に書かれているのはわたしの家族に起こったようなことです」と発言していました。」と書いている。また「医者や調査会とかの統計等はすこしも心にひびかず、ただ新村苑子様の短編の中の人びとの貧しいくらしぶりや、心の痛みが今も胸を打ちます。」とも書いてあって、私は新村さんの小説が水俣の人々の心に届いたことを知ったのだった。
 松下さんは出水市在住であり水俣市ではないが、出水市は水俣市に隣接する市であり、水俣病の多発地帯である。石牟礼道子さんの『苦海浄土』には次のように書かれている。

「胎児性水俣病の発生地域は、水俣病発生地域を正確に追い、「神の川」の先、鹿児島県出水市米ノ津町から、熊本県水俣市に入り葦北郡田浦におよんだのである。」

 事実、松下さんのご主人とご主人のお母さんは水俣病申請者であるという。新村さんの小説は水俣病関係者の心に確実に、直接に届いたのであった。私はそれは新村さんの想像力の勝利だと思うし、文学にしかできないことがあり、新村さんはそれを成し遂げたのだったと思っている。
 後日松下さんから電話もいただいたが、その時に石牟礼さんの本は何回挑戦しても読み通すことができないから、神棚に上げておくのだという話も伺った。私はそのような書物の遇し方があるということを初めて知った。確かに『苦海浄土』三部作は重厚長大であって、本を読むという訓練を続けてきた人でないと、読み通すことはむずかしいのかも知れない。
 新村さんの『律子の舟』と『葦辺の母子』は昨年七月八日に、新潟水俣病阿賀野患者会が新潟日報メディアシップで開いた、若松英輔さんの講演会で完売してしまった。その後の注文に応じられないできたが、私は松下さんのはがきに目を覚まされて、二冊の本を再版することに決めたのだった。
(「北方文学」77号編集後記より)