玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

C・B・ブラウン『ウィーランド』(1)

2015年06月10日 | ゴシック論
 アメリカが本国イギリスのゴシック小説の伝統を、さまざまな形で継承した国であり、ヘンリー・ジェイムズもそのような作家の一人だということを前項に書いた。確かにポオはもちろんのこと、ホーソーンやメルヴィルなどの作品もゴシック的と言うしかないものであり、もしピンチョンにまでその系譜を延伸するならば、アメリカにおけるゴシックの伝統は本国イギリスのそれを、少なくともその長さにおいて遙かに凌駕しているということになるだろう。
 アメリカで最初にゴシック小説を書いた作家が、チャールズ・ブロックデン・ブラウン(1771-1810)という人で、この人こそが「アメリカ小説の父」と呼ばれている作家であることを最近知った。
 国書刊行会の「世界幻想文学大系」に、ブラウンの『ウィーランド』という代表作が収載されていて、その箱カバーのコピーに次のように書かれている。
「古城から月の荒野へ!
新大陸に渡ったゴシック・ロマンスの
変貌と進化の最初の記念碑的作品!
アメリカ文学のゴシック性を決定した
ブラウン最高傑作の本邦初登場!」
 このコピーにはかなり重要なことが書かれている。「古城から月の荒野へ!」という部分は、イギリスにおけるゴシック小説が古城や古い屋敷、地下牢や修道院を舞台にしたのに対して、アメリカにはそんなものはありはしないから、ブラウンは“月の荒野”を舞台にしたというのである。
 インディアンの跳梁する“月の荒野”を舞台にした作品はブラウンの『エドガー・ハントリー』という小説の方らしいが、『ウィーランド』でブラウンは、フィラデルフィアの農場をその舞台としている。アメリカにおけるゴシックは、舞台設定からしてイギリスとは違うものであらざるを得なかったし、歴史というものを持たないアメリカにあってはゴシックの時制もまた、過去ではなく現在に設定せざるを得なかったというわけだ。
 また「アメリカ文学のゴシック性を決定した」という部分は、C・B・ブラウンの作品がナサニエル・ホーソーンやエドガー・アラン・ポオ、さらにはウィリアム・フォークナーにまで影響を与えたと言われていることを意味している。
しかし『ウィーランド』を読んでみると、まずこの作品が構成上の緻密さに欠けていることが見えてくる。ストーリーはそれなりに面白いのだが、後半の謎解きの部分が結構穴だらけで説得力はないし、ご都合主義もはなはだしい。
 またこの小説で重要な役割を演ずるカーウィンの人物像が不明瞭で、この人物の不可解な行動が本当に意図したところがよく分からない。あるいは、腹話術という特殊技能を持ったこの人物を登場させ、推理小説的な謎解き小説に仕立てることが本当に必要だったのか疑問に思う。
 だからこの作家が後の偉大な作家達に影響を与え、彼が「アメリカ文学のゴシック性を決定した」ということがほとんど信じられないのである。 


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