玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ジュリアン・グラック『アルゴオルの城』(2)

2016年06月25日 | ゴシック論

 まず城が登場する。ということは、まず城が描写されるということに他ならない。最初に(この小説はグラックの処女作品である)ゴシック的な建造物に対する憧憬が語られなければならないということを意味している。
 グラックは主人公アルベエルの移動を借りて、アルゴオルの城の外観からその庭へ、玄関から内部へ、階段や天井の詳細な検分の後、バルコニーに出て城を囲む森を見渡し、城に付属する塔へ、という具合に、執拗に描写を続ける。城の外観は次のように描かれる。

「正面玄関は、高い円い塔の左側に支えられて、熱い壁だけで造られ、その壁の青鼠色の砂石は、灰色がかったセメントで平らに二重塗りされていた。この建造物の最も堂々たる特色は、屋根が平屋根になっている点に由来していたのだが、これは四季を通じて雨の多い風土にはきわめて稀な特質であろう。つまり、この高い正面玄関の頂が、空に向かって、水平の、硬い一線を劃していること、あたかも火災で破壊された宮殿の壁のようであった。」

このような正確さへの拘りは、ピラネージの建築的リアリズムに通ずるものがある。後にこの小説がほとんど幻想小説としての趣を呈してくるのに対して、ここでのグラックの描写は幻想的な要素をまったく持っていない。
 引用した部分には「あたかも火災で破壊された宮殿の壁のよう」という直喩が一回出てくるだけであって、あらゆる比喩の方法を駆使して、ほとんど比喩だけで成り立っているようなこの小説の中で異質な部分でさえある。
 では、この小説はどのようにして幻想小説へと傾斜していくのであろうか?  
アルベルトが城のバルコニーに出て周囲を見渡すところ、建築物ならざるものを見るときに、この作品は一挙に直喩と隠喩のオンパレードと化す。次のように。

「吹きつける冷い強風に息もとまるばかり、風は露台を掃き、その下、二百尺のところに樹海の樹々を傾けていた。高くかかげられた絹の旗のはためく音は、船の帆にも似て真ぢかに突如として聞こえてきたのだが、その旗のもつれた襞は、踊っている影をいたるところに走らせていた。そして、白い砂利の上を埃とばかりに舞う光りのため、眼はひどく刺される。その間にも、太陽の祭典は、寂寥をきわめた地の果てにまでつづくかと思われた。」

 明らかに描写のスタイルは豹変する。比喩による表現を排し、正確を期していた描写が複雑な隠喩と直喩を駆使した描写に変わるのである。ピラネージの建築的リアリズムが、建築的夢想に変わっていくように……。
 つづくのは「墓場」の章である。そこで初めてこの小説に"人事"が介入してくるのであるが、そのことはまた後で検証しなければならない。墓場という人工的な構築物を描くに際しても、グラックの筆は隠喩と直喩を多用せずにはいない。多分墓が人事の介入する部分の大きい存在であるからだ。
 そして、吹きつける風に混じる砂埃が墓石の墓碑銘をほとんど不分明なものにしているにも拘わらず、アルベエルは一つの十字架の下に転がる墓石に、「ハイデ」の名を読み取るのである。
 ハイデとは前章で予告されているように、アルベエルの親友であるエルミニヤンが彼の城に連れてくることになっている女性の名なのである。
 早くもここで、たった三人の登場人物の一人、ハイデという女性の死が暗示されている。墓にまだ生きている人間の名を読み取るという、ゴシック小説や恐怖小説の常套的手段まで使って、ジュリアン・グラックは何を書きたいのだろうか?

 


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