玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ウージェーヌ・シュー『さまよえるユダヤ人』(3)

2016年11月21日 | ゴシック論

 ゴシック的ということが閉鎖空間に関わる設定を意味するのだとすれば、『さまよえるユダヤ人』はそうした条件を欠いてはいない。レーヌポン伯爵の子孫である、双子の姉妹ローズとブランシュは、妨害者達の計略によって修道院に押し込められてしまうのだし、もう一人の子孫、アドリエンヌ嬢もまた狂気に陥ったとの理由で二度と出ることの出来ない精神病院に幽閉されてしまうのである。
 しかもその修道院と精神病院が隣接しているというところが笑わせる設定であって、これも筋立てを遅滞なく進めるための仕掛けにすぎない。このあり得ざる隣接は、ルイスの『マンク』でアンブロジオの修道院と、もう一つの最後は民衆によって破壊されてしまう女子修道院が、地下通路によって繋がっているという設定を思わせる。救出劇をスピーディーに進めるための経済学がそこには働いているのである。
『さまよえるユダヤ人』の中で、私が最もゴシック・ロマンスの強い影響を受けているなと思う場面がいくつかあるが、中でも露骨なのは主要登場人物の難破船からの救出の場面である。2隻の船がインドからとドイツから、フランスの海岸にやってきて、嵐に逢着する。1隻には本編の主人公ダゴベールと彼が保護する双子の姉妹が乗り組み、もう一隻にはインドから来たジャルマ王子が乗り組んでいる。どちらも遺産相続の権利者であり、妨害者達の奸計をすり抜けてきたのである。
 その2隻がアドリエンヌ嬢の城、カルドヴィル城近くの海岸に座礁し、そこから主要な登場人物だけが城に救出されるのである。ここにも1832年2月13日までにパリのサン=フランソワ街に到達したものだけに遺産相続の権利が与えられるという筋立てをスピーディーに展開させるための経済学がある。
 つまり経済学とはご都合主義の別名であって、この難破船の座礁からの救出場面はアン・ラドクリフの『ユドルフォの秘密』からのほとんど引き写しである。『ユドルフォの秘密』で難破船からヴィルフォール城に救出されるのは、エミリーとデュポン、アネットとルドヴィコという『ユドルフォの秘密』にとって欠かすことの出来ない登場人物達であって、彼等がブランシュ嬢(この名前も共通している)と運命的な出会いをするのも、この難破によってなのである。
 このとんでもないご都合主義については『ユドルフォの秘密』の項で批判しておいたが、『さまよえるユダヤ人』の場合はそれが『ユドルフォの秘密』からのパクリであることにおいて、さらに批判の対象となってもおかしくないだろう。
『ユドルフォの秘密』のこの難破の場面をマチューリンの『放浪者メルモス』もパクっているが、それほどにこの場面は強力なものだったのである。その意味で、私は『ユドルフォの秘密』の一部について評価を見直してもいいくらいなのである。
『さまよえるユダヤ人』はこのように、ゴシック・ロマンスからのパクリと大衆迎合的な筋立てに満ちた通俗小説である。最後の場面も勧善懲悪によるハッピーエンドで笑わせるが、もういいだろう。
 私はこのような通俗作品が、角川文庫のリバイバル・コレクションに含まれていたということを報告し、読み残してある古典的作品にもう一度挑戦するチャンスを自分に与えたいだけなのであるから。
(この項おわり)

 


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