~布団太鼓~ 野出町太鼓台

管理者の私は祭に参加します。

http://www.futontaiko.sakura.ne.jp

佐野太鼓台祭り

2020年09月20日 12時00分00秒 | 日記
令和2年度の祭礼中止。
生活の一部、人生の一部として、祭が執り行われない年となりました。





新型コロナウイルスの為、
仕事・学業に影響が出ておられると思います。

昔のように
頑張っていれば、努力していれば生活を守れる世の中ではありません。





これから先、世の中どうなるのかは誰も分かりません。
今でしか得られない時間を大切にして、
スキルアップ等、今出来ることをして、
仕事をして生活をしていく上で、
自分自身を守る武器になればと思っております。


本来であれば、昨日・今日は涼しい祭でありますが、
生活を守ることを第一にして、様々な思いを温めて、
来年楽しみましょう。



新日本紀行(追記)

2020年09月13日 18時56分01秒 | 日記
人それぞれ、様々な人生を歩んでおられます。
私個人のことではありますが、
軽く流す感じで御覧頂ければ幸いです。
長文になりますので宜しくお願いします。

それでは始めます。


記憶は定かではない。
幼い頃である。

佐野の魚市場に置かれていた。
リヤカーに乗って家に帰った覚えがある。

魚市場でのこと。
プラスチックの青の丸ザル。
そこにはジャコが一杯入っており、
当時、ザル一杯500円だったと記憶している。
沢山の魚が並べられていた。
かなり賑わっていたことは覚えている。

魚市場の近くに公園があった。
ブランコでよく遊んだものである。

正月になれば、春日神社に参拝していた。

ザリガニ釣りをした。

駄菓子屋巡りをした。
くじ引きをよくした。
駄菓子屋に鉛筆、ノートをよく買いに行った。

夏になればセミ取りをした。
海に泳ぎに行った。
8月下旬、浜から涼しい風が吹いていた。

冬は、浜で凧揚げをした。
走って凧が飛ばそうとするが、
走るのに疲れて諦めて帰ったこともあった。

夜の砂浜、無茶苦茶怖かった。
周りは真っ暗で何か出るような雰囲気があった。

昔は、中学校の通学路に田んぼがあった。
田んぼにはカブトガニが泳いでいた。
今は国道481号線になっている。


佐野界隈も今とは違い、まだ賑わっていた方である。
商店街のスーパーは賑わっていた。
時代の流れである。

スーパーマリオは空前の大ヒットであった。
自転車で あちこちの店に行くがどこの店も売り切れであった。


今、思った。
自然浜といえば、一番近くはどこになるんだろう。
ここ最近見た自然浜といえば、数年前のレベルになる。
熊野市の七里御浜が最後になっている。
一直線に伸びる海岸線は美しかった。


今は昔と違い考え方は様変わりした。
昔は協調性はある意味正しかった。
今では1人1人の個性が尊重される時代に
なっているところがある。
昔と違い、個性的な人が増えた気がする。

ただ、
個性の強さは昔の方が かなり強かったように思う。
クセのある人も多かったと思う。


人の繋がりも昔とは違い、気薄になりつつある。
昔からそうであるが、
今は金銭的な考え方はもっとシビアになった。

人の流れも商店街から大型店へ。
昔とは違い生活をするには便利になったところが多いが、
失われたものも同じぐらい多い。

昔のように、大きい丸いおにぎりを食べることはなくなった。
塩味がよくきいていた。
冷奴。
少しピリッとくる醤油味のこんにゃく。
御新香とお茶。

日中ずっと外に出て、
汗を沢山かいた時に食べると格別においしい。
シンプルであるがそれで十分であった。

おなか一杯になった。

しかし、おにぎりにしても、作ってくれる人が居てるから、
美味しく頂くことが出来た。
作って頂く人たちへの感謝が必要である。

毎年7月23日、24日はそうであった記憶がある。
どこでも同じだと思う。
華が咲いていた。
私は外に逃げた。
ちょっと いいとこ見てみたい は無理であった。
ちょっとどころではなかった。

無礼講ではないが、ある意味羽目を外すことも、
特別な2日間だったから出来たこと。

いい人生経験である。


私が小学生の頃、若宮町会館2Fで
1日目はオムライス、
2日目はカレーを頂いていた頃がある。

鉢巻は2種類あった。
白と紺。
昼と夜で使い分けていた。

今のように かきあい はなく、
神輿番の当番にあたっている町は
2日目夜(追記)堺阪南線を渡って駅へ行くことは出来なかった。

神輿は海に入っていった。
その時間帯、
私は若宮町会館2Fで衣装を着て
化粧直しをしていた時間であった。

ただ、1度だけ神輿が海に入っていくところは見ている。
その頃、紺の法被を着ていた頃である。


時代は変わり、世代は変わった。
様々な事情はどこも同じであるが、
常に若い衆が中心でなければいけない。

おっさん達は、
若い衆が自分達でやるから、おっさんは黙っとけ・・・という声を
待っているところもあると思う。

私は他所を見て思った。
若い衆が中心になっているところは、かなり賑やかであった。

私個人は、昔の出来事を大事にしたいと思う。


人生はまだまだ続く・・・。