リジログ 2023

いいぞ 野球は

声援

2014-08-23 12:50:39 | Weblog
ここまで天候不順な8月は記憶にない。学童野球に限らずいろんなイベントが影響を受けるどころか、各地で甚大な被害が相次ぎ、広島市内の豪雨災害は身近な場所で、一瞬のうちに何もかもがのみこまれ多くの方の命が失われてしまった。言葉をなくし、重たい気持ちが日々積み重なる。

昨夜からカープ夏休み最後の地元6連戦が始まった。阪神との初戦、先発マエケンはみごとに完封。この三連戦は鳴り物応援は自粛され行われている。三万人の声だけの応援がマエケンをカープを後押しする。「応援はすごく耳に入っていました」被災地への心遣いとともにマエケンは試合後そう語った。

応援のカタチはプロ野球にはプロ野球の、メジャーにはメジャーの、高校野球には高校野球のカタチがある。それぞれ変わり続けながら今のカタチがあるんだと思う。私はそれも愉しむのも楽しみだ。球場に向かう時からワクワクし、球場に入った瞬間の雰囲気にテンションが上がる。そこで思い思いの楽しみ方で愉しめるからこそ魅力があるんだと思う。

高校野球であれば、応援団、ブラバン、チアが生徒や保護者やOBらを一つにして声援を送る一体感は、外からでも感じていたけれど、身体全体が震えるとはまさにこのことなのかと、その中の人になったときそう思った。

学童野球の応援も時代を経て変わってきているのだろう。時代よりも地域で違うのか、そのあたりはよくわからない。ある県大会では鳴り物応援は禁止。禁止されていない大会は自由。チームによっては楽器を鳴らし保護者が声を張り上げ続け高校野球ばりに応援する光景が試合中続く。

ベンチから選手とともに相手と戦っていた12年も前の当時なら、味方の応援はなによりありがたいし、なにもないよりはあったほうが嬉しい、と感じていただろう。結成直後のチームは子どもたちだけで応援できるまでに一年かかったくらいなので。今はどうか。学童野球は主役も脇役も学童であってほしい、という気持ちが、支える場を経験させてもらうごとに強くなっている。試合中は選手たちがプレーし、その仲間を応援する。そんな子たちの姿を保護者たちはしっかりと見守ることが第一ではないかと。
大人たちだけが楽器や楽器もどきのジャミゴロペットを鳴らし、大声を張り上げ、はたまた大きな声で応援歌らしきもので会場の音空間を占拠することに違和感を感じる。

プレーする子どもたち同士の掛け声、ベンチからの仲間を支える声援、そして熱くかつ的確な指導者の声があれば十分ではないか。そういう子どもたちの姿から一瞬一瞬の成長する姿を見逃さず、拍手を思いっきり贈るなど。ナイスプレーや負けても最後までがんばったこと以外にも…ね。そういう応援が選手には耳に入り、頭に心に響くのでは…。それらが、みんながよく言う『見守る』ということなのだと。

そしてまた、洗濯やお弁当づくりは毎日たいへんだけど、これは親としての心の声援(^_^)。何年も続いた親子の日常の日々が終わる時のさびしさが感じられることで親も子も自身の成長を感じられるはずだから(^_^)

どう応援のカタチが変わっていっても、学童野球だからこそっていうカタチはあるんじゃないかな。

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