ファチマの聖母の会・プロライフ

お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られるために!天主の創られた生命の美しさ・大切さを忘れないために!

シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 4. 聖母のご出現

2017年09月19日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。

第二の手記

II. 御出現


4. 聖母のご出現

私は5月13日のご出現を描写して筆を遅らせないようにいたします。それについて司教様はよくご存じのことであり、ここでそれについて書き進めるのは私にとって時間の無駄であると思うからです。司教様は、母がどうやって何が起こったのかを知るに至ったのか、母がどれほどのことをして私に嘘をついていると認めさせようと一生懸命になったのかもご存じです。あの日に聖母が私たちに話した言葉を誰にも言わないと、私たちは同意しました。私たちを天国に連れて行って下さると約束なさった後で、聖母は私たちにこう尋ねました。
「あなたたちは、天主がそれによって屈辱されている罪を償う行為として、また罪人の回心を懇願する行為として、天主があなたたちに送り給う全ての苦しみを耐え忍ぶために、自分自身を天主に喜んでお捧げしますか?」
私たちの答えは「はい、私たちはお捧げします」でした。
「それでは、あなたたちは多くのことを苦しむことでしょう。しかし天主の恩寵はあなたたちの力づけるものとなるでしょう。」

6月13日、聖アントニオの祝日は、いつも私たちの小教区の盛大な祝日でした。その日は、私たちは普通、朝早くから羊の群れを牧場へ連れて行き、9時には羊小屋へ連れ帰ってもう一度柵の中に入れてから、私たちはお祭りに行きました。母と姉たちは、私が祝い日をどんなに楽しみにしているかをよく知っていて、私によくこう言いつづけていました。「私たちは、おまえが祭りに行かずに、コーヴァ・ダ・イリヤへ行ってあの貴婦人と話すのを見なければね!」

この日が来ると、誰一人として私に一言も言いませんでした。私に関しては、家族のものは、「ルチアを放っておいて、彼女が何をするかを見てみよう」と言い合わせていたかのように行動しました。夜明けに、私は羊の群れを外に出しました。群れを9時に柵に戻して、10時にミサに与って、その後コヴァ・ダ・イリヤに行くつもりでした。
しかし、日が昇るやいなや、兄が私を呼びに来ました。兄は私に家に帰るように言いました。何故なら、家に数名の人々が私を訪ねてきて、私に話をしたがっているからだ、と。兄が群れと共に残り、私は訪問客が何を望んでいるのかと家に帰りました。
すると何名かの女性や、男の人たちが、ミンデとかトマール、カラソコス、ボレイロスなどの場所から来た人々が家に来ているのを見ました。[注18]
みんなは私と一緒に、コーヴァ・ダ・イリヤへ行きたいと言うのです。私はまだ早いから、私と一緒に8時のミサにあずかるように招きました。ミサの後、私は家へ帰りました。この良い人達は庭のイチジクの木陰で、私を待っていました。

[注18] これらの場所はファチマの近辺、25キロメートルほどの距離のところにある。

母も姉も軽蔑的な態度をとり続けており、これが私の心を傷つけ、侮辱を受けるほど辛いものでした。
11時頃、私は家を出て叔父の家でジャシンタとフランシスコを呼びました。そこで彼らは私を待っていたのです。そして私たちはコヴァ・ダ・イリヤに向かいました。待ちに待ったときが来たのです。あの人々もみな私たちについてきて、いろいろな質問を浴びせました。その日は、私は苦々しさで一杯でした。母が深く歎いていることが分かりました。母はどんな値を払ってでも、母の言葉によれば、私が嘘をついていたと認めさせようとしていました。
私は母の望み通りにしたかったのですが、しかしそうする唯一の方法は、本当に嘘をつくことでした。幼い頃から、母は子供たちに嘘の恐ろしさを教えていました。
もし私たちの誰か一人が嘘をついたら、母は厳しく罰するのが常でした。
母は度々こう言いました。
「私の子供たちにはいつも本当のことを言うようにさせてきたのに、今、一番下の子にこのような嘘をつかせるがままにさせるとでも言うの?もしもこれがちょっとしたことだったならともかく!こんなにも多くの人々を騙して、みんなをここまで連れ出してくるような桁外れの嘘を!」
この苦々しい小言の後で、私の方を向いてこう言うのです。
「いいかい、おまえの欲しいものをよぉく決めておきなさい。おまえが嘘をつきましたとみんなに言ってこの騙し話しを取り消すか、さもなければ、私はおまえをくらぁーい部屋に閉じ込めておまえはもうお日様の光も見ることがなくなるよ。私が辛い思いをしたゴタゴタの後で、こんどはこんなことが起こるなんて!」
姉たちは母の側について、私を取り巻く雰囲気は、全くの軽蔑と馬鹿にした態度でした。
私は昔のことを思い出して、こう自問しました。「少し前まであった家族の私に対する愛情は一体どこに行ってしまったの?」と。私の一つの慰めは、主のみ前で泣き、主に私の犠牲を献げることでした。私がすでに司教様に申し上げたことに加えて、まさにこのような日に、聖母はあたかも私に何が起こっているかを当てるかのように私にこう言われました。
「あなたはたくさん苦しんでいますか?落胆しないで。私は決してあなたを見捨てたりしません。私の汚れなき御心はあなたの避難所であり、あなたを天主へと導く道となるでしょう。」
ジャシンタが私が涙を流しているのを見たとき、慰めようとして私にこう言いました。
「泣かないで。これは確かに、天使が言った犠牲で、天主が私たちに送ってくださる苦しみなのよ。だからルチアちゃんはくるしんでいるの。天主に償いを捧げて、罪人たちを回心させることができるために。」

(続く)

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