天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

臼杵城

2020年03月08日 | 豊の国


畳櫓から寺院が密集する城下町。



大門櫓







大友義鎮は、1562年築城。1586年島津軍の侵攻(丹生島城の戦い)に対して「国崩し」と呼ばれたフランキ砲」を動員するなどして島津軍を退けるも、城も城下も大きく損失。その翌年、大友義鎮は死去。文禄慶長の役で義鎮の嫡子義統が敵前逃亡の咎を受けて改易処分となり、石田三成の妹婿である福原直高が3年の間居城。

1597年太田一吉が入城。祇園洲に三の丸を増築し大手門を現在の場所に移すなどの大改修が施され、現在のような姿となる礎を築いた。

1600年に美濃国郡上八幡より5万石で稲葉貞通が入封、その子稲葉典通と2代にわたって修築が行われた。稲葉貞通入城以降、明治維新まで、稲葉氏15代の居城。



卯寅稲荷神社