ドジ男の自転車旅行

自転車の旅を写真付きで書きます。

帰国(2024年2月4日)

2024-02-23 15:50:53 | トルコ旅行
第7日(2024年2月4日)
上海浦東空港ー中国東方航空ー福岡空港ー地下鉄・JRー新飯塚駅ー自宅


上海でのトランジットでは傘を出せと言われませんでしたが、手回りの荷物を徹底的に調べる為にX線の強さを強くしたり、弱くしたりして何度も被爆させて検査したので、帰国後ポケットから出して荷物に入れた歩数計の記憶が消されて誤動作していました。「中国って嫌な国だなあ」と、2月5日に歩数計を復旧させる事が出来て記録データを見た時に思いました。(4日の記録が無い画面です)


福岡行きまでの乗り換え時間が5時間ほどあり、昼間の明るい時間帯で余裕があったのでラウンジを探してみました。搭乗ゲート209の近くに39ラウンジがあり、プライオリティーパスで入ることが出来ました。上海は大きい飛行場なのでラウンジが39か、又はそれ以上あるのかも知れません。
麺類を作ってくれる叔母さんに英語は通じませんが、適当に作ってもらった麺はとても旨かった。餃子の様な食べ物やビールを飲みwifiを繋ごうとしたが出来なかった。FacebookやLINEは中国では繋がらないと後になって知りました。でもラウンジにはシャワールームもあり、VIPを優遇している様に思えます。




上海から福岡への中国東方航空MU517便の機内でも軽食が出ました。
 

午後1時半に福岡空港に戻り、荷物をターンテーブルから取ると一緒に旅した仲間は夫々の家路につきました。私はカミさん、築城の清美さんとリムジンバスで国内線ターミナルへ移動し、地下鉄で博多駅まで行きました。清美さんを大分方面行きのホームに見送り自宅に向かいましたが、新飯塚駅で乗り換える時、雛人形が帰りを迎えてくれました。


トルコ旅行は短期間で訪問都市が2か所だけでしたが、熱気球に奇跡的に乗れたし、充実した旅でした。遠い国で今まで多くを知りませんでしたが、また訪れたい国になりました。多くのサイクリストが走っている様なので、季節のいいときに走ってみたい!(今回は冬季だったからなのか、一人もサイクリストを見かけなかった)
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イスタンブール(3)

2024-02-21 22:09:40 | トルコ旅行
第6日(2024年2月3日)
ヒルトンホテルー革製品の店ーイスタンブール空港ー中国東方航空MU704ー機内泊


昨夜、添乗員から知らされた朝の予定は、6時モーニングコール、7時朝食、8時出発でした。5時に起きて荷物を纏めるなど準備して、7時にレストランへ行きました。到着時のヒルトンホテルでは体調が万全ではなかったので多くは食べませんでしたが、今日が最後のトルコと思うと、この地でしか食べれないチーズ、ドライフルーツ、蜂蜜、パンを食べたいと思い蜂の巣の密をスプーンで取り、黒いイチジクと白いイチジクと、屋台で買えなかったゴマパンSimitを皿に取りました。今回の旅行は「当社基準デラックスホテルに泊まるトルコ7日間」だったから確かに泊まったホテルは安宿では無かったし、食事をしたレストランもデザート付きのハイクラスの食事だったと思う。自転車旅行で屋台の、地元飯を食べる旅を多くしてきた私には、ロカンタと呼ばれる街なか食堂で庶民が食べるキョフテやケバブを食べたかったし、このパンは毎日でも食べたいものでした。


朝食を済ませてバスに乗った時はイスタンブールでの全ての行事(観光など)が終わって、単に空港へ移動するだけと思っていましたが、空港へ着く前に革製品の店に寄ると案内されました。着いたのはKIRCILARという店で帰国後調べてみるとホテルから僅か3キロほど西にあったことが分かりました。ここでも日本語を話せる人が「ヨーロッパの有名ブランドの革製品の素材はすべてトルコ製であること、0.4mmまでの薄くて軽い革の服を作る技術がありリバーシブルの服もあることなどを説明されました。モデルによるファッションショーがありましたが、一段落した後、「客にもモデルになってもらう」といきなり指名されたので、取り合えず舞台裏へ行くと革のコートを着せられて、何の説明もなく舞台に押し出されてしまいました。舞台の前まで歩いて戻る途中で、今度は服を脱がされて裏返して着せられ、またモデルウォーク。家では椅子から立ち上がって歩く時は猫背で前かがみになって小股でヨチヨチ歩くから「爺さん歩きだよ」と常にカミさんに言われていましたが、この時は後になって写真を見せられるとシャンとして歩いていた様です。男だけでなくて、女性モデルも客から選ばれて歩いていた事も写真を見せられて分かりました。しおりさんでした。ファッションショーの後、購入を働きかけました。革ジャンは裏地が撥水素材なので長時間の雨には耐えないかもしれないけど、にわか雨なら裏返して着れるようになっていました。価格は1400ユーロほど。日本円で約23万円。買っても着る機会がないので特価品のコーナーへ行くと昨年のモデルが4万円で売られていました。試着すると腕が長いので自分には合わないと思った。販売促進の男性店員は「私は仕事だから勧めているけど、決めるのは貴方自身だから気に入らないなら買わなくていい」と日本語で話されました。彼の奥様は貝塚市出身の日本人で奥様と娘さんの写真をスマホで見せてくれました。ファッションショーは自分にとっていい思い出になりました。




革製品の店からイスタンブール空港着き、現地ガイドのエリキンさんとお別れなので記念写真を何人かが撮りました。添乗員の原さんは福岡までずーっと同行されますが、上海や福岡では写真を撮る機会が無いかも知れないので、夫々が原さんを囲んで写真を撮っていました。


ブログを書くきっかけとなった自転車旅行はソロ(単独での)旅行でしたが、後半カミさんを連れてドイツやドナウ川を一緒に走り、今回と前回のモロッコの旅は自転車でなくて旅行社が企画したパック旅行に参加した旅です。特に今回は福岡出発の少人数のグループであり、参加した人達の地元を全て自転車で行ったことがあり地名だったから親近感が湧きました。夫々の人が旅に対して積極的で、色んなタイプがあり、勉強になり、また刺激を受けました。この場を借りて感謝とお礼を述べたいです。
一人参加は3名。宮地嶽の男性はトルコが2回目で旅慣れている分添乗員とは少し距離を置いて自分なりの旅を楽しんでおられた様に見受けますが、それが災いして全員集合の写真には写っていない。食卓を囲んだ人とは旅や健康について話されていたから、一度は同じテーブルでお話を伺いたかった。もう一人の参加者は基山のテニスプレーヤーAkikoさん。イスタンブールからカイセリへのチェックでお世話になりました。パック旅行でなくても一人で世界を歩けそうな旅慣れた行動が魅力的。もう一人は築城の清美さん。コートや充電器をホテルに忘れても気にせず、電池パックでスマホ写真を撮りまくって、誰とも仲良く出来る存在だけど、私達夫婦と一番多く行動してくれました。女性のグループは大橋のしおりさんとお母さま。しおりさんは団体の中の最年少で女学生に見えたけど、もう社会人らしい。日本の若い人が海外に出なくなって寂しく思っていましたが、彼女は英語もスマホにも強くて上海空港ではwifiについて教えてもらった。日本の希望の人・これからもドンドン海外に飛び出して欲しい。唐津のヒロコさんをリーダーとする唐津4人組。旅の記録を残す為に暗闇のホテルの写真を撮っておられたのが印象的でした。長崎と佐世保の旅友。2人で常に行動されていたけど、一人参加として申し込まれたお二人だったのかも。集合写真などを共有する為のLINE交換をしなかったので名前は分かりませんが、特に長崎の女性はデジカメとパッドで旅を記録し、常に添乗員や現地ガイドの近くに居て、一言も漏らさず説明するトルコの知識を吸収しようとする積極性には敬服しました。旧市街の航空写真もありがとう。夫婦での参加は折尾のマラソンランナーMさん。カッパドキアでのベリーダンスでは柔軟性など身体能力を発揮されていました。タイで3年生活されていたと知りましたが、運動やバンコクの暮らしなど、もっと聞きたかった。山口から参加のSさん夫婦。驚いたことに奥様は私の孫が通っている大道の学校で働いておられることを知りました。それと飯塚から参加した我々夫婦。ベリーダンスを頑張ったカミさんも77歳。私は今年78歳だから多分団体の中では最年長だったのかも。行きのチケットに貼る荷物券を受け取らなかったり、帰国便ではイスタンブールで受け取ったはずの上海から福岡の搭乗券をカミさんが紛失してしまい、添乗員の原さんにはお世話になりました。添乗員の原さんは自転車の趣味があって、走るそうだから、何処かで自転車に乗ってすれ違う事があるかも。旅で訪れた観光名所も食べ物もいいトルコでしたが、一緒に行動した18名も素敵な人たちであったから、旅を楽しく過ごせたのだと思います。この場を借りて参加者全員にありがとうと言いたい。

11時過ぎに出国。税関などは撮影禁止と思ったけれど、係員のブースにあったモスクのイラストと各国の文字が目に付いたので思わずスマホで写真を撮ってしまいました。セキュリティーチェックでは手荷物のスマホ・GPS・デジカメなど全てをカバンから出してX線透視していました。搭乗ゲートの近くにLOUNGEがあったのでポライオリティーカードを提示すると入ることが出来ました。


中国東方航空の上海行きMU704便は定刻の13時35分、イスタンブールを出発し、午後3時前に1回目の機内食が出ました。
イスタンブールから上海まで、飛行機がどんなルートで飛ぶのか知りたいので画面を注目していましたが、離陸直後のアゼルバイジャン付近に向かっている画面の後は、フライトデータが無いという状態のままが続き情報が公開されませんでした。中国政府の圧力で飛行経路を秘密にしているとしか思えない。

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イスタンブール(2)

2024-02-18 22:25:56 | トルコ旅行
第5日(2024年2月2日)
洞窟ホテルー専用バスーカイセリ空港ーTK2011ーイスタンブール空港ー昼食(日本食:優雲也)ータクスィム広場(イスティクラル通り自由散策)ートプカプ宮殿ーブルー・モスクー宮廷料理の夕食ーホテルHilton Istanbul Bakirkoyー夜の買い物


5時モーニングコール、5時半朝食。

6時半、専用バスにてカイセリ空港へ移動。カイセリ空港でのチェックインは自動(セルフ)でなくて、チェックインカウンターの人にパスポートを提示して搭乗券を発行してもらえた。
 
10:10、定刻より20分遅れてトルコ航空TK2011便のエアバスA321がイスタンブールに向けて出発しました。

機内で提供されたパンは、トマトとチーズのサンドイッチでした。温めてあり、とにかく美味しくて朝食の後でしたが、殆ど食べてしまいました。
座席は左側の「31B」であり、前席のテレビで航路を確認するとカイセリからイスタンブールの旧市街の北にある空港へ直線的に飛ぶから、窓からモスクやガラタ橋が窓の下に見えるだろうと期待していました。残雪が見えるカッパドキアからイスタンブールに近くなると雲海の下が見えなくなってしまったが、ボスポラス海峡が近くなる頃には飛行機が高度を下げたのでホッとしました。


ところが飛行機は左に旋回してマルマラ海上空から北進して空港に向かうルートを取ったので、旧市街は右側の席からしか見えなかった。偶然、右側の席に座れた長崎からのメンバーがタブレットで航空写真を撮っていたので、それを頂いた(右の航空写真にモスクが見えています)。
 

イスタンブール空港に着き、専用バスに乗って約45分走り、新市街のレストランに着きました。ポイントホテルタクシム内の和食「優雲也」はタクシム公園から僅か500mほどの場所でした。天ぷらと、うどん、玉子などの日本食でしたが、個人的にはせっかくトルコに来たのだからトルコ料理が食べたかった。
 

13:50~14:10、旅行社の日程表にはイスティクラル通りへ行くことになっていましたが、タクシム公園で自由時間となり、地図を事前に調べていなければ電車通りがイスティクラル通りとは気づかなかったかも知れない。ロクムの店など覗いたがあまりにも自由時間が短くてゆっくり出来なかった。それでも、アイスの店のパフォーマンスと、名物の電車を見ることは来ました。

タクシム広場

イスティクラル通りの店です。


15時、新市街からトンネルを抜け、水道橋を抜けて旧市街に入りました。アヤソフィアの南までしかバスが入れないので、バスを降りて、トプカプ宮殿に向かって城壁を右の見ながら坂を上って行くとアメフト3聖の給水所がありました。建物の四隅にヴェフヴィーの詩が刻まれているらしい。


ここにも大きいけど、おとなしい犬が居ました。表敬の門からトプカプ宮殿に入ります。入場料を現地ガイドのエリキンさんがスマホで支払ってくれるのでバーを倒して入場しました。


宝物館、兵器庫、イスラム預言者の館、アフメト3世の図書館などを観て回りました。館内は撮影禁止ですが係員も疲れてくると注意しないので、スマホで撮影している人をかなり見かけました。私も立ち止まらずに写真を撮りました。スプーン職人のダイヤモンドは86カラット。鮮明な写真には撮れなかった。




売店で築城のKさんが絵葉書とマグネットを購入した時、お釣りの2リラが無いけどいいか?と店員に言われた。ここでは現金で買わずにカードで買うのが一般的だから、小銭を用意していない。おおきな白い鳥はなんだろう?と思いましたがカモメでした。猫・犬・カモメが共存している公園っていいなあ。


アヤソフィアの撮影ポイントで今回のグループ全員の写真を添乗員の原さんが撮ってくれましたが、ただ一人宮地嶽から参加された男性がこの瞬間に不在で写っていないのが残念です。


記念写真を撮った後、すぐ近くにあるOttoman Hotel Imperial内のレストランで宮廷料理の夕飯を食べました。オードブルは小さいカップに入った物で、今まで食べたトルコ料理とは違ったイメージ。メインのチーズと牛肉は柔らかくて量が多いので、カミさんは食べきれなかった。今までのレストランでは無料の飲み物は提供されませんでしたが、ここでは食後のチャイが出ました。




食後、ブルーモスクSultanahmet Camiiがライトアップされた夕暮れの景色を楽しみました。かつて競馬場があった公共の広場Sultanahmet Squareはは1月30日の夕方にも案内されたましたが、切石積みのオベリスクÖrme Dikilitaşの夕景もいいものです。


17時にホテルに戻りましたが、近くのスーパーでお土産を買いたい人が居たので17時30分にロビーで集合してKılıçマーケットへ出かけました。今回の旅は天候に恵まれましたが、買い物に出た時は前回(1月30日)も今回も雨が降りました。トルコの酒「Raki」は免税店でも買えますが、上海で手荷物として液体を持っていると没収される危険性があるので、地元で買って受託荷物に入れておく必要があり、スーパーの隣りのŞahin Tekelで購入しました。700TLでした。
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カッパドキア(2)

2024-02-11 16:05:59 | トルコ旅行
第4日(2024年2月1日)
洞窟ホテルー気球体験ー三姉妹ー鳩の谷ー絨毯の店ー昼食ーカイマクル地下都市ートルコ石の店ーウチヒサールーパジャパーーデブレントーレストラン(ベリーダンス)


カッパドキアは気球のメッカですが、風が強いなど条件が悪いと夏季シーズンは30~50%、冬季は20%しか飛べないそうです。イスタンブールのガタラ橋の下の食堂で出会った日本人グループは「飛べなかった」と残念そうに言われたし、昨日の昼食の人も飛べなかったと聞いた。飛行が可能かどうかの判断を機長や気球会社が検討するのでなく、政府が決めるが昨夜の段階では「飛行の可能性がある」との判断でした。17名の今回のグループ内の9名と添乗員の合計10名が乗るので朝5時にモーニングコールがありましたが、4時に起きて準備しました。厚い靴下、ヒートテックの下着と2枚のダウン、帽子、2枚の手袋とマイナス6℃で1時間以上耐えられる防寒具を用意して5時半に朝食を食べました。
  
6時に出迎えに来たベンツに乗り込みました。車内で袋に入ったパン・お菓子・ジュースが提供されました。しばらく走って停車しましたが、車内で待機する指示があり、外は真っ暗でどんな場所だかわかりませんでした。

7時になり車のドアが開けられて外を見ると気球のゴンドラがヘッドライトに照らされていました。
薄暗い外に出ると気球を膨らませるファンの音が聞こえました。ゴンドラが倒されて時々炎で気球内の空気を暖める頃には周辺にかなりの数の気球が準備している様子が見える様になりました。
 

車外に出ても良いと許可があったので、車のライトに照らされたゴンドラの前で記念写真を撮り、気球が膨らむ様子を観察したり写真に撮ったりしました。
 

倒されていたゴンドラが熱気球の浮力で起こされた時、脚立がゴンドラの横に立てられて乗り込む指示がありました。私は自分の足先をゴンドラの中まで持ち上げる事ができない人の補助をしましたが、転げ落ちる様にアンバランスになる人が多かった。20人乗りのゴンドラで端の区分2ブロックに3人づつ、中央に近い2つのブロックに2人づつ、中央はパイロットと撮影要員、私が乗った中央寄りのブロックには補助の係員1名が乗ったので総勢21人だったと思いますが、パイロットの反対側の4つのブロックに何人乗っていたのか定かではありません。エンジンを積んでいない熱気球が上昇するのは静寂そのもので、地面がどんどん遠ざかって行きました。
 

夜明け前のオレンジ色の空に雄大な姿のエルジエス山と雪のカッパドキア平原、その中に自分たちの気球だけでなく、他にもいっぱい気球が浮かんでいました。熱気球に乗れるなんて滅多にない体験であり、感激して涙を浮かべている人も居ました。

真下を見ると高所恐怖症の人はゾッとするかも知れないけど、ゴンドラは胸の高さまであり、遠くの景色や多くの一緒に飛んでいる熱気球を観るので恐怖は全く感じません。上昇する為のバーナーの明るさと音にスマホを向ける人、仲間同士で写真を撮る人、多くの気球のキョロキョロするなど、それぞれが楽しんでいました。




高く飛んでいた我々の気球が高度を下げて谷を飛行する時、ゴンドラの底が衝突するのではないかと心配しましたがパイロットがバーナーを点火して気球を上昇させてスレスレでクリアする技術は大したものでした。気球を回収する車が風下に来ると、地上の係員3人が気球を台車の上に来る様にドラゴンの方向を修正し、パイロットが気球の上の蓋を開けてピンポイントで台車上に着陸させたので、思わず拍手していました。


ゴンドラの側面に開いた穴に足をかけて降りるのが一苦労で転がり落ちそうになって笑い転げていた姿を撮影しなかったのは惜しかったです。
機長がシャンパンを開けて無事の着陸を祝って乾杯しました。お礼のチップは一人50リラでした。飛行証明書を受け取りました。
 

飛行中の軌道をガーミンのGPS etrex HCに記録していました。左の画像は水平方向の移動を示すものです。前夜のスーパーArikanへの買い物へ行く時の記録を消していなかったので、画面上にArikanへの軌跡も残っていました。到着地点はホテルから北西4.25Kmでした。
右側の画像は垂直方向の軌跡をグラフ化したもので、水平方向が時間軸、垂直方向が標高を示します。飛行時間は約40分、標高1062mから離陸して最高位置が21分後の1742m、つまり680m上空を飛行していた事が分かります。谷に降りた時の標高は1160mで、その後少し上昇して標高1230mの地点に着陸したとわかります。気球に乗らなかった人はホテルの上を気球が飛んでいるのを見たそうです。
 

9時45分、気球に乗らなかった人も含めてホテルを出発して奇岩観光に出かけました。先ず三姉妹の岩。
 

10時30分、鳩の谷。ここは鳩の形の岩があるのだと想像していましたが、鳩が住む穴を掘り、糞を肥料として集める為の人間用の横穴を開けた一体のことだと分かりました。
 

10時40分、絨毯の店Yüksel Carpetは鳩の谷から約3Km。ヘレケの絨毯の歴史。中国・ペルシャ・トルコが絨毯として有名だが、トルコ絨毯は2重結びで抜けない。


草木染だから色落ちが無い。カッパドキアにしか居ない黒毛の羊、ベージュの羊の毛を使い染色無しで織った物がある。多くの絨毯を広げて、足で踏んで感触を体験させてもらった後、個別に購入を持ち掛けられました。2畳はどのサイズで25万円、玄関マットをおまけして、送料はトルコが負担など押し売りされたが、買わなかった。グループの中の何人か購入されたようです。
 

 

12時45分から昼食Dede Efendi, Bahçelievler Mah. Profesör, Nevşehir, Dr. Zeliha Berksoy Blv., 50650 Ortahisar/Ürgüp/Nevşehir, トルコ。スープ・ナス・チキン・はちみつヨーグルト。
 



14~15時、レストランから南へ約28Kmにあるカイマクル地下都市Kaymaklı Yer Altı Şehriの観光。隠れキリシタンが暮らした遺跡で世界遺産となっており、地下4階部分が一般公開されている。教会・倉庫・葡萄酒を作った場所、かまどの煙が外に漏れて居場所を悟られない様に洞窟内を循環させたので、煙の跡として天井が黒くなった事など、狭い洞窟内を観てまわりました。
 



バスで北へ22Km、約30分移動して、トルコ石の店「HANEM」ART CENTERに着きました。日本の旅行誌「るるぶ」に宣伝広告してる店でトルコ石の原石や最近流行の石など説明があり、販売。購入する気持ちが無い私は日本語が話せるので応援に来ていたホテルのオーナーと世間話を折尾から参加のMさんと一緒に楽しみました。
 



午後4時半、ウチヒサール城の北側にあるUchisar Photo spotに降りて記念写真を撮りました。乗って移動することを目的とするのでなく、記念撮影する為にラクダに乗る観光客がいました。砂漠の中のラクダは絵になるからいいけれど、雪景色を背景のラクダってどうなんだろうと頭の中では思いましたが、それなりに悪くないものに見えました。
 

Uchisar Photo spotから北東へ9.3KmのパジャパーPaşabağlari Ören Yeri Girisへバス移動。自由時間が与えられてキノコの岩を観て歩きました。
 



次の撮影ポイントはデヴレントDevrent Valleyです。(東へ5.6Km)、ラクダ岩が有名です。カッパドキアでは猫を見かけることは少なかったですが、野犬が多く居てバスを降りると寄ってくることがありました。大型犬であり1匹だけでなく3~4匹が群れで居ることもありましたが、人に慣れておとなしいから恐怖を感じる事はありませんでした。
 

 

18時~19時、デヴレントから北西7.7Kmのレストラン「ALTINOCAK」に於ける夕飯はベリーダンス付きでした。
夕食はナスの肉詰めをメインにスープ・サラダとデザートがあり毎度お腹いっぱいの美味しいものでした。食事が終わる頃に暗くなると同時にミラーライトと音楽に乗ってダンサーが現れました。
 





ダンサーは踊り終わると私に舞台に出る様に手招きしました。17名の小さいグループで他の客が居ない空間だったので、遠慮せずに出ると、折尾のマラソンランナーMさん、山口のSさんも要請に応じて舞台に出て、ダンサーと一緒に踊りました。
次に女性にも出る様にダンサーから誘われて、8人が半円形に並んで踊りました。3日間一緒に行動をして仲間意識が芽生えていたので全員で愉しい雰囲気になれました。
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カッパドキア(1)

2024-02-11 09:25:05 | トルコ旅行
第3日(2024年1月31日)
ホテルーイスタンブール空港ーカイセリ空港ーギョレメ昼食ーギョレメ野外博物館ー洞窟家屋訪問ーフォトスポットー陶器店ー洞窟ホテルー夜の買い物


朝5時半のモーニングコールでしたが、4時半には起きて荷物をパッキングして、6時半にL階の食堂で朝食を食べました。(トルコでは1階が「L」、2階が「M」、「1」が3階です。)オリーブの産地だけあって色んな種類のオリーブが並んでいましたが、食べ過ぎるので、パンと野菜とヨーグルトだけを食べました。

7時にバスでイスタンブール空港へ行ってトルコ航空の国内線でカッパドキアに向かいました。空港に於けるチックインはセルフで座席を選ぶのですが操作が分からず、同じ団体の仲間の基山から来たテニスプレーヤーの女性一人旅Aさんに教えてもらって搭乗券を得ました。次の荷物のチェックインもセルフで自分で画面を操作し、コンベアに置いたスーツケースに荷物のタグを取り付けます。何度操作しても動作しなかったのは設備のエラーで戸惑っていたら復旧して何とか手続きできたのはエリキンさんが手伝ってくれたから。一人きりの旅ならパニックになったかも?世の中どんどんデジタル化が進んでいるので勉強が必要だと思いました。


カッパドキアは寒いと聞いたので、皆しっかり防寒具を着込んで、9:50イスタンブール発カイセリ空港行きのトルコ航空TK-2016便に乗り込みました。
 
約1時間30分の国内のフライトですが、温めたハムサンドとジュースがでましたが、このパンがあまりにも美味しくて完食してしまいました。


のんびり旅行して美味しいトルコのパンを食べながら航路を示す画面を見ていると、我々が飛んでいる北側=黒海の上(北)にはodesa(オデーサ)やMariupol(マリウポリ)という地名が見えました。ウクライナの戦場がすぐ近くにある!と気づきました。
 
11時20分、カイセリ空港ASR=Kayseri Erkiletにランディングし、荷物を取り出して50分には待機していたバスに乗りました。

昼食場所のギェレメまで75Kmを国道D300で西へ向かいます。左の車窓に中央アナトリアで最も高い火山「エルジエス山」標高3916mが見えました。カッパドキアの奇岩はこの火山から噴出された火山灰や溶岩などが雨と風で浸食されたもので、スキー場があり、同じ飛行機にも冬休みをスキーで過ごすスキー板を持った人も乗っていました。

緑が少ない大地は肥沃には見えず、麦と砂糖ダイコンしか収穫できないそうです。カッパドキアは地名でなくて奇岩が多い地域の名前です。ユルギュップに入ると奇岩が見え始めました。32年間ガイドをしているエリキンさんがカッパドキアの歴史や地理の話を詳しくされました。5000年前に噴火したアララト山5165mが休火山となった。この噴火も奇岩を作る要因となった。ヒッタイトが鉄を武器に栄えた紀元前1300年頃、鉄を作るのに木を伐採してしまったが、雪が降るので水資源は地下から汲み上げることが出来る。エジプトとヒッタイトが平和条約を結んだ。カッパドキアはペルシャ語で強くてきれいな馬という意味。西安からイスタンブールまでのシルクロードを2年かけてラクダが陶器を運んだ。ラクダの寿命は40年。陶器が割れない様に泥で固めていた。ヒトコブラクダは1回で100Lの水を飲み21日間水無しで歩けた。簡単なメモを取ったけど聞き漏らした事や聞き間違いがあると思うが実に知識豊富なガイドさんと感心しました。
 

午後1時に昼食のレストラン(Köşebaşı Kapadokya)に着きました。庭には積雪がありました。ギョレメの町の中心部(200mほど南西寄り)なので奇岩も見えます。
 

壺に入った肉を客の目前で火あぶりにするパフォーマンスは撮るチャンスを逃してしまいましたが、伸びるアイスクリームをクレープしたデザートもある、美味しい豪華食事でした。
  

  

昼食後はバスで2キロほど移動してギョレメ野外博物館を見学しました。入場料が必要なのでゲートがあり、エリキンさんがゲートのバーが開く様にスマホで操作してくれます。「博物館」と言う名前はついていますが、ここは隠れキリシタンの洞窟教会で内部には今でも色彩豊かな壁画が残っていますが、残念ながら撮影禁止となっています。中でも暗闇の教会が最も壁画が美しいのですが、別料金が必要です。キリストの歴史を壁画にどう表現されているのか、ここでも博識のエリキンさんの詳しい説明がありました。
 

売店の先に停めたバスを集合場所として自由行動になりました。事前に滑りにくい靴を履くように注意されていましたが、坂と階段と凍った場所があり、高齢者には厳しい山登りです。
   

 

 

歩いた軌跡がGPSに残っています。事前にgooglemapからデータを読み取りウェイポイントとして記録し、現地を想像してシュミレーションして臨みましたが実際に行ってみると想像と随分違っていました。


3時40分、旅行社が事前に計画した観光順序には無かった洞窟ハウスに住む個人宅を見せてもらえることになりました。カッパドキアには7軒の洞窟ハウスで暮らす人が居てエリキンさんの馴染みの1軒に電話連絡すると訪問をOKしてもらえたそうです。この家の持ち主はアドゥナンさん、60歳。洞窟ホテルの工事をする建築土木の技術者で政府に認められて住むことを許されているが、家賃は昔は無かったが今は5年で1万円だそうです。奥様は織物の先生で我々を受け入れたリビングルームにカーペットの織り機がありました。3階建てで2階が教会(今は使っていない)1階がリビング、地下が寝室だそうです。世界遺産なので一切の改造が許されていないからリビングの床は傾斜したままです。洞窟なので冬は暖かく夏は涼しいそうですが、子供達は好きではないのでここには住まない。暖房は石炭ストーブで、一般の家では年間2トンを必要とするが、洞窟では500キロで済むので経済的。リビングには絨毯が敷き詰められていましたが、1枚はお婆さんの製作、もう1枚は奥様の作品。カッパドキアでは女性が結婚するまでに3枚の絨毯を作ることを求められ、1枚は親に、もう1枚は結婚相手に、そしてもう1枚は自分が使うのだそうでした。アップルティーが振舞われました。
  

 

  

食べ過ぎてしまったのか、洞窟の家を出るときに、どうしてもウンチがしたくなってこの家の屋外のトイレを使わせてもらいました。小屋のドアを開けると和式と同じスタイルで使用する便器があり、ドアに向かって右側には水道のレバーとホース、左には空のバケツが置いてありました。用済み後ホースの先を便器まで持って来てレバーを倒すと水が出て汚物が流れます。尻を拭いた紙をバケツに置いて出たけど、それで礼儀にかなうのか不明。ミャンマーやタイでは水桶と柄杓が置いてあり右手で柄杓の水をお尻にかけながら左手で拭きます。それより寒い所だから水には手を触れないのだろうと思います。下水処理がどうなっているのか聞かなかったけれど。東南アジアより文明が進んでいるのでないかと感じました。一般家庭のトイレ内部の写真を撮れなかったのが残念。


午後4時40分、撮影スポットのアブジュラル谷で写真タイムを取りました。
 

今日最後の場所は陶器店。作業員の絵付けやロクロの操作を見た後、多くのコレクションを見て販売もされましたが、芸術品の模倣を嫌うのか撮影禁止の場所が多かったです。
 

  



午後6時40分、洞窟ホテルのミニアホテル(Cappadocia Minia Cave Hotel、Ortahisar)にチェックインしました。カッパドキアはワインの産地であり、ウェルカムドリンクとしてワインがありました。
 

我々の201号室はロビーから近く、ソファーがあって良い部屋でした。203号室は佐世保から参加の女性、204号室は長崎からの女性、本当の洞窟の部屋は築城にKさんが割り当てられました。洞窟を利用しているので、それぞれユニークで均一性がありません。
 

 

夕飯はホテルの食堂で鮭のグリルでした。デザートのお汁粉は全然甘くなかった。
  

夕食後、ホテルを抜け出してスーパーのARIKANへチョコ菓子を買いにいきました。イスタンブールより東部の田舎は物価が安いと一般的に言われており、夜間も安全と思うし、ホームページの口コミの評価が良かったのでホテルに近いBIMへは行かずに、ここへ行ったがずば抜けて安い訳ではなかった。部屋にフルーツがあり、オレンジを食べるとめちゃくちゃ美味しかった。
 
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