ドジ男の自転車旅行

自転車の旅を写真付きで書きます。

モロッコの旅

2019-11-19 21:04:56 | Maroc
自転車放浪人として「5大陸を制覇」は願望です。南極を除いた、ユーラシア大陸、北米、南米、オセアニア、アフリカの5大陸の一部でもいいから何時か走ってみたいと思っています。全く足を踏み入れていない南米とアフリカの中で、南米は遠いし、且つ「テクテク爺さん」が交通事故で亡くなった危険なイメージがあるので今すぐ実行しようという気になれません。でも、スペインかイタリアから船で渡れる北アフリカなら走れるのではないか?と思えます。自転車旅行の下見を兼ねて7泊10日のパック旅行に参加してみました。

結論を言うと:
①自転車で走っているサイクリストは居る!
 a.トドラ渓谷で荷物を持たずロードに乗ったヘルメット+サイクルジャージの2人の白人を車窓から見ました。外国人が自転車を持ち込んで短距離をポタリングしていたようです。
 b.長距離自転車旅行者を1人見かけました。でもバスの助手席に乗っていたアシスタントのモハメド君は、その日4人のチャリダーを見たし、その前日は1人見たと言っていました。私が見たサイクリストは、追い越した瞬間に見ただけですが頭にターバンを巻いてパニアバッグを積んでいたと思います。
②町中では移動手段としてモーターバイクが多いですが、自転車も見掛けます。
 a.ラバトの「ハッサンの塔」の西側海岸道路は湘南の雰囲気で多くの自転車を見掛けました(写真には撮れませんでしたが)。


b.ワルザザード郊外のマラケシュへ向かうメインロードを走る人。




③マラケシュにはレンタサイクルもあります。


海沿いはマラケシュからラバトまでの高速道路を走っただけですが、大きい山越えが無いし、高速道路の海側の一般道では町と町の距離が短い様だから走れそうに思えます。地形的には走れても、日本の様なコンビニが無いのでトイレや食事に困るかも知れません。同じ外国でも、ベトナムやカンボジアなどの東南アジアでは食べ物が日本や中国と似ているので指差しやジェスチャーで食べることが出来ます。でも、ローカルなモロッコの町では現地の人達の食べ物がパック旅行で日本人が食べる物とは違うはず。ドライブインでタジン鍋から湯気が出ているのを見掛けましたが、何が入っているのか?分量をどう注文するのか?かなり戸惑いそうです。メニューなど書いてなかったし、価格も不明。フランス語が通じるのか分からないし、アラビア語なんてまるで分らない。


道路の番号はgoogle地図にはありますが、バスで走っていて見たことがありません。アラビア語表記と併記で英字の表示もありますが、フェズからメルズーガまでの五差路で全く表示がありませんでした。重要な交差点なのにガソリンスタンドも無くて人に尋ねることも出来ません。GPSは必須です。


宿泊場所探しも、フランス語が分からない日本人には難易度は相当高いのではないか?と思います。
可能性もありそうなので、結果的には何とかなるのでしょうが東南アジアと比較して難しいと考えるのが良さそうです。

オートアトラスは標高2216mのティシュカ峠を越えますが、緑の木が殆どなくて休める場所も殆どありません。極めて厳しいと考えるのが妥当でしょう。


海岸線沿いと言ってもマラケシュからカサブランカへの高速道路から見た風景は乾燥した大地で土獏を延々と走ると思わなければならないようです。


バスの車窓から見ただけで結論づけるのは無理がありますが、覚悟してやる気で行けばタンジェからマラケシュまでの海沿いなら走れるのではないか!だって世界一周の日本人自転車旅行者もモロッコは走っているはずだから。
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第1日 エミレーツ航空

2019-11-19 21:03:25 | Maroc
自転車旅行ではありませんが、阪急交通社の「青い街シャウエンへ行く!幻想の国エキゾチックモロッコ10日間」に参加してモロッコを旅したので、その記録を掲載します。

2019年9月30日(月)晴れ
福岡空港ーJAL2058-伊丹空港ーリムジンー関西空港ーエミレーツEK317-ドバイ

福岡から添乗員が随行するので殆ど福岡からだと思っていましたが、一番多い地区は兵庫からの参加者で9名、岡山、大阪、沖縄などからの参加者が30名で福岡からの参加者は4名でした。平均年齢は64.4歳だったそうです。
福岡から参加のご夫婦は南アフリカへ行かれた事があり、今年の海外旅行が今回で7回目、この旅の後はインドへ旅する計画があるという旅のベテランでした。
福岡空港16:20発のJAL2058便で伊丹まで飛び、リムジンバスで関空へ移動しました。
ツアーの集合は関西空港になっていましたが、福岡出発の我々4名は全体の集合時間の21時15分より早い20時過ぎにはイヤホンガイドを添乗員から渡されてGカウンターに並びました。2つのスーツケースを預けてチェックインし、出国審査を抜けてプライオリティーラウウンジを捜しましたが、関空のラウンジは出国審査前にあると判りガッカリ。クレジットカードで入れるラウンジにはアルコールもホットミールもありませんでした。


北アフリカへ行くにはヨーロッパ経由と中東経由がありますが、今回は中東のドバイを経由する航空会社エミレーツに乗ります。
アフリカ、イスラムの国、エミレーツ全て初体験。ドバイ往きのEK317は総2階の大型機A380-800でした。ゲートに並んでいた金沢に高校生はイギリスへ修学旅行に行くと言っていました。北回りより時間はかかるけど、安いのかな?


定刻より早く、23時38分関空を出発してドバイに飛び立ちました。機体が大きい為か滑走路を走っている時から機種を上げて離陸する瞬間の変化がとても小さいし、エンジン音が小さい気がします。席の足元は十分広くて膝が前席に当たりません。スマホを重電する為のUSBポートが付いているのでスマホを満充電にしておくことが出来ます。

直近2回の旅でフランクフルトまで飛んだKALと比べて機体もスタッフも食事も配布されるアメニティーも豪華でした。
靴下、アイマスク、歯ブラシ、耳栓が付いていました。LCCに乗る機会が増えた身には随分久しぶりの支給品。KALには歯ブラシはあったけどもっと質素だった。


離陸約1時間後の食事はニース風サラダとチキンタジン。何処か中東風。アルコールはビールもワインも何杯も頂けます。(ケチじゃない)


飛行ルートは今までの北周りではないので新鮮に思えました。旧ソ連の上空を飛ぶのでなく、中国南部からミャンマー北部を横切り、インドのコルカタ、ベンガルを通過しました。


ドバイの空港に着く前、日本時間の朝7時半、(ドバイ時間午前2時半)2回目の食事が出ました。


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第2日 カサブランカ・ラバト

2019-11-19 21:01:21 | Maroc
2019年10月1日(火)晴れ 30.1℃(午後3時のラバト気温)

エミレーツEK317-ドバイーEK751-カサブランカ空港ーカサブランカ観光ーラバト観光

GPS記録 登坂累計高さ:201m 移動距離:152.7Km 移動時間3.43時間(カサブランカ空港以降)
最高時速:105Km/h

宿:Majliss Hôtel

日本時間の朝9時半(ドバイ時間4時半)ドバイ空港に着きました。初めての空港なので次に乗る便のゲートを確認後、団体から外れてラウンジを捜しました。トランジットの時間は2時間半しかありません。プライオリティーカードでエミレーツのラウンジには入れませんが「Marhaba Lounge」に入れました。


仁川のラウンジは行儀ご良いとは言えない韓国人が多くて落ち着けませんが、ここでは韓国人も中国人も殆ど見かけなくて静かでした。


ホットミールがありましたが、機内食が十分あったので食べる気になりませんでした。


関空からドバイへの飛行機は大型機でしたが、ハブ空港のドバイからカサブランカへはきっと小さい飛行機だろうと思っていました。ところがゲートへ行ってみると、カサブランカ行きの機体もA380-800でした。しかもほぼ満席。エミレーツって凄いなあと思いました。


現地時間7時、EK751便に搭乗し、定刻の7時25分にドバイ空港を離陸しました。ドバイの地上気温は32℃だと空港の案内に出ていましたが、空港内はエアコンが効いていて快適だったし、エミレーツの機内温度は22.3℃でした。ブランケットが必要な程涼しい!
8時45分にコンチネンタルブレックファーストが出ました。サンドイッチとフルーツです。


飛行ルートを示す画面を見ていると地中海、アフリカ大陸が出ています。英字表記もありますがアラビア語の表示を見るといよいよ未知の国に行くんだなあ・・という気持ちが強くなってきます。


到着後、観光があるので、機内では休むことにしました。ドバイ時間12時44分(カサブランカ時間朝の9時44分)2回目の食事が出ました。


12時22分、飛行機はカサブランカ空港に着陸しました。入国カードを書かなくても入国審査を通過出来ました。1万円を現地通貨のデルハムに両替しました。100DH紙幣8枚、50DH紙幣1枚、10DHコイン2枚が来ました。添乗員から荷物を受取った場所で集合するように言われていたので待ちました。着陸後の入国審査、税関はそれ程待たずに通過できましたが、34名の団体ではどうしてもトイレに行く人や両替の人を待ち、添乗員が人数チェックをするので、待ち時間が多くなってしまいます。


13時40分、税関を抜けて空港ビルから出て、生まれて初めてアフリカの大地に踏みしめました。


北アフリカのモロッコ。英語ではKingdom of Moroccoです。でも現地の言葉はアラビア語とベルベル語が公用語ですが、フランス語が使用されていてフランス語ではMarocだから会話の中ではモロッコでなくてマロックという言葉が耳に飛び込んできます。
宗教はイスラム教。(スンニ派)民族としてアラブ人が65%、ベルベル人が30%を占めるそうです。面積は日本の約1.2倍。人口は3,600万人で人口密度は1Km2に72人。スペインから船でジブラルタル海峡を渡って来ることが出来ます。
アラビア語ではモロッコはالمملكة المغربية‎(アルマグリブ)でこれは陽が沈むという意味だそうです。ユーラシア大陸の一番東の日本から一番西の国へ来たことになります。その時差はマイナス8時間。
モロッコ、アルジェリア、チュニジア、カルタゴという単語は知っていましたが、遥か遠い国で殆ど知識はありませんでした。旅行前にモロッコの本を数冊読み、google地図で今回訪問する観光地の位置関係を把握してGPSとスマホのmaps.meに入力しておきました。でも本やネットで得られる情報と実際に自分の目で見る内容はまるで違います。興味津々でモロッコをみてやろうと思っていました。

アラビア語の数字は難解なので、挨拶の言葉だけを覚えることにしました。
サバヒルヘイル:おはようございます
サラームアレイコム:こんにちは
シュクラン:ありがとう
これだけはサッと言えるようにしておきました。

今日の予定はカサブランカの名所を2ヵ所見学した後、ラバトへ行くことになっていました。空港に出迎えてくれた現地ガイドは身長が190cmのサイドさん。日本語が話せて気が利いた若い青年です。彼が携帯でバスを呼びました。写真は福岡空港からの添乗員「小松さん」と現地ガイドの「サイドさん」です。
  



午後2時にバスは出発しました。カサブランカのモハンマド5世空港は市街地から約37Km南にあるので、先ずカサブランカ市街へ走ります。


車内では小松さんのアフリカについての説明がありました。アフリカと言っても北アフリカは赤道から遠くて日本と緯度はそれ程変わらないから暑くない。赤道付近は標高が高いからそこでも熱くない。アフリカに56の国がある事やモロッコの事情などを分かりやすく解説してくれました。
道路標識は殆どありません。初めて見つけた標識は上にアラビア文字、下にローマ字で表記されていました。


郊外から市街地に近づくと白い建物が見えてきます。カサブランカの町の名前のカサはスペイン語の家、ブランカは白だから、文字通り白い建物が多い町のようです。


繁華街を抜けて海岸沿いの道に出ると「アフリカ」と言うより湘南かハワイの様に明るい開放されたイメージであり、自転車も多く走っていました。
海岸に建つ「ハッサン2世モスク」の塔が左手に見えてきました。


午後2時50分、最初の観光地ハッサン2世モスクに到着しました。1986年から2年かけて建てられた近代的なモスクでここの塔「ミナレット」の高さ200mは世界一だそうです。多人数の団体では添乗員の声は後ろでは聞こえないだろうなあと思っていましたが、イヤホンガイドという便利な物があることを初めて体験しました。


8万人が収容できる敷地は本当に広いです。


海岸に建つモスクは入江の反対側から撮るといい写真になるだろうなあと思いましたが、出発時間まで時間が足りないので走って対岸へは行きませんでした。団体旅行ってちょっと自由が無いなあ。


全体が大きいからボォーッと見ていると気づかなくなってしまいますが、モザイクは緻密で美しいです。




午後3時40分、モスクを出発。ムハンマド5世広場ではバスを降りて写真撮影する5分だけの停車でした。長身のサイドさんは裁判所前Palais de Justiceの噴水で気軽に写真に納まってくれます。


道路の反対側は最近出来たオペラ座Grand Théâtre De Casablanca (CAA ART)だそうです。


事前に配布された日程表ではこの後観光を終わってラバトのホテルへ行くことになっていましたが、添乗員の小松さんと現地ガイドのサイドさんが相談して明日の朝観光予定のラバトの名所2ヵ所を今日中に観光することに変更されました。明日の移動距離が長く行動時間が長くなるので、参加者がフアイトで疲れていない今日に済ませてしまうのが良いと判断されたからです。
カサブランカからラバトのハッサンの塔までは高速道路A1を走って約95Km、2時間15分のドライブの旅でした。


郊外に出ると家がなくなり、延々と赤い大地が広がっていました。飛行機を2回も乗り継いで来た北アフリカだから、どんな道、どんな大地、どんな建物があるのか全部見たいので車窓をずっと見ていました。出発後約1時間でマクドナルドでトイレ休憩がありました。




ラバトはモロッコの首都です。ラバトの町に入ると道路も整備された都会の雰囲気になりました。


午後6時過ぎ、ラバトのハッサン塔に到着しました。ハッサンの塔は12世紀末に当時の世界で最も高い塔(ミナレット)を建造しようと試みたが王が亡くなって工事が中断し、高さが44mで未完成となったものです。




隣接するムハンマド5世廟に入りました。フランスから独立を勝ち取った国王(1961年没)の霊廟で、1973年に完成。4隅には衛兵が立っています。
 



外観も装飾も緻密でした。
 



ユネスコの看板がありました。


モスクの壁が残っています。穴は建築時に足場として木材を差し込んでいた穴がそのまま凹んで残っているのだそうです。


午後6時55分、今日のホテルMajliss Hôtelにチェックインしました。阪急交通社のツアーインフォーメーションではスタンダードクラスとされています。booking.comで価格を調べると1泊9,326円でした。(10月下旬はハイシーズンなのか13,000でした)GPSに登録してありましたが、ホテルの看板も無く、路地の奥にあって、一人旅なら宿探しが難しそうです。


212号室。かなり広くてベッドも大きいです。


窓からの景色です。


バスがホテル前まで入れないので、バスのスタッフのムハンマドさんとホテルのスタッフがスーツケースをバスから降ろして部屋に届けてくれたので、7時半にロビーで集合してバイキングの夕食を食べました。モロッコ初の食事はスープの味が超薄かった。6人席で同席したのは福岡から一緒だったK夫婦。土木関係の仕事をしていてシンガポールやインドに長期派遣されて生活したことがあるとのお話です。モロッコへ来る様な人は海外に慣れた人が多いようです。


ドバイからの長い1日が終わりましたが、緊張しているのか、それ程疲れはありませんでした。
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第3日 シャウエン・フェズ

2019-11-19 20:59:19 | Maroc
2019年10月2日(水)晴れ 28.7~31.7℃

ラバトRabatーシャウエンChefChaouenーフェズFez

GPS記録 登坂累計高さ:4138m 最高標高:626m 移動距離:460.6Km 移動時間9時間34分
最高時速:103Km/h 停止時間:3時間

宿:Golden Tulip Tghat Fes Hotel

朝5時に起床し、6時半にスーツケースを廊下に出して朝食会場へ行きました。100%のオレンジジュースが旨かった。
今日はシャウエン観光が1時間半ある以外はずっとバスに乗っている予定です。昨日は空港からバスに乗る時、一番前の右側の席に座りましたが、今日以降は全員が公平になる様に添乗員が座席を指定することになりました。バスの左側の席の方が右側より席と席の間隔が長くなっているので足元が楽です。バスの前、中央、後部と左右を順に変えるそうで、その日の座席位置がバスのドアに張り出されます。今日は左の後部座席でした。運転手のマハルビさんはサバヒルヘイルと挨拶すると、ニッコリして「サバヒルヘイル」と言った後、日本語で「おはようございます」と挨拶してくれました。会話は出来ないけれど、日本の観光客のバスを何度もしているのか、簡単な挨拶の日本後は知っていました。


8時にラバトのホテルを出発して20分ほど走ると車窓にコルク樫の木が多く見られました。コルクはポルトガルが産地として有名ですが、地中海沿岸のスペインやモロッコアルジェリア、チェニジアでも採れるようです。


約250Kmの長いバス旅の間に添乗員の小松さんはコルク、オリーブの産地や誰が伝えたのか、車は右側通行をしているが日本の様に左側通行している国が何か国あるか?心臓が左にあり、船や飛行機が桟橋や搭乗橋に左舷を着けること、陸上のトラックが左回り、刀を右手で持って戦うのに左側通行と右側通行はどちらが有利か。フェニキア、カルタゴ、ローマ時代の歴史など豊富な知識を関連付けた壮大な話しをされるので、聞き入っていました。ヴァンダル族やアンダルシア、ゲルマン民族などヨーロッパや北アフリカの歴史を話されましたが、勉強不足の私には「聴いたことがある名前だけど・・」と思うけれど、全部が理解できる訳ではありませんでした。
8時45分から20分のトイレ休憩。ケニトラのガソリンスタンドでした。


タンジェへの標識がガソリンスタンドの出口にありました。バスはここから内陸部に入って行きますが海岸線を走るとタンジェに行けるんだなあと思いました。


高速道路でなくて随分細い道を走っていると道路に並行した灌漑用のU字構が設置されオリーブが栽培されていました。オリーブは乾燥した土地でも力強く育つそうです。




30分後、道路の両サイドに塩田がありました。昔は塩が貴重でローマ軍など兵士への給料は塩で支払われたそうです。ソルジャーやサラリーの語源もsaltだとか。


オリーブが少なくなり、「大地」だと感じる広い荒野?が見えてきました。


11時頃、ラバトを出て初めての大きい町を通過しました。子供も多くて学校があると思われるし、屋台の店やコーヒーショップもあります。
ウェザーンという町だったようです。観光地でなくてこんな片田舎の町に泊まって本当のモロッコを知りたいけど、ホテルはあるのかな?




11時半、2回目のトイレ休憩がありました。コーヒーを飲んでみました。15DHでした。


トイレは有料で2DHです。タイやミャンマーと同じ「しゃがむ」タイプの便器で紙は置いてありません。




ナツメヤシの実が成っていました。


午後1時、シャウエンに到着しました。今回のモロッコ旅行の見所ナンバーワンの観光地です。シャウエンは見渡せる丘。ここのお店も青。
シャウエンの街がどうして青いのか色んな説があるけれど、正解は分からない。30年前は白い街だったことは確かなようです。
英語の愛称はThe Blue Pearl of Morocco。




この町のタクシーの色も青です。


アイン門へ行く途中にある家も青く塗ってありました。


1時20分、シャウエンの町のレストランでケパブの昼食を食べました。テーブルにはモロッコのパン「ホブス」が置いてありました。飲み物はアボカドジュースを注文してみました。


 

トルコのケパブを想像していましたが、「ヤキトリ」です。サラダと無花果ジャムヨーグルトがセットされていました。






シャウエンは1471年、ポルトガルに対する要塞として建設されこの土地の部族とレコンキスタから逃れてきたユダヤ人が定住、この町とフェズではフランス語でなくてスペイン語が話されているとガイドブックで予習しましたが、看板の文字はアラビア語、スペイン語、英語で書いてあるので「なるほどー」と思いました。


食後、目印となるグランドモスク、カスバへ先ず行きました。




シャウエンは青い街であり、猫が多い街でもあります。
 

旧市街メディナには細い路地があり、土産物などを売っている店があります。


路地の前後は我々の団体を含めて人が歩いているので写真に撮って綺麗ではありませんが横道は無人で絵になる様な青い世界が広がっていました。






カタログにある様な青い壁に赤、白、黄色などの鉢植えの木がある場所をガイドさんが教えてくれました。参加者が順に写真を撮りました。




メディナ内を散策していたら、ベルベル語のアルファベットが書いてありました。気温は31.7℃でした。


カスバで集合することになり、自由時間が与えられたので土産物を見たり、カスバに上がってみました。カスバの裏に公共トイレがあり、利用料金は2DHでした。






サボテンの実を食べてみました。大きい実は2DH。オジサンがナイフで表皮を剥がしてくれます。優しい甘さですが、種が多くて1個を経験に食べればもう一度食べたいとは思わなかった。


午後4時20分、シャウエンを出発してフェズに向かいました。1時間20分後の午後5時40分、モーテルでトイレ休憩がありました。ここのトイレは5DHですが、そのレシートを持ってレストランへ行くと5DHを値引きして飲み物が飲めたり買い物が出来ます。私はモロッコでよく飲まれる「ミントティー」を飲んでみました。15DHに対して10DHの追加で飲めます。ミントの葉が入った甘いお茶です。




メクネスはモロッコワインの産地です。フェズまでまだ遠いからメクネスからの距離はかなりあろうかと思われますが車窓にブドウ畑らしいものが見えました。


モロッコは土漠や砂漠の乾燥した土地だと思っていましたが、川がありました。日本では当たり前の景色ですが、カサブランカ以降ずっと乾燥した大地を見ていたので水を見て不思議な気持ちになりました。


かなり長時間の乗車ですが、添乗員の小松さんは、ハンニバルの軍がローマ軍を破った作戦の話や、大英博物館は多くの遺跡を持ち帰って研究・保管しているがエジプトなどが返却を求めている。でも価値を知らずに放置して朽ち果てそうだった遺産を品質を落とさないように保管し、無料で見せているのだから一概に悪いと言えない。国連は戦勝国の見かたをしているから全てが正しいとは言えない。子供が使うクレヨンに「肌色」が無くなった。外国人が増えた日本の小学校でロシア人の生徒に肌色を濡れと言っても習慣的に日本だけが認めている薄橙色は世界的には常識外れでロシア人なら顔の色を白く、アフリカ人なら黒く塗る。等々、世界を旅する添乗員として見識の深さに感動することばかりでした。

午後7時20分、2回目のトイレ休憩。ここは2DHでした。


午後8時30分、ホテルに到着し、夕食を食べました。料理はバイキング、アルコールを注文できるのでカサブランカと
 





夕食後の21時17分308号室にチェックインしました。キングサイズのベッドが3つある部屋でした。旅行社の資料では「スーペリアクラス」のホテルです。2連泊するのでランクが上のホテルをセットしてくれましたが、booking.comで調べた情報では1泊7,758円。首都のラバトのランク下のホテルより安くて立派でした。但し、エアコンのリモコンが部屋に有りません。寒すぎるので設定温度を高くする為に受付に電話して係員が来てくれましたが、持ってきたリモコンを部屋に置いていってくれないで、設定温度変更後、持ち帰ってしまいました。添乗員の小松さんに電話すると、リモコンを持ち帰る人が居て、足りないから置いていってくれない。そういう事はよくあると説明されました。

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第4日 フェズ観光

2019-11-19 20:57:22 | Maroc
2019年10月3日(木)晴れ 22.2℃~

フェズFezー王宮ー陶器工房ーメディナ内神学校ー一般家庭のミントティーーブロンズ店ーレストランにてタジン鍋ー織物店ータンネリ地区ーカルフールー宿

GPS記録 登坂累計高さ:458m 最高標高:422m 移動距離:32.6Km 移動時間3時間02分
最高時速:59.4Km/h 停止時間:5時間35分

宿:タガット連泊

今日の予定はフェズの旧市街が見渡せる南の砦と旧市街の迷路を散策するだけなので、出発時刻は朝の9時だから忙しくありません。連泊なので下着などを手洗いして室内にロープを張って干しましたが、完全には乾いていませんでした。モロッコは乾燥した国だから洗濯物は直ぐに乾くものだと思っていましたが、閉め切ってエアコンを効かせる高級ホテルは密室なので乾きが遅いのかも?安いファン部屋か開けっ放しの安宿なら速乾かも知れないなあ。
6時半から朝食が食べれるので、6時半にバイキングの朝食を食べた後はロビーでwifiを利用してスマホを覗いたり、ホテルの外に出て町の空気を吸いました。事前に調べたフェズの気温は最高が30℃、最低が13℃でしたが、朝8時半の気温は22.2℃でした。連泊するホテルの外観です。


ホテルの前の通りの様子です。駐車場の看板はスペイン語でなくてフランス語。この国ではフランス語を知っている方が良さそうです。


午前9時ホテル前からバスに乗り、降ろされたのは旅行社が配布した「最終旅行日程表」には載っていない「王宮」でした。
フェズを観光するのは公認のガイドと同行する必要があるのだそうで、ムハンマドという名の眼鏡をかけた優しそうなお爺さんがバスに乗り込み、今日行動を共にしましたが、バスの中で歓迎の挨拶を英語でされただけで、日本語は話せません。名所などの案内は一切無くて、ガイド仲間と出会うと挨拶を交わして情報交換をしてニコニコしているだけでした。小柄な爺さんガイドのムハンマドさんです。


 

バスに乗って次に行ったのはフェズが見える丘「南の砦」(Borj Sud)でした。昨日のシャウエンと比べると広大すぎて何処が旧市街なのかよく解りませんでした。


次はいよいよメディナだろうと思って降車したのは陶器工房でした。工場長が日本語で工場内を案内されました。


モザイクのテーブルを製作する為に、職人がハンマーとポンチだけ叩き割った星型や三角、ダイヤ型のピースを色別に裏返して並べた後、固めて作るなんて手間暇がかかっているんだなあと驚きました。








モスクの柱も同じ様に小さいピースを敷き詰めて製作されていることが解りました。


轆轤を使ったタジン鍋の製造工程、絵づけ作業などもここでやっていましたが、焼いた皿をハンマーで叩いて欠けさせて模様を付けるなんて面白い加工もしていました。






陶器工房を出て、メディナへのブー・ジュルード門Bab Boujloudを潜ったのは11時半でした。外側はブルー、中にはいると裏側が緑色のモザイクです。




メディナの中は迷路になっていて迷子にならない様に現地ガイドのサイドさんと添乗員小松さんが団体の前と後ろに付き散策しました。お土産品や衣類などのお店、肉や果物、お菓子などの食品の店がありました。タイ・ミャンマーなどの東南アジアの市場と違うのはイスラムの国だから豚肉を売っている店が無くて羊の肉。羊の頭も並んでいました。冷蔵庫が無いのは東南アジアと同じですが乾燥していて路面が乾いていることです。東南アジアでは川魚の店の水などで足元に水溜まりが出来ているのが一般的なのにモロッコではサンダルで歩いても足が濡れません。


同じ場所に「一人で戻れ」と言われても難しいなあとは思いましたが、スリが居たり危険だとは感じませんでした。年末のアメ横の様な混雑もなくてどちらかと言えばのんびりしている雰囲気です。GPSを持って歩くと方角は解りますがさすがに迷路はフリーマップには登録されていないので目的地へ行くには苦労しそうです。

神学校でサイドさんがアトラス杉の彫り物や学生の泊まる所などを説明してくれました。


12時に一般家庭に入ってミントティーを頂きました。オーナーはポットを高く上げてコップにお茶を注ぎますが、その方が香りがよくなるのだそうです。タンバリンやパーカッションのパフォーマンスも披露してくれました。


30分ほどミントティーの休憩後、ブロンズ加工している店を見学しました。ミントティーのポットは銀の純度で価格が変わるようです。持ってみるとずっしり重かったけど、これを買っても使う事がないから欲しいとは全く思わない。ブロンズのトレイをポンチで叩いて図柄を描く工程を見せてくれました。


午後1時半、メディナ内のレストランでのランチはモロッコサラダとイワシ団子のタジン鍋でした。飲み物はオレンジジュース30DHを注文しました。搾りたて100%で旨かった。




 

昼食後もメディナ内の迷路を歩いて午後3時前にやっとカラウィンモスク(大学)に来ましたがドアを開けて通路から覗くだけでガッカリです。
モスク内にはイスラム教徒以外は入れないと知っていましたが、せめて敷地内の正門までは行けると思っていました。ヨーロッパのオックスフォード大学やソルボンヌ大学が出来る以前の8世紀にイスラム教の教育機関として存在していたそうです。世界最古大学をゆっくり見てみたかった。






カラウィンモスクの見学時間は僅か1分もありません。次に織物工場兼売店で機織りの実技、ターバンの巻き方を実演して頂き、何人かがターバン用のスカーフを購入しました。店の人が日本語で説明しました。


午後4時前にタンネリ地区の皮なめし現場を見学しました。強烈な臭いがすると言われていましたが風向きの関係なのか殆ど臭いはしませんでした。
皮のなめしや染色の工程を日本語で説明したのはここでもお店の人でした。クッション、カバン、伝統スリッパのバブーシュ、ジャケットなどのお店が一つのビルの中に入っていました。特に買いたい物は有りませんでしたが、このビルに約1時間滞在しました。






「メディナ」って商店が集まった所だと勘違いしていました。一日メディナを散策して気付いた事は、ここが昔の街ということで、学校があり、レストランがあり、民家があり、リアドと呼ばれる旅館があり、家内工業など物を作る工房がある旧市街ということでした。道の幅が狭くて車が入れないから昔のままのロバが通れる広い道と路地の様な人が一人だけしか入れない細い道がある。区画整理をされずの昔のままを留めた場所だから道が碁盤の目の様に真っ直ぐではなくて曲がりくねっている。だから迷路の街になってしまっている。新市街の近代的な高級ホテルに泊まるのでなく、メディナの中の宿に1週間ほど泊まって宿の近くを見ていたら、きっと駱駝が集まって交易していた頃の北アフリカが見えるのかも知れない。次に来るならそんな旅をしてみたいなあと思いました。

メディナからホテルに戻る途中にあるスーパー「カルフール」に立ち寄り、缶ビールやナツメヤシを買いました。モロッコ人のガイドのサイドさんがお土産に買うのに適したモロッコ製のクッキーのブランドや売り場を教えてくれました。今回の旅の最終日にマラケシュで泊まるホテルの近くに同じカルフールのスーパーがあるので、憶えておいて土産の買い出しをすれば良いと添乗員が思ったので立ち寄ってくれました。
 

夕食は午後7時半、ホテルのバイクングでした。


明日は砂漠の宿に泊まりますが、途中のエルフードでバスから4輪駆動車に乗り換えて行きます。スーツケースはバスの中に置いて、1日分の着替えと貴重品だけを持って小型の4WDに乗ります。明朝6時半にはスーツケースを廊下に出す必要があるので、必要な服をリュックに詰め替えました。


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