ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

明石を歩いた証2

2017年09月08日 21時09分36秒 | ウォーキング

さあ、山手の方に
天文科学館が見えてきましたよ。



ああ~、もうここから
見ただけで分かりますよねえ。

建物は子午線に向かって
立っており、塔の真ん中の線が
東経135度の
子午線になっているんですねえ。

で、この道が科学館の
進入路ではありません。

もう少し先を上っていくのですが、
その前に少しコースから
外れたところにある
交番を見に行かなくてはなりません。

コースをいったん海の方へと
曲がりますと、
そこにあるのが山陽電鉄人丸前駅です。



ここは東経135度0分7秒にあり、
ホームの上に135度線が
記載されています。

残念ながら駅に無料で
入っていくことはできませんが、
公開されている写真がこれです。



いいですねえ。

ちなみにほかの鉄道駅を見てみますと、
西脇市の加古川線の無人駅である
「日本へそ公園駅」で、
ここは東経134度59分52秒
しかも北緯35度0分7秒と
子午線と北緯の35度線が
並ぶ場所として日本の中心地点
として名付けられ、
そんな名前になっているそうです。

ああ、西脇は一度歩きに
行きたい地域ですから、
覚えておきましょう。

また山陰本線の無人駅
「下夜久野駅」も
東経134度59分53秒に
あるようですが、
どうでしょうか、
あまり宣伝している様子は
ありませんね。

ただ、夜久野町は135度線が
通ることから

「時の町」

を称していたそうです。

いろいろと地域おこしも
あるもんです。

さて話は人丸前駅に戻りますが、
実はこの駅の下を通る道が
「時の道」といわれている
ようなのです。



これを南に向かって歩いていきますと、
こんな道標があります。



人丸山まで3丁とあります。



で、この人丸山なんですが、
これはなぜこういう名前か
といいますと、
「柿本人麻呂」から
来ているのですね。

彼を祭神としてまつる
「柿本神社」がある山なのです。

人麻呂から人うまるという意味で
安産と火止まるという意味での
火防の神として
信仰があるそうです。

ではまだここからさらに
南に向かって行きますと、
ここに目的地の「交番」がありました。



こうしてみますと
「明石警察署の大倉交番」
なんですが、実はこの交番は
子午線上にあるとのことで、
入り口の横にこんな
看板が上がっています



「子午線交番」です。

そう、これを見たいばかりに
ここまで下ってきたのです。

おまわりさんがいましたが、
構わず写真をパチリ。

「むむむ盗撮だあ」と
検挙されることはなかったです。

まあこういうところなら
写真を撮る人は多いのでしょう。

この交番の横には
「大日本中央標準時通過地識標」
が立っています。



この明石が日本の標準時を
決める東経が通っていることを
知った明石の教員たちが
給料を割いて自分たちで
作ったという識標です。



そしてこれが道標です。



「左 加古川 ひめじ道 
右 ひょうご 大坂道」

と刻まれています。

慶応元年ですから、
1865年、だいたい150年くらい
前の道標です。

さあ、では時の道も
ここからまた戻っていきましょう。
天文科学館が見えてきたところに、
こんな道標がありました。



「源平合戦の馬塚」があります。

平清盛の息子「経正」の
最後の地です。

そしてその横にあるのが
明石城の藩主の菩提寺です。



明石の藩主の多くは「松平家」でした。

このお寺には、
その松平斉宜
(これが徳川家斉の25男)の
墓があるそうです。

ところで25男とはすごいですねえ。

なんと徳川家斉には16人の妻妾がいて、
50人以上の子がいたそうです。

その先のところが
天文館の入り口です。



ガードマンが4、5人くらい
たっていますね。

横にある天文館の
駐車場に入る車の整理を
しているようです。

なんと車も渋滞しているようで、
結構な客が着ています。

続く