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白川日銀総裁の愛称は「Qちゃん」?

2011年03月05日 13時27分45秒 | 経済関連
本題とは全く関係ないが。

経済 / 白川総裁、日銀批判に反論―「日本のバーナンキ」の巻き返し / The Wall Street Journal, Japan Online Edition - WSJ.com


中々よく勉強している記事ではあるけれども、残念なのがこれだ。

総裁は、休む間もなく走り続けるところが似ているのか、行内ではひそかに「Qちゃん」(マラソンの高橋尚子選手の愛称)と呼ばれている。 総裁はそうたとえられることを嫌っていない。彼は言う、「日銀も、いわば、非伝統的政策を推し進めるフロントランナーのようなものだ」と。


最後の部分が気になったわけである。
秘かに呼ばれているらしいので正確な発祥のエピソードなどは判らないが、誰がどう見ても「マラソンの金メダリスト、高橋尚子さん」ということとは関連がないであろう、ということだけは判りそうなものである。

普通に考えれば、「お化けのQちゃん」だったか、アニメの「おばQ」であることは一目瞭然なのでは(笑)。

白川総裁のどのへんがそうなのか、というのは、日銀マン&ウーマンに聞いて確かめると良い。


大体、行内職員の年齢層からして、おばQを知っていそうな年代だろう、と。
記事を書いた記者は、そこまで日本の大衆文化なんかの知識がなかったということではないかな。


そうか、外国のことを書く時って、こういう問題が常にあるということなんだね。難しいもんだね。
小説や映画なんかでも、どうしてそういう言い回しなのかな、とか、背景のことが判らない場合というのはあるもんね。



白川総裁の手腕とか評価については、物足りない、不十分である、というのと、講演なんかでも「中々いいことを言っているな」という部分とがある。
だが、「主治医」としては、落第である。
彼が主治医だの執刀医だのという最重要な立場の医師であった場合、患者は悲惨な目に遭う。
「これは、患者自身の問題である、患者の個性なのだ、この患者固有の問題であって私にはどうしてやることもできない」
ということで終わってしまうからである。

そして、「自らの正しさ」に拘泥してしまうという態度こそ、最低評価となる部分である。
過去に選択した治療方法とか、診断基準・結果とか、そういうのを「曲げようとしない」ということである。

そもそも、「間違っていたかもしれない」と思い、考えを改めることこそが出発点となるのに、そこに立てないということである。己(日銀)の正しさを主張する為だけに、患者を犠牲にするということである。
過去の間違いは、ないにこしたことはないし、間違えずにやってくれよというのも当然あるわけだが、一番重要なのは今間違えないこととか今後に正しくできること、だ。
以前の診断が間違っていてダメだったとか、治療方法の選択を間違えてダメだったということがあるとしても、正しく軌道修正してくれて、きちんと治療ができるならリカバリーできるのである。
しかし、「いや、前のでいいんだ、間違ってないんだ」といって頑張り続け、全く修正できない人間の方がはるかに危険なのである。