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激動の2008年を振り返って

2008年12月31日 13時36分04秒 | 俺のそれ
まさに未曾有(笑)の1年となった。私にとっても、世界にとっても。

2008年は、極めて特殊な年だ。
それは黒点が消えたり(笑)、17年ゼミが大繁殖したりした年だ、ということだ。珍しいことが起こる年というのは、人間の世界でも珍しいことが起こってしまうのかもしれない。そんな占星術師のようなことを言いたいわけではないが、中々面白いのでもう少し考えてみることにしよう。


17年ゼミが最後に目覚めたのは、1991年だった。この年には湾岸戦争が起こり、原油価格は高騰した。日本ではバブルの絶頂期を過ぎて、長い長い下り坂に入っていくことになった。日本経済は大きな転換点を迎えたのだった。その17年前の1974年はどうであったろうか。中東戦争のせいで原油価格高騰を招き、石油危機が訪れたのだった。所謂、オイルショックだ。「ニクソン・ショック」の張本人であったニクソン大統領は、例のウォーターゲート事件で辞任した。田中角栄も同じく辞任した年となった。ニクソン・ショックから立ち直りつつあった日本経済は、戦後の高度経済成長神話が遂に終わりを告げ、戦後初のマイナス成長へと転落していったのだった。列島改造ブームは田中角栄と共に消えていった。

更に17年前の1957年は、前年の経済白書で「もはや戦後ではない」と指摘されたように、復興需要(や朝鮮戦争特需)の経済成長力が枯渇しつつあり、神武景気が終わって後退局面となった年であった。また、岸内閣が誕生した年でもあった。前年のスエズ動乱のせいで、やはり原油価格が上がったのだった。米国の中東政策が「アイゼンハワー・ドクトリン」として示されたのだった。この17年前になると、そう、言わずと知れた1940年だ。真珠湾攻撃で日米開戦となってしまった。ここから17年遡ると1923年だが、関東大震災が起こった年だ。山本内閣は総辞職し、米国ではハーディング大統領が死亡してクーリッジが大統領になった。日本はこの後に軍国主義への道をひた走ることになっていった。またまた17年遡ると1906年、102年前だ。日本では日露戦争がようやく終わり、満州への足がかりを掴んだのだった。韓国総監府が作られた。


17年ゼミが目覚める年には、石油(や資源)にまつわる出来事が勃発しているように思える。偶然に過ぎないのに、興味深いことは確かだ。こうしてみると、2008年という年が転換点を迎えているとしても、振り返って見れば驚くには値しないことなのかもしれない。


幾度も取り上げて恐縮だが、2005年の記事を再掲しておく。

・05年6月>アメリカ凋落の日

米国という超大国に依存する世界というのは、長続きするとは考えられなかった、ということに他ならない。これは過去の歴史の中では不思議でも何でもないのだが、繁栄の中にある時にはそのことには気付けないものなのではないだろうか。好調な時期にこそ、いずれやってくるかもしれない危機に備えるということが必要なのかもしれない。生物も繁殖しすぎるとエサが枯渇してゆくので、いずれはエサ不足となって個体数は減少に転ずるというのに似ている。系のバランス、ということが重要なのではないかと思う。調節作用が厳しいものであればあるほど、過酷な結果をもたらすであろう。普通の生き物であれば、死ということになってしまう。だが、経済の死―すなわち経済破綻のようなことを、簡単には受け入れることはできない。もしそんなことが起こってしまえば、社会のシステム全体が壊れてしまう。だから、壊さないようなコントロールを考えることが必要なのだと思う。

・05年12月>来年の大胆予測

この記事の中で、住宅投資は限界を迎えるであろうことを予測したのだが、現実には06年にはまだそうした状況は明確にはなっていなかった。調整期間がもっと早くに訪れるであろうことを予想していたのに、後にずれ込んだのだった。だから予想はまるで当てにはならないのだが(笑)、いずれそういう局面を迎えるであろう、というのは誰しも考えていたはずだろう。にも関わらず、ここまで酷い状況となるまで放置してきたのは、楽観しすぎていた為なのかどうかは判らない。賢明な対処というのが難しい、ということなのだろうと思う。できそうなことは、「危険が目の前にある」ということを多くの人々に知らせて、注意を促すことなのかもしれない。渦中にある時には見え難いことを、もっと冷静な目で観察できる立場の人たちが、警告を発し続けることが求められるのかもしれない。それは公的機関にいる人々が率先してやらねばならないのではないだろうか。これが成功するなら、変化が緩やかになる可能性はあるが、たとえ「間違った考え」であろうとも、多くがそちらの情報や考え方に則って行動してしまえば、そちらが結果的には正しいということになってしまうのだけれども(例えば株式投資というのがそうだ)。


今回の経済危機を通じて、いくつかの教訓を得られたであろう。
それは、バランスシート上で信用部分をあまりに大きくし過ぎると、ある時点で突如信用崩壊を招く危険性がある、ということだろう。

・07年8月>信用と財政再建を考えてみる

記事中で書いたように、貯金箱という「幻想」部分のようなものが急に信じられなくなってしまえば、金融危機を招いたようなことになってしまうのだ。欧米金融機関はこの貯金箱部分をあまりに大きくしてきてしまい、みんなが一斉に貯金箱を信じなくなってしまったのだ。


・07年6月>今度はGRIPSかよ~貸金業の話

この記事の中では、次のように指摘した。

『これまでの貸金市場というのは、まさしくそういう消滅過程に入っていたかもしれないのだ。目先の利益に飛びついてしまえばマーケットの消滅危機があるにも関わらず、貸し手が審査を厳格化してデフォルト率をより低減させるという調節メカニズムがうまく機能しなくなってしまったということだ。しかも超過利潤があるのであれば、ヤミ金の新規参入が相次いだことは正しいし、そういう「悪い貸し手」がマーケットメカニズムを狂わせたと考えられなくもない。適正価格が政治家や官僚には決められないにせよ、市場規律を取り戻す為の措置を取ることで一定の成果が期待できるのであれば、規制することは意味があると思う。長期的にはマーケット全体にプラスに作用する可能性はある。毎年新規参入者を上回る貸倒が発生していけば、いずれマーケットは消滅するだろう。』

私がいくら指摘しても、あまり意味はない。効果もない。
経済ナントカみたいな連中というのは、信じようとはしなかったのだが。

『目先の利益に飛びついてしまえばマーケットの消滅危機があるにも関わらず、貸し手が審査を厳格化してデフォルト率をより低減させるという調節メカニズムがうまく機能しなくなってしまったということだ。』
この消滅危機に直面したのが、金融商品のいくつかだった。「審査を厳格化してデフォルト率を低減させる調節メカニズム」は、機能不全に陥ったのだ、ということ。サブプライムローンも、その他金融派生商品も、大体似たようなものだ。だから市場規律を取り戻す為には規制は意味があり、それが必要なのだと言ったにも関わらず、それを認めようとはしない経済学者だの経済評論家だの国会議員だの元官僚だのが、悉く反対を述べていた。そういう人々の肩書きや言い草には、いい加減辟易させられた。彼らのウソを暴くことはできたが、その為に世界経済の払った犠牲としては余りに大きかった。日本の経済ナントカだの、著名人だの知識人だのという連中の言うことは、あまり信じない方がいい。


・06年9月>消費者金融における個人の負債について

この記事の中で、『債券価格が適正なシグナルとなっていない』、『バランスシート評価が不適切』、『債券発行額に比べ過少な自己資本』、『ULが過大な投機的取引の横行』と問題点を指摘したが、これは米国のサブプライム・モーゲージについても当てはまりそうな部分はあるかもしれない。そして価格暴落を招いてしまった。

・07年8月>サブプライムに怯える世界市場

この記事では次のように書いた。
『債券に買い手が付かなくなる臨界点のようなものがあるが、それは通常判らないだろう。サブプライム・ローン関連の債券は、価格が下落していくとしても、本来全損ということにはならないはずなのだ。けれど、みんなが不安に思って買い手が付かなくなれば、価格が暴落してしまう。価格というシグナルは、ある水準の利回りまでは機能しているが、臨界点を超えると価格が付かなくなってしまうことによって機能を失うということなのか。』

大体想像していた通りだったでしょう?(笑)

要するに、経済ナントカの類というのは「素人以下」でしかないのだ、ということが判明しただけ。
専門家という看板を降ろせ、と言ってあげたいですよ。日本には役立たずな学者モドキだの知識人モドキだのが氾濫し、ニセ言説の大バーゲンを行ってきたのだ。それは、ニセ言説をばら撒くコストが小さい為だ。しっぺ返しの代償が大きいなら、言説のコストが高くなるから、慎重にならざるを得ないだろう。ところが、胡散臭い言説の多くは「占い」の類と大差ないので、参入が容易で大したしっぺ返しも食らうことがない。そんな連中が一体何をもたらしてきたか?

どうりで日本の経済学の世界がダメなわけだ。



今後の世界はどうなっていくだろうか?

多分、変化はあるが、世界全体の枠組みでは大きくは変わらないだろう。
危機の焦点は、再び中東に集まりつつあるかもしれない。アラブ世界の安定化はここ数十年で改善されては来たものの、「超・指導者」のような、カリスマの高い指導者はあまり思い浮かばない。そうなると、個々の国々がバラバラに行動しようとして、混迷は深まるであろう。共通利害に対して行動できなくなっていくからだ。どちらかといえば米国寄りの産油国と、その他のアラブ諸国では利害も行動も異なってくるかもしれない。イスラエル周辺を巡る紛争は今後も続くであろうが、イスラムというだけでは共通軸とはなり得ないだろう。その分だけ、イスラエルとの紛争が深刻なものに発展する危険性を孕んでいると思う。

アフガン問題は続くであろうが、早期解決は難しいと思われる。経済停滞が長引けば、EUとて続けることが困難になっていくだろう。テロに武力で対抗するよりも、例えば麻薬の撲滅に関する取組みや取締強化、資金源を元から絶つという視点で資金移動の監視やマネーロンダリング対策、これら各国の国内対策でも成果は期待できうるのではないかと思われる。もっと優先順位が高いのは、インドとパキスタンの問題であろう。これに関しては、日本がどちらとも「利害の共有」を進める以外にはないのではないかと思う。インドには主に民間主体で経済協力(投資促進)、パキスタンには政府主体で共同事業推進、ということになろうか。パキスタンの民衆が「失うと困るな」と思えるような利益を日本と共有することが必要。多くの東南アジア諸国では、投資と共に人的交流を深めてきたからこそ、今の経済成長がもたらされたと思う。そのような手法を地道に続けるよりないのでは。


米国はある意味「チャレンジャー」の側に回ることになるだろう。
オバマ大統領の手腕がまず問われることになる。出足で躓けば、期待が大きかった分だけ失望も大きくなるであろう。そうなると、世界の混乱を押さえ込めるパワーというのが米国以外のどこにも見当たらなくなる、ということになってしまい、気体の分子運動が活発になるが如くに混乱の度合いが強まることになるだろう。末期のブッシュ政権のような雰囲気、というようなことだろうか。
ただ言えることは、『ロッキー』シリーズではないけれども、一度敗北してチャレンジャーとなった米国は、かなりしぶとい強さを持つかもしれない、ということだ。強い危機感によって、本気でチャレンジしてくる米国は侮れない力を発揮するかもしれない。これこそまさしく、「腐っても鯛」だろう。昔は戦争という危機で空母や戦闘機や戦車やジープや輸送トラックを大規模量産したが、今後の世界ではもっと別な何かを生み出さねばならない。その対象が何になるのか、ということが今後の課題となろう。ITでは頭打ち、金融もへばった。今度は何か?環境?エネルギー?何だろう?
とりあえず今は判らないが、何が生み出されるか、そのことに興味があるのである。


日本は、政治的混乱が継続するであろう。
先が見えない長きトンネルを歩み続けることになるかもしれない。多くの日本人にとっては、あまり危機意識はないのではないかとも思える。経済危機に見舞われて、失業だのリストラだのと不安が増大してきたことはあると思うが、それでも日々の食事をしたり電車に乗ったりネットを楽しんだり風呂に入れたりしている。意外と日々の生活を疑いもなく継続しているように思う。電燈のスイッチを入れると、明かりはつく。そこで、いつ何時つかなくなるかわからない、みたいな恐怖というものがない。それくらい日本の経済基盤とか生活は底堅さというものがあるのだろうと思う。だから、多くの人々は大袈裟には騒いだりしていない。失われる部分というものが、割と小さいからだろう。だから、政治に対しても寛容さを保っている。不満や支持率低下といった程度であれば、本格的危機にはつながらない。それだけ政治には期待していない、ということなのかもしれないし、「どこかで誰かがどうにかしているのだろう」というような暗黙の委任みたいなものがあるのかもしれない。それはそれでいいのかもしれない、と思ったりする。

旧体制が続いていてもそれなりに対応するということは、政治が分離分割されているというか、そこそこ分断されている、ということなのかもしれない。直接的に関わりが大きくなれば、もっと激しく糾弾などが起こってしまうかもしれないからだ。でも、怒りの沸点には到達しているわけではなく、「誰かが何とかしてくれ」と思っている程度なのかもしれない。そういうわけで、政治の世界の方で、国民の怒りがそこまで到達する前にどうにかしておいて欲しいと思う。衆院の任期が切れるのは確実なので、何かが起こるかもしれない。どんな結果をもたらすのか、ということまでは判らないのであるけれども。

今年以上に、政治の世界は紛糾することになるだろう。
ま、酷い年にはならないように願っています。


今年1年、ご愛読いただきまして有難うございました。
皆様、よい年をお迎え下さいませ。



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日本経済がダメなワケ

2008年12月28日 12時03分02秒 | 俺のそれ
それは、大衆が無知で愚かだからか?(笑)

確かに、自分自身を振り返ってみると、日銀の政策になんて無関心だった。彼らが何をやっているかなんてことは、一般大衆にはあまり関係がないと思っていた。

財界の大物たちは、みんな賢くて偉いのだと思っていた。官僚たちや学者たちのような「勉強のできた人」たち(笑)も同様に、正しく考えているのだろうと思っていた。しかし、それはどれも間違いだった。

本当にエリート階層とか知識人たちが優れていたなら、こんなことにはなっていないだろう。

この記事に書いた通りだ。
旅客船の一般客たちが全てについてあれこれ用心深く思案しなければならない、なんて、あまりに効率が悪いだろう。クルーが正しく操船して、目的地に安全に運んでくれれば済むことだからだ。なのに、日本ではそうはならない。


近頃、データを見ろ、とか大袈裟に言ってる人もいるようだが、その人は以前にどんなことを言っていたかと思い起こせば、こんな話だったな。卒論を書いてる学生に何を指導したかというと、ブログからの引用で「適切だから文句もいえない」という程度の内容であり、きっと完成度の高い素晴らしい大学教育の成果なのでしょう。今年ちょっと流行った「なんもいえねー」みたいなもんですね(笑)。

当時にデータを見た結果がそう判断させたのでしょうから、日本の経済学の世界というものがどういった水準なのかがわかることでしょう。著名学者であっても、つい最近まで「マクロ経済学は無用だと思っていた」みたいな告白まで出るような世界ですから、別に不思議でも何でもないんですけどね。そんな人たちの意見を聞いたところで、一体何が得られるのか、という疑問は残り続けるだけでしょう。一般人が考えるよりも、本当に役立つものなのでしょうか?甚だ疑問です。少なくとも私から見れば、「経済学者」というような肩書きを持つ人間の言うことなど「簡単には信じることができない」ということが、以前にも増して感じるようになりました。私たちは騙され続けてきたのだ、という思いを新たにしました。


嘘が数字をつくるというのは、まさしくその通りだと思いました。日銀が過去の失敗を反省しない、というのは、なにも日銀だけではありません。それは、他の経済ナントカの類も同じです。彼らがいかに都合よく立場を利用し、特定利益享受者たちの代弁をし、自己利益の為に平気で嘘をばら撒き、経済学理論を自分の為に用いるか、ということがよく判りました。そういう方々の言葉は常に真偽の不明瞭なものとなり、受け入れ難いものとなったということを自覚するに至りました。


日銀には幾度も警告したはずだ。

最近の派遣切りとか、労働者の雇用や賃金に目が向けられるようになってきたけれど、今はじまったことなんかじゃないんだ。
今から2年くらい前になりますが、07年1月に賃金のことについて次のように指摘した。

個人消費のこと

06年の実質賃金について、

家計の賃金なんて上がっていない、だからデフレを抜けるまでは待てと百万回言ったじゃないか。
住宅着工件数の大幅な落ち込みがあることも、07年7月に指摘した通りだったじゃないか。
日銀は本当の愚か者

すると、07年度の民間住宅投資はどうなったか?確かに利上げのせいではなく、建築基準法改悪のせいだ、という非難は勿論あるだろう。そうだとしても、民間住宅投資はマイナス寄与度が0.5ポイントだったんだぞ?どんだけマイナスを食らわせれば気が済むんだ。
GDPデフレーターにしたって、前年度に-0.7ポイントまでどうにかゼロに近づいてきたのに、余計な利上げとマネーサプライを余分に絞ったせいで、またマイナス幅が拡大し-0.9ポイントに戻してしまったんじゃないか。


つまりは、よってたかって日本経済を悪い方へ悪い方へと誘導し、わざわざデフレ時代に引き戻しただけだ。ド素人の「オレ以下」なのか?日銀は。

「注意しろよ」とオレが幾度も警告したのに、肩書きばかりが立派な、いい学校を出た腐れエリートどもが、国民をどん底へと突き落とすのさ。一体、何の為にそういう連中が揃っているのか、私には全く判らない。誰の役に立っているのか?


偉い人たちや、いい学校を出た連中が物事をよく考えているかというと、全然そうじゃない。
学者たちや専門家たちがどれほど正しく考えているかというと、杜撰な水準で言辞を弄するという程度でしかない。

現実を見ないどころか、データも、何も見てないも同然なんだよ。
あるのは、彼らの脳みそに詰まった役に立たない知識と、そこから導かれる、彼らが論理的と呼んでいる、まるで論理性に欠ける「不整合」な説明だけだ。後生大事にしているのは、彼らの信ずる怪物だ。

どんなにおかしくても、整合的ではない事実があろうとも、誰にも説明のつけられないような理屈でも、それらを身にまとっている怪物には、何よりも「権威」がくっついているから、誰にも倒せないのだ。怪物だけが強力になり、不気味に成長していき、多くの人々を飲み込んでいってしまうのだ。

そういう怪物を育ててきたのは、誰あろう、腐れエリートどもの仕業なのだ。


今後も無限ループが続くだけだろう、と思う。
随分前に書いたことと、何ら変わってなどいない。

検証作業というか・・・


同じ道を何度も通過しては、退行していくだけ。そして同じことが再び繰り返される。こんなことにどんな意味があるというのだろうか。


非正規雇用の問題にしても同じ。

若年層の就業問題(追加しました)

あんな「赤木言説」みたいな、正規と非正規の対立を生み出させるイス取りゲームに大喜びするのは誰なのか、ということをよく考えてみるべきだ。


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日本は世界第2位の経済大国(笑)

2008年12月26日 15時55分02秒 | 経済関連
日本の経済運営の異常さがよく現れた結果であろう。

NIKKEI NET(日経ネット):主要ニュース-各分野の重要ニュースを掲載


ただの西洋かぶれでしかない礼賛主義体質の財界人や政策担当者たちが大勢揃っていて何よりだ。もっと愚かな日銀がいてくれたおかげで、日本の名目GDPは10年前と変わらないものとなっている。内閣府のデータには、「愚か者」と書いてあったであろう。

ところで、日本の名目GDPだけをクローズアップし実質額を比べないというのには、何かの意味があるのですか?(笑)


名目額は確かに小さい。たったの515兆円くらいしかない。97年と大体同じ。アホな政策担当や日銀のせいだな。現在のレートになっている1ドル=90円とすると、わずか5兆7千億ドルくらいだ。とても小さな経済規模に過ぎない。イギリスの2倍しかないのだから。

米国は人口が日本の2.5倍の3億人、経済規模が5.7兆ドルの2.5倍あるなら14兆2500億ドルということだな。インフレ率が毎年毎年2%以上もあった米国ですら、日本の人口規模の2.5倍を擁していても、名目GDPでさえそう易々とは大きくなってはいかないのだ。
米国を訪れる外国人とか、米国籍を持たないヒスパニック系とか、海外留学生とか、そういう人々を大勢集めていて消費にはかなり貢献しているとしても、そう簡単には経済成長なんて達成できないのが現状ということではないかな。


実質額で見れば、日本のGDP約560兆円として、ドル円が90円なら僅かに6兆2千億ドルくらいでしかない。米国の半分にも届かない、小さな小さな経済さ。だから世界中からは無視されるのだそうだよ(笑)。へえ~

65歳以上の高齢者人口が20%を超えていて、介護費用や医療費がジャンジャカ必要で、高齢者に年金なんかもばかばか配らねばならなくて、要するに人口のかなりの割合が「稼げない、働かない」という人たちを社会が抱えながら、それでも尚且つ「実質GDPが6兆ドルを超える」社会なのだよ。人口が2.5倍の規模なら、実質GDPは15.56兆ドルに相当する。


日本の構造に問題があるって?
日本が硬直的だからだって?
日本が鎖国主義的な「出島」思想だからだって?
日本が直接投資を受け入れないからだって?

散々文句を言っていた人たちは、今頃何をしているのか気になるね。
問題がある、というのは、その通りだろう。欠点のない人間がいないのと同じ。それは、英国にも米国にも、或いは他の国々のどこにでも、「改善すべき点」があるのは当たり前だ。だが、ことあるごとに欧米人は日本人に文句を言ってきた。他の先進諸国には文句を言いには行かないのに、だ。



こんな名目GDPランキングに一体何の意味があるのか、というと、大したものはない。あるとすれば「ウソ」と「虚栄心」だけである。

ランキング上位のベスト5にランクされたアイスランドは一体どうなってしまったか?

今、大英帝国の心配事は「オレたちは、アイスランドとは違うよな?」という不安なのだそうだ。日本人には判りようがないから、別にどうだっていいけど、ポンド安は予想通りだったね。だからといって、日本人が英国に「構造改革せよ」だのと、余計なアドバイスを送ったりはしないけれども。

金融セクターのウェイトの大きかった国では、たとえば米国、英国、アイスランド、スイス、オランダ、ルクセンブルクなどがあると思うが、そうした国々の今後のランキングがどうなるかといえば、大体想像はつく。


Economist誌によれば、銀行負債がアイスランドではGDPの約10倍、スイスで約6.8倍、ユーロ圏だと3.5倍だそうだ。
それに比べて、英国では僅か4.7倍に過ぎず、ユーロ圏よりは大きいが人口や経済規模を考えると、大した違いなどないだろう。日本で考えてみると、国内銀行の借入総額がなんと2000兆円とか2500兆円となっているということだね。ふーん。どんだけレバレッジで儲けてきたんですかね、ということはあるだろう。今後長い時間をかけて、借金を返すことになるだろう。既に踏み倒して、返してない金もたくさんあるが。


ちょっと追加ですけれども、今年1月に書いた時と似たようなことの繰り返しですかね。あまりに悲観しすぎなのでは。

日本復活の道を探る・1~もはや一流ではなくなった?



それと話が飛びますが、シーメンス事件というと日本の山本内閣崩壊という時期で有名ですよ>Economist誌

この辺に書いた話ね>100年に一度の出来事



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プレゼントのこと

2008年12月25日 16時36分46秒 | 俺のそれ
毎年恒例のプレゼントだけれども、今年はそれなりに苦労した。


妻は希望の服があったので、それで即決だったが、ウチの子には何を贈るか頭を悩ませた。小さかった頃ならどんなものでも喜んだに違いないが、今はある程度大人だし、しかも女の子だから「おやじのセンス」でいいものかどうか不安になるのだな。過去のプレゼントは毎年それなりに好評を得てきたので、今回大きくはずしてしまったらどうしよう、という恐れのようなものが芽生えるのである。いうなれば、「過去の栄光」(笑)といいますか、うまくいっていた時の評判を失いたくない心境、みたいなものなのだ。


メインのモノ(これは内緒)をまず選び、他にはこれも毎年恒例の本を選んだ。
本については、「スゴ本」の人のブログをじっくり読ませてもらっていたので、それを参考に一つの作品を選択した。が、ここでアクシデントが発生。普通、一つの作品が上、中、下、みたいに分かれている時、3冊だけが並んでいれば「上、中、下」かな、とか思うじゃありませんか。しかし、何故か「上、下、下」みたいにあるわけなんですよ。これって、発注のミスとか入荷時のミスなんじゃないのかな、とかちょっと思いましたよ。在庫がなくて取り寄せということになったんですが、「中」だけを取り寄せると、多分1冊だけ「下」が残り、永遠に売れない状況となるのではなかろうか、などといらぬ心配などをしてしまった。
他にも、自分の為に本を買ったのだが、上下2巻本なのに「上」だけしかなくて、「下」を取り寄せようと思ったら、既に絶版ですね、とレジで言われてしまい、仕方なく「上」だけを買う破目になってしまった。「じゃあ、いらないです、買うのやめます」とか言えばよかったのかもしれないが、気弱なため断れなかった…。だって、本屋の店員さんに悪いかな、とか思ってしまうので…。


話が逸れたが、購入したこれらのプレゼントをラッピングすることにした。
100円ショップに行き、リボンや包み紙を慎重に選び、自分でラッピングをした。
私は妻と結婚するまでの間でさえ、プレゼントを自分で包装したことなどなかった。デパートなどでプレゼント用の包装を頼んだだけだった。というか、そもそも女性にプレゼントをするのはほぼ無駄である、という信念を持っていた。結婚前に、妻に贈り物をした経験というと多分1度くらいしかない。なんたって婚約指輪さえもナシ、だったから(笑、逆に結婚したからといって何もプレゼントしない、ということはない。毎年何か贈ってる)。
そういうわけで、プレゼントのセンスを養う機会が殆どなかったにも関わらず、どういうわけかウチの子へのプレゼントでは想定外の頑張りをしてしまうのだ。愛って、凄い!(笑)


結論を言えば、今年もまずまずの評価を得ることができたわけですよ。
何?ただの自慢じゃないかって?

ええ、ええ、そうですね。

だって、はずしてガッカリされたらどうしよう、という恐怖に打ち克たねばならないし、どうせ贈るなら喜んでもらいたいじゃないですか。あれですよ、包み紙がカワイイとか、リボンがセンスいいねとか言ってもらえると、嬉しいわけですよ、父親として。ああ、頑張った甲斐があったな、と、心の奥底で思うわけですよ(笑)。


こういうのって、何かの循環みたいなものかもしれない。

一度褒められる→嬉しいので次も頑張る→また褒められる→良い評判・評価を守りたいと思うようになりまた頑張る→また好評→期待に応えようとしてまた頑張る(けど、プレッシャーも芽生える)→???……

いずれ破綻が訪れるかもしれないし、どこかで「残念なプレゼント」が発生するかもしれない。が、そういうのもあと僅かだろう、たぶん。父親からのプレゼントを必要としなくなる時は、もうすぐやってくるだろう(涙)。それまで頑張ればよいのだから。
でも、その時が訪れることを考えると、寂しくなるね。せめてプレゼントをしている間は、やっぱり楽しみたい。緊張感や恐怖心も、それなりにあるんだけどさ。


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世界経済を支えてきた米国の借金

2008年12月24日 11時02分38秒 | 経済関連
偶然こちらの記事が話題になっています。

はてなブックマーク - 借金国家と預金国家ではゼロ金利政策の意味は国民の立場からすると正反対 - 木走日記


日本の場合と同じく、米国の基本的姿を想定してみましょう(07年)。GDPは約14兆ドルくらいありましたので、ざっと1300兆円としてみます。

GDP=1300兆円

例によって、(貯蓄-投資)+(税-政府支出)=純輸出の式を考えてみます。
まず、政府支出は07年会計年度では政府支出が2兆7千億ドル、プライマリーバランス赤字は約28兆円と報じられていました(うろ覚えですが)。財政赤字は対GDP比では約2.15%なので、大したことはありません。日本であると、財政規律が云々とか国内外からもの凄く怒られるんですけど(2%の財政赤字なら、日本だと11兆円くらいです)、米国であるとみんなは文句を言わないようですね。これはいいですが、

政府支出=242兆円、税-政府支出=-28兆円、となりますので、税=214兆円、ということになります。税収の対GDP比は約16.5%くらいで、大体言われている水準でしょう。貿易赤字ですが、ざっと800~900億ドルくらいということでしたので、財だけではなくサービスも含めるとやや改善するかなと思います。ざっと70兆円と考えてみます。

そうすると、(貯蓄-投資)-28兆円=-70兆円 となりますので、貯蓄投資差額は-42兆円ということになります。

また、GDP=民間消費+民間投資+政府支出+純輸出 という関係がありますから、この数値を入れていってみます。
民間消費と民間投資が正確には判らないですけれども、米国の特徴としては民間消費が旺盛ということがあります。GDP比の7割がこれだということですので、1300兆円の7割ということで、民間消費=910兆円となります。

これまでのところ、政府支出=242兆円、純輸出=-70兆円、でしたので、

 GDP1300兆円=民間消費910兆円+民間投資+政府支出242兆円+純輸出-70兆円

となります。すると、残った民間投資は218兆円ということになります。これが米国経済の姿です。

今年の金融危機で民間消費や民間投資が減少ということになりますので、政府支出が増大するのはやむなし、ということでしょう。民間消費の減少というのは、米国で自動車が売れない、住宅投資も不振というような実際の現象として観察されている、ということになりましょう。

今年について言えば、プライマリーバランスは-100兆円規模といわれています。政府支出が3兆6千億ドル、税収が昨年並みだとすると、324兆円が支出、税収が214兆円ですからプライマリーバランスは-110兆円となりますから、大体いい線ではないでしょうか。対GDP比ではおおよそ7.7%~8.5%くらいでしょうか。日本の水準で言えば、42.3~46.8兆円の財政赤字という巨額になります(笑)。日本がこんなことをやろうとするなら、マスコミも野党も口角泡を飛ばして、怒鳴り込むに違いありませんね。

今年について考えると、純輸出は大幅な輸入減となるでしょうから、貿易赤字は改善されている可能性が高いでしょう。50兆円の貿易赤字だとすると、

貯蓄投資差額-財政赤字100=純輸出-50

となりますので、投資より貯蓄が50兆円多い、ということになりましょう。この大幅な貯蓄投資差額の改善は、主に民間住宅投資の減少、民間企業設備投資の減少、といった要因ではないかと推測しています。民間消費の減少ということもあるかと思います。


米国には、日本にない特徴があります。

①イラク戦争の戦費負担

これが実際にどの程度なのかは私も良く知りませんが、300兆円規模とか言われていたりします。その分だけ政府支出は増大してきたので、財政赤字拡大となってきた側面はあるでしょう。GDPを増大という形で、戦費負担が計上されてきたと言えるでしょう。


②旺盛な民間消費

ここ10年くらいは毎年2%程度の水準で伸びてきていました。移民や外国人の流入による消費人口増大(必ずしも米国国籍は必要ない、人口統計では多分出てこないでしょう)効果、限界消費性向の割と高い低所得者層が多い、といったようなことがあるかもしれません。成長を支える原動力となってきたのは、この民間消費の拡大でした。この増大が、日本た中国等といった輸出型の国々の輸出増大を支えたといってもいいかもしれません。

③家計貯蓄率はマイナス

これもよく言われるのですが、消費拡大によって家計貯蓄率はマイナスになっている、というような指摘をされてきました。それを支えてきたのは、キャピタルゲインです。住宅投資による値上がりでキャッシュアウトしたり、家計資産負債バランスで見ると、資産が上回ってきたのでローンで消費に回した、ということもあるでしょう。


④家計可処分所得を上回る負債残高

これも以前から言われている通りで、簡単に言うと年収以上のローン残高を有している、ということです。ここ数年に渡り、ローン返済比率が10%を超え、07年くらいですと収入の約15%がローン返済に消えます。負債残高は年間可処分所得の約120%を超えています。消費に回していたお金とは、こうした借金によって生み出されてきたのだ、ということです。スティグリッツが嘆いていた、「借金文化の輸出」とはまさにコレです。いってみれば、年収300万円の人が消費者金融やクレジット会社に375万円の借金残高があって、これを返済し続けなければならない、ということです。国民全部の平均がそうなっている、ということです。


⑤家計金融資産は預金よりリスク資産が多い

これも前から言われてきましたが、日本に比べて株式、債券や投信などのリスク資産比率が高いということです。また年収に占める配当収入は、日本の家計よりも断然多いでしょう。さて、これらの影響ということを考えますと、旺盛な消費を支えてきた配当収入は大幅な減額となるであろうことは容易に想像できます。
これに加えて深刻なのは、資産価値下落でしょう。仮に家計資産として株式が1万ドル分あったのが6000ドルに下がるということになりますと、家計のバランスシートは「資産に見合うローン」を積んであったわけで、負債残高が収縮することはなく残り続けるのです。4000ドル分の消費余力は奪われる、ということになるかと思います。これまではキャピタルゲインがあったが故に、その分の消費額拡大余地があったので、消費を増大させてきたわけですから。これに加えて配当収入も失うわけですから、かなりのダメージということが予想されるのです。資産の4割くらいがこうしたリスク資産ですからね。

仮に3万ドルの金融資産があって、4割が株式だと12000ドルということになり、資産価値は4800ドル失われ、なおかつ配当収入が10%の1200ドルあったものがゼロとか半分の600ドルになってしまう、というようなものです。米国のニューヨークやナスダックの上場企業平均は知りませんが、配当が半減するならかなりの規模になるのではないでしょうか。時価総額が1500兆円だったとして、その4割が失われると600兆円が消え、時価総額の2%の配当が失われると30兆円分が消えてなくなります。

しかし、負債は消えてなくなりはしません。以前と同じように返済負担は残り続けます。
バランスシート上で資産の大幅な目減りがあろうと、配当収入を当てにしていたとしても、確実に家計収入を大きく減らすことになるでしょう。


⑥対外債務残高

米国の対外債務残高は20兆ドルを超える規模です。純債務が2.5兆ドルだとして、対外債権残高が17.5兆ドルあったということになりますが、果たして現時点の債権残高の価値がどれくらいなのか、ということが問題となってくるでしょう。株式が3割の比率であるとして5.25兆ドル、このうち4割が時価総額下落で失われると2.1兆ドルが消えるので、資産価値は3.15兆ドルになってしまいます。それだけ純債務が増加するということです。これまでの純債務残高の2倍くらいに一気に増えてしまいますね。でも負債は積みあがったままではないかと思います。一部はバランスシートから消えて解消されてきたであろうと思いますけれども、多くの借金は残されることになるでしょう。

株式時価総額の減少ばかりではなく、毒のような債券とか金融商品なんかもまだ残っているのでしょうから、それらの資産価値下落も資産サイドの減少に繋がりますね。

今世紀以降の対外債務残高の増大は、こうした借入の増大を通じてもたらされてきたもので、ざっと7~8兆ドル分の債務増大だったわけです。その大半を支えてきたのは、キャピタルゲインだった、というわけです。株式時価総額の増大や不動産価値増大によって生み出された幻想で、世界経済に700~800兆円もの資金が投資されていったわけですから、それは大きな効果があったであろうと思われます。今は、こうした投資が引き抜かれて、萎んでいっている過程なのだということです。

純債務に対する支払が200兆円時代に4%払っていたのであれば50兆円で済みますが、純債務残高が400兆円とか500兆円にもなると支払が大変だ、ということがあるでしょう。そうなると、50兆円で済ますには、負債残高が400兆円なら1.25%、500兆円なら1%の利払いとなるように、金利が下がればいいわけです。で、実際に金利は下がりました。これで返済負担は軽くなるでありましょう。

参考:アメリカの「悪魔的手法」とは何か

米国以外のアジア諸国やドルペッグ制の国なんかであると、外貨準備をドルで持っていなければならないのですが、これを全世界中で半減させるかやめることになるだけで、米ドル価値は通貨安となって酷いインフレになることが考えられるでしょう。

世界の貿易統計とかありとあらゆる表示を、ドルから世界共通単位通貨のようなものに換えるだけでもドルの必要性は低下するのでは。だって、今の時代に貿易統計をポンド表示にしているなんて、英国くらいしか用いないのでは?それと同じようなものだということです(参考記事)。


⑦今後の成長を支えられるか

上に述べたように、米国経済の成長の主なものでは民間消費、住宅投資、政府の戦費支出、というようなものがありました。1000兆円のGDP規模の経済があって、3%の成長をするには30兆円が新たに加わればいいわけですから、消費増で20兆円(2%)、住宅投資と政府支出がそれぞれ5兆円(0.5%)、合計30兆円ですね。実質成長率3%とは、こうして生み出されてきたのではないでしょうか。これを5年も続ければ、GDPは約16%も増大するのです。これに加えてインフレ率が平均2.5%だとすると、名目値では約30.7%増大します。つまり、1000兆円経済は1300兆円経済規模へと成長したのだ、ということです。

さて、今後にもこれと同じ状況が出来うるのかというと、よく判りません。住宅投資や消費増大という両輪を失えば、米国の成長を支えてきたほぼ全部が失われることになります。両者を回復するか、これらに代わる別な成長力を生み出せない限り、経済低迷は続くでありましょう。


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円高だけではないよ

2008年12月24日 01時52分06秒 | 経済関連
あとで色々と書こうと思っていたんだけど、さっきチラッと見たから一応。


田中先生のところで、トヨタやホンダが「円高で云々」ということが書かれていたけれども、円高だけでトヨタの2兆円の利益が赤字に転落したわけではないですよ。


円高要因は勿論あるけれども、100円の想定で90円になったからといっても、例えばトヨタであれば4000億円のマイナス、くらいはあるでしょう。けど、そもそもは「台数が売れない」ということが問題なのであって、台数のマイナス幅が前年同月の3割減とか4割減、ということになれば、そりゃマズイってなことにはなりますよね。

台数が大幅に減ったわけは何かといえば、米国の個人消費減少ということで、トヨタは円高分を価格転嫁して米国で値上げしたから需要が減った、ということではないでしょうね、多分。これまで3万ドルで売っていた車は、そのまま3万ドルで価格を据え置いているにも関わらず、台数が3割減、というようなことではないですかね。ローン金利をゼロに引き下げても(実質大幅値下げ)、なおかつ売れないのだから、そりゃダメージも大きくなりますわね。これはホンダも似たようなものでしょう。


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日本再建を考える

2008年12月24日 01時28分08秒 | 社会全般
1)日本の経済の姿を振り返ってみよう

これまでの低迷期間というのは、言うまでもなくデフレであったことが最大の原因でした。名目成長率が実質成長率以下でしかなかったことが、多くの人々の不安を増幅したものと思います。これをどうしても逆転せねばなりません。

日銀が国債買入増額を決定しましたが、今の「百年に一度」という未曾有(笑)の事態には、あまりに過少な額です。更なる増額をするべきです。これは前にも書いた通りです。「お金LOVE」を打ち破らねばデフレの罠からは抜け出せません。財政再建至上主義みたいなものも、即刻棄てるべきです。今、財政規律だの再建だのというのは、墜落する飛行機からパラシュートで脱出するのに、「スカートがまくれて恥ずかしいわ」とか言ってるようなものです。そんなことはどうでもいい。「助かること」こそが最優先であり、先決問題は何なのか、ということを認識するべきです。

さて、日本経済の規模はGDP統計で見ればどうなっているでしょうか。
まず、実質GDPの額の方が大きく、名目GDPは小さいのです。どうしてこんなことが起こってしまっているかといえば、日本が長期間のデフレに陥ってしまっていたからです。先進国のほぼ全部が(調べてないけど)、名目額の方が実質額よりも大きいのです。哀しき日本、ということですね。とりあえず、07年度の実質GDP額で見てみます(厳密には用語や定義は決められています。統計局のHPなどを参照して下さい)。

 ①実質GDP 563兆円=民間消費 308兆円+民間投資 108兆円+政府支出 118兆円+純輸出 29兆円

GDPの基本的性質から、GDP=民間消費+貯蓄+税 ということになっていますので、
(貯蓄-投資)+(税-政府支出)=純輸出 という関係式が成り立ちます。これに①の金額を当てはめれば、

 ②(貯蓄-108)+(税-118)=純輸出 29

となります。②式において、プライマリーバランスが5兆円の財政赤字であると、(税-118兆円)=-5兆円ということなので、税が113兆円ということですね。この税というのは、国税ばかりではなく、地方税やほぼ税と同等の社会保険料も含まれるものと思われます。否みに地方は厳しい財政規律を課せられたので、全国的には数年前からほぼ黒字化(トントンくらいかな)したのですが、血の出るような削減を行った結果なのです。交付税の大幅なカットをされましたしね。国の方はいくらでも国債を発行できるので、削減は遅々として進んでいません。

②式に戻りますが、プライマリーバランスが5兆円のマイナスということであると、貯蓄-108兆円=34兆円となるので、貯蓄投資差額が34兆円、すなわち貯蓄=142兆円ということになります。民間住宅投資が16兆円、民間設備投資が90兆円ですから(他に在庫投資があるが小さいので無視)、投資と貯蓄の差額が大きくなれば、政府支出を増大する(財政赤字額の拡大)か、純輸出額を減る以外にはないわけです。特に97年以降には家計貯蓄率が大幅に下落している中、企業貯蓄は増加してきたわけです。これはどうなっていったかというと、雇用者報酬の増加には回されず、主に企業利益の積み上げ=株主配当へと転換されていった、ということでしょう。

GDPの成長要因としては家計消費が微々たる伸びに留まり、純輸出の増大(=輸出企業が大きく得をした)分は財政赤字拡大と企業貯蓄増大に食われていった、ということです。こうしたGDP統計というのは、経済学の派閥とか学派のモデルとか、そういうのには関係ありません。単なる静的な数値です。観測結果に過ぎませんので、どの経済学派閥であろうと同じです。ケインズの亡霊がいようがいまいが関係なく、新古典派であろうと何だろうと同じです。


2)雇用者報酬の名目値はマイナス

97年ショックの時が名目値が最大で約270兆円、98年には-2%と落ち込みました。以後、ITバブルの2000年3月期を除いて、雇用者報酬は軒並みマイナスに陥り、05年度にようやくプラス1.4%となりました。けれども、05年末以降には日銀が「プチバブルだ」とか言い出して、金融引き締めへと無理矢理動き、度重なる利上げを実行した07年度には、雇用者報酬の名目値が僅か0.5%の伸びに終わってしまうことになったのです。06年には景気の減速感があったにも関わらず、敢えて利上げに踏み切り、デフレに逆戻りさせたようなものです。07年度(08年3月期)時点では雇用者報酬が約265.7兆円で、97年の280兆円から見ても、依然として下回っています。97年を100とすると、95くらいの額しかなかったということです。

これも幾度か指摘しましたが、賃金の名目値が上がっていかなければ、消費を増大させようなんてことは中々考えられないわけです。自動車が何故売れなくなったか、なんてのは、所得が下がったから、という当たり前の理由があるとしか思われず、人間というのは給料の額面が消費態度に影響するのではないでしょうか。自業自得なのですよ。愚かな財界人が雁首揃えて揃っておいでで何よりですわな。


3)今年のような不況期にはどうするか

今年度では①式において、純輸出がほぼゼロか若干のマイナスが予想されますので、仮にゼロとしますと、民間消費が減少、民間投資も減少が予想されるなら、消費、投資、純輸出の減少分を政府支出でカバーする以外には、実質成長率をキープすることが極めて困難になります。勿論マイナス成長というのはごく当たり前に有り得るわけですが、これを続けるとかつての悲惨な時期と同じ結果を招いてしまいます。若干のマイナスになるとしても、純輸出29兆円分の落ち込みはかなりの大きさになりますので、日銀が金利を引き下げようとも間に合わないということもあるでしょうから、政府支出を使うより他にはないように思われます。家計消費が急には大幅に落ちない(ラチェット効果などで)、ということであるとしても、他の投資や純輸出がそこそこマイナスになってしまうことは避けがたく、現に多くの企業で投資案件の見送りや延期などが発表されています。

日本が米国のごとく、物価上昇率がそこそこある状態であるなら、実質成長率がマイナスであったとしても、名目値はプラスとなる可能性はあるのですが、デフレ体質が残ったままですので実質がマイナス、名目もマイナス、ということになると、デフレスパイラル真っ只中の頃と同じような状況になってしまいます。これを回避するには、政府支出を急速に発動する以外にはない、ということです。 


4)政府支出の悪しき特徴

これも以前から言われてきたことですが、公共事業バカ、ということですね。過去のバブル期に養成された土木関係の就業者数がかなりの数に上るので、これが今は長き調整期間ということになっています。今年は特に建設・不動産関係が倒産が多かったのですが、それでもまだまだ多い、という状況なのかもしれません。

政府支出で見ると、公的固定資本形成が20兆円と先進諸国に比べると突出して多いのです。これがこれまで道路や空港、或いは橋だの新幹線だのダムだのというような、「土木頼り」という悪しき体質を作り上げてきてしまったわけです。公共事業の削減を謳っていてもなお、GDP比ではかなり大きい額なのです。これを変えるんですよ。固定資本は、GDP統計上では必ず損耗があります。民間企業設備投資でもそれはあるのですが、固定資本にたくさん投入するよりも、「人に投入」した方がはるかに効果的なのです。政府最終消費支出が98兆円、固定資本が20兆円となっていますが、たとえ同じ額であろうともこの配分を変えていけばいいのです。固定資本をGDP比で半減させたって、政府最終消費支出をその分増やせばいいのです。

公的固定資本が減ると、その分の損耗が消えますから、GDP統計上ではプラスに働きます。例えば、働く女性の介護や育児に関する費用負担を個人から政府負担に変えるとか、補助を大幅に増額すればよいのです。「女性の働く機会を増加させられる」ので、少子化社会での労働力確保には有利、保育や介護の民間事業者の拡充に繋がる、など投資効果は将来に渡って期待できます。なので、道路をクレクレ厨、新幹線をクレクレ厨、みたいな老害連中は、先々のことを考えてはいないのです。今、目の前にある、用地買収とか麹費用とか、そういうのに目が眩んでいるだけとしか思えません。そんなものに金をつぎ込む前に、まずは「若い人たちが一生懸命働ける」環境を整えることの方が重要なんです。

GDP比で見れば、家族政策に関する政府支出はOECD諸国中でも最低水準です。教育に関する支出もそうです。固定資本ではなく、そういう「ソフト」路線に支出を拡大する方がはるかに役立つのです。じゃあ、建設・土木の人たちをどうするんだ、失業したままでいいというのか、みたいに言う人がいるかもしれませんが、そういう方々には別な仕事口を見つけるか就業支援の支度金ではないけど賃金補助などの「人に直接渡す」方がいいのです(参考:続・農業と建設土木へのお答え)。


5)輸出企業に依存しない経済構造が必要

ここ5年程度は輸出企業が日本経済を牽引してきた、というのは事実でしょう。それは、日本だけではなくて、米国との利害一致もあったが故なのです。しかしながら、今世紀に入ってから、欧米企業を中心に「株価を高める」「企業価値を高めることこそ企業の使命」「株主価値を最大化する」というようなことを目標にやってきたわけです。その結果が今、ということでしょう。どうなったかといえば、株主価値は大幅に毀損されたし、企業価値なんてゼロになってしまった米国企業だって出たわけです。そういう企業の目標としてきたことは、従業員の雇用を守るだの正規社員の価値を守るだのといったことではなかったはずでありましょう。別に、日本企業の正社員が終身雇用でそいつらの価値増大を企業経営者が考えてしまうので、株価が下がるとか企業価値が下がるということではない、ということではないでしょうか。端的に言えば、株価最大化、株主価値最大化を最優先目標としてやって来たって、やはり百年以上の歴史ある企業でさえ倒れてしまう、ということなのではないでしょうか。

野球でもサッカーでもいいのですが、個々のプレイヤーの力を最大限に引き出せるように考える事が経営者の役割であって、それは結果的には企業利益に繋がり株主価値を高める、ということに他ならないのではないでしょうか。株主が今のように広く一般にいなくたって、かつて創業者が全部株を持っているようなオーナー経営者たちだとしても、「自分の利益最大化」を考えないはずがないのですから。そんな聖人君子みたいな人たちばかりが経営者だったとは思えませんね。でも、長年の経験から、企業価値が高まるのは「従業員が一生懸命働いてくれる」状態を作り出せた時にそうなる、ということを知ったのではないでしょうか。株主が1人だろうと100万人だろうと、企業が成長して儲けてくれ、というのには違いないわけでして。ただ、たった1人の株主であった場合、それがオーナーであれば尚更、失敗することもある、ということが判っただけでは。経営トップ=大株主(自分)ということになってしまうと、まずいことは起こり得ますね、ということなのでは。別に大昔の経営者たちがバカだったわけではない、むしろ会社の利益の為によく考えていたと思えます。


GDP統計上では、輸出額が80兆円超くらいでしたが、これは国内消費に比べると極めて大きいわけではありません。日本にとっては、貿易自由化の推進が国内産業の再編には大いに役立つであろうと思いますので、保護貿易的な姿勢は必要ありません。また、家計最終消費支出約300兆円のうち、耐久財は37兆円、半耐久財は22.3兆円、非耐久財が75.7兆円ですが、サービスは167.5兆円と最大です。就業人口比で見ても多いので当たり前と言われればそうですが、消費の約56%がサービスなのだ、ということです。輸出企業の不振をカバーできるには、家計消費を増加させること、特にサービスの消費額を増大させることが海外競合となる財には影響を受けにくくなる体質であると考えます。

それから、為替のことがありますが、成長率がある程度の水準にある時には円高となってしまうことは避けがたいと思います。その度に輸出企業が文句を言い、為替介入して円安誘導を行っても日本経済には長期的メリットがないようにも思われます。家計消費支出の約4分の1でしかない輸出の為に、全国民が交易損失を受け入れるべきだ、ということにはならないように思うからです。輸出企業が成長したからといって、日本経済に与えるプラスのインパクトはかなり頑張っても1%程度しかなかったわけで、それならサービスを0.5%頑張ればいいわけで、そちらの伸びシロの方が期待できると考えます。ESRIのペーパー(茂呂、2004)では、通貨価値上昇の方が経済成長にはプラスと報告されており、一般的に考えてもその方が整合的であると考えます(逆に通貨安が起これば極端な例ではアイスランドや韓国のような状況となってしまいます)。


6)今後には

将来の消費税増税に関しては、非難がかなりあるかと思います。確かに、景気が悪い中で増税しようという発想には批判が出るのは止むを得ないかもしれませんが、私自身は増税は何処かの時点でやるべきと考えています。理由はいくつかあります。

日本は、国民負担率がOECD平均に比べても低いことは確かです。一般政府の税収が上記1)で推定したように113兆円しかなく、これだと対GDP比が20%に過ぎないのです。デンマークやスウェーデンは50%と高い水準ですが、成長率が必ずしも低いということにはなっていません。「小さな政府」代表とも言うべき米国でさえ、17%程度です。米国には日本ほどの公的年金制度や医療保険制度がないにも関わらず、それだけの収入を確保しているのです。英国に至っては日本よりもはるかに「大きな政府」となっています。

米国の場合、家計所得の約18~19%が医療保険関係費です。日本では約5%くらいしかありません。その分の支出余力で見ても、個々に支出せずとも税として平均的に薄く徴収し、同額の給付をすることがそんなにマイナスになるとは思っていません。政府収支差額には関係ないし、名目GDPは増加させることができます。


消費税増税には制約条件を設けるべきで、仮に20兆円集めたら20兆円は国民への給付に回し、借金返済には充てない、ということが必要かと思います。政府の社会保障費への繰入額についても、現状水準以下にはしない、という約束をさせる、ということです。返済には、もっと別な努力を求めるべき、ということですね。他の歳出からカットして、それを返済に充てるべき、ということです。

また、収入が減るのに税金だけ上げる、ということがないように、当初は政府が支援することを約束するべきではないかと考えています。非正規雇用の労働者の権利関係も改善が必要ですが、更には賃金引上げを同時に求めるべきだと思います。名目賃金を引き上げさせる、ということです。これには、最低賃金引き上げという方法もありますが、これは望ましくはないであろうと思いますので、企業に賃金引上げ分の減税を行う、ということをやってみてはどうかと考えています。

例えば一定の高額所得者(特に役員たちとか、高級取りの役職者)以外の、一般の労働者の給与総額(ボーナスは除くべきかな)に対して、もし1%引き上げを行えばその1%分の法人税を相殺する、ということです。ある年の給与総額が100億円で、翌年101億円に賃金引上げをしたなら、1億円の法人税を免除する、ということです。賃金引上げに応じて減税を受けられるとなれば、増やしてもよい、という企業が増えるかもしれないかな、と。名目賃金が上がれば、物価上昇率にはプラスに働く可能性が高いと思いますし。企業内で個々の労働者に成果主義的に配分を変える自由は残されています。ある人は据え置きで、別な人は2%上昇というような自由度は残される、ということです。全体として、引き上げ方向になっていればよいのかな、と。

これと税金引き上げを同時に行えば、政府の再分配機能は高まる、名目賃金額が増加させられ恒常所得増大に繋がる、デフレに陥るのを防げるかな、というようなことです。利益があまりない企業は法人税の相殺には届かない、ということがありますので、業績が思わしくなければ賃金を引き上げずとも済みます。それは企業ごとに変えてもらってもよいでしょう。けれど、社会全体として見た場合には、賃金引上げになっているべき、ということです。賃金が上がれば、所得税の支払額も若干は増加するでしょう。政府の運営を効率的に行ってもらうには、一般政府自身が消費する分を抑制してもらえればいいだけで、移転的支出が増えることは実質的に大きな政府にはなりませんし、再分配機能が高められると考えます。



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世界の失業者が2500万人の恐れ

2008年12月23日 20時31分38秒 | 経済関連
日本だけの話ではないようだ。

「世界の失業者、2010年までに2500万人」 OECD事務総長 国際ニュース AFPBB News


既に1000万人近くまでリストラ対象となってしまっているらしい。
こんな結果がもたらされるとは、誰も思っていなかったのではないだろうか。

トヨタは豊田一家から登用ということで、所謂「初心・原点に戻れ」という求心力を考えたものかもしれない。

今朝の読売の編集手帳には、豊田章一郎氏の稚内住み込み修行の話が出ていたが、これには驚いた。お父上は余程偉い人であったのであろう。「他人の飯」を食べさせてもらえば、ただ学問だの理屈だのを学ぶよりも多くのことを学べるであろう、ということなのかもしれない。

700万台体制というのは、わずか数年前のことであったのだ、ということを思いおこせば、決して回復不能な水準ではないだろう。100万台以上の規模で過剰な生産能力というのは、確かに重荷になるかもしれないが、この危機を乗り越えた時に再び「日本が誇る企業」として復活することを期待したい。他の企業に手本を示して欲しい。

かつて、幾度も円高に直面し経済摩擦でバッシングを受けるといった自動車業界の危機を、先人たちは全て乗り越えてきたのだ、ということを思い出せばよい。その軌跡を忘れるべきではないと思う。


例えば、タクシーも自動車教習車も、まだまだエコ化されているとは限らないだろう。買い替えを促進させることを考えれば、この1~2年を乗り切ることはできるかもしれない。そういうありとあらゆる知恵を絞れば、きっと活路は開けると思う。個々の社員たちにも、何か考えが浮かぶかもしれないし、いいアイディアが出されるかもしれない。それぞれに、どんな小さいことでもいいから、「できること」を考えてもらえばいいと思う。


自動車業界だけではなく、どんな業界でもいいけれども、今の日本に「できること」を必死になって考えれば、必ず道はある。


下を向いたら負けだ。
危機だからこそ、「オールジャパン」体制で取り組むことを考えることだ。


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貿易収支赤字

2008年12月22日 18時45分58秒 | 経済関連
結果だけ見ればトホホな数字かもしれませんが、こんなもんじゃないですか?


輸出が大幅減の-26%超。
マイナスに占めるウェイトでみると、自動車が一番でかい。後は、デジタル製品だな。日本の輸出を支えてきた双璧だわな。

残り12月が6兆円を切ると、08年の輸出は80兆円を切るかもしれんね。
前に残り2ヶ月で12兆円という予想を書いたのですが、それよりも減る可能性があるのかも。

参考>円高が雇用を悪化させたのか


08年度となると、第4Qとなる1~3月期は厳しい数字になるだろう、ということなんでしょうね、多分。

自動車だけで見れば、北米と欧州の落ち込みが大きく、特に台数の多い北米での不振がモロに直撃ということになっている。まあ、仕方が無いんじゃないか。

アジアの自動車需要は、元々の台数が少ないということもあってか、マイナスに対するウェイトが欧米に比べると小さいね。日本車を買える層というのは、限られているから、欧米ほどの落ち込みにはならないのかもしれない。

日本で利益は出ない、という代わりに、欧米で利益を上げてきたんだから、損失もそんだけ食らってみるということになるんだろう、きっと。日本人労働者の時給よりも、米国人の時給の方が高かったらしいから、まあそういうのを大事にしたい人たちはそれなりにしっぺ返しを食らえばいいだけだな。


輸入の減少もそこそこ大きくなっていたが、何せ「自動車&デジタル製品」の減少幅を上回るほどには減ってなかった。が、今後下がるものは下がっていくだろう。まだかなり高いのは天然ガス、石炭、鉄鉱石だった。どうしてこれらがこんなに高いのかは判らないけれども、ある程度長期の輸入契約になっていると、すぐには輸入価格が下がらないのかもしれない。

来年の1~3月にはもうちょっと輸入額が減るから、貿易収支はトントンレベルに落ち着くかもしれないしね。あんなに「プチバブルだ」とか言われていた05年11月でさえ、輸出額が6兆円には届いていなかったんだよ?額にして4千億円程度の違いしかないのに、そんなに言うほど酷くはないんじゃないの?

だってさ、05年終わり頃といえば、世の中には「ヒルズ族」だのというのが最盛期を迎えていた頃で、かなり景気が良さそうにしていたんじゃないの。それとほんの少ししか変わっていないにも関わらず、大袈裟に騒ぎ過ぎなんじゃないか?
自動車メーカーは先行き見通しが厳しいということは判るけど、輸出が落ち込んで大変なことになる、というのであれば、05年暮れの時点でも同じく「ああ、もうだめポ」みたいになっていても良かったでしょう?


東京モンはこれだからイヤなんだよ。
バブルに浸っていたのは、日銀界隈(とか永田町界隈も?)のほんのごく一部で、そいつらの周辺だけが景気が良くて、その他大勢でしかない地方なんて、「景気が良かった」なんてことはなかったじゃないの。拝金主義連中の「浮かれ気分」時期から見れば落差が大きいのかもしれんが、地方なんてもっと前から不景気だから、良かった時期がない分だけ落差は小さいわな(笑)。

将来東京と名古屋界隈だけが生き延びられればいい、みたいに、ナメてるからこんなことになるんだろ。

国と地方の大断層7


何故こうした罰を受けねばならないかは、自工会の偉い人たちならばよくお分かりになるはずだ。

イヤなら日本を捨てればいいよ。
海外企業に生まれ変わって、そっちから日本に輸出すれば即解決だろ(笑)。「円高で利益が大きく増える」。どうせ日本で売ったって、金にはならんのだろ?



国民の皆さんには、今、どういった企業がどんな仕打ちをしているか、ということをよく脳裏に焼き付けておくことを強く勧める。

どんな企業が大勢の人々の首を切り、使い捨てみたいにやってきたのか、ということをよく覚えておくことだ。そういう企業の製品を買う必要なんか、これっぽちもない、ということも、頭の中に入れておくべき。


労働者たちに告ぐ。

不買運動を展開することだ。

絶対に「憎むべき企業」の製品を買うべきでない。
日本で売ったって利益なんか出ない、なんていう企業には、日本のマーケットから消えていただいていい。

海外で好きなだけ売ってくりゃいいんだよ。
海外にこそ利益があるんだろ?(笑)

企業に思い知らせるには、そうした消費者としての行動だ。
ただの奉公人だ、みたいに思ってるからこそ、使い捨てにできるんだよ。だから、消費者として、顧客の1人として、行動するんだよ。腐った企業の製品は、悉く拒否すべきだ。

心底震え上がるまで、徹底的に思い知らせてやるべきだ。


次に震えるのは、あなたがたの番だ。


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なぜスイス製高級腕時計は高いのか?

2008年12月21日 12時10分51秒 | 経済関連
生産性なんてものは、うまく計れていないことは多々あると思う。

ある手術があって、ドクターAは8時間で2例手術できる。別なドクターBは同じ8時間で3例手術できる。どちらが生産性が高いかと言えばドクターBであるが、給料は大きな違いなどないということはある。
また、アメリカみたいに「金を持っていて、儲かる患者」だけ相手にしていれば、「産み逃げ」だの「治療費踏み倒し」だのはない。生産性を高める、というのは、例えば「1泊10万のICU」ということですから。今はビジネスホテル以下の収入しか得られないので、いつまで経っても生産性が上がらないというわけです。


日本は、仕事の質が高くても「請求額を多くするのが躊躇われる」ということが多々あるわけです。外国人との交渉などにおいても、そういう部分をまんまと衝かれているわけなんですよ。

また例で申し訳ないが。
今、ある石の価格について交渉をする。石を販売する側の販売者と、石を購入する購入者がいるわけだ。販売者が甲、購入者が乙として、これが日本人と外国人が異なる立場の時を考えてみよう。

・甲が日本人、乙が外国人の場合

甲 「いい石ですから、どうか買ってもらえませんでしょうか」
乙 「フン、そんな石ころなんぞ、どこでも買える。値札の2万なら無理だね、もっと安いなら考えるけど」
甲 「買ってもらえないと、あっしのおまんまが食べられなくなるので、勉強させてもらいます…」
乙 「当たり前だ、こっちが買ってやる、って言ってるんだ、安くするのは当然だろ」
甲 「へい、それでは1万5千ではどうかと…」
乙 「何言ってんの?話にならねえ、帰るぜ」
甲 「待っておくんなまし、それでは1万ではいかがでしょうか…」
乙 「ホラホラ、まだ安くできるんじゃないの。どうせそんなことだろうと思ってたぜ。5千でどうだ?」
甲 「そんな値段では、赤字で倒産してしまいます…もうちょっと上げてもらえませんかね」
乙 「しょうがねえな、じゃあ6千だな」
甲 「はああ…7千くらいにはなりませんか?」
乙 「ダメだね、6千。ここからはビタ一文まけられない。それがダメなら買わないぜ」
甲 「なら、6千でもいいです…」
乙 「だろ?、はじめっから6千ていやあいいものを…無駄に抵抗しやがって。買ってもらえるだけいいだろ」
甲 「……(そんな値段では食べていくのがやっとなんだけどなあ)」


・甲が外国人、乙が日本人の場合

甲 「いい石だから5万は堅いぜ、5万でどうだ?」
乙 「ええっ?ちょ、ちょっと高すぎやしませんかね…」
甲 「おたく、何言ってんの?イヤなら売らないぜ、もっと他から声がかかってるんだ」
乙 「原料の石が手に入らないと、ウチも商売できないので困るんですよ」
甲 「だったら、さっさと金出しな。この前中国の何とかって人も来ていったなあ、そういえば」
乙 「ウチには売ってもらえないと?」
甲 「いや、そうは言ってないが、金を出すなら売ってやってもいいぜ、と言ってるのさ」
乙 「そうですか…それでは2万5千では…?」
甲 「なめてんの?5万の半分じゃないか」
乙 「でも、大体相場では2万くらいかな、と」
甲 「話にならん、もう売ってやらんからそのつもりで」
乙 「そんなつもりでは…じゃあ3万ではどうでしょうか」
甲 「はい、ダメね。中国人の方に話を持っていきますから、もういいです、さようなら」
乙 「ちょ、ちょっと待って下さい、…それでは3万5千では?」
甲 「はじめっから素直に出せばいいんだよ、4万以下にはできないね」
乙 「そ、それは高すぎでは…相場の倍ですよ?」
甲 「何いってんの、買い手なら大勢いるんだ、あんたに売らなくたって困りはしないからね」
乙 「判りました、それでは3万7千でどうでしょうか?」
甲 「無理無理、どんなにまけてもあと千だけだ」
乙 「間をとって、3万8千では…?」
甲 「しょうがねえな、そんなに言うなら売ってやってもいいぜ、3万8千で決まりだ」
乙 「(高すぎだと思うんだけどなあ)……あ、有難うございます…」


これくらい違いがある、ということなのではないかと推測しています。交渉力の差が出てしまうんじゃないかな、と。
要するに、海外との価格交渉においては不利な立場に追い込まれやすいのではないかな、と。原材料にしても、「いやなら売ってやんないぜ」ということで、「日本が海外勢に買い負けている!」みたいに超大袈裟に騒いでいたが、そんなに高値で買わねばならないほど需給が逼迫していたんでしょうか、ってなことですね。


日本の業者同士だったりすると、発注側とか買い手側が交渉力の優位を持っていることが多いのではないでしょうか。実際どうなのかは全く知らないんですが。大企業とか大口の取引相手の場合だと、優位にあることが殆どでは。家電製造メーカーは大口販売店には安く納入してしまう、みたいなことですね。
入札なんかでも、談合が起こってしまうというのは、赤字になってまで受注しようという人たちが出てしまうことが問題で、普通の海外の会社とかであれば「そんな値段じゃ引き受けないぜ」という割り切りができているように思うんですけどね。どうなんでしょうか。
でも、日本企業が大口の購入する立場であっても、売り手側が海外企業だったりすると、「イヤなら売らない、手に入らないと困るんだろう?」というような売り惜しみみたいな目に遭わされてしまって、割とサクサク値上げされてしまっていたりするんだよね。海外企業の場合に、日本企業ほどに「経費をギリギリまで切り詰めました、雑巾を絞るように限界まで絞りました」、ってなことにはあんまりなっていなさそう。単純に「経費がこんだけかかるから、値上げですっ!だって、値上げしないと儲からないから」みたいなもんですわな。

何でもそうですけど、日本企業同士で競合するのではなくて、どちらかといえば海外メーカーと競合した方がいいと思うね。日本企業同士になってしまうと、まさに削り合いのギリギリ勝負に突入しがちかな、とか思うので。


スイスは昔から金になる産業といったものはあまりなくて、フランスやイタリアなんかの方が金持ちだった。けれども、資源とかがあまりなくてもできる金融業とか、時計産業が発達した。で、伝統的に「高級腕時計」というのがあると思うけれど、あれも1個300万円とか、1千万円とか、非常に高額である理由が実際のところ「よく判らない」のではないでしょうか。ペルシャ絨毯というのも高価なものがあって、一枚が1000万円とかするらしいのですよ。

どちらもオール人力というか(器具・器械類は使うんだけどさ)、ハンドメイドだからこそ価値を認められており、「高価である」ということになっているわけです。精密な部品を一個一個作り上げるということこそ、高級腕時計であることの証なのですよね。これがもし、工業製品として作られていると、時刻がどれほど正確であろうとも、ハンドメイドの価格には遠く及ばないわけなんですよ。はっきり言えば、時刻の正確性なんて、高級腕時計の方が負けるに決まっているんです。電波受信して自動修正する腕時計の方が断然狂いがない。けれども、そういう価値ではないわけです。高級腕時計というのは、ブランド価値、みたいな曖昧なものにこそ、高額な価値を生み出す要素があって、稀少で価値が高いと信じられているからこそ、高額なんです。これはペルシャ絨毯も同じ。数千万円の高級車もそうかな。


だから、日本の伝統工芸品はもっと高級路線であったとしても不思議でも何でもない。焼き物が数百万円することだってあるわけですから、ああいうのと同じです。湯呑み茶碗1個がどうして数十万円もするのかなんて判らないけれども、ネームバリューとか何とかで価値がつくわけです。着物の生地とかもそう。西陣織とかのブランド価値を高めることができればいいんです。和紙でも、漆塗りでもいい。外国人からは「物作りの伝統かよw」と笑われたりしますけれども、スイスの高級腕時計と同じで価値が高まるようにすることが大事なんです。

ヘアカットやメイクアップとかの価格が高くなるとか、ネイルアートの価格が高いとか、そういうのも付加価値が高まるということになるので、生産性は高められるわけですよ。1人カットするのに1時間だったものを、50分にするとか40分にするといったことが「生産性向上」ということでしょう。ネイル何とかだの、美容なんとかだの、そういうのも同じ。熟練者を育てることは生産性向上に繋がるのですよ。

だから、「ありがたみ」を高めることは重要なんです。レストランのミシュランガイドみたいなものと一緒です。権威付けが重要。圧倒的多くの人々に、「スイスの高級腕時計は、とても価値がある」「ペルシャ絨毯は高価なんだ」ということが定着していればいいわけです。ピカソの絵が非常に高額だ、というのとも同じようなものなのです。そういう価値創造は、プロモートの効果というのも重要なのですよ。


それと、労働生産性の伸び率とかは、製造業が必ずしも有利ということではないでしょう。

第2節 労働生産性の現状

今後、製造業は後発国との競争にさらされるでしょうから、サービス業なんかとは若干異なる立場に置かれるでしょう。
非製造業は生産性が低いんだ、だからダメなんだ、みたいに考えているのは、経済センスがないのではないでしょうか。「製造業の生産性が高い」信奉というのは、言うなれば「モノつくり大国」の崇拝者と変わらんよ。アメリカだと、例えば職場の検診みたいなもので、「精神科医のカウンセリングを必須とする」みたいな、日本人だと「大きなお世話」っぽいことが普通に行われてしまうからね。そういう人間に対して直接サービスを提供する分野こそ、大した設備も投資もせずともバンバン稼げるということになっているわけで。


コンビニとかを24時間営業とかにしているからダメなんであって、8時には閉めればいい。労働投入を減らせるよ。多くの人々は不満に思うかもしれんけど。不便にする方が全般的には生産性が向上するでしょうね。労働投入を減らせばいいから。で、便利さを支える為の部分で、効率が低下するので生産性が引き下げられてしまうでしょうね。コンビニまでの距離が数キロとか数十キロ離れて設置されていると、その分生産性が改善されると思うよ(笑)。失業させてあげると、その分労働投入が減らせるし。

だから、日本は利用者とか消費者にとっては、便利が良すぎなんですよ、多分。そういうのをかなりやめると、生産性は向上できるでしょうね。消費者側からの不満は高まるかもしれんけど。便利さの対価をきっちりと請求するようにするだけで、付加価値額は高まるでしょう、多分。そういう国内での競争に国民が馴れすぎていて、背中のどこか痒いところを「金は払わないけど、掻いてほしい」みたいなもんですわ。わざわざ自分で掻かなくても、掻いてもらえることに馴れてしまっているんですよ、日本人は(多分ですど)。


そこそこ便利な体制を作っていくなら労働投入は避けられないし、効率が落ちるとしても、止むを得ない面はあるでしょう。需要を生み出していくことの方が有利ではないかと思います。


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これで高利貸し?笑

2008年12月19日 16時59分35秒 | 社会全般
生ぬるいな、アメリカは。

CNNcojp:米カード金利が急上昇 「高利貸し並み」との声も

(一部引用)

数週間前に通知を受け取ったニューヨーク州ロングアイランド在住のの夫婦の場合、夫が9.5%から16.99%、妻が7.95%から16.99%に急上昇した。支払い能力に何も問題がない夫は、金利引き上げの理由に疑問を投げかけ、「わたしから見れば高利貸しに近い」とコメントした。

ブログの世界でカード金利上昇は「レートジャッキング」と呼ばれ、強い反発の声が上がっている。ブロガーの矛先はシティグループに集中しており、同社のカード発行枚数が多いことや、200億ドルの公的資金注入発表とほぼ同時に金利引き上げ通知を出し始めたことが理由の一部とみられている。

=====


えー、皆様ご存知の通り、日本では上限金利問題の時に、上限引下げで「カード業界も全滅する」みたいに大袈裟に騒ぎ立てていた連中が大勢おられたわけですが、こんな程度の金利で「高利貸し」呼ばわりとは、大笑いですな。

日本の貸し手は、いかに暴利を貪ってきたか、ということがよく判っていいんじゃないでしょうか?(笑)

日本のカード会社だとキャシングではない、普通の買い物とかでもリボルビングとかだと、普通に15%以上の金利を適用しているカードがザラではないですか?
もし10%以下の金利が適用されているカードがあれば、是非とも「超お得情報」として教えてもらえれば、と思いますね。


因みに、ここ暫くはずっと米国の長期金利は日本と比べると常に高かったし、短期金利にしてもようやく逆転という程度ではないですか。しかも、インフレ率は米国の方が「ずーっと高かった」のではありませんか?

だとすると、貸し手にとっては、貸出利鞘が日本よりも小さかった、ということになるんじゃないですか?(笑)
長期金利と同程度の金利で借入ができたとして、資金調達コストが4%、これを9%で貸すと鞘はたったの5%しかないではないですか。貸倒率が0.5%としても、残り4.5%で経費と利益を捻出ですよ?
英米では貸出金利が日本より低いですよ、といくら言っても、池田某だの、経済学信奉者たちは一顧だにしませんでしたがね。

ああ「ペイデイローンのような高金利もある」という例を出して、「金利水準は関係ない」とか言う人たちはいたな。それは市場が異なっているのではないですか?日本の貸金市場とかクレジットキャッシング市場と同じなんですかね、って話だわな。


「金利はリスクを反映する」

豪語していた連中がいたわけだが、借り手が同一なのに16%に金利の大幅引き上げとは大笑いだわ。カード保有者たちは、そこそこプライムな借り手の層なのだろうと思うが、どんだけリスクが急上昇したんですかね、って話だな。


堂下浩先生の論説に関して

このリンク先の記事で書いた通り、貸出金利はリスクを正確に反映するとは言えない、と、いくら言っても、聞く耳を持たないのだな。

学者だの、専門家だの、経済学信奉者(?)だの言っていても、全く当てにはならない、ということだけは、改めてよく判りましたよ。ニセの理屈を堂々と並べるような方々が大勢揃っておいでのようで、それで経済学者だとかを名乗っていられるわけですから、恐れ入ります。そういうのに毒された記者や社説子なんかも、同じく「ニセ理論」に加担する、と。


だからこそ、今の日本の状況がある、というわけですね。


コメント (1)
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日銀の最大限の譲歩??

2008年12月19日 15時39分45秒 | 経済関連
利下げは、まあ当然として、やっぱり下限を置きましたか。

で、その代わりということではないかもしれませんが、国債買い切りの増額決定。微々たる増額だけど。

政策金利を01%に引き下げ、CP買い入れを時限導入=日銀 Reuters


年2.4兆円増えただけ。もうちょっと思い切った額を出してくるかと思えば、そんなことはありませんでしたね。

CP買入に関しては、事前に予想されていたのと同じ程度でしたね。



ところで、一つお詫びがあります。
生産性と日本の戦略続・「お金LOVE」を打ち砕けに書いていた時には、日本政策投資銀行がまだ「民営化前」かと思っていましたけれども、既に「株式会社化」されてしまっていました…。機関債だのなんて、ダメっすよね。

申し訳ありません。
今年10月から、株式会社に移行しちゃっておりましたです。
ついでと言ってはナンですが、公的融資機関も統合されていて既に株式会社化しており、「日本政策金融公庫」とかの名前に変わっていました。

最近はこうした情報に無警戒でした。
ごめんね>日本政策投資銀行、日本政策金融公庫



確かに官業だからといって非効率運営は非難されるべきだろうと思うが、今回の一件で判ったことは、「安全弁」としての公的金融機関の存在が望ましいこともある、ということではないかなと思う。

みんなが民営化になっていて、「利益追求の鬼」になってしまっていると、資金余力を持つ金融機関が「中央銀行だけ」ということになってしまうのです。そうなると、貸出の「たらい回し」ですわな。これこそ、「たらい回し」と使うべきでは(笑)。ウチは貸出余力がいっぱいいっぱいです、ヨソへ回って、と断られるのが続出した、ということでしょう。

すると、資金の出し手がいなくなり、短期資金の需給が逼迫してしまい、金利が跳ね上がっていく、ということですね。


株式会社化していても、完全民営化ではなくて、半官半民という関与を残しておくべきではないかと思ったりします。普通の民間銀行であると、政策的に「急に対応せよ」みたいに普通の民間企業に命令するのは、大幅な越権行為みたいなもんですからね。

米国の場合であると、トップが寄り集まって、「お前んとこで合併しろ」みたいに、無理矢理救済措置を取らせたようなものでしたが、これって厳密に言えば「官製談合」みたいなものと何も違いがないってことだから。
緊急避難的に、それしか手がなかった、ということもあるけれども、それは舞台裏を明かすわけにはいかない、という部分があるわな。だって、政府がいきなりタダの民間企業に手を突っ込んで、超法規的に「一緒になれ」、みたいに言うわけですから。市場原理も何も、あったものではない。でも、そうやってベアスターンズとかをメリルリンチとかを救わなければ、もっと酷い大混乱とか大打撃を受けていたかもしれないので、止むを得ないのですが。

なので、必ずしも公的金融機関が悪い、というものでもないと思う。むしろ、ソッコウで対処する必要がある時にこそ、重要度が増すのでは。日本だと、政治的にどうにかしようとすると、色んな障壁が大きすぎて、アメリカみたいな真似ができない。多分時間切れで、潰れる結果に終わるのでは。すったもんだのひと悶着の末、素早く手を打てずに「見殺し」、ということになりがちではないのかな、と(笑)。

そういう意味でも、政治的に解決をつけなくとも、政府が動かせるチャンネルをキープしておくというのは、無駄とも言えないのではないかな、と。


ああ、それと、民営化したら株式を公開せねばならない、というのも、今のような市場環境で売却しよう、なんていう無謀な考えは、単なるアホですよ。麻生総理の言ってたのは正しいですよ。普通の民間企業ですら上場延期してるのに、時価総額のデカイ株式上場なんて、無理もいいとことです。
「民営化を阻止する気か!」も何も、市場で売却するのは待った方がいい、ということなのに、大幅下落している中で「上場しろ」とか言う連中は、バカです。
別に今すぐに公開しなくたって、企業価値が減るわけじゃない。
寧ろ、大幅に下落している市場環境で政府保有株式を売却する方がはるかに「大損」になるでしょ。そんなのは当たり前だっつーの。


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時代を超えて繰り返されるポンジー詐欺

2008年12月19日 13時31分57秒 | 社会全般
史上最大巨額詐欺事件ということで、注目を集めました。

米史上最大4兆5千億円詐欺=ナスダック元会長逮捕(時事通信) - Yahooニュース

(以下に引用)

【ニューヨーク12日時事】ウォール街(米金融街)の重鎮として知られるバーナード・メードフ氏の運用する投資ファンドが、高利回りを約束しておきながら、実は500億ドル(約4兆5000億円)を超える損失を隠していたことが判明、同氏は12日までに連邦捜査局(FBI)に逮捕された。米メディアによると、詐欺事件としては米史上で最大規模。市場関係者は、投資離れに拍車が掛かりかねないと懸念を強めている。
 捜査当局によると、同氏が運営する投資ファンドは、損失が拡大していたにもかかわらず、毎年10%の利益を上げていると宣伝。投資家から資金を集め、配当や解約金の支払いに充てていた。同氏は「自分のやっていることは詐欺と変わりはなかった」と非を認めているという。

=====


こんな詐欺ができてしまう、ということに驚くわけですが、世の中には肩書きを用いて金を集められるということがあるのだな、と思いました。極端に言えば、誰が信じられるか判らない、ということかな、と。

先月のこんなファンドは嫌だという記事の中で、「年率10%」を10期連続で達成、とか何気なく頭に浮かんだ数字を書いたんですよね。

まあ、キリのいい数字ですし、普通だろうと思うんですが、そうしたら、何とこのメードフさんの詐欺事件も同じような数字だったじゃないですか。

捜査機関の人たちがどうやって探りあてたのかは知りませんが、この偶然に「オレってエスパー?」と、また思いましたよ(笑、冗談ですから)。


けど、悪いことって長続きしないんですね、やっぱり。どこかでボロが出る。
というか、捜査機関(FBI?)の人たちは偉いね。

参考記事:

牧歌的なオレ

『無法投機』と福井総裁


まさに無法投機ww


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Les Miserables

2008年12月18日 19時21分07秒 | 経済関連
間違いを喧伝する典型、ということですかね。

はてなブックマーク - 再交渉としての不況 - 池田信夫 blog


ゼロサムって、一体何を言っているんでしょうね。
損失の反対側には同額の得が必ず生じる、というのも単なる間違いですね。為替取引なんかだとゼロサムゲームとか言われたりしますけれども、今回の経済危機はそういうものだけではないですね。


信用創造はそもそも「持ってないお金」から、あたかも持っているかのように膨らませられる、ということですよね。それが過度に大きくなったことが問題になったのであって、その収縮過程で富が消えていったことが今の経済状況を生んでいるわけですから。


また例で書いてみます。

新規上場株があって、1株100円とする。
Aさんは1株購入し、Bさんに200円で売却。BさんはCさんに300円で売却。CさんはDさんに50円で売却した。

すると、Aさんは100円の利益、Bさん100円の利益、Cさんは250円の損失、ということになる。Dさんは50円を出しただけ、ということで、プラスでもマイナスでもないですね。利益と損失はDさんの50円も含めれば、同額ということになるでしょう。

ここで、上場時に100円で1000株購入していた株主の甲さんがいたとします。一度も売却していません。
甲さんは100円で買ったので全部で10万円投資したことになりますが、Cさんが購入した時点の300円で評価したとすると30万円になり、プラスは20万円と売買を通じてAさんやBさんが得た利益なんかよりもはるかに多くなります。しかし、現在価格は50円なので、価値は5万円しかありません。つまり、初期投資額10万円と現在評価額5万円の差額5万円は、誰も得をしていないのにも関わらず損失だけが残るのです。


甲さんの資産がこの株式1000株だけだったとしましょう。
Bさんが購入した時点の価格で見ると、200円ですから資産サイドに20万円分持っていることになります。
これを担保に同額の借入を行い、この20万円でレバレッジの効いた金融商品Xを400万円分投資できたとすると、資産サイドには金融商品X400万円分と株式1000株(評価額20万円)の合計420万円があることになります。

このように、持っていたものが1株100円で購入した株式1000株だけであったのに、価格が値上がりすることで信用枠ができ、それを用いてバランスシートが420万円まで拡張できたということになります。例えばFXとかオプション取引のような損益を増幅できる金融商品があるので、実際の投資額はレバレッジでかなり拡張できる、ということです。

ところが経済危機で株式の評価額が持ってるだけで5万円まで下がり、金融商品Xの損失も拡大してゆくと、バランスシート上では資産サイドだけが急速に収縮していったことになるのです。けれども、負債サイドには負債が残り続けるので、資産側に資金注入して維持するか、負債サイドを減らすこと(資産売却で返済とかデレバレッジなど)を同時にやるか、ということになったわけです。

特に、金融商品Xは猛毒らしい、と皆が思うと、誰も買わなくなるので、流動性が枯渇する、価格が暴落してしまう、ということになったわけです。この金融商品Xや株が土地や不動産などであっても同じようなものです。

結局のところ、バランスシート上で資産価値の値上がりで生み出された信用枠を利用して借入を行い、バランスシートを更に拡大させたのだということです。これが富の膨張を生んできたのであり、逆に崩壊過程では収縮が引き起こされたのです。


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為替介入よりも

2008年12月18日 14時26分27秒 | 経済関連
日銀がゼロ金利に戻すしかないでしょう。
大企業のお偉いさんたちから「利下げしてくれ」という要望の声が出ているようだけれども、だったら何でもっと早くから言わなかったんだよ。07年に余計な利上げに踏み切っていなければ、こんなことにはなっていなかったんだぞ?

昨年末に書いた記事で述べたが、07年中の利上げが結果的には「余計なお節介」だったのだ。金利変更の影響度がタイムラグをもって経済に波及してゆくとすれば、阻止すべきはまさに「あの日、あの時」だったんだよ。だが、経済界の連中は浮かれていた。特に、輸出企業は先行きを楽観していた。だから、利上げには反対しなかったのだろ。その結果が、このザマだ。今頃になって「利下げしてくれ」なんて泣き言を並べるのは、片腹痛い。現時点で下げたって、直ぐには効果がでてくるかどうかは判らんぞ?無駄に年を取るだけが能でもあるまいに。
先人曰く、「転ばぬ先の杖」だろ?(笑)

米国が昨年に利下げに踏み切って以降、日銀も利下げせよ、という声が経済界からは全然高まらなかったでしょ。何故日銀が批判されねばならないのか、ということについてでさえ、誰も考えていなかったでしょう?そんなだから、今頃になって泣きつくことになるんだろ。

経済界をあげて日銀に直訴しに行けばいいんじゃないか?
日銀の玄関前に、経団連でも同友会でも役員たちは一斉に並べばいいよ。ホラ、道路特定財源の一般財源化に反対した時みたいに、社長総出で「利下げ運動」でもやったらいい(笑)。
まあ、後手後手になってしまうと、何をやっても「効き目が悪い」ということにはなるわな。今からじゃねえ…。

CMでもあるでしょ?
「食べる前に飲む」
お偉いさんたちは、「食べてから、腹が痛いので飲みます」ってなことだわな。だから、間に合わない。痛い思いをする、みたいなもんだ。手術中に血圧が下がってるな、という時には、用心して血圧を保つ(低いのを是正して上げておく)ようにしておかないと、大量にジャージャー出てから大慌てで血圧を回復しようとしても、間に合わないんだよ。循環機能が病み上がりで万全でなければなおのこと、何倍も注意してなけりゃダメなんだって。血圧が下がってきてるな、という兆候を察知したら、一時的に若干の出血があっても耐えられる程度までには輸液するなり、昇圧剤を入れるなりしておくのが当たり前なんだって。そういう注意を怠るから、こんな有様なんだろ。
大体、人の話を聞いてないからだろ。って、ウチのような寂びれブログだと、元から影響力はないんですが。優秀な役員連中が何人も揃っていながら、何故こんな事態に陥るのかなと不思議に思いますよ。


それと、為替介入してくれ、という声もちらほら出ていますが、輸出企業の連中を救う為に借金してまでドル買いをせねばならんので、それはそれで苦しいということもあるかもね。1円のドル安を達成するのに、いくらくらいかかるんですか?輸出企業を救う為に、10円ドル安を達成せねばならないとして、そうなると、10兆円とかの規模で金が必要ということになったりはしませんかね?恐らく、そういうことになってしまうと思いますけど。それなら、ドルを買わずに、ダイレクトに企業に金を渡した方が早くないですか?

といいますか、首切りマシンみたいな企業に、国民が高い原油を買わされてまで何故金をばら撒く必要がある?
切られた従業員の人たちに、次の雇用先の給与を一部支給する方がまだマシだわ。それなら、1人300万円としても、100万人分でも3兆円で済む。そこに給与を上乗せするなら、新規に雇った企業が払えばいいだけだから。そっちの方がマシなんです。だから、現時点での為替介入については、消極的な立場です。
今年春頃に95円切るくらいに一気に行ったことがありましたが、あの時はあまりの急激な変化だったので、為替介入も辞さずと思っていましたけれども、今の状況では今後ドル安が進展するのを日本だけでは止めることが難しいかも、と思えたりしますので、介入を継続するのは巨額資金が必要になってしまいます。外貨準備金で為替損が3兆円出てしまった、と諦めれば、その3兆円投入で雇用が確保されるし日本の輸入額は抑制されたままにできますから、お得ではないかと。


輸出企業は、これまで恩恵を独占してきたわけですから、ここは一つ自助努力で。


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