春の嵐で、桜もすっかり散ってしまいましたね。
さて、3 回前の記事の続きです。
エジプトからクウェートに入りましたが、あまり面白いものはなく、次にヨルダンの首都アンマンに行きました。
当時は、そして今もヨルダンにはパレスチナ難民が多く、まず驚いたのは、10 万人単位で難民生活を送っている人々のおびただしいテントの数です。
地平線の果てまでテントの密集が続いています。
中東では非常に豊かなクウェートから来ると、その落差は衝撃的です。クウェートでは有り余る石油で、税金はほとんどないに等しく、学校も医療もタダですが、すぐ近くのヨルダンでは、明日の食糧にも事欠く何十万の人々がテント生活を送っている。。。つくづく紛争は不幸しか生まないと感じました。
ヨルダンの代理店とも商談し、その後 車で『 死海 』へ行こう、ということになりました。死海へ行く途中は崖道を下っていく感じです。
途中で、世界標高最低地点を通過しました。標識が立っていて、標高マイナス 380 メートル位だったと記憶しています。 (そのあと、死海の地盤沈下が進み、現在は死海の水面がマイナス 418 メートルの世界標高最低地点です。)
標高が上がると涼しくなるのはご存じのとおりですが、逆に標高をマイナスに下っていくとだんだん暑くなってきます。
死海にたどり着くと、プレハブの脱衣場のようなものが立っています。死海の対岸はイスラエルで、ホテルと思しきものが林立しています。イスラエル側は死海は観光地で、それなりに施設も整っていますが、ヨルダン側は観光地ではありませんでした。(最近は観光地化が進んでいると聞きます。)
死海に入って泳ごうというので、こういうシュチュエーションも想定して海パンとゴーグルは持ってきていたので、着替えて飛び込むと、すぐにプカリと浮かび上がります。
よく死海のイメージとして水面にぽっかり浮かんで新聞を読んでいる写真が出てきますが、その通りです。僕もポッカリ浮かんで新聞をよみました。(当時の写真はどこかへ行ってしまいましたが。)
試しに潜ってみると、透明度はありますが、魚や藻などの生物は全く見当たりません。通常の海は塩分濃度が 3 %ですが、死海はその 10 倍の 30 %もあり、生物が生息出来ない環境で、だから“死海”というのだそうです。
川は、ヨハネがキリストに洗礼を授けたヨルダン川が流れ込んでいるだけで、中東の暑さで、ちょうど鍋で海水を煮て塩を作るのと同じ仕組みで、どんどんと塩分濃度が高くなってきたのだそうです。
死海から上がると、口元も耳の穴も鼻の穴も塩だらけで、落とすのに苦労しました。
何か海外出張というより、中東名所巡りのような旅になってきましたが、続きはまた次回書きます。