入場料と結構な交通費を掛けて行ったので、費用回収のため(?)ネタ切れ感が出るまでちょくちょく
すべてはここから始まりました。
初の量産車である、トヨダAA型です。
この車のエピソードは、産業技術記念館の時にでも。。
世界進出の飛躍はここから?
3代目のトヨペット・コロナです。
それは、クラウンやティアラ(二代目コロナ)の失敗を糧にして、品質と耐久性の向上を開発段階から強く盛り込み、世界に通用するモデルとなりました。
国内でも商業的に成功をおさめ、初めてダットサンのBに販売台数で上回りました。(Bのデザインが自滅気味というアシストありですが。。)
国内における、マイカー元年として、ライバルのSと合わせて紹介される、初代カローラです。
スポーティーかつ高級感のあるという、良くも悪くもなトヨタ車らしさは初代カローラの時からなんですよね。
当時のこのクラスにしては珍しく、フロア4速MTを標準で設定し、メッキモールのはしらせ方は、同社の上級モデルに倣ったものを採用し、ライバルよりもちょっとだけ高性能・高品質であることをアピールするのは、ある車の失敗を糧にしたものでもあります。
それは、政府が提言した国民車の施策にトヨタが答えて開発した、パブリカです。
これは、政府の要求仕様を素直に満たしたと思われる前期型。
でも、家の次に高額な商品の購入する、ユーザーの要望に応えるものではなく、販売は苦戦しました。
後期型では、バンパーを大型化し、グリルを立体的なものに変え、ライトリム・フェンダーアーチ・ロッカーモール・レインガーターモールにはメッキを走らせて、今日の目で見ると取って付けたような部分もありますが、メッキで加飾しました。
それがウケ、販売台数の飛躍につながりました。まぁパッケージングが間違っていなかったことは証明されましたが、それ以上に市場が求めていることに応えないと、売れる車にはならないのだなぁっと。
ここで、一気に時代は下がりまして、80年代になります。
FF化し、セリカの名前が外れたカムリです。
国内市場では、FR時代と同様にマーク2兄弟とコロナの間を埋める車という微妙な位置付けになってしまいましたが、もうひとつの顔としては、FF化時代のトヨタの国際市場における基幹車種という面もありました。
愚直なパッケージングの3BOXセダンのデザインは、時代が経っても極端に時代遅れにならなかったい故に今日でも通用すると思います。
30年以上前に登場した、FF第一世代のカムリのリヤシートをご覧ください!
日本仕様では最上級グレードだけだったと思いますが、すでに後席に3点式のシートベルトが装備されております。
たしか、シートバックも分割可倒式でしたよね。。
またこの車自体は後で話題にしたいのですが、違う展示車のところから振り返った時に見えた、初代ハイラックスサーフ。
その佇まいが、自走式の立体駐車場に停まっているようで。。
ちょっと前までなら当たり前に見られた光景で、この型のサーフが出たあたりから、こういった都市部の施設に四輪駆動車が停まっていても、違和感のない時代になって行ったんだよなと。。感慨深くなってみたり。。
だいぶ長くなってきたので、取り敢えずここまで!!
補足
ざっと振り返ったというか、そういう面を強調しているという面もありますが、「失敗はいつか必ず取り返す。」という姿勢は一貫しているような気がします。
パブリカは話題がありそうなので、いつか独立したエントリーで書こう。。
すべてはここから始まりました。
初の量産車である、トヨダAA型です。
この車のエピソードは、産業技術記念館の時にでも。。
世界進出の飛躍はここから?
3代目のトヨペット・コロナです。
それは、クラウンやティアラ(二代目コロナ)の失敗を糧にして、品質と耐久性の向上を開発段階から強く盛り込み、世界に通用するモデルとなりました。
国内でも商業的に成功をおさめ、初めてダットサンのBに販売台数で上回りました。(Bのデザインが自滅気味というアシストありですが。。)
国内における、マイカー元年として、ライバルのSと合わせて紹介される、初代カローラです。
スポーティーかつ高級感のあるという、良くも悪くもなトヨタ車らしさは初代カローラの時からなんですよね。
当時のこのクラスにしては珍しく、フロア4速MTを標準で設定し、メッキモールのはしらせ方は、同社の上級モデルに倣ったものを採用し、ライバルよりもちょっとだけ高性能・高品質であることをアピールするのは、ある車の失敗を糧にしたものでもあります。
それは、政府が提言した国民車の施策にトヨタが答えて開発した、パブリカです。
これは、政府の要求仕様を素直に満たしたと思われる前期型。
でも、家の次に高額な商品の購入する、ユーザーの要望に応えるものではなく、販売は苦戦しました。
後期型では、バンパーを大型化し、グリルを立体的なものに変え、ライトリム・フェンダーアーチ・ロッカーモール・レインガーターモールにはメッキを走らせて、今日の目で見ると取って付けたような部分もありますが、メッキで加飾しました。
それがウケ、販売台数の飛躍につながりました。まぁパッケージングが間違っていなかったことは証明されましたが、それ以上に市場が求めていることに応えないと、売れる車にはならないのだなぁっと。
ここで、一気に時代は下がりまして、80年代になります。
FF化し、セリカの名前が外れたカムリです。
国内市場では、FR時代と同様にマーク2兄弟とコロナの間を埋める車という微妙な位置付けになってしまいましたが、もうひとつの顔としては、FF化時代のトヨタの国際市場における基幹車種という面もありました。
愚直なパッケージングの3BOXセダンのデザインは、時代が経っても極端に時代遅れにならなかったい故に今日でも通用すると思います。
30年以上前に登場した、FF第一世代のカムリのリヤシートをご覧ください!
日本仕様では最上級グレードだけだったと思いますが、すでに後席に3点式のシートベルトが装備されております。
たしか、シートバックも分割可倒式でしたよね。。
またこの車自体は後で話題にしたいのですが、違う展示車のところから振り返った時に見えた、初代ハイラックスサーフ。
その佇まいが、自走式の立体駐車場に停まっているようで。。
ちょっと前までなら当たり前に見られた光景で、この型のサーフが出たあたりから、こういった都市部の施設に四輪駆動車が停まっていても、違和感のない時代になって行ったんだよなと。。感慨深くなってみたり。。
だいぶ長くなってきたので、取り敢えずここまで!!
補足
ざっと振り返ったというか、そういう面を強調しているという面もありますが、「失敗はいつか必ず取り返す。」という姿勢は一貫しているような気がします。
パブリカは話題がありそうなので、いつか独立したエントリーで書こう。。
ご指摘の通り、パブリカは空冷エンジンです。
パブリカにも有効だったか不明ですが、フォルクスワーゲンあたりだとオイルを変え、キャブが凍らないように対策をしたとか。。
団塊の世代最終年生まれの父親も空冷パブリカに乗ったことがあるのですが、エンストよりヒーターが全く効かなかったことの方が良く覚えているそうです。