サイレントフォールアウト
ABC企画委員会 「講演会&2024年度総会」 のご案内
海老名香葉子氏 家族6人が犠牲になった東京大空襲の記憶「死ぬまで語り継ぐ」
旧日本陸軍の施設
旧日本陸軍の施設
言論の自由が欲しい!!
原発活用の国策見直しを!!
ビキニ被災から70年!!核廃絶!!
アメリカだけではない!!、全世界で起こっている!!
●三多摩平和交流会の感想
14、学校で子ども達に伝えてゆくこと、素晴らしいと思います。PTSDの連鎖、大変な事実だと思います。引きこもり、DVとの関連は、あると思います。黒井さんの御活躍期待しています。
(お知らせ、70代以上)
集会のアンケートから
平頂山事件については、日本中国友好協会を通じて知りました。
学校では、アジアの近現代史はなかなか教えられません。自分で興味を持って学んでいくしかない現状に歯がゆさを感じます。裁判の終了後も、こうしてこの歴史を人々に伝える活動をしてくださる人々に感謝します。
私の娘は今4歳です。方さんが事件に合われた年齢です。曲さんのお話に自分の娘の姿が重なりました。もう少したったら、娘も連れてこのような学習会に参加できたらと思います。
来日してくださった曲さんご夫妻に感謝します。いつかまた、どちらかの国で私の娘共々曲さんにお会いできたらと希望を持ちます。
会場への案内に立ってくださっていた実行委員会の方々に助けられました。
ありがとうございました。
(中国語)
●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述(2023年9月12日東京地裁)
令和3年(行ウ)第594号
原告増本美保外11名
被告全国健康保険協会
意見陳述書
2023年(令和5年) 9月12日
東京地方裁判所
民事第51部lA係御中
原告ら訴訟復代理人 弁護士 内藤雅義
第3 本件の被ばくとその問題点
被告の主張は、保険部報告をもとに、外部被ばく、内部被ばくを合わせても、最大0.92mSvであり、 lmSvにも達しないと主張します。
これをめぐる争点について述べます。
1 放射性物質による被ばく
本件は、初期放射線の外部被ばくではなく、放射性物質による被ばくであることをまず念頭に置く必要があります。
128、80年代、組合で「中国友好平和の旅」という企画があり参加しました。新聞を見てその時が鮮明に思い出され、防災の日に訪れることができて、心から込み上げてくるものを感じました。ロシアの侵攻が終わらない今だからこそ、このパネルの現実を一人でも多くの若者が知らなければならない。遠くからきているので、VTRを見ることができなかったので、次回こそ心を落ち着けて、若い時に訪れた地で受けた思いを確認したいと考えています。
猛暑の中の運営、お疲れ様です。
(60代、-、朝日)
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9、貧困が差別を生み、差別が虐殺を招いていると感じた。負の遺産は、正しく継承しなければ、誤ちは繰り返されていくだろう。現東京都知事、自民党、公明党、維新の会などは、都合の悪い負の遺産をなかったことにして、教科書から削り、継承を拒んでいる。子どもたちは誤った歴史観を持ち、日本はますます誤った方向へ進んでいく。いじめも差別も根は同じ。きちんと向き合うことをしなければ改善はなく、繰り返されていく。
しかし、都合が悪いことは聞こえないふりをして、なかったことにして済ませたがる人が世の中に多く、良い方向へは行かない。残念だ。習志野のことは全く知らなかった。機会を作って、隣の人にも伝えたいと思った。(60代、市外、チラシ)
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
・1938年6月1日の伝染病研究所で石井四郎の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか?精神的緊張裡とは、何のことだろうか?
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報22巻 第7号(1938年)
(果たして、風邪によって死んだのか、それとも業務感染か?)
故田中正稔君追悼会
4時より食堂に茶菓を用意して故人を偲ぶ会を催し、故人と親交最も厚かった小栗君の声涙共に下る愛惜の司会の弁に次いで加地君から発病より死去に至る病状の詳細な報告があった。次に故人を信じ且つ愛すること深かった長與総長は立って「凡そ人生に悲惨な事と云って色々の準備が出来てこれから活躍しようとする若い人が不幸病魔の侵す所となって亡くなる事程悲惨な事はない。同君の如く羽力正に成って之から大陸に雄飛しようと云う時にこの不幸にあったことは痛嘆に堪えない。
私は同君の学問的業績については余り知らない。然し故河本君に紹介されて初めて同君を知った時からこれは安心して事を託する事が出来る男だ、何か大きな仕事をする男だと感じていた。今となっては致し方ないが友人達が故人の遺志を継いでこの貴重な死を無駄にしない様にしなくてはならない、と追悼の言葉を述べられた。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
第6章 政治的君主の誕生
Ⅲ
歴史研究者の伊香俊哉が指摘するように、ジュネーブの国際連盟日本代表団は連盟規約を改善し、安全保障を促進する道を探ろうとはしなかった。それとは逆に、外相幣原の指示で、侵略戦争を禁止する新条約に合わせた規約の改正に抵抗した。連盟の平和維持機能は東アジアでは発揮できないと主張して、彼らは中国をめぐる紛争の第3国による調停に繰り返し反対した。1928年から31年に至るどの事件においても、政党内閣は自衛の名のもとに中国で武力を行使する可能性を残しておこうとした。もし天皇やその側近や外務省が、連盟規約の強化と日中紛争への連盟の介入の受け入れにこれほど消極的でなく、満州事変の勃発までに新しい集団安全保障の合意が成立していれば、関東軍がその恣意的な武力行使を正当化するのはもっと困難になっていただろう。
●日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
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解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
世界は、9条をえらび始めた。
考えてみよう、
日本の憲法9条のこれから。
また、日本国内にも、戦争のためのミサイルやハイテク兵器をつくってもうけようという企業があります。彼らにとってじゃまになるのは、「武器を売つてはいけない」と定めた9条なのです。こうした理由から、アメ リカ政府や日本の一部の大企業は、9条を変えたいと思っています。
そうやって日本が「戦争できる国」になっていくことを、かつて日本に苦しめられたアジアの人びとはどう感じるでしょうか。近隣の国々は、日本の軍事化をどう見るでしょうか。そしてみなさんは、世界の中の日本のあり方を、どう考えるでしょうか。
『鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
「戦争のない世界」
問題を解決するのが正義や道理ではなく、戦争が強い事、効果的な暴力を発揮できることが「正義であり道理である」のが現在の世界です。人類の到達した世界です。
私は「戦争のない世界」をめざします。
それはどのように実現するでしょうか。
それは「戦争のない世界」をめざす人々が多数になって初めて実現します。