サイレントフォールアウト
ABC企画委員会 「講演会&2024年度総会」 のご案内
旧日本陸軍の施設
言論の自由が欲しい!!
旧日本陸軍の施設
言論の自由が欲しい!!
原発活用の国策見直しを!!
ビキニ被災から70年!!核廃絶!!
アメリカだけではない!!、全世界で起こっている!!
●三多摩平和交流会の感想
8,今年も参加させてもらいました。退職して5年余りが経ちますが、こうした会に参加することで、社会の一員としての実感を持つことができます。実行委員の皆さんありがとうございます。展示の中の高校生平和ゼミナールと中学生のイラストを見学し、運動が継続されていることを強くうれしく思いました。(展示、ビデオの感想、チラシ、60代)
集会のアンケートから
平頂山事件については、日本中国友好協会を通じて知りました。
学校では、アジアの近現代史はなかなか教えられません。自分で興味を持って学んでいくしかない現状に歯がゆさを感じます。裁判の終了後も、こうしてこの歴史を人々に伝える活動をしてくださる人々に感謝します。
私の娘は今4歳です。方さんが事件に合われた年齢です。曲さんのお話に自分の娘の姿が重なりました。もう少したったら、娘も連れてこのような学習会に参加できたらと思います。
来日してくださった曲さんご夫妻に感謝します。いつかまた、どちらかの国で私の娘共々曲さんにお会いできたらと希望を持ちます。
会場への案内に立ってくださっていた実行委員会の方々に助けられました。
ありがとうございました。
(中国語)
●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述(2023年9月12日東京地裁)
令和3年(行ウ)第594号
原告増本美保外11名
被告全国健康保険協会
意見陳述書
2023年(令和5年) 9月12日
東京地方裁判所
民事第51部lA係御中
原告ら訴訟復代理人 弁護士 内藤雅義
第2 放射線の晩発性影響の評価
被告は、原告らの主張する放射線の晩発性影響が認められるには100mS vのしきい線量を超える被ばくをしたことが必要であるが、明石真言氏を座長とする保険部の報告書によれば、lmSvにも達しないので放射線影響とは認められないと主張します。
そこで、まず、放射線晩発性影響の基準がどのように決められたかを述べます。
1放射線影響評価と原爆被爆者調査
(4)初期放射線のみとしたことの背景
なぜ、初期放射線のみで、残留放射線を考慮しなかったのでしょうか。
ア 定量化の技術的困難性
初期放射線の場合、炸裂地点からの距離と被爆時の遮蔽を考慮すれば済みます。ところが、残留放射線は、放射性物質ごとに線量、発せられる放射線の種類、半減期もバラバラです。さらに被ばくした人の行動を考慮しなければなりません。そのため、定量化できず、統計処理に向かなかったということは分かります。
122、以前も(2,3年前)パネル展を見たものです。本当に、本当に、本当に今回見て良かったです。
DVD上映も色々見ることができて、また上映前後の解説も助かりました。
なかなかこういう内容の企画を見ることができなくなっている現在ですが、これからも続けてほしいです。
ありがとうございました。
要望:やはりDVD上映は続けて欲しいです。
(50台、相模原市、毎日・ウェブ)
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●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
・1938年6月1日の伝染病研究所で石井四郎の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか?精神的緊張裡とは、何のことだろうか?
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報22巻 第6号(1938年)
人事異動報告 昭13.6.3
発令月日 辞令 官職 氏名
4.30 任伝染病研究所技手 鉄本総吾
(伝染病研究所業務嘱託を解く)
桝井時正
井田清
(各通) 森成禎二
補永茂夫
村江通之
小田通男
4.30 伝染病研究所業務を嘱託す
増山忠俊
廬田光三
広済法円
矢部正澄
福見秀雄
川上立太郎
(各通) 香川修事
伊藤英太郎
小川俊太郎
佐藤金治
羽田幸雄
田崎忠勝
梶原秀信
沢田利貞
福井覚
4.30 依願解嘱 大久保薫
5.11 任公衆衛生院教授兼
伝染病研究所技師 如故
厚生技師兼伝研技師
叙高等官三等 野辺地慶三
5.20 依願解嘱 山田誠
5.23 依願免本官 技手 森和雄
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
第6章 政治的君主の誕生
Ⅲ
第1次大戦後の平和運動が戦争を違法化する思想を生み出していたアメリカでは、条約は知識人や大衆の広範な支持を集めた。もし天皇がその威信を発揮して、侵略戦争の違法化をみずからの課題としたならば、日本でも同様の広い支持が得られただろう。しかしそうはならなかった。逆に条約は直ちに、満州での危機の展開と、国家の政治的分裂を克服し、10年に及ぶ軍部不評の時期を清算して軍人精神を喚起するため、国民と天皇を直結させようとする官製運動との双方に、正面から衝突することになった。
●日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
IMAGINE9
解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
世界は、9条をえらび始めた。
あなたにできること
4. 戦争はなぜ起きるのか、考えよう
どうして戦争は起きるのだろう?―戦争はいろいろな理由で起きる。資源や国境をめぐる争い、民族や宗教をめぐる差別、他国を支配しようとする大国の欲望。いまイラク、アフガン、アフリカなどで続いている戦争はなぜ起きたのか。そして、どうすれば起こさずにすんだかを考えてみよう。
『鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
私は若い頃、『きけ わだつみのこえ』をよく読んでいました。読んでいく中で波長の合う戦没学生を数名見つけて、現在も時々、読み返しています。とりわけ、佐々木八郎さんの残した手記や日記は私の魂にピタッと伝わってきました。その佐々木さんも、当該鹿屋航空基地から出撃しています。学徒出陣の22歳、沖縄海上で戦死。宮沢賢治の『烏の北斗七星』に関連して書いた自分のエッセイを(第一高校の)クラス会にて発表するほど、戦争(戦いで敵を殺すこと)に対して根本的な疑問を持っていた佐々木さんの、出撃直前と思われる機上での笑顔の写真もあります。それは、生来の朗らかさと親友たちへの別れの笑顔が重なったものと思われます。
13、罪悪感を解放するために酒を飲む人もいれば、”力”を行使した満足感、それを現在も行使したい欲求が酒を理由に実行できた(ひどい行いとして表現できずため込んでいた)人、いろんなタイプがいたのだろう。民族・地方・貧困差別を行使する政治権力者にも脈々と受け継がれ、影響を受けているのが私たち日本人を含めた、在日外国人、被差別部落者、沖縄、アイヌ、性的マイノリティーなど、日本の全住民だと考えられ慄然とした。
「戦争のない世界」
私は「戦争のない世界」をめざしています。
戦争のない世界は戦争で作り出すことはできません。
戦争は強い方が勝ちます。
正義や道理が通った方が勝つわけではありません。
戦争に負けた方の集団や国家にも必ず掲げた正義や道理があります。負けてその時は服従しても掲げた正義や道理はその集団や国家に残ります。時が経てば一度は引き下げた正義や道理は息を吹き返すでしょう。
戦争は問題を解決できないと私が言うのはそのことです。