サイレントフォールアウト
ABC企画委員会 「講演会&2024年度総会」 のご案内
旧日本陸軍の施設
旧日本陸軍の施設
原発活用の国策見直しを!!
ビキニ被災から70年!!核廃絶!!
アメリカだけではない!!、全世界で起こっている!!
12月18日(月)
4、戦争の残した傷あとのむごさを改めて知らされました。「はだしのゲン」の原本は初めて見ました。中沢啓治さんは漫画家として立派な遺産を残してくれて改めて感謝します。全体に見ごたえのあるものばかりで、やはり終戦記念日や原爆投下された原爆忌あたりに市民の目の触れる会場でやってほしいと思いました。沢山の貴重な資料の数々、次回は見られなかった所も見たいと思います。
(60代以上、市内、チラシ)
●三多摩平和交流会の感想
12、黒井さんの記事(朝日)を読みました。初めて聞く内容でした。「三光」の本も読み、「731部隊」の講演シリーズで聞きました。
私の父も、満州国に2年、その後、日本に帰り、特攻隊に入隊していました。少し若かったので、出撃する前に敗戦を迎えました。父もどうにかすると、狂暴な一面を見せることもあり、それは、元々の人格であると理解していたのです。黒井さんの記事を読み、父を少し理解できるようになりました。
(週刊金曜日、70代以上)
集会のアンケートから
平頂山事件については、日本中国友好協会を通じて知りました。
学校では、アジアの近現代史はなかなか教えられません。自分で興味を持って学んでいくしかない現状に歯がゆさを感じます。裁判の終了後も、こうしてこの歴史を人々に伝える活動をしてくださる人々に感謝します。
私の娘は今4歳です。方さんが事件に合われた年齢です。曲さんのお話に自分の娘の姿が重なりました。もう少したったら、娘も連れてこのような学習会に参加できたらと思います。
来日してくださった曲さんご夫妻に感謝します。いつかまた、どちらかの国で私の娘共々曲さんにお会いできたらと希望を持ちます。
会場への案内に立ってくださっていた実行委員会の方々に助けられました。
ありがとうございました。
(中国語)
●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述(2023年9月12日東京地裁)
令和3年(行ウ)第594号
原告増本美保外11名
被告全国健康保険協会
意見陳述書
2023年(令和5年) 9月12日
東京地方裁判所
民事第51部lA係御中
原告ら訴訟復代理人 弁護士 内藤雅義
第2 放射線の晩発性影響の評価
被告は、原告らの主張する放射線の晩発性影響が認められるには100mS vのしきい線量を超える被ばくをしたことが必要であるが、明石真言氏を座長とする保険部の報告書によれば、lmSvにも達しないので放射線影響とは認められないと主張します。
そこで、まず、放射線晩発性影響の基準がどのように決められたかを述べます。
2 放射線人体影響を初期放射線のみとしたことによる影響
(2)内部被ばくの無視
もう一つは、初期放射線だけですと外部からの均等な被ばくを想定することになります。そのため放射性物質近傍の組織、細胞への被ばく、つまり内部被ばくモデルを無視・軽視してしまうことになります。これがICRPの内部被ばくモデルにつながります。
126、関東大震災時の朝鮮人虐殺については、東京の事と思っていました。また、731部隊、南京大虐殺、日本軍「慰安婦」以外のことは全く知りませんでした。学校での世界史、日本史は教科書の後の方にある近い時代の事はさらっとしか学ばず、それは大変残念なことと思いました。集団心理を利用しての不安をあおっての恐ろしい殺人、暴力の多さに驚かされました。人をコントロールしたいという気持ちが恐らく根底にある政治家、軍人。そしてその人たちの命令によって動かされた人々。日々の生活の中で抱えてきたストレスの矛先が正当化されてしまえば、平気で暴力になるのかも知れないと思いました。
また人間扱いでない労働の強制によって潤う人々がいるのも恐ろしい事だと思いました。
人権尊重という言葉は聞かれますが、実際には人権意識を持たずに過ごしている人も多いと思います。
ドイツのように自省できない未熟さも、日本人としては恥ずかしいと思います。
(70代、世田谷区、朝日・NHK)
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7、歴史修正から歴史否定に行き着いた社会はまた再び虐殺へと向かう。映画と呉監督の話から深く感じられた。
私は若年の時から反戦闘争に取り組んだが、今の政府と日本社会の動向はまた再び戦争へと向かう 色が濃い。私は高齢ではあるが、自分ができること、戦争阻止へ向けてできることについて考え行動していこうと思う。(70代、横浜市内、チラシ)
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
・1938年6月1日の伝染病研究所で石井四郎の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか?精神的緊張裡とは、何のことだろうか?
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報22巻 第7号(1938年)
(果たして、風邪によって死んだのか、それとも業務感染か?)
故田中正稔君追悼会
田中君の訃報を半信半疑であった在京の友人達も15日御両親同僚の加地君等に護られて雨の帝都に悲しき無言の帰京をした遺骨を迎えて哀悼の念更に切なるものがあった。伝研を中心にして生前の友人有志が発起し、20j日追悼会を行った。当日は御両親の御参列を得、本所会議室内生花に飾られた台上に同君の写真及び満洲国皇帝陛下より下賜された柱国章を安置して、午後3時宮川所長の弔辞を矢追先生代読、参会者順次に焼香した。伝研関係の諸先生、先輩、同僚、後輩は勿論の事、大学の同級生、講習生その他数百名の参列者のあったことは実に故人の遺徳の然らしむる所であると思われた。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
第6章 政治的君主の誕生
Ⅲ
立は、ほかの多くの日本人の「現実主義者」と並んで、国際紛争の解決手段として戦争に頼ることをすべての国に禁ずるような新倫理基準を要求する、英米などの自由主義国・民主主義国にはっきり不満を抱いていた。彼はこれを、英米が戦後の国際秩序を自己の利益のため固定化しようとする試みだと考えた。しかし公式には、立もまた新国際法にみなぎる平和の倫理を拒否しなかった。だが、抜け穴探しと自衛権定義の拡張によって、彼は条約を掘り崩し、紛争解決手段としての武力行使を事実上すべて正当化したのである。
●日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
IMAGINE9
解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
世界は、9条をえらび始めた。
考えてみよう、
日本の憲法9条のこれから。
「日本の憲法9条をあたりまえのものだとはどうか思わないでください。それは、 ある日突然なくなってしまうかもしれません。憲法9条があるからこそ、みなさんは戦争に行くことなく暮らせてきました。しかし憲法9条が救っているのは、日本人の命だけではありません。世界中の人びとが救われています。9条がなければ、みなさんはアメ リカが第2次大戦後に攻撃してきたすべての国、つまり、朝鮮半島、ベトナム、パナマ、グラナダ、イラク、アフガニスタンなどへ戦争に行かされていたのです」
これは、アメリカの元海兵隊員で、いまでは世界的に平和活動を行つているアレン・ネルソンさんの言葉です。
『鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
願わくは、戦没者たちが、自衛隊の「閉じ」の中から解放され、新たな地にて平和な社会の実現を見守って下さいますように。(鹿屋市内に一定の世論ができて、このような文章を書いているのではなく、私・鶴ヶ岡個人がこだわってきた、「戦没者」ということや「戦没者の遺念」ということへの思いから、書きました。また、鹿屋市当局も、資料館を取り戻すことなど、夢にも思っていないことでしょうし、自衛隊と利益関係でつながる出入り業者の数も多いですので、これまで(戦没者の冒涜に)気づいた人がいたとしても、なかなか声に出すことは出来なかったのではないかと思うのです。それだけ根の深い問題になっていますが、そこに光を灯すべき価値は大いにあるのではないでしょうか。数や金の上にあぐらをかいて、人々を、自分に都合のいい価値観にしばりつけているような地域性の中にある自衛隊の中でも「戦没者たち」が、埋没させられ、利用されてきました。自衛隊を包み込むそのような地域性があることもしっかりと見据えた上で、「自衛隊が戦没者たちを冒涜してきたということと、史料館は新たに平和祈念資料館として移転すべきこと」について、このような小さな声を、風に託すような思いで、届けたいです。)
「戦争のない世界」
私はある個人が兵士になり戦場で殺し合いを選択することに賛成しませんが、本人の自由意思で兵士の道を選ぶことは尊重します。
しかし、ある個人が戦争をしたくないのに、徴兵なり集団多数の意見なり、集団の長なりの意思に強制されて兵士にされ戦場に派遣されることは受け入れることができません。真っ向から反対します。支持できません。個人の自由意思はどんな場合でもどんな時でも尊重されるべきと思います。
そのことが民主主義の根本条件と思います。