始まりに向かって

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2012年(5)・・アトランティス人はマヤに知識を託したのか?

2011-08-01 | マヤ・アステカ・オルメカ
エイドリアン・ギルバート著「古代マヤ文明の暗号・2012」を読んでみました。
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前回までは、2012年に終了するとされる「第4ないし第5の時代が始まった時」としてマヤ・オルメカ・アステカ文明の遺物に記されている日付「紀元前3114年」は、いったい何がおきた年なのか?という問いを立てて、著者の考えを追ってみました。

著者の調べたところでは、紀元前3114年は、マヤ・アステカ文明の中心都市テオティワカンでは、プレアデス星団の位置に意味深い配置が見られた、ということでした。

それ以外には取り立てて目立つような事態は見出されなかったようです。


「紀元前3114年」という日付は、オルメカ文明の遺物からも見出されています。

著者はオルメカ人はアフリカから、古代グノーシス宗教の一つマンダ教の一派としてやってきた人々であるかもしれないと考えています。(碑文の文字がマンダ語の一種であると思われるため)

マヤの文明は、地中海の文明と関連しているのだ、と考えます。

そして二つの文明は、共にアトランティスの叡智を受け継いだものであると考えます。


「オルメカ人はアフリカ人であろう」という仮説も、「マヤ文明の起源はアトランティスであろう」という仮説も、前の紹介記事のゼカリア・シッチン氏も述べていたことです。

マヤ文明の謎を解こうとする人は、この「マヤ文明の知恵は外部からもたらされた」という説を“支持する派”と“支持しない派”の二つに分かれるのではないかと思います。

残念なことに、アトランティスが滅亡したのは10500年前のこととされ、マヤ文明の最古の日付は紀元前3114年、つまり約5000年前であり、二つの文明の間には時間的なずれがあります。

しかし、マヤ人は繰り返し「我々はアトランティスからやってきた」と言っているのは確かですから、ここにはミッシングリングが存在しており、なかなか問いが解かれることはありません。



                *****


                   (引用ここから)


「中央アメリカ文明の起源」に関する真実は、単なる大西洋の航海よりもさらに複雑であるようだ。

わたしはそこには、失われたアトランティス文明が関係していたと確信している。

プラトンによれば、それは紀元前9500年以前に遡る一大文明だった。


だがプラトンは、アトランティスは「ヘラクレスの柱」のかなたにあったと明言しているのだ。

「ヘラクレスの柱」は、ジブラルタル海峡を守る柱だ。

そのかなたといえば大西洋のことに違いない。

だからこそ、その地は「アトランティス」と呼ばれるのだ。

しかもプラトンはこの「アトランティスのさらにむこうの対岸には、別の大陸がある」とまで述べているのだ。

この大陸とはアメリカ以外にはありえない。

つまり優れた航海術で知られるプラトン時代のギリシア人は、アメリカ大陸の存在を知っていたのだ。



いずれにせよ、プラトンのアトランティス譚は、「はるか西の果てに熱帯の島がある」という遠い記憶の記録だろう。

その記憶の主がギリシア人自身ではないなら、エジプト人に違いない。

ティタン神族である「アトラス」の名を担うこの島には、エキゾチックな果実がある。

この関連からすると、いわゆる神々の戦い、すなわちオリンポス神族とティタン神族の宇宙的な戦いは、もっとはるかに小規模な事件の反映なのではないだろうか?

すなわち、アトランティス人によるヨーロッパとアフリカの侵略だ。


もしこれが紀元前10500年ごろの出来事であるのなら、アトランティスの滅亡はその当時におこった氷河期の終結にともなう海面上昇と関係していると考えられる。

もしも氷の融解がきわめて短期間に起これば、そのような破局はほとんど前触れもなく急激に起こるだろう。

突然の大災厄(たとえば巨大地震、小惑星の落下、なんらかの原子力発電所の爆発など)に比べて、緩慢な融解の利点は、何らかの準備をする余裕があっただろうということだ。

これはエドガー・ケーシーのシナリオとも一致する。

自らの運命を知ったアトランティス人が、周到にも彼らの文明の記録をビミニのみならず、メキシコとエジプトにも保管したという主張にも信憑性が出てくる。


       (引用ここまで・つづく)


             *****


ピラミッドや神話が、エジプトとマヤでは不思議なほどに類似していることが指摘されています。

クリス・モートンとセリ・ルイズ・トーマス共著の「謎のクリスタルスカル」という本に、エドガー・ケーシーが語ったマヤ文明の起源が書いてありましたので、照合してみたいと思います。

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        *****


       (引用ここから)


ケーシーは有能な霊能者で「眠れる予言者」として知られていた。

深いトランス状態で病気を診断し、治療法を見つける能力があり、また過去や未来と交信することもできた。

ケーシーによれば、アトランティスは実在したが、環境破壊の結果、洪水に襲われて滅んだという。

彼は、アトランティス人のわずかな生き残りの様子をこう描いている。



「そしてアトランティス文明の名残を携えて、イルタールはポセイディアの土地を離れた。

 彼に従うのはアトラン王家の者10人ほど。

いずれもオネの信奉者である。

彼らは西に進み、今やユカタンと呼ばれる土地に入った。

そこで土地の人々と共にアトランティスと似た文明を築いた。」


「生き残りの人々は彼らの歴史の記録を持ってきており、それらは今でも3つの場所に収められている。

海に沈んだアトランティス(またはポセイダ)の神殿の廃墟の海底に隠されている。

フロリダ沖のビミニの近くである。」


「エジプトの神殿の記録に、アトランティスの記事が残っている。

また記録は今のユカタンに運ばれ、石(彼らはほとんど知らない)のあるところにある。」


      (引用ここまで)


           *****


マヤ文明は、アトランティスの知恵を受け継いでいるのでしょうか?

マヤに関する本は、いつもこの問いの周りをぐるぐると回っているようです。。


wikipedia「マンダ教」より

          ・・・・・

マンダ教あるいはマンダヤ教は、グノーシス主義のひとつとされる宗教である。

マンダ語はセム系言語で、「マンダ(manda)」とは「知識、認識」を意味する。

日常的にはアラビア語を用いているが、宗教文書は全てマンダ語で書かれている。

最大の教典は『ギンザー(財宝)』と呼ばれるが『ヨハネの書』、典礼集『コラスター』というのも存在する。

文書に描かれる象徴画は独特の感じを受けさせるものである。

イラクとイランの国境地帯に信者が現存し、またアメリカ合衆国やオーストラリアにもコミュニティが存在する。

信者数は正確な統計がないが、総計5万から7万人と推定される。

イエス・キリストの先達である洗礼者ヨハネを指導者と仰ぐことから、イエスが洗礼を受けたヨルダン川との繋がりが指摘され、キリスト教の起源に近接したものとして注目されるようになった。

教義

魂は光の世界に起源を持つが、肉体は闇に属している。

典型的なグノーシス的二元論で、天界の水は地上では「活ける水」すなわち流水として流れている。

流水による洗礼や信仰儀礼の遵守を生きているうちから行うことによって、死後光の世界に帰りやすくなる。

その意味で洗礼はキリスト教のように一回限りのものではなく、何度も行うものである。

アブラハム、モーセ、イエス・キリスト、ムハンマドを偽の預言者とみなし、洗礼者ヨハネを指導者と仰ぐ。

     ・・・・・



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