今日もロンドンは冷蔵庫状態。気温はO℃だけど、体感温度はー7℃だそうです。
さて、先日の日曜日にLondonのウオーキングツアー(London Walks)のWestminster at Warに参加しました(HPはこちら→)。ロンドンの中心地ウエストミンスター・エリア界隈を歩きながら、ロンドンにとっての第2次大戦を振り返るという企画です。
初めて知ったのですが、第2次大戦時イギリスでは、空爆などで一般人が6万人、そのうちの半分の3万人がロンドンで亡くなっているそうです。
集合はエンバンクメント駅で、そこからテムズ川&ウォータルー橋→チャリングクロス駅→トラファルガー広場→レスタースクエア→ピカデリーサーカス→ジェルマイン・ストリート→セント・ジェームス・スクエア→キャビネット・ウオー・ルームを廻るというという全2時間半のコース。
史跡を見て廻るというよりは、歩きながらこのエリアは戦争時どうだったのか?という話をガイドさんが、新聞、雑誌等からの自家製スクラップブックをもとに、話をしてくれます。普段、しばしば通るエリア、ストリートではありますが、ガイドさんの話を聞くことで、見慣れた風景が違って見えるという興味深い体験をすることができました。
その中の幾つかのスポットをご紹介します。
(チャリングクロス駅)
この駅から発車する列車に乗って、サセックス地方(ロンドン南東部)に多数の児童が疎開したそうです。そしてこの駅の地下やセントマーティンフィールド教会のちかは防空壕として使われていました。

(トラファルガー広場)
ナショナルギャラリの絵は殆どが戦災を避けるためにウエールズに移されたとか。トラファルガー広場の一番のモニュメントであるネルソン提督の像も、戦時中は、その象徴的重要性から一時取り外され、避難したそうです。

(レスタースクエア付近)
レスタースクエア付近は空襲でボロボロ。日本の家は木でできているので空襲後の写真は焼け野原ですが、イギリスの建物は石で出来ているので空襲を受けたあとの写真は瓦礫のやまです。写真は大熱弁のガイドのヘレ‐ネさん。

(ピカデリーサーカス)
ピカデリーサーカスのエロス像も取り外されて避難したとのことでした。

(アイゼンハワー居住地)
連合軍のアメリカアイゼンハワー将軍が戦時中に滞在した建物。1942年に、アイゼンハワーはロンドンに司令部を置くヨーロッパ戦域司令官に着任して以来、1944年まで連合軍全軍の最高司令官として重責を担いました。

(ホースガードパレード前の記念碑)
第1次隊大戦後の戦死者を祀っています。

最後はチャーチルが戦時中に指揮を執ったキャビネット・ウオー・ルームの前で解散です。零下の気温かと思われるる寒さの中での見学は正直、体には堪えましたが、とても勉強になりました。 現代史に関心のある方にはお薦めです。
2010年11月28日 参加
※付録
今日の通勤、帰り道。寒そうでしょ。

さて、先日の日曜日にLondonのウオーキングツアー(London Walks)のWestminster at Warに参加しました(HPはこちら→)。ロンドンの中心地ウエストミンスター・エリア界隈を歩きながら、ロンドンにとっての第2次大戦を振り返るという企画です。
初めて知ったのですが、第2次大戦時イギリスでは、空爆などで一般人が6万人、そのうちの半分の3万人がロンドンで亡くなっているそうです。
集合はエンバンクメント駅で、そこからテムズ川&ウォータルー橋→チャリングクロス駅→トラファルガー広場→レスタースクエア→ピカデリーサーカス→ジェルマイン・ストリート→セント・ジェームス・スクエア→キャビネット・ウオー・ルームを廻るというという全2時間半のコース。
史跡を見て廻るというよりは、歩きながらこのエリアは戦争時どうだったのか?という話をガイドさんが、新聞、雑誌等からの自家製スクラップブックをもとに、話をしてくれます。普段、しばしば通るエリア、ストリートではありますが、ガイドさんの話を聞くことで、見慣れた風景が違って見えるという興味深い体験をすることができました。
その中の幾つかのスポットをご紹介します。
(チャリングクロス駅)
この駅から発車する列車に乗って、サセックス地方(ロンドン南東部)に多数の児童が疎開したそうです。そしてこの駅の地下やセントマーティンフィールド教会のちかは防空壕として使われていました。

(トラファルガー広場)
ナショナルギャラリの絵は殆どが戦災を避けるためにウエールズに移されたとか。トラファルガー広場の一番のモニュメントであるネルソン提督の像も、戦時中は、その象徴的重要性から一時取り外され、避難したそうです。

(レスタースクエア付近)
レスタースクエア付近は空襲でボロボロ。日本の家は木でできているので空襲後の写真は焼け野原ですが、イギリスの建物は石で出来ているので空襲を受けたあとの写真は瓦礫のやまです。写真は大熱弁のガイドのヘレ‐ネさん。

(ピカデリーサーカス)
ピカデリーサーカスのエロス像も取り外されて避難したとのことでした。

(アイゼンハワー居住地)
連合軍のアメリカアイゼンハワー将軍が戦時中に滞在した建物。1942年に、アイゼンハワーはロンドンに司令部を置くヨーロッパ戦域司令官に着任して以来、1944年まで連合軍全軍の最高司令官として重責を担いました。


(ホースガードパレード前の記念碑)
第1次隊大戦後の戦死者を祀っています。

最後はチャーチルが戦時中に指揮を執ったキャビネット・ウオー・ルームの前で解散です。零下の気温かと思われるる寒さの中での見学は正直、体には堪えましたが、とても勉強になりました。 現代史に関心のある方にはお薦めです。
2010年11月28日 参加
※付録
今日の通勤、帰り道。寒そうでしょ。
