その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

アムステルダムマラソン 完走記

2009-10-20 05:00:46 | ロードレース参戦 (in 欧州、日本)
 2009年10月18日

 朝、食事を済ませてホテルを8時半にチェックアウト。部屋は狭いホテルだったけど、寝具は良いもので、ぐっすり寝れた。ホテルを出ると、冷たい風が頬に心地よく、晴天。絶好のマラソン日和。

 この日は市内のバス、路面電車はマラソン大会のため、全面ストップ。オリンピックスタジアム(1927年に開催されたアムステルダム・オリンピックのメイン会場)へは、中央駅から地下鉄を乗りついで、20分ちょっと、町を廻り込んだルートで行くことになる。地下鉄と言っても、すぐに地上に出る。駅、電車は既に、会場に向かおうとするランナーの一団で一杯で、マラソン電車の趣だ。




 予定通りスタート1時間ほど前に会場のオリンピックスタジアムへ到着。着替え、トイレを済ませ、荷物を預ける。いつもトイレ待ちの長行列に閉口するが、ここではECOトイレと称する素晴らしい男性トイレがあった。さすが環境大国オランダである。更に、荷物を預けたら引き換え券の番号は、R555。Run Go Go Goである。何んと縁起の良いナンバー。今日はついているに違いないと、気分はノリノリ。ホテルの朝食でくすねてきたバナナとクロワッサンを食べて、いよいよスタートのスタジアムのトラックへ突入。






 スタート30分前ぐらいから、トラックに沿って、予想タイム順にランナーが並ぶ。東京マラソンではまずこのスタートのエリアにたどり着くのが、凄い人並みで一苦労なのだが、ここではスタートからランナーの最後方まで300mぐらいなので、5000人位の参加のようだ。スタンドには夫々の応援団が駆けつけているようで、盛り上がっている。携帯を見たら、オランダ人の同僚からタイミング良く"Good Luck today!"というメッセージが入っていた。ありがたいもんだ。「よーし、やるぞ~」気合十分。

 いよいよスタート。2分前ぐらいからスタンドとランナーが一緒になって「ウオー」を響き声を上げ、緊張感と興奮のボルテージが上がる。スタートして8分ちょっとで、やっとスタートラインをまたいで、いよいよ、これから目標タイム4時間30分を目指し、自分との戦いが始まった。


 トラックを半周して、ゲートをくぐって外へ。スタジアムの外では、スタジアム内よりも多くの声援者たちが待ち受けていた。自分の応援者はここにはいないが、声をかけてもらえるだけで、とっても元気が出る。小さな子供をつれた日本人の若奥さんが、自分に向かって「頑張って~」と日本語で声をかけてくれた。

 まずは、市内を走る。路面電車の線路に沿って、周りに3,4階建ての低いが、きれいなマンションと街路樹がずーと続いている。街路樹が丁度、紅葉で、朝の太陽の光が反射して、美しい。いかにも現代ヨーロッパの街中を演出していた。


 昨日の睡眠のせいか、体調はきわめて快調。市内の公園を抜けて、5キロのラップが27.54。更に、10キロで55.24(27.30)と予定通り。天気もいいし、ザルツブルグで川沿いをジョギングしたときのように、このまま、いつまで走り続けられるような気分。ひょっとして、このままなら今日の42キロは予想以上にいい数字がでるかも・・・そんな気がした。


 しかし、そんな時である。12kを過ぎ、運河沿いの道に入ったばかりのところで、自分でも何が起こったのかよくわからないまま、突然、転倒!激しく前のめりに倒れた。幸い、ヘッドスライディングは避けられたものの、かばった左外腕、左ひじ、両手を激しく擦る。廻りのランナーがみな、”Are you all right?”と声をかけてくれる。よろめき起き上がりながら、”I’m OK. Thanks!”と応えつつも、自分で何がなんだか良く分からない。再び走り始めるが、左腕は相当痛んでおり、ヒリヒリいたいし、血がどんどんにじみ出てくる。折角、絶好調なのに・・・。まさに「好事魔多し」「マラソン、楽ありゃ苦もあるさ」「山あれば、谷あり」だなあとしょうもないことを考えつつ、溢れる血を見ながら、まだ30キロはあるのに大丈夫だろうかと急に不安になってきた。

 傷ついたまま15Kのラップを1.22.44(27.20)で通過。相変わらず順調だ。しかし、この傷を放っておくわけにもいかず、15キロを過ぎたところにあるレッドクロスのテントに飛び込んだ。中には、救急員2名が先客の手当て中。「似たような人が居るもんだなあ」と思いつつ、見てもらう。「こりゃ。ひどいね。痛いだろう」と言われつつ、消毒液で消毒し、絆創膏やガーゼを当ててもらった。時計が刻々と進んでいくのが気になったが、こんなところであせってもしょうがないと、言い聞かせる。ただ、主な傷が全部で4箇所あるのだが、救急員のおじさんは、膝の傷に合う絆創膏が見つからないらしく、「おかしいな。持ってきたはずなんだが・・・」とか言って、救急箱を丁寧に探し始めた。「おーい。早くしてくれー。段取り悪いぞ。」と心の中で叫んだものの聞こえるわけも無く、おじさんは、結局、相方の救急箱から借りる始末。とはいえ、無事、救急医療は終了。「ありがとう。これで大丈夫だ。 (Thank you very much. I’m all right now.)」「まだ、走るのか?(Do you still run?)」「もちろん、こんな傷はたいしたことない (Of course, Yes. It’s not a big deal.)」「がんばってな (Good luck!)」という会話を交わし、テントを飛び出す。10分にも、20分にも感じた治療だったが、時計を見たら実質5分30秒ほどのロスで済んでいた。

 左腕は包帯を巻き、いきなり負傷兵のような姿でのランニングになったが、この15キロ地点から、20キロ地点の折り返し地点を過ぎ、25キロ地点までの運河沿いの道はまさにオランダの風景そのものだった。殆ど流れがないように感じられる運河に、小型の汽船や競技ボートを練習する若者が波を作り、羽は動いていない風車が運河沿いにたたずんでいる。そして、運河の逆側には牛や馬が放牧される田園が広がっている。傷のこともすっかり忘れ、快調に5km30分前後のペースで走り続けた。






 25キロ過ぎて運河から離れると今度は、昔の開発中の幕張を見るようなあまり面白くない開発地域が続いたが、30キロを過ぎるころからは、またアムステルダムの市街地に近づいてきた。「兎に角35キロまで、何とかこのペースを維持してがんばりたい。35キロまでくれば、あとは気合で何とかなる」と言い聞かせて、自分を叱咤激励。「たしか、昨年の東京マラソンでは、32キロ過ぎで、足がつった東国原知事を抜いたなあ」などとくだらないことを思い出した。

 30キロを過ぎて、多少、足に疲れが溜まり始め、ペースが鈍ったが35キロで3時間27分台。「これは、我ながら凄い。今日はいつも30キロを過ぎると出る、腿の痛みや痙攣も殆ど無いし、このまま行けば、4時間1桁分も夢ではないかもしれない。」と急に欲がではじめる。しかし、体は正直で、35キロ過ぎてからは、体全体が硬直し始め、ガクッと動きが鈍くなってきた。歩き始める人も出ているけど、市街地に近づくにつれ、人通りもどんどん多くなってくるし、ここは走り続けるしかない。


 そう思った矢先の37キロ地点、第二の試練が・・・。今度は明らかに体の安定性を欠いたところで、コース脇のフェンスの足に足をひっかけ、再び転倒。「転ぶー」と思った瞬間に、傷を負った左腕を本能的に庇って倒れた。しかし、左ひざと両手までは庇いようも無く、再度、負傷。幸い、傷は手の平と膝は1回目の傷から5ミリから1センチほど離れたところだった。2時間前の傷の横にまた、新たな傷が・・・

 この転倒は、疲れていた足と体に与えた更なる肉体的なダメージよりも、精神的なダメージの方が大きかった。「何故、1度ならずとも2度も、同じことを!」。転ぶという無様な姿を多くの声援者に見せるという格好の悪さではなく、同じことを2度行ったこと、こんなちょっとしたつまずきで、転倒しなくてはならない自分に対して、余りにも情けなく、腹ただしかった。起き上がって、走り始めるが、その精神的ショックも手伝ってか、いよいよ体が本当に動かない。「あと、5キロじゃないか。」と思いつつ、何故か、目から涙があふれ出てきた。

 あとはよく覚えていない。気がついたら、昨日の誓いをたてたオリンピックゲートが見えてきた。やっと、ここまで来た。ゲートをくぐって、トラックへ。まるで、オリンピック選手の気分。さっきの涙もようやく引いた。そうだ、携帯写真を撮らなきゃ。と思い出し、あわてて、2枚ほど。そして、ついにゴール!!!




 東京マラソンの時と違って、出迎えてくれる人が居ないのは少しさみしかったが、フルマラソンの厳しさを改めて実感し、「人生の縮図」であることを認識した4時間19分11秒だった。精も根も尽き果て、当分、次のことは考えられない。でも、よく、頑張った。



5 km 27:54 (27:54)
10 km 55:24 (27:30)
15 km 1:22:44 (27:20)
20 km 1:55:18 (32:34)
21,1 km 2:02:05
25 km 2:24:23 (29:05)
30 km 2:55:40 (31:17)
35 km 3:27:24 (31:44)
40 km 4:03:24 (36:00)
Net time 4:19:11
Gros time 4:28:05

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8 コメント

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Unknown (しいな)
2009-10-20 05:52:52
・・・おつかれさまっす(;;)
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Unknown (如月)
2009-10-20 09:24:41
マラソン完走記、読み応えがありました。フルマラソンで自身の目標タイムを設定しているのに写真を撮る余裕があるなんて凄いです。
遠ざかっていたマラソン(10キロ程度ですが…)に再チャレンジしたくなっちゃいました。
怪我、お大事に。
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しいなさん (かんとく)
2009-10-20 22:29:05
・・・押忍!
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如月さん (かんとく)
2009-10-20 22:33:16
コメントありがとうございます。写真は多くが、給水所で一呼吸置くところの前後で撮る事がおおいです。決して、余裕があるわけではないのですが・・・。是非、マラソン、チャレンジしてください。まだ、自分も走り初めて5年ぐらいです。
また、お見舞いのお言葉もありがとうございます。昨日、医者に行って、たんまり消毒液、化膿止めの軟膏、ガーゼ、絆創膏をもらってきました。
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ams marathon (toru)
2009-10-21 05:57:09
転倒がなければちょうど遭遇するくらいでしたねー 私も30キロ過ぎはヘロヘロでした。なんとか次回はサブ4を達成しましょう! 次はどちらを走りますか?私は4月のロッテルダム(オランダ)走る予定です。 
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toruさん (かんとく)
2009-10-21 09:34:20
コメントありがとうございました。Toruさんとは練習量が格段に違うので、私のサブ4は何時になるかわかりませんが、がんばります。次は、職場の若手とパリマラソンにエントリーしました。練習方法を参考にさせてもらいます。
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練習方法 (toru)
2009-10-21 20:18:45
私は練習方法はすべて”eA式 マラソン走力UPトレーニング 鈴木彰著”をお手本にして成り立っています。私この本気に入って毎日何度も眺めてうなづきながら走ってます。 パリマラソンいいですねー 4時間を切れたら海外に飛び出ようと思っているところです。
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Toruさん (かんとく)
2009-10-22 14:20:13
本当は地元のロンドンマラソンに出たいのですが、競争率が高くてなかなか当たりません。なので、近場の海外の大会に足を伸ばしています。
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