出石の寺坂小学校が、姉妹提携をしている韓国の慶州からの小学生をお迎えしたそうです。
実は私たちが住んでいた奈良市も慶州と姉妹提携をしていて、市役所の市長室があるフロアーには「慶州の間」という応接室があります。その他に中国の「西安の間」スペインの「トレドの間」があります。それぞれの部屋にはその国の記念品やお土産物が飾ってあり、来日された方たちをそこでお迎えするということになっていました。
どうしてそんなに詳しいかと言いますと、25年前になりますがその頃の市長は、雲で地震を予知されるということで有名な鍵田忠三郎氏でした。
地域の市会議員さんが市長と非常に懇意な方で、私はPTAの役員をしていた関係でその議員さんとよく市庁舎に行く機会がありました。
現在のように世間の目は厳しくなく、その議員さんのあとをついて行くと、いろいろな出会いや経験をさせていただいたわけです。
非難ごうごうの中での市長の英断で、その頃としては立派な庁舎が建てられ、他国との姉妹提携も視野に入れた対応は大したものだったと思います。
お二人ともとっくにお亡くなりになっていますが、懐かしく思い出しました。
実は私たちが住んでいた奈良市も慶州と姉妹提携をしていて、市役所の市長室があるフロアーには「慶州の間」という応接室があります。その他に中国の「西安の間」スペインの「トレドの間」があります。それぞれの部屋にはその国の記念品やお土産物が飾ってあり、来日された方たちをそこでお迎えするということになっていました。
どうしてそんなに詳しいかと言いますと、25年前になりますがその頃の市長は、雲で地震を予知されるということで有名な鍵田忠三郎氏でした。
地域の市会議員さんが市長と非常に懇意な方で、私はPTAの役員をしていた関係でその議員さんとよく市庁舎に行く機会がありました。
現在のように世間の目は厳しくなく、その議員さんのあとをついて行くと、いろいろな出会いや経験をさせていただいたわけです。
非難ごうごうの中での市長の英断で、その頃としては立派な庁舎が建てられ、他国との姉妹提携も視野に入れた対応は大したものだったと思います。
お二人ともとっくにお亡くなりになっていますが、懐かしく思い出しました。