まずは、パンの中に入れる具の作り方から
準備するもの フライパン 木べら
合い挽きミンチ300グラム たまねぎ1個 にんじん1本 カレー粉おおさじ1
小麦粉100グラム 塩・こしょう・砂糖-サラダオイル 市販のカレールウ
卵1個
フライパンqにサラダオイルを入れミンチをいため、みじんぎりのたまねぎとニ ンジンを入れてさらに炒め、卵と調味料を加え冷めてからルウをいれる。
パン生地の作り方
強力粉300g イースト15グラム--砂糖100グラム塩3グラム卵1個水40cc
その日は月に1度の胃ろうの交換日で、近藤先生も一緒にきていただけたけたというグッドタイミングでした。
彼女はベッド搬送で、我が家で車椅子に移動して私との再会でした。ベッドの私と手を握り合えたことは、うれしいことでした。そして、音楽療法も始まりました。
大坪さんも私も好きなさだまさしの「道化師のソネット」から始まり近藤先生のオートハーブの「あざみの唄」で終わりました。音楽療法士の竹末さんが移動式のピアノで演奏してもらい、その間大坪さんに足湯をしていただきました。私の希望を出石訪問看護ステーションの看護師さんが聞いてくださったのです。
途中でラッキーとそらも出てきて大坪さんの手をペロペロとなめたそうです。たくさんの方に感謝のひとときでした。
初めて公立八鹿病院に入院した時に、同室になったのが、同じ病気の大坪順子さんでした。
彼女は伝の心というパソコンを使い意志伝達をされています。私はぺチャラという器械を借りました。今は携帯で メールをやりとりしています。
そんな中で生まれたのが,自宅介護の我が家への訪問でした。八鹿病院から但東町までは片道40分はあります。彼女の疲れが心配でしたが、近藤先生からうれしい許可がでました。
たくさんの方の応援で実現したのです。
自宅介護のサポートしてもらっている出石訪問看護ステーションから、研修生がにきています。
八鹿病院でも実習生がついてくれたことがありました。一生懸命してくれる態度は同じで、感謝、感謝です。
ALSの患者相手の実習は、コミュニケーションがとりにくいことが難点です。
声が出ないので文字盤を使って意思表示をするのにはとまどったことでしょう。はじめは、見ているだけが、だんだん看護師の仕事が実施できるようになってくるのは感動ものでした。
入院していたt時から感じていたことですが、やさしさと思いやりが 根底にあることが必要です。技術は経験を積みながらみについていくものと思います。
前回の研修生は、文字盤に工夫をしてくれました。
今回の研修生はパソコンをうまく使える工夫をしてくれました。
将来に期待したいものです。
公立八鹿病院ではまい昼食、ミキサー食がでます。うれしいことに栄養管理の方が必ずミキサー食の内容を見せに来てくださいました。私は何種類の食材が使われているのか数えました。10品目以内でしたが、緑色の多いときはミキサー食も緑の野菜がおおいということでした。
我が家の夫は、病院で指導を受けて時々作ってくれます。20品目近くの内容で驚きます。
新しい首相のを中心にどうしてもしてほしいことがあります。東日本の被災地に復興庁を作り、知事も参加した組織です。地震、津波。原子力、そしてそれに関係するボランティア団体の事務所など、早く行動日移せる拠点を作るべきではないでしょうか。
東京にできても、具体的な行動は早くなりません。汚染されて町に戻れなければ、新しい土地に早く町を作るべきです。それも住民の声を大事にしながら・・・
現場では、元の仕事に積極的に取り組もうとしている人々も多くなっている報道が増えています。新しい閣僚に期待したいものです。
細胞を復活させる新しい物質が発明されたニュースは、知っていました。
それがアメリカの学会で認められ、新薬としての進歩につながっていくようです。日本では新薬の認可が遅く実験として使ってほしいぐらいです。
自宅介護が始まって、まだ体が動くときは自宅のふろ場で二人ガかりでいれてもらっていました。病院ではシャワー浴。だんだん無理になると,ベッドのままのお風呂です
病院のお風呂h、専用のベッドに乗せられ下お風呂場にいきドームのような中でシャワーがでてきます。
自宅のお風呂がつかえなくなxった時は、但東町のケヤキホールのデイサービスのお風呂はとてもよかった。湯船に入れてもらえたことがうれしかxったです。
気管切開の後は無理と言われて、悩みました。出石訪問看護センターが入浴の段取りをしてくれました。 自宅でハンモックのような湯船で入浴する形です。
豊岡市社会福祉協議会の訪問入浴でした。
4月から、八鹿病院の8病棟は療養型になりました。つまり自宅で療養していても、一時的に入院できるシステムになったのです。
新しく支援員とよばれるメンバーも増リハビリの米えました。支援員のメンバーのほとんどが男性でした。女性ばかりの病院の画期的な動きです。
今回の入院で手術もあったので、両足がしびれて辛い毎日でした。支援員さんが田先生からマッサージを教えてもらい、それが広がっていきました。、